縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

“無知の知”ならぬ“無知の恥”?

2013-03-27 22:53:52 | 最近思うこと
 以前シンガポールの「イメージ・オブ・シンガポール」を訪れた際の話を書いた(『シンガポールで考えたこと(1)』、2009/1/17)。そこで、第二次世界大戦中、日本軍がシンガポールで行った残虐行為のフィルムを見て、これは中国の映像ではないかと思った云々と僕は書いた。今日は自らの無知を反省し、お詫びと訂正をしたい。

 先日、ディスカバリーチャンネルで『第二次世界大戦の真実、1942年、シンガポールの戦い』という番組を見た。
 マレー半島を南下した日本軍は、1942年2月、ついにシンガポールに上陸。守るはイギリスと、当時イギリス領であったインド、英連邦のオーストラリアの連合軍、それに華人の義勇軍であった。連合軍は日本軍の陽動作戦に引っ掛かり、守りの薄い地域に日本軍の上陸を許してしまう。さらに連合軍内の連絡が悪く、必要な増援部隊の派遣は行われず、逆に不必要な撤退を行う始末。わずか9日間で連合軍は降伏を余儀なくされた。日本軍の爆撃や砲撃が激化し市街地にも及ぶようになり、連合軍司令官パーシヴァルは降伏を決断したのであった。
 が、その後がひどい。日本軍は、華人が当時日本の戦っていた彼らの祖国・中国を支援していると非難し、抗日ゲリラ、中国の支援者やスパイ、共産主義者とおぼしき華人を多数処刑した。その数は日本側の資料では6,000人と言われ、一方、シンガポール側の資料では数万人とも十万人とも言われる。日本軍がシンガポールを占領した3年半、インフレ、食糧不足、暴力等々、シンガポールの人々にとっては本当に悪夢だったという。
 番組はざっとこんな内容である。僕は、共通一次(センター試験)で日本史を選択し、大学の2次試験でも日本史を選択した。日本史はそれなりに詳しい方だと自負しているが、日本軍がシンガポールで多くの華人を処刑した話は知らなかった。学校で教わらなかったと言えばそれまでだが、やはり日本人として恥ずかしい。

 歴史は主観的なものだと思う。国によって見方は違うし、同じ国でも時代によって見方が変わることもある。例えば、日本と中国や韓国とのいわゆる歴史認識の問題、そして明治以降突如として最大の朝敵にされた足利尊氏など、同じ事象や人物についての評価が国や時代によって異なる例だ。そもそも、過去の文献は当時の体制側が自らに都合良くまとめたものであり、それに基づき歴史が作られている。歴史は、その時時の体制側の主観が混入し、正当化がなされた物語なのである。
 しかし、当然、歴史の中にも客観的な事実はあるし、合理的に事実と推測されることもある。日本軍がシンガポールや南京で多くの人を処刑したことは残念ながら事実であるし、足利尊氏が実在し、後醍醐天皇に反旗を翻したことも事実と思われる。
 歴史について、どこかの国のように国民に特定の評価を押しつけ洗脳するのは如何なものかと思うが、臭いものに蓋よろしく、何も教えない日本もどうかと思う。事実は事実としてありのままに伝え、それをどう評価するか、そこから何を学ぶのかは、個人に委ねれば良い。

(追記:冒頭、お詫びをしたいと言ったわりに、最後は何か開き直ってしまった感もありますが、知らぬこととはいえ、なんて能天気なことを書いてしまったのかと本当に深く反省しております。)

エルトンとトリュフォー ~ 『ピアニストを撃て』

2013-03-25 22:00:36 | 芸術をひとかけら
 エルトン・ジョンに『ピアニストを撃つな!』というアルバムがある。1973年1月のリリース。彼が初めて全米と全英両方のチャートで1位を獲得したアルバムであり、まさに彼の黄金時代の幕開けとなったアルバムである。初めて全米シングル・チャートで1位となった『クロコダイル・ロック』や『ダニエル』などが入っている。
 このアルバムのタイトルが、フランソワ・トリュフォーの映画『ピアニストを撃て』にインスパイアされたものだと聞き、一度その映画を見てみたいと思っていた。もう30年以上前の話である。すっかり忘れていたが、先日、ふとそのタイトルを新聞で見つけ、漸く見ることが出来た。

 で、正直、「エルトン・ジョンは、この映画のどこが良かったのだろう。」というのが、僕の感想。

 『ピアニストを撃て』は1960年のフランス映画、トリュフォーの『大人は判ってくれない』に次ぐ2作目の長編映画(といっても80分程度)である。ギャング映画というか、ハードボイルドには成りきれない主人公の悲劇というか、ドタバタのB級映画というか、そんな感じの映画である。ヌーヴェルヴァーグっぽく、即興的で、ロケ中心で、低予算の映画だな、といった感じがした。
 ストーリーはいたって単純。ある事故をきっかけに輝きを失ったピアニストが、兄弟のいざこざに巻き込まれギャングに追われる羽目になり、掴みかけた愛を、そして生きる希望を失ってしまう、というものである。間に本筋とは関係ない話が入っていたり、突然過去の話になったりと、若干展開のわかりにくい所もあるが、全体にシンプルな作りである。何か伏線が敷かれていたり、推理が必要だったりということはない。見て、純粋に楽しむことは出来る。が、だからどうした、と思ってしまう。エルトンは何がそんなに良かったのだろう。

 強いて言えば、それは「愛」だろうか。映画の中で、男は女のことばかり話し、皆、女を追いかけている。一方、女は女で男のことばかり話し、男のために生きようとしている。映画のラストシーンはちょっと暗示的だった。愛する女性を亡くし、また元の単調な生活に戻った主人公に、新しい恋の芽生える可能性が・・・という終わり方。でも、エルトンは男女の愛に関心があったのかな。

「上有政策、下無対策」が正解? ~ 中国の抱える矛盾

2013-03-16 19:52:46 | 海外で今
 今月に入って中国では北京、上海など都市部で離婚が急増しているそうだ。中国政府の発表した不動産売却益に課税する方針を受けてのことである。
 中国政府は、1日、不動産バブルを抑制し、投機目的の不動産取引を防ぐため、次の二つの規制を打ち出した。一つは、不動産を複数所有する人が物件を売却する場合、売却益に対し20%の税金を課すというもの。もう一つは、2軒目の住宅を購入する場合の住宅ローンにつき、必要な頭金の比率を引き上げ、かつ金利を高くするというものである。
 ただ、この制度は世帯単位で適用されるため、究極の抜け道があった。そう、離婚である。離婚して夫婦の各々が不動産を所有する形にすれば、売却しても20%の課税を免れることができる。勿論、不動産を売却し、税金なしにお金を受け取った後で再婚する手筈となっている。まあ、中には大金を手にし、新しい愛に走る人もいるかもしれないが。

 計画倒産は聞いたことがあるが、計画離婚なんて聞いたことがない。中国には「上有政策、下有対策」(上に政策あれば、下に対策あり)という言葉がある。自分さえ良ければ、お上が何と言おうと関係ないということだろう。中国恐るべしである。

 もう一つ「上有政策、下有対策」の話を。あの一人っ子政策にも抜け道があるという。先日上海に行った際に聞いた話である。農村で多く行われている、出生届けを出さず戸籍外で子供を育てるというのとは違う(これはこれで大きな問題であるが)。
 それは、海外で子供を産むという裏技である。アメリカやカナダなど出生地主義を採る国で出産すれば、中国人の子供であってもその国の国籍を取ることができる。外国籍であれば一人っ子政策の対象にはならない。だから二人以上の子供のいる中国人家族が結構いるらしい。兄弟で国籍が違うのもざらとのことだ。

 しかし、上の二つはいずれも金持ちだけが使える「対策」である。一生働いても家を買えない人は多いし、死ぬまでに一度も海外に行けない人だっている。いったい、その他大勢の一般庶民にどんな「対策」があるのだろう。中国の貧富の差は絶望的に大きい。マルクスが今の中国を見たら、これは共産主義ではないと、きっと嘆くに違いない。
 臭いものに蓋をするではないが、中国は衛星放送やインターネットなど海外からの情報を厳しく監視、制限している。政府に都合の悪い報道になると衛星放送は切れるし、ネットに対する中国の規制はご存じの通りである。中国でfacebook、twitter、YouTubeなどは使えない。上海で試してみたが確かに接続できなかった。裏技を使えば見ることはできるが、その裏技に対する当局の対応も厳しくなっているようだ。

 「上有政策、下有対策」もいいが、皆が対策を取れるものであって欲しいと思う。が、そもそも、簡単に対策、抜け道を考えられるような政策自体、如何なものかと思う。

PM2.5と過ごした3日間

2013-03-09 00:48:13 | 環境を考える
 今週、2泊3日で上海に行ってきた。尖閣問題に解決の兆しが見えず反日感情の強い中、さらには大気汚染の問題もあり、あまり気は進まないが仕事とあっては仕方がない。
 どうせ飛行機はガラガラだろうと高をくくっていたら、予想外に行き帰りともほぼ満席だった。航空会社が利用者の減少に減便や機材の小型化で対応した結果であるし、また僕のような犠牲者(?)が多い証拠でもあろう。乗客のほとんどがスーツ姿のビジネスマンだった。

 さて、空港に着くと早速PM2.5の洗礼を受けた。遠くが霞んで見えないのである。滑走路の向こう側のターミナルや飛行機がぼやけて見える。うーん、「霧の摩周湖」(古い?)ならどこかロマンチックでいいが、「埃の上海」は頂けない。着いた途端、気が滅入ってしまった。そのうえ強い反日感情、中国語のできない僕が無事日本に帰れるだろうか、不安が募る(勿論、無事帰って来たので、こうしてブログを書いてます)。

 では、肝心の上海の大気汚染について。ちょっと拍子抜けだったが、上海の人はほとんどマスクをしていない。マスクをしているのは、マスク好きの日本人か、バイクに乗っている人の中に稀にいるくらいだ。
 我が国のPM2.5の基準値は35マイクログラムで、その2倍の70超で注意喚起となっている。これに対し中国では、大人は100~200であれば特に問題なく、200を超えるとちょっと危ない、ということになっているそうだ。スマホのアプリで、中国当局と米国大使館(北京)・領事館(上海)発表のPM2.5の値を見られるものがあり、上海で大人気。これによると上海の値は200未満なので(僕がいた時は150!くらいだった)、中国的には安全なのである。我が国の注意喚起レベルの倍以上であるが・・・。

 僕は、テレビで「マスクを2枚重ねにし、間にウエット・テイッシュを挟めば完璧、PM2.5も防げます」というのを見て、マスクもウエット・テイッシュも買い、しっかり持って行った。が、「郷に入れば郷に従え」、結局使わなかった。日本人だとばれて殴られるリスク(これ自体低い気はするが、ゼロではない)と、喘息になったり、将来肺がんになる確率が多少上がるかもしれないリスク(2、3日でどれだけ影響があるかはわからないが、こちらもゼロではないだろう)とを天秤に掛けたとき、前者、つまり目の前にあるリスクを避けるべきと考えたからである。取り敢えず、今、痛い思いをするのは嫌だった。

 ところで、中国人も現地に住む日本人も、上海の空気が汚いのは昔からだから今さら何を、と言っていた。確かに、青空は見えないものの、外にいて咳き込んだり、息苦しかったりすることなどない。お世辞でも健康に良い環境とは言えないが、どのくらい悪いのかはわからない。まあ、変に気にし過ぎてストレスを溜めこむ方がずっと体に悪いのだろう。上海の人は、今の生活に支障がない以上、空気が汚いことを取り立てて気にしていない。楽観的というか、ある意味健康的な考え方かもしれない。
 さすが中国、4千年の歴史、おおらかなことだ。できれば領土問題についてもおおらかになってくれると有難い。中国の土地使用権は高々70年。手に入れても自分の子孫に残せるわけではないのだから、そんなに拘らなくてもいいのではないだろうか。