縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

スペインの話(第3回) ~ グラナダにて

2008-09-23 14:32:03 | もう一度行きたい
 一度はパラドールに泊まってみたい、ということで、僕達はグラナダのパラドールに泊まることにした。
 パラドールというのはスペイン国営の宿泊施設である。元々は、歴史的建造物をホテルとして整備し、その保存と観光の両方に役立てようとの考えから始まったという。今では普通の建物も増えているが、その由来もあって、宮殿や古城、修道院、貴族の館などを改造したパラドールも多い。ここグラナダもそうである。15世紀に建てられた聖フランシスコ修道院がベースとなっている。
 更にこのパラドールの凄いのは、アルハンブラ宮殿の中にあることである。宮殿の入り口にあるチケット売り場から宮殿へと向かうほぼ中間にこのパラドールはある。部屋の窓からヘネラリフェの別荘が見えた。勿論ホテルの設備は近代的であり、窓から見える中世とのコントラストがとてもおもしろかった。ヘレスで買ったシェリーを飲みながら、暮れゆくヘネラリフェを眺めて過ごした。

 食事も良かった。スペインに来て夕食をBar(日本の喫茶店と居酒屋とレストランを足して3で割ったような感じの飲食店)で食べることが多かったので、初めて洗練されたスペイン料理を食べた気がした。
 が、それ以上に朝食が良い。料理はパン、サラダ、卵料理、ハム、チーズ、フルーツ等のバイキングであり、これだけでも朝食として内容が充実していたが、なんとカバCava(シャンパンと同じ製法で作られるスパークリング・ワイン。因みに製法は同じでもフランスのシャンパーニュ地方で作られたものしかシャンパンとは言えないのである。)が飲み放題だったのである。
 僕らは、パラドールの中庭で、朝からCavaを飲み、優雅な時間を過ごした。連れ二人がアルハンブラを見に行くと早々に食事を切り上げたのを横目に、日本人の観光客は時間に追われ食事を楽しむ余裕がない、まったくけしからん、などと悪態をつきながら、もとい日本の観光のあり方を憂いながら(?)、心行くまで食事(お酒?)を楽しんだ。
 
 もう一つ、グラナダではオリーブオイルの話も忘れられない。スペインはイタリアと並ぶオリーブオイルの生産国である。中でもスペイン南部、ここアンダルシアがその中心である。
 グラナダのショッピング街の外れ、カテドラルの裏を歩いていたとき、妻がオリーブオイルの専門店を見つけた。本場アンダルシアのおいしいオリーブオイルが欲しいと思っていた妻は颯爽と店の中へと入って行った。
 で、3度びっくり。オリーブオイルの種類が多いことではない。それは想定の範囲内。一つめはオーナーがニュージーランド人だったこと。スペインとニュージーランド。ちょうど地球の裏側ではないだろうか。ここのオリーブオイルに魅せられたとはいえ、凄いことである。
 二つめは試食を勧められたこと。オーナーのおばさん曰く、オリーブの種類はブドウよりも多く、よってオリーブオイルの種類もワインより多い。好みがあるから、パンにつけて味を見て買うようにとのこと。
 最後のびっくりは、彼女が日本に向け、それもレストランではなく個人にオリーブオイルを送っていることだった。僕など、グラナダに来てオリーブオイルを探す人間がいること自体驚きだが、気に入ってわざわざ取り寄せる人がいるとは更に驚き。ガイドブックにも載っていない、目立たない小さな店であるが、皆、僕らと同じようにフラッと入ってきた個人の旅行者らしい。そんな客が十人位いるというのである。

 妻みたいに(僕から見れば)妙に食べ物にこだわっている人間が確実に十人は日本にいるのかと思うと驚きというか、ある意味、恐怖を感じた。そのダンナや恋人と友達になれる気がする。

パラリンピックの意義とは??

2008-09-21 16:01:09 | 最近思うこと
 17日、北京パラリンピックが閉幕した。オリンピックほどではないが、いくつかの競技をテレビで見た。種々のハンディを抱えながらも立派に競技を行っている障害者の方々の姿は、正直、驚きであったし(僕など足元にも及ばないレベルの高さである)、まったく、ここに至るまでの皆さんの努力に対して敬服せざるを得ない。
 日本のメダル獲得数は金5、銀14、銅8の計27個と、前回アテネの52個から半減したそうだが、僕は、メダルの有無に拘わらず、参加された方全員に称賛とねぎらいの言葉を伝えたい。

 北京のメダル獲得数のトップは 211個獲得した開催国の中国である。2位はイギリスで102個、以下、米国、ウクライナ、オーストラリアと続く。中国は開催国の面子をかけ、国として強力なバックアップを行い、選手の育成・強化に努めてきたのであろう。中国のメダル数は、アテネより種目数が1割減った中で、なんと5割増である。
 貧富の差が激しく、かつ利己主義の強い中国において、障害者の生活は一般に極めて厳しいものと思われる。それこそ日々の生活を憂うことなく安心してスポーツに打ち込める環境など程遠いであろう。にもかかわらず、この結果である。僕は国の支援自体を否定するものではないが、一部の選ばれた人だけを支援するよりも、国は他の多くの障害に苦しむ人々の生活を助けることに力点を置くべきではないかと思う。

 勿論、こうした動きは中国だけでなく、大なり小なり他の国にも言えるであろう。オリンピック開催国での同時開催となって以降、パラリンピックの競技性が高まっていることは事実である。今回種目数が減らされたのも、障害の度合いに応じ細かにクラス分けしていては金メダルの数が多くなり、その価値が低くなってしまう、との理由からなのである。
 そもそもオリンピックの精神は「参加することに意義がある」であり、つまり、オリンピックは勝つことではなく、参加するまでの努力や過程、そして参加することを通じて他の参加者と交流し世界平和の実現を目指す、というものである。最近のオリンピックは商業化が進み、又、国威発揚など政治目的にも利用されているが、パラリンピックも同じ道を歩もうとしているのだろうか。

 障害を乗り越えてスポーツを行っているパラリンピックの参加者こそ、それまでの努力のプロセスが評価、称賛されるべきであり、参加できるだけで素晴らしいと思うのだが、今のパラリンピックにそうした考えは通用しないのだろうか。障害者の方の生きがい、喜びのためにスポーツの場を、と考えたとき、何か別の方法を作らないといけないのだろうか。
 が、一方で、こんなことを考えるのは、ある意味、健常者の傲慢かもしれないとも思う。即ち、障害者の方々も技術やスピードの極みを追及しているのであって、そんな甘い考えなど要らない、ということかもしれないのである。ウーン、難しい問題である。

怒れるオジサンに

2008-09-08 20:00:09 | 最近思うこと
 前回、オジサンは医療保険の件で怒っているぞ、という話を書いたが、それ以上に怒るというか、呆れる話があった。福田首相の突然の辞任である。福田首相は、我々凡人とは違って「自分自身を客観的に見る」ことのできる立派なお方とのことであり、おそらく今回の辞任も客観的に判断した中での当然の帰結なのであろう。
 が、やはり凡人の僕には理解できない。太田君がいじめる、小沢君が言うことを聞かない、と言って駄々をこね、教室から飛び出して行った子供と大差ない気がする。まったく、勘弁して欲しい。

 と、怒ってばかりいては血圧が上がって良くないので、少し心が和む、穏やかになる話を。

 時々車の中でクラシックを聴く。ベートーヴェンの第9は意外にスピードと相性が良い。グレン・グールド(ピアニスト)の弾くバッハもお勧めだ。彼の躍動感あふれる演奏も不思議とスピードに合う。ともに信号がなく車の少ない田舎の道を走るときなどは最高。
 これとは逆に、渋滞のときに聴くのがバロック音楽。「パッヘルベルのカノン」や「アルビノーニのアダージョ」は、渋滞に疲れ、すさんだ心を癒してくれる。昔は常に“渋滞用”として車にバロックのCDを置いていた。渋滞好きの人などいないと思うが、東京に住んでいるとやはり渋滞は避けられない。その苦難を黙ってひたすら耐えるか、バロックの助けを借りて心穏やかにやり過ごすか、僕は後者を選んだのである。一度皆さんも試してみては如何だろう。

 音楽で心穏やかに、やさしい気持ちに、というのから、ある曲を思い出した。岸田智史の『きみの朝』である。もう30年近く前の古いヒット曲だが、その中に「コーヒー一杯分のやさしさを そそぎ込む 僕の歌よ」というフレーズがあった。

 今はスターバックス等に押され、めっきり少なくなったが、僕は喫茶店が好きだ。マスターが1杯ずつ、丁寧に、いとおしんで入れてくれるコーヒー。そのコーヒーを飲みながら、本を読んだり、ただぼーっと考え事をしたりして過ごす時間。ただコーヒーがおいしいとか、あったかい・温まるからというのではなく、コーヒーを飲みながらくつろぐ、そんな安らかな時間すべてを指して“コーヒー1杯分のやさしさ”と言うのだろう。そんなことを考えたせいか、今でもこの表現が記憶に残っていたのである。

 実は、退職したら喫茶店を開くのも悪くないな、と思っている。地球温暖化に環境問題、エネルギーや食糧の問題、更には我が国においては高齢化問題など、なかなか将来に明るい展望は見えない。だからこそ、せめて自分や自分の周りの人たちにだけでも、“コーヒー1杯分のやさしさ”を感じられる空間を提供できたらと思うのである。
 喫茶店なんか儲からないのでこれは道楽である。そのため、まずは退職までにその後の生活に困らないだけのお金を稼がなくてはならない。はてさて、どうなることやら。