縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

カンボジアで思ったこと

2008-04-22 22:37:51 | 海外で今
 日本テレビの『行列のできる法律相談所』という番組で、今“カンボジア学校建設プロジェクト”が進められている。趣旨に賛同した芸能人100人に絵を描いてもらいオークションを実施、その売上げで学校に行きたくても行けない、スレイナちゃんという少女の住む村に学校を建設しよう、というものである。
 本当であれば、スレイナちゃんの村に学校ができればそれで終わり、というのではなく、他のカンボジアの村にも、そして同じように学校を作る資金のない他の国々にも、こうした運動が広まると良い。が、取り敢えずは、スレイナちゃんの村に学校ができるだけでも良しとすべきであろうか。
 
 ところで、カンボジアというと何を思い出すだろうか。まず、アンコールワット。で、次は? 長い内戦と未だに続く地雷の被害。そしてポル・ポトとクメール・ルージュによる虐殺。映画『キリング・フィールド』を見た人も多いと思う。
 
 7年前、アンコールワットに行った。91年にカンボジア和平が実現し、20年に及ぶ内戦に漸く終止符が打たれた。治安の安定とともに、アンコールワットやアンコールトムへの観光客が増えていた。そんな頃である。
 シェムリアップという町に泊まったが、当時は超高級ホテルが1軒(ラッフルズ系のホテル・ダンコール)と、そこそこのホテル(日本人観光客が泊まれる)が十数軒といった感じだったと思う。今では高級ホテルが随分増えているようだ。

 アンコールワットの話は別の機会に書くとし、今日はカンボジアで印象に残っていることを二つ書くことにする。
 一つは子供達の目が輝いていたこと。国は貧しいけれども子供達は本当に生き生きとしていた。ポル・ポト後に生まれ、当時の苦しみ、悲惨さを知らないからかもしれないが、その屈託のない笑顔は明日への希望に満ち溢れている気がした。
 一方、最近の日本の子供達はどこか覇気がない感じがして仕方がない。豊かな社会に育ち、また地球温暖化や年金の破綻など将来に不安を感じ、単純に、明日は今日よりも良い日、親の世代よりも自分達は良い暮らしが出来る、と思えないためなのだろうか。
 二つめは地雷。シェムリアップはアンコールワットへの観光の拠点であるが、そのシェムリアップでさえ、道路から外れるな、危ないから道路の端は歩くな、と教えられた。どこに地雷があるかわからないのである。和平後10年経っても、地雷の処理は終わっていなかった。日本でのん気に暮らしている僕にとって、こんな街中で地雷の存在自体が驚きであったし、又、哀しくもあった。

 地雷は主にポル・ポト派が埋めたものとされる。カンボジアは19世紀にフランスの植民地となり、その後アメリカやソ連・中国、更には隣国ベトナムの思惑が絡み、時代の流れに翻弄されてきた。1970年に親米のロン・ノル政権が誕生したが、アメリカのベトナム撤退により後ろ盾を失い、内戦が激化。その間の75年~79年、ポル・ポトのクメール・ルージュが政権を握り、百数十万人に及ぶ虐殺が行われたのである。おおよそ国民の5人に1人が殺されたとも言われ、その比率はナチのホロコーストをも上回る。

 いったいポル・ポトとは何者か。単なる臆病な共産主義者だったのかもしれないし、共産主義の理想に燃えながらも、それを実現する術を知らなかった、ただの愚か者かもしれない。いずれにしろ、彼自身は極悪非道の殺人狂ではなかったようである。むしろ我々とさほど変わらない、ごく普通の人間だったのではないかと思う。
 問題は彼の恐れや狂気に従い、その狂気を拡大した人々の多かったことであり、そんな人間の弱さや、そうした事態を引き起こした組織あるいは社会に内在する欠陥こそ、我々は恐れるべきである。それを肝に銘じなくてはならない。

頑張れ、『瞳』! ~ NHK朝の連続テレビ小説の話

2008-04-16 00:38:14 | 最近思うこと
 今回のNHK朝の連続テレビ小説、『瞳』は、ここ佃・月島が舞台である。もう地元はその話題で持ちきり、と言いたいところだが、実際はどうだろう。
 実は、僕が『瞳』の放送を知ったのはつい最近、3月の終りである。久々にもんじゃを食べに行ったとき、裏通りで偶然『瞳』のノボリを見た。「ン、『瞳』って何? あっ、朝のNHKのテレビか。月島が舞台なんだ。」と初めて知った次第。

 もともと朝のNHKなんか関心ないからだ、と思った貴方、残念ながら大外れである。何を隠そう、この10年、朝のNHKは毎回欠かさず見ている。4月から無くなってしまったが、それまではご丁寧にアンコール放送(以前放送した番組の再放送)まで見ていた。15分×2本で1日30分、月曜から土曜の6日間だから1週間で180分、つまり毎週3時間、NHKのテレビ小説を見ていた。なかなかの時間である。
 かといって、テレビ好きというわけではない。他のドラマは何も見ていない。半ば習慣というか惰性というか、テレビ小説だけは見続けているのである。

 昔は、あまりに高い視聴率から、やっかみ半分に「朝のNHKは時計代わりにつけているだけ」とまで言われた連続テレビ小説であるが、近年は視聴率の低落に歯止めが掛からない。1961年のテレビ小説放送開始以降、国民的番組、『おしん』の平均視聴率52.6%は別格としても、長く視聴率30%、40%は当たり前という状態が続いていた。それが、90年代の半ばから20%台となり、遂に2003年の『てるてる家族(石原さとみ主演)』で20%を割った。その後20%を回復したことはない。
 『瞳』の初回の視聴率は16.5%、普通の番組であれば悪くない数字であるが、連続テレビ小説の初回の視聴率としては、昨年春の『どんと晴れ』に次ぐ、ワースト2位の記録だそうである。

 ところで、上述の視聴率は、いずれも㈱ビデオリサーチ(関東地区)、NHK総合朝8:15から15分の数字である。この意味するところは、文字通り、8:15~8:30まで実際にNHK総合をつけていた人、見ていた人の比率なのである。録画していた人や、BS2、ハイビジョン、それにお昼の再放送を見た人は含まれていない。そう考えると、『瞳』の16.5%もまだまだ捨てたものではない。いや、かなりの数字だと言えよう。
 では、すべてを合算した視聴率、つまり、録画した人やBS等で見た人の合計数字は出せるのだろうか。技術的には可能である。が、あまり意味がないから出されていないのである。

 そもそも視聴率を出す目的は何か。なぜ視聴率が必要なのか。テレビ局にとってはCM販売、売上げ拡大のために視聴率という指標、そして高い視聴率が必要であり、スポンサーにとってはCMの効果を予測・評価する上で視聴率が必要不可欠なのである。となると、本来CMのないNHKの番組の視聴率など意味はないが、おそらく民放の番組を評価する指標に使われるのであろう。あるいは、単についでかもしれないが、NHKの番組の視聴率も調査されている。
 一方、録画であるが、録画を見る際にCMは早送りされる、つまり視聴されない可能性が極めて高く、よって録画した人の比率は、テレビ局・スポンサーともさほど重視していない。このため録画率なるものは集計、公表されていないのである。

 さて、話は『瞳』に戻るが、これは、プロダンサーを夢見る20歳の女の子が、月島のおじいちゃんの家で3人の里子を育てる物語である。昭和の長屋と狭い路地、そして隅田川端の高層マンションという、新旧入り混じった佃・月島で、下町の暖かい人達に助けられ、若い主人公が子育てに奮闘する話である(たぶん)。出だしの視聴率は冴えなかったが、今後の伸びに期待したい。

 えっ、そんなこと言って自分は視聴率アップに貢献してるのか、生でテレビを見てるのか、って。
 勿論、それはどだい無理な話。僕はいつも8時前には会社にいる。出勤前の人に番組を見て欲しいのなら、6時とか7時の放送でないと難しい。視聴率が下がった下がったと騒ぐ前に、NHKは放送時間を見直してはどうだろう。6時台の民放の情報番組にぶつける手もある。が、たとえ15分とはいえ、朝は1分が貴重。のんびりドラマを見るサラリーマンは少ないかもしれない。
 結論。かくして、『瞳』の、NHK朝の連続テレビ小説の受難は続くのであった(?)。