縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

医療崩壊の危機(3) 病院ファンドの行方

2007-05-21 00:02:58 | 最近思うこと
 前回書いた通り、足下医療機関の倒産が増えている。又、経営の悪化した医療機関、いわゆる倒産予備群も相当数あると思われる。
 一方で世界的な金あまり、運用難の中、REIT(不動産投信)の過熱感、優良不動産物件の不足等から、病院が新たな投資対象になろうとしている。今年に入って、野村ホールディングス系の野村ヘルスケアサポート・アンド・アドバイザリー、三菱商事、三井物産、伊藤忠とドイツ証券など、大手企業が相次いでファンドを組成している。

 病院ファンドの役割を一言で言えば、「病院を資金面で支援するとともに、病院の経営改善を行い、その病院の再生、価値向上を図る」となる。美しい話だ。
 が、実際はどうだろう。冒頭の大手企業のファンドはまだ緒についたばかりで、その良し悪しは判断できない。しかし現状は、悲しいかな、悪徳ブローカー、悪徳ファンドが病院を餌食にしていると噂されている。

 具体的な手口は次の通りである。
 経営難に苦しむ病院に近づき、最新医療機器の購入や病院の増改築等の資金を支援しましょう、と持ち掛ける。そうすれば患者さんが増え、経営が楽になりますよ、と甘い言葉を囁く。ときには、貴方の病院はこの地域には不可欠の病院だ、これを失くすわけには行かない、などと、正義の味方を装うかもしれない。
 経営に疎い、医師である理事長・院長は、ついついその言葉に騙され、金を借りてしまう。経営難の病院は銀行から相手にされないことが多く、これが最後の望み、窮地を救われたと思ってしまうのである。

 次に、悪徳ファンドは病院の理事会の過半を押さえ、実質的に病院の経営を支配する。医療法により病院の理事長は原則医師でなければならない。そのため理事長の医師は引き続き雇われ理事長・院長として働くことになる。ただ対外的に理事長、つまり医療法人のトップであることは変わらないので、銀行借入等の債務への理事長の個人保証はそのまま残る。
 そして、ここから悪徳ブローカー、悪徳ファンドのやりたい放題が始まる。薬品メーカーや調剤薬局、リネン・給食、果ては病院内の花屋など出入り業者から金を搾り取る。診療報酬を担保に高利で資金を貸し付け病院の不動産を乗っ取る。診療報酬の不正請求を行う。そして、最後は病院の不動産を転売する。病院が潰れたり、理事長個人が破産したところで彼らには関係ないのである。

 これは絵空事の話ではない。現実に起きている話である。前回はより良い病院経営を行うため、あるいは病院の再生を図るには、医療と経営の分離が必要と書いた。今回は、悪徳業者に騙されないためにも、病院には経営のセンスが必要という話である。が、やはり医師にそれを求めるのは難しいと思う。

 もっとも冒頭に挙げた大手企業が、ここまでの悪事を働くとは思わない。しかし、事業会社の再生や不動産ファンドと比べて、病院ファンドの exit 、つまり投資資金の回収は難しく、どこまでこの事業が軌道に乗るかわからない。
 病院ファンドは、通常、病院の土地・建物の購入、病院への貸付債権の購入等で投資を行う。資金回収としては、当面は不動産の賃料やコンサル収入しかない。が、これはあくまで病院の収入、診療報酬の範囲内であり、限りがある。不動産を売却するにしても病院の継続が前提である。マンション用地としては高く売れるかもしれないが、病院のままでは高い価格は難しい。残るは貸付債権の売却だが、これは相当なディスカウントで買う必要がある(例えば100の貸付債権を20、30など債権額よりかなり低い価格で買う)。

 いずれにしろ、今の保険診療制度、医療は非営利等の原則を前提とすれば、病院ファンドはビジネスとして難しいと思う。彼等は株式会社による病院経営や、自由診療の一般化、即ち医療技術やサービスにより収入に大きな差が付くことまで想定しているのであろうか。

僕のパスタ遍歴

2007-05-20 16:34:18 | おいしいもの食べ隊
 実は大のパスタ好きである。

 学生時代は国立駅近くのパスタ屋『イタリア小僧』によく行った。国立市民には“イタコ”で通じる、地元の有名店である。貧乏学生には、安く、ボリュームたっぷりなのがうれしかった。勿論、味もいい。種類の多いのがこの店のもう一つのウリだが、僕は大抵シメジか納豆のどちらかを食べていた。
 国立にはもう何年も行っていない。中央線高架化に伴い、由緒ある三角矢根の駅舎が壊されたと聞くが、今、駅はどうなっているのだろう。“イタコ”のパスタにも惹かれるし、久々に国立にも行ってみたい。

 会社に入ってから、長く曙橋に住んでいた。女子医大や自衛隊の市谷駐屯地の近く、お台場に移る前にフジテレビがあった所である。『パステル』というパスタ屋があった。あまり仲の良さそうには見えない男性3人でやっている店だった。値段は“イタコ”よりやや高めだが、味や質も上である。街のパスタ屋としては最上級のレベルと言って間違いない。店ができてから僕が引っ越すまでの5年くらい、僕は毎週のように通っていた。ナスとジメジ、山の幸、ウニとイカ等々、あの味が本当に懐かしい。
 10年くらい前だろうか、そうだ、パスタを食べよう、と思い立ち曙橋まで行った。が、既に『パステル』はなかった。あの界隈では随分流行っている店だったのに、やはり3人が仲たがいでもしたのだろうか。どなたか、閉店時の経緯や、どこかで店をやっているのか等その後の彼らの状況についてご存知の方がいたら、教えて欲しい。

 今はこれと言ってよく行くパスタ屋はない。というのもパスタは家で食べることが多いからだ。妻のパスタの腕はなかなかのものである。が、勉強の意味もあって、ときにプロのパスタを食べに行くことがある。パスタ専門の店としては、八丁堀の『マイヨール』か築地の『トミーナ』に行く。

 『トミーナ』は築地市場の場内にある。築地でパスタ?と思うかもしれないが、観光客はともかく、築地で働いている人が毎日寿司ばかり食べているのではない。場内には、数は少ないが、ラーメン屋や洋食屋もある。『トミーナ』は、その場所柄、魚介類のパスタが旨い。渡り蟹や穴子、そして冬にはカキ。使う卵にもこだわっている。又、ここはピザもおいしい(注:ピザは早朝には食べられない)。
 つい最近までパスタを作っているのがご主人、ピザがその奥様、と思っていたのだが、それが間違いであることがわかった。

 池袋にも『トミーナ』の店があると聞いていたが、東京芸術劇場に行った帰り、その店『パスタマニア・ダ・トミーノ』に寄った。そこで聞いたところ、二つの店は家族でやっており、『トミーナ』でピザを焼いているのはおばあちゃんで、シェフはただの従業員。で、こっちの店では孫がシェフをやっているとのこと。冨山ファミリーのお店だから、『トミーナ』(おばあちゃんだから女性名詞でaを付けた?)と『トミーノ』(同じく男性名詞で o ?)。

 『パスタマニア・ダ・トミーノ』は池袋西口前のマックの隣のビルにある。パスタとピザのみの『トミーナ』と違い、こちらは前菜やメインの料理もある。当然お酒、イタリア・ワインもある。仕入れは築地の『トミーナ』と一緒のため魚介類がおいしい。先日は、江戸前アサリのパスタ、魚介のフリット、ズワイガニと春野菜のフリッタータ(オムレツ)等を食べたが、どれも旨い。パスタはアルデンテでちょうど良い茹で具合。それにフリッタータの焼き具合も最高だった。

 ともに高級食材を使っているわけではないが、普通の食材でも料理の仕方でおいしく味わえることを実感できる店である。朝に強い方は『トミーナ』へ、バール気分でワインとつまみ、そして〆にパスタを楽しみたい方は『トミーノ』へどうぞ。

鮎 + 温泉 = ?

2007-05-15 23:09:19 | もう一度行きたい
 昨日“出会いのもの”と書いて、ふと思い出した。もうすぐ鮎が解禁だ。

 と、言っておきながら、僕は釣りはやらない。気が短いので、太公望よろしく日長釣り糸を垂らして、というのは耐えられないと思うからだ。
 鮎釣りをする人に言わせると、鮎が釣りの中で一番おもしろいらしい。大抵の釣りは収穫ゼロが最悪。が、鮎釣りは違う。収穫がマイナスになることもある。こう聞いた時、はじめは理解できなかった。「まず、おとりを買うところから始まるからですよ。」と言われ、漸く合点がいった。そう、鮎は友釣りなのである。

 鮎は縄張りを持つ魚である。そこに掛け針を付けたおとりの鮎を入れると、縄張りの持ち主の鮎が盛んに攻撃してくる。そこを上手く引っ掛けて鮎を釣るのが友釣りである。この鮎の友釣り、発祥は伊豆の狩野川と言われる。鮎の解禁日は川によって違うが、狩野川は5月26日が解禁である。来週の土曜日だ。待ち遠しい。
 釣りをしないくせに何を言うか、と思われたかもしれないが、そんな僕でも鮎を食べることはできる。伊豆大仁に『一二三荘』という宿がある。鮎釣り名人の宿で、ここに行けば釣りたての鮎を堪能することができる、はず。ちょっと自信がないのは、僕らがこの宿に泊まったのは10月初め、落ち鮎の頃だったからだ。今度こそ6月か7月の鮎が旬の時季に泊まって思う存分鮎を食べてみたいと考えている。

 鮎だけではない。ここは温泉も最高だ。源泉掛け流し。お風呂は小さいが、とても気持ちがいい。
 『一二三荘』は、伊豆を車で旅していて偶然見つけた。大仁で温泉に入ろうと、立ち寄り入浴できる宿を探し、たまたま入ったのがここ。ホテルや大きな旅館では、自家源泉でよほど湯量が豊富でない限り、お風呂は循環である。衛生的といえば衛生的だが、やはり物足りない。加えて、塩素消毒しているところも多く、それでは温泉の持ち味を殺してしまう。
 そんなわけで、僕らの選ぶ立ち寄り湯は自然とこじんまりしたところが多い。ここ『一二三荘』も小さな宿である。良く言えばアット・ホームな旅館と言えるが、実際は民宿に毛の生えたような宿である。が、温泉は伊豆の中ではずば抜けている(もっとも1泊ン万円の超高級旅館には泊まったことがないので、そんなところとは比較できないが)。で、温泉が気に入って、次に泊まりで行ったのが、上述の通り10月だったのである。

 『一二三荘』は、鮎好き、温泉好きの人には絶対お勧めの宿だが、一つ忠告がある。それは若いカップル向きではないということ。残念ながら、伊豆の温泉でしっぽりとか、お忍びで伊豆に、といったイメージとは程遠い宿である。田舎のビジネスホテル的趣きもあり、前回僕らが泊まった時には、工事現場のおじさん(現場監督?)達も泊まっていた。そう、食事は部屋食ではない、大部屋である。

 量より質というか、甘いムードやゴージャスな雰囲気より実質を評価する賢い“貴方”を『一二三荘』は待っている(“貴女”にはあまり受けない気が・・・・)。

ジャズの不思議(Bar編)

2007-05-14 22:25:51 | 芸術をひとかけら
 久々に廣瀬さんの店(2006年5月10日付記事を参照)に行った。週半ば、水曜日であるが、思いのほか混んでいる。僕の記事のおかげ?のはずはないが、まあ目出度いことだ。

 僕はカウンターの端に座った。既に結構飲んでいるから何かすっきりしたものを、と思い、モヒートを注文した。すると廣瀬さん曰く「すみません、今、ミントの葉がないんです(注:いつもは鉢植えでミントを育てている)。葉っぱなしで如何ですか。葉っぱなしでもすっきりしますよ。下手な葉を入れるより、その方がおいしいときもあります。早い話、ラム・リッキーですからね。」
 僕はミント抜きのモヒートを頼んだ。そう、何を隠そう、僕は素直なのである。が、確かにおいしい。ライムの爽やかな味が口の中に広がる。廣瀬さんを信じて間違いはない。

 一人で飲みながら、ふと、昔よく行ったバーのことを思い出した。

 そこのマスターは脱サラしてバーを始めた人だった。証券会社で働いていたというが、物静かで、証券マンというより学究肌の人に見える。店に客がいないときはいつも本を読んでいる。BGMはジャズ。店を始めたのは酒好きが嵩じてというのではなく、ジャズをいつでも聴けるからだという。ここを知ったのもジャズ・ライブの店の人の紹介だ。店を始める前、彼はよくジャズを聴きに来る良いお客さんだったそうだ。それがいつの間にか立場が逆になってしまった、と笑いながら彼は話していた。

 店に知らない曲が流れていると、これは何という曲か、誰の曲か、とよく尋ねた。そこで、この曲とっても良いね、気に入ったよ、などと言うと、次回店に行った時、マスターがダビングしたテープをくれることがあった。古いCDであまり売っていないからダビングしました、と彼はさりげなく言う。テープはいつのまにかどこかに行ってしまったが、手元にはなんとか探し出して買ったCDが2枚ある。ナラ・レオン『美しきボサノヴァのミューズ』とドロシー・アシュビー『イン・ア・マイナー・グルーヴ』である。

 前者はその名の通り、ボサノヴァ。1950、60年代の古い曲が多いが、ナラ・レオンが軽やかに、そして流れるように歌うのを聴くと全然古い気がしない。洗練された感じがする。「イパネマの娘」や「ワン・ノート・サンバ」など24曲入っており、入門者にはちょうど良いCDといえる。かく言う自分も、これがボサノヴァ・デビューだった。
 “ボサ・ノヴァ”とは、ポルトガル語で新しい傾向、やり方といった意味。サンバに対する新しい音楽ということで、そう呼ばれたのであろう。が、“新しい”といっても、それは50、60年代の話。本国ブラジルでは今や懐メロ扱い、ほとんど聞かれていないという。日本のグループサウンズのようなものだろうか。そんなボサノヴァが地球の裏側の日本で人気というのもおもしろい。

 一方、後者も古いが、これは、なんとハープとフルートによるジャズである。ハープのやさしく、美しい音色とジャズとは対極にある存在に思えるが、このCDにより、その考えは覆される。ドロシー・アシュビーのハープは正真正銘のジャズを奏でている。そして、これまたジャズとは結び付かない、フランク・ウエスのフルートが、ハープと共にジャズのスタンダードを立派に演奏しているのである。
 意外な相性の良さ。ハープやフルートとクラシックとでは当たり前だが、実は、ハープとジャズは“出会いのもの”なのだろうか。これぞ音楽界の「鴨とネギ」、ないしは「鮎の塩焼きとビール」??
 
 うーん、ジャズの道は深い。

医療崩壊の危機(2)医療と経営の分離を

2007-05-03 21:35:27 | 最近思うこと
 足下、医療機関の倒産が増えている。その負債額も大きく増加しており、今年1~3月で倒産件数17件、負債額183億円と、負債額は既に昨年、一昨年の年間合計を上回っている。4月にも大淀会(鳥取)、三禄会(栃木)と30億円を越す大型の倒産があり、負債額の拡大は止まらない。
 倒産の理由は何か。前回書いた医師不足の問題は即倒産というより病院運営を維持できず閉鎖するケースが多く、よって理由はほかにある。それは、一言でいえば、医療機関の経営の甘さ、である。過大な設備投資と過剰な債務、又、最近は悪徳業者に騙され、倒産に追い込まれる病院も多いようだ。

 ところで、法律(医療法)では、病院と診療所とは区別されている。20人以上の患者を入院させるベッド(=病床)のある医療施設を病院といい、19病床以下(ゼロも含む)の医療施設を診療所という。経営はというと、概ね病院の6割、診療所の3割が医療法人により行われている(他は、病院は国公立、大学、日赤や社会福祉法人、宗教法人等の公益法人、診療所は医師個人等)。医療法人は非営利組織とされ、税制上の恩典がある一方で、法律により種々の規制を受けている。

 医療法人のトップ、理事長は原則として医師でなければならない。通常は病院の院長が理事長を務めるケースが多いが、これがそもそもの問題なのである。
 勿論、数ある医療法人の中には、医学に優れかつ経営にも明るい理事長、院長先生もいるかもしれない。が、しかし、それは極めて稀であろう。医師は医療に専念し、病院経営は経営のプロがあたる、本来そうした分業体制が必要なのだと思う。以前より株式会社の病院事業参入が話題になっているが、それよりも前に「理事長は医師」という縛りを見直すべきである。株式会社の参入に頑なに反対する医師会も、経営を信頼できるプロに委ねるだけであれば、反対する理由はないはずだ。

 事実、冒頭に挙げた、過大な設備投資と過剰な債務というのは、取りも直さずマーケティングや収支見通しの甘さ、即ち経営の失敗である。
 よく、足下の病院経営悪化の原因として診療報酬引き下げが挙げられている。平成14年に1.3%、平成18年に3.16%引き下げられたのが病院の経営を直撃した、と。
 ちょっと待って欲しい。この程度の引き下げで経営が行き詰るようでは、そもそも経営とは言えない。民間企業ではあり得ない話だ。例えば、ゴーンの出てきた当時、自動車部品メーカーは毎年二桁の率で価格引き下げを要求され、それを血の滲むような企業努力で吸収したのである。さらにいえば、診療報酬はインフレ率に比例し、それまではずっと引き上げられていたのではないか。

 医療は人の生命に係わるものであり、ただ利益を追求すれば良いとは思わない。特に救急医療の分野であるとか、新しい治療法の研究や難病対策など、国や地方自治体として取り組むことが必要だと思う。
 僕は、それ以外の、大部分の、ごく普通の病院に言いたい、病院経営の改善、効率化を目指せ、と。薬品や医療器具、更に事務用品も含め受発注や在庫管理は適正に行われているのか。省エネ対策は万全か。業務フローの中に無駄な工程や作業はないか、延いては人員配置に無駄はないか。医療設備・什器備品等の購入や、検査、清掃、リネン、給食等外注の際は相見積もりを取って適正な価格で行っているのか。等々。勿論、医療の質を落とさないことが大前提である。
 コンサルタントを入れるなどして業務の改善に努めている病院も増えてはいるが、すべての病院に業務の見直し、経営努力をお願いしたい。そのコストの多くを負担しているのは、忙しくてほとんど病院にも行けない、我々働く世代なのだから。

医療崩壊の危機(1)医師の不足あるいは偏在

2007-05-01 00:54:21 | 最近思うこと
 医療は僕の関心の高い分野の一つであり、3回くらいに分け、現在のわが国の医療の問題について考えて行きたい。

 わが国の医療制度は、世界屈指の長寿国を実現するなど、総じて優れた制度だと考えられる。特に「国民皆保険」は世界に誇るべき制度である。日本では国民は誰もが医療保険(健康保険)に加入する仕組みになっているが、例えばアメリカでは5,000万人近い無保険者がいる。彼らは必要な医療すら受けられない危機に直面している。
 又、急速な高齢化の進展による医療費増大が懸念されているが、医療費を対GDP比でみると、日本は8%で、アメリカの15%、フランス・ドイツ11%等と比較し、実はわが国のパフォーマンスは良い。個々の医療機関がとても効率的とは思えないが、わが国の医療制度全体を見れば十分効率的と考えられるのである。

 では、こんな日本の医療のどこに問題があるのだろう。第一は医師不足、第二は医療機関の経営の悪化、そして、その根底にあるのは医療行政の失敗ではないだろうか。

 まず医師不足について。最近よくマスコミでも話題になっているが、正確には医師の不足ではなく、医師の偏在である。医師は都会の大病院には集まるが地方の病院には行かない、都会で開業する者は多いが地方に赴く医師はいない、あるいは産婦人科、小児科、麻酔科等における医師の不足である。
 前の二つ、即ち病院間や地域間の格差は、直接的には2004年の新研修制度導入がきっかけと考えられる。従来、新人医師の多くは大学の医局に残り専門分野を学んでいたが(というか、教授を頂点とするピラミッド構造に組み込まれていたわけだが)、新制度では2年間、内科、外科、救急など各科を回って総合的な診察能力を養う形に変更された。この趣旨自体は悪くない。
 が、事前に医局制度の改革を図ることなく、又、新人医師が全国に分散して研修を行う体制を構築することなく、制度を開始したことが問題なのである。

 新研修制度導入の結果、昨年から大学病院や地方の病院に新人医師が行かなくなってしまった。新人は大都市の大病院に集中したのである。大都市の大病院は研修プログラムがしっかりしているし、待遇も良い。ずっと大学に残ることを考えなければ医局に残る意味は無いのである。
 新人を獲得できなかった大学病院は、自らの病院、医局を維持するため、それまで地方の病院に派遣していた医師を引き揚げ始めた。このため地方の病院では、救急医療を止めたり、病棟やひどいときは病院そのものの閉鎖まで起きている。
 又、医師の不足により、残った医師の責任、診察等の負担は増し、その重圧、重労働に負け、地方の病院を去る医師が増えていると聞く。それが地方の医療崩壊にさらに拍車を掛けているのである。

 次の特定科の医師の不足には、その科特有の理由がある。まず産婦人科。少子化の問題もあるが、大きいのは訴訟リスクである。公衆衛生の改善や医療技術の進歩により、お産は無事で当たり前、何かあれば医師が悪い、との風潮が蔓延して来ている。人間である以上、医師にもミスはあるかもしれないが、当然医師の力の及ばないときもあるだろう。その線引きが難しく、産婦人科は訴訟となるリスクが高く、医師に敬遠されつつある。
 小児科は、子供ゆえの診察の難しさに加え、投薬量が大人の半分以下で医療機関の利益に繋がらないと考えられている。麻酔科は激務の割りに他科からの評価が低いとの問題がある。共に成り手が少ない。

 こうした医師の不足は、次の医療機関の経営悪化の問題にも繋がっている。次回はこの経営の問題について見て行く。