縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

谷川俊太郎、徳永進 『詩と死をむすぶもの』

2008-11-21 23:17:14 | 芸術をひとかけら
 タイトルはイマイチだが、なかなかどうして、心温まる本である。

 谷川俊太郎は、ご存じ、わが国を代表する詩人。僕が物心ついた頃には既に有名だったので、古い方で、もう亡くなられたかと思っていたが(失礼)、未だに現役。今年で77歳。そう、芸術家には定年がない。情熱の続く限り、現役なのである。
 一方、徳永進はホスピスに携わる医師である。毎日死と接しているわけだが、彼の言葉はやさしく、そしてどこかユーモラスである。そこに悲痛感はない。死は特別なものではなく、生と隣り合わせのもの、生から当然に続いているものだからであろうか。
 この本は、そんな二人の2年に亘る往復書簡である。本は、徳永先生が患者さんや家族、看護師さんなどのエピソードを書き送り、それに谷川さんが答える形で進められて行く。

 この本を読んで一番良かったのは、死に逝く人の姿が、ある意味、死に至るまでのその人の生き様までもが、見事というか、素敵に思えたことである。多分に徳永先生のやさしく温かいお人柄に拠るところが大きいのだと思う。それと、そこが病院ではなくホスピスだからかもしれない。管に繋がれて生かされているのではなく、皆、最期のときまで、自分の力で精一杯生きているのである。

 二人の組み合わせも良い。徳永先生は自らの臨床の日々を綴っておられるわけであり、言葉に嘘はない。だからこそ迫力がある。が、勢い、ときに感情に走ってしまうところもある。
 これに対し、谷川さんは常に冷静である。自らは高卒で学がないとおっしゃるが大変な博識。それに、さすが一流の詩人だけあって感覚が鋭い。視点が我々凡人とは違う。
 それでいて、二人は互いに相手のことを好きだし、尊重しているところが良い。

 本の帯に「死ぬのって最後に残された『ああ生まれてよかった』と実感できる一番の瞬間なんじゃないかしら。それを怖がるのってなんだか損だわ。きっとあなたもそう思える本です。」という一青窈のコメントが書いてある。
 今のところ、僕にはそこまで“死”と向き合う勇気はない。損と言われようが、死を怖がっている。しかし、いつか自分が死ぬというのは どうしようもない事実であり、そこであたふたしないようにはなりたいと思う。そう思える本である。

 本の中にエリザベス・キュープラー・ロスの話がよく出てくる。彼女の『死ぬ瞬間』は名著だと思うが、内容的にちょっと重い。それに比べこの本は肩肘を張らず気軽に読める。同じ“死”のことを考えるのなら、立派すぎず、教訓めいたところもなく、ごく自然に書かれている、この『詩と死をむすぶもの』の方が断然お勧めである。

GMはチャプター11で再生すべき

2008-11-19 00:41:21 | 海外で今
 米国の自動車メーカー3社、いわゆるビッグスリーが、中でもとりわけGM(ゼネラル・モーターズ)が、極めて深刻な状況にある。先般政府により環境対応車生産のためとして250億ドルの低利融資が行われたが、ビッグスリーは足元の資金繰り悪化から、追加で250億ドルの支援を政府に要請している。これが実現すれば日本円で総額5兆円近い支援額となる。

 2006年2月23日に『晴れた日でもGMが見えない?』というブログを書いたが、当時の状況からGMはまったく変わっていない。UAW(全米自動車労組)に妥協した結果としての高コスト体質。高賃金に年金や退職者の医療費負担等々、この2年間、彼らはいったい何をしていたのだろう。
 いや、この30年間と言って良いかもしれない。というのも、1978年にクライスラーの社長となって同社再建を実現したアイアコッカが、その自伝の中でビッグスリー共通の問題として「高すぎる人件費」を嘆いていたからだ。又、当時と今の状況も似ている。米国の自動車メーカーは石油ショック以降の需要構造の変化に対応できず、つまり低燃費小型車の開発・生産が遅れた結果、日本車との競争に敗れ、業績不振に陥っていたのである。
 幸い当時と違うのは、日本の自動車メーカーが米国での現地生産を増やしてきたことから、ジャパン・バッシングが起きていないことであろう。

 概して日本の新聞は米国政府によるGM支援に好意的な気がする。GMが破綻した場合の実態経済への影響は計り知れない、米国経済のみならず世界経済全体に大きな打撃となる、といった論調。又、格差社会の是正、弱者救済、判官びいきといった感情的な面もあるのかもしれない。

 しかし、本当にそれで良いのだろうか。

 私は、GMはチャプター11を申請すべきと考える。日本でいう民事再生法の申請である。勿論、今の状況で即座にチャプター11を申請すべきではない。混乱が大きすぎる。今GMがチャプター11を申請すれば、アフターフォローを考え先の見えないGMの車を買う消費者はいなくなるだろうし、部品メーカーやディーラーの連鎖倒産も多数起こるだろう。地に落ちたGMブランドを支援するスポンサーは出てこないであろうし、世界の金融市場もGM破綻によりCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)の清算が必要となりパニックになるかもしれない。
 こうした事態を避けるには やはり米国政府の支援が不可欠である。それは再建計画策定、再建が軌道に乗るまでの政府による支援策の作成、更には新たな経営陣やスポンサー探し、等を行うための準備期間とすべきである。政府の支援によるプレパッケージ型の再生案件とすべきと思う。

 今のGMの体制を温存した形での再建はありえないであろう。資産処分や人員削減は避けて通れないし、UAWの既得権の抜本的見直しも必要である。血も涙もないことを言うように聞こえるかもしれないが、事実を見て欲しい。2007年のGMの従業員の時給(年金や医療費負担も含む)は 70ドルだという。1日8時間、年250日働くとすれば年14万ドル、日本円で13百万円以上になる。リーマン・ブラザーズと比べれば安いかもしれないが、高いことに変わりはない。
 一方、日本の自動車メーカーは収益こそ悪化しているが依然として黒字である。米国市場が赤字で苦しんでいるとも聞いていない。GMはじめビックスリーには世界最大の自動車マーケットを有することから来る驕り、利益率の高い大型車への依存など、経営に甘えがあったのではないだろうか。

九州の旨いもの(その4) ~ プリプリとコリコリ

2008-11-04 00:18:18 | おいしいもの食べ隊
 久々に(2年振り?)、九州の旨いものの話。大分、有田、阿蘇の次は宮崎である。

 9月1日は宮崎県の伊勢海老漁解禁の日である。伊勢海老の産卵が4月から8月のため、漁は9月から3月まで行われている。伊勢海老は秋から冬にかけてが旬、そう、まさに今が食べ頃。東京では高くて手が出ない伊勢海老だが、宮崎なら大丈夫かと思い、我々はいそいそと日南海岸にある『星倉』を目指した。因みに、宮崎は千葉、三重、静岡などに次ぐ伊勢海老の産地なのである。

 『星倉』は宮崎市と日南市との境に近い、小内海というところにある。大きな海老の看板が目印の店である。事前に宮崎県出身者に確認したところ、伊勢海老ならここでしょうと一押しの店だった。
 肝心の料理はというと、伊勢海老定食が3,000円台から何種類かあって、湯がき、刺身、味噌汁など、伊勢海老をこれでもかというまで堪能できる。素材で勝負というか、凝った料理を出すわけではない。荒削りな漁師料理といえるが、プリプリかつ濃厚な味の伊勢海老は大変おいしかった。

 伊勢海老の値段は、感覚的に東京の半分から2/3くらいの気がする。それでも高いことは高いが、まあ許せる範囲である。僕は東京で伊勢海老をほとんど食べない。勿論嫌いなわけではない、好きである。ただ、如何せんコストパフォーマンスが悪すぎる。トロも同じ。大枚の金を叩いて伊勢海老やトロをちょっと食べるより、少ないお金で芝エビやアジを沢山食べた方が良い。生来、貧乏性なのである。
 マグロの養殖の話は以前書いたが、伊勢海老の養殖も極めて難しいらしい。伊勢海老は、卵から孵化して大人になるまでの時間が長く、かつその間の死亡率が高いからだという。もっとも伊勢海老の生態が解明され、そして技術が進歩し、いつの日か伊勢海老の養殖も可能になるかもしれない。そうすれば伊勢海老も手頃な価格になって、もっと気軽に食べられるだろう。
 ん、待てよ、そんな時代になると天然物の稀少性が増し、それこそ天然物の伊勢海老は我々庶民の口にまったく入らなくなるかもしれない。そう、今のうなぎのように。

 というわけで、うなぎの話。
 生まれて初めてうなぎの刺身を食べた。綾町の『一力』という店である。うなぎの血には「イクシオトキシン」という毒があり、加熱すれば問題ないが、生で食べると中毒を起こしてしまう。だから僕の中でうなぎは焼いて食べるものであった。そのためメニューにうなぎの刺身や洗いとあるのを見つけて、本当に驚いた。
 さて、味はというと、これが結構いける。コリコリとした歯応えが良い。あなごの刺身は食べたことがあるが、うなぎの方がおいしい。あっさりして淡白なあなごに対し、うなぎは脂がのっていた。

 が、何故この店のうなぎは刺身で食べられるのかが、よくわからない。どうも特別な処理をしている様子はなかった。ということは、うなぎそのものが違う?? ここのうなぎは「ネッカリッチうなぎ」との説明があった。樫やしいなど常緑広葉樹の樹皮を炭化させて作る飼料が「ネッカリッチ」であり、それを食べて育ったうなぎとのこと(つまり、養殖うなぎである)。
 ウーン、どこか怪しい気がしないでもないが、幸い中毒にはならなかったし(運が良かった?)、刺身はおいしかったし(沢山食べたいとまでは思わないが)、取り敢えずは「ネッカリッチ」パワーに敬意を表することにしよう。