縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

今も変わらぬ『武蔵野珈琲店』

2023-06-17 00:14:41 | おいしいもの食べ隊
 そうそう、この香り、そしてこの味。懐かしい。看板に偽りなし、本当においしい珈琲である。

 学生時代によく通った吉祥寺の『武蔵野珈琲店』に久しぶりにお邪魔してきた。かれこれ30数年振りだ。店の雰囲気は昔とまったく変わらない。マスターもお元気だ。ただマスターも私も髪が白くなっており、やはり長い時の流れを感じる。

 『武蔵野珈琲店』の開店は1982年。一方、スターバックスの日本1号店は1996年、私がもう中堅社員になろうかという頃だ。当然、私の学生時代にスタバはなかったし、ドトールやタリーズもなかった。ルノアールやコロラド(ドトールの会社が展開)といったチェーン店はあったが、当時のコーヒー専門店といえば『武蔵野珈琲店』のような個人のお店がメインである。個人店は店毎に特徴があり、コーヒーの味は勿論、内装や調度品、コーヒーカップ、店主自慢のコレクション(カップに限らない)など、店全体で個性を競っていた。結構クセの強いマスターもいた。そんなこんなを全部ひっくるめて、コーヒー好きは皆各々贔屓の店を持っていたのである。

 スターバックスが日本のコーヒー文化というか喫茶店文化を変えたことは否めない。黒船到来ではないが、本当に画期的、革新的なコンセプト、ビジネスモデルである。しかし、スタバがまだ珍しかったときは良かったが、ここまで身近な存在となった今、個人的には残念な気持ちが強い。オーナーの高齢化もあるだろうが、昔ながらのコーヒー専門店がどんどん姿を消しているからである。もっとも若者にしてみれば、時代遅れの店が淘汰されただけかもしれないが。
 チェーン店は、どの店舗に行ってもコーヒーの味や店の雰囲気に大きな違いはない。それがチェーンの安心感と言えるが、まったくの没個性、無個性である。わざわざその店に行くという意識ではなく、ただそこにあるから入るに過ぎない気がする。これに対し昔のコーヒー専門店は、その店に行くこと自体が目的だった。即ち、1杯のコーヒーに癒やされるとともに、本を読んだり、マスターと話をしたり、ただただぼーっとしたりと、コーヒーを飲む時間そのものを楽しむため、わざわざ行く店だったのである。私の場合、それが『武蔵野珈琲店』だった。

 『武蔵野珈琲店』は昔も今も人気の店である。マスターは凝り性というか研究熱心でコーヒーだけでなく、紅茶やケーキも大変美味しい。いや、私はコーヒーしか飲まないので実際のところは分からないが、いずれもとても評判が良いと聞く。
 以前、マスターが「お客さんが『このお店、紅茶がとっても美味しいの』と言うのを聞いてガクッとした。」と言うのを聞いたことがある。確かにマスターがブレンドする紅茶も美味しいのだろうが、やはりマスターとしては(そして僕も)、多くの人にマスター自慢のコーヒーを味わって欲しいのである。

 帰りがけ、マスターに昔とコーヒーの味は変わらないのか尋ねてみた。すると、手に入るコーヒー豆の種類は変わるし、値上がりなどで使えなくなる豆もあるし、どうしても味は変わってしまう。極端な話、豆の状態が違うため、仕入れのロットが変わっただけでコーヒーの味は変わる、とのこと。
 あれ、「そうそう、この香り、この味」と懐かしく思った私の立場は? 私の味覚は大丈夫か?
 私としては少なくともブレンドのベース(マンデリンがメイン?)は昔も今も変わっていないと信じたい。


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