縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

ジョンの想い出

2006-04-28 23:57:00 | 芸術をひとかけら
 僕が初めて買ったLPはジョン・レノンの “Walls and Bridges (心の壁、愛の橋) ” だった。アルバムの中の “#9 Dream (夢の夢)” という曲が気に入り、そのLPを買った。その頃はまだジョンがビートルズの一員であったことすら知らなかった。1974年、小学6年のときだ。
 つまり、このあたりからジョンの音楽や行動をリアル・タイムで見聞きしてきたといえる。僕にとってビートルズは過去のグループであったが、ジョンは同じ時代を生きた人物である。しかし、残念なことにその共に過ごした時間は極めて短い。彼が1980年12月8日に死んでしまったからである。

 ジョンの死んだときのことは今でもよく覚えている。いくつか理由があるのだが、一般的にはジョンが音楽活動を再開しアルバム“Double Fantasy”を発表した矢先の出来事だったこと、それも狂信的なファンに射殺されるという衝撃的な出来事だったことである。
 個人的には、それが高校3年の冬、受験を目前に控えた時期であり、そしてちょうど体育の柔道の授業で腕を痛めてしまい、自分の馬鹿さ加減に呆れていた時の出来事だったからである。柔道の試合で、黙って倒れれば良い所、負けまいと手を付いて投げを防ごうとし変に腕をひねってしまったのである。もし腕を怪我して字が書けなくなれば受験どころではなかったので、本当に焦ってしまった。
 そんなわけで、ジョンの死を知った日は、腕が痛いのを口実に勉強もせず、一人、暗い部屋の中で “Double Fantasy” を繰り返し、繰り返し聴いた(ジョンの歌と交互に入っているヨーコの歌は飛ばしていたが)。他に何をすれば良いのか思いつかなかった。

 僕はジョンの音楽が好きだ。けれども純粋に音楽だけを考えたとき、彼が最高のミュージシャンといえるのか、正直なところ僕にはわからない。ギターやピアノの演奏であれば、彼よりも上手い人間は大勢いる。ジョンの歌い方には大変味がある。他の人が歌えば平板になる歌でも彼が歌うと充分聞かせる歌になる。が、歌が上手い人や個性的に歌う人も多くいる。これは曲作り、作詞・作曲にしてもそうだ。
 では音楽を超えたところでの彼の魅力は何か。それはビートルズでこの上ない成功を手に入れたにも拘わらず、悩み、苦しんでいるジョン・レノン、そしてそれを隠すことなく、歌にしているところではないだろうか。傍からみれば、あれだけの富や名声を手に入れ、思い通りの生活ができ、悩みなどあろうはずのないジョン。しかし彼の歌からは、コンプレックスを感じたり、怒りやときに憤りを感じたりしながらも、前に進まないといけない、生きていかなくてはいけない、というジョンの心の叫びが伝わってくる。弱い自分、傷ついた自分を躊躇なくさらけ出している。この意味では ビートルズ解散後に出した初のソロ・アルバム “Plastic Ono Band (ジョンの魂)” が彼の最高傑作ではないかと思う。

 さて、高3の話に戻るが、幸い腕の怪我は大したことなく、無事入試を終えることができた。札幌から東京の大学に行くことになった。僕は最後にジョン・レノンの“Starting Over”を二度聴いて、家を出た。新しいスタートに際し、やり直そう、もう一度やろう、といった曲を聴くのもどこか変だが、生前のジョンの前向きな気持ちに後押しされ、僕は東京へと旅立った。

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