縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

『青きドナウの乱痴気 ~ ウィーン1848年』

2009-06-22 23:03:32 | 芸術をひとかけら
 学生時代、授業に出るという意味で、僕はあまりまじめな学生ではなかった。期末の試験直前になって初めて先生の顔を見る、ということもしばしば。
 が、そんな僕でも必ず出ていた授業というのがある。ゼミとゼミの先生の授業、それに語学と体育(常に出席を取るので)、そして、良知先生の授業である。良知 力(らち ちから)とおっしゃる、哲学・社会思想の先生だ。僕の専門は経済学であったが、先生の授業が好きでいつも聴いていた。

 先生の最後の著書が、この『青きドナウの乱痴気 ~ ウィーン1848年』である。ウィーン革命を民衆の側から、それも社会的弱者である女性や貧民の姿を通じ、生き生きと描いた本である。1985年11月に平凡社から出版された本であり、おそらくもう廃版になっているだろう。しかし、今でも色褪せることなく、十分楽しめる本だと思う。古本屋あるいは図書館で見つけたら、是非、手に取っていただきたい。
 僕はこの本が出てすぐに読んだ。社会人になって半年、こんなはずではなかった、という思いと、学生時代を懐かしむ思いから、一気に読み切ったことを覚えている。

 実は、内容以外にも、この本を鮮烈に覚えている理由がある。

 本のあとがきの日付は1985年10月6日、そして先生が亡くなられたのが1985年10月20日。つまり、この本を書き上げて2週間で亡くなられたことになる。執筆されている間、当然、自らの体のことはわかっていたはずだ。末期のガン、苦しかったことだろう、それはしんどかったに違いない。それこそ朦朧とする意識の中、最期の力を振り絞ってお書きになったのだろう。
 そんな状態にもかかわらず、先生は、生命力に溢れた人々の姿を、明るく、愛情を持って、鮮やかに描かれたのかと思うと、驚きとともに、一種の感動を覚えた。先生の、すさまじいまでの学問への情熱、あるいは執着と言って良いのかもしれない、その姿、生きざまに心打たれたのであった。

 先生はあとがきの中で、ウィーン留学時代の友人、グレーテルの言葉を紹介している。身障者で身寄りもなく孤独で、しかも貧乏なグレーテル。彼女はいつも陽気で明るくニコニコと振舞っていた。何気なくそのことにふれると、彼女は一瞬真面目な顔になって「ウィーン子はね、苦しみや悲しみみたいなものはシュトラウスを歌いながらみんな喉の中に流し込むのよ。」と言ったという。
 そして、先生はあとがきの最期を次の言葉で結んでいる。「あとがきを書くにあたって、万感の想いはグレーテルにならってグイと喉から呑みこんでしまおう。シュトラウスが聞こえないのが残念だ。」

 なぜ24年も前の話を思い出したのか。我が家のネコの状態が思わしくないのである。23歳、まあ、よくこれだけ生きたものである。本当は「頑張ったね。今までありがとう。」と褒めてあげるべきだろう。頭ではわかっていても、心の中は複雑。が、やはり、万感の想いは先生に倣ってグイと喉から呑みこんでしまおう。
 シュトラウスは聞こえないが、代わりにモーツァルトを聞いている。明るく、幸せな気分になるクラリネット五重奏曲。本の中の、民衆の明るく、生き生きとした姿が目に浮かぶようだ。

一つの時代の終わり ~ GM破綻に思うこと

2009-06-07 22:00:36 | お金の話
 ご存じの通り、ゼネラル・モーターズ(GM)が6月1日にチャプター11(連邦破産法第11章)の適用を申請した。日本でいう民事再生法の適用を申請したのである。今後GMはアメリカ政府の支援の下、再生を目指すことになる。
 私は『GMはチャプター11で再生すべき』(2008年11月19日)の中で、GMは政府の支援を受けプレパッケージ型の再生を目指すべき、と書いたが、漸くその方向でGMとアメリカ政府が一歩踏み出したわけである。アメリカ経済、いや世界経済全体にとって、当面の混乱を最小限に止めるという意味で大変喜ばしいことといえる。

 しかし、政府が支援したからといってGMの再生が上手く行く保証はない。UAW(労働組合)の譲歩をあまり引き出せなかった点、売れる車が見当たらない点等、せいぜい縮小均衡が良いところで、事業基盤の強化、収益構造の改善には相当の時間が掛かるのではないだろうか。
 UAWは退職者向け医療保険基金へのGMの拠出金200億ドルの半減を呑んだが、他の無担保債権者よりも多い代償を得ている。工場の削減は呑んだが、コンパクト・カーの中国への生産移転は拒否した。又、現役組合員の基本給、医療保障、年金は何ら減額されていない。つまり依然として米国の工場労働者の中で最高の給与・福利厚生の水準を維持しているのである。通常の破綻企業ではありえない話だ。
 一方、利益率の高い大型車に収益の大部分を依存し、コンパクト・カー、更にはハイブリッド・カーや電気自動車の開発をなおざりにしていたGMが、即座に売れる車、時代にあった低燃費の小型車を製造できるとは思えない。1、2年でプラグイン・ハイブリッド・カー(いわば電気自動車とハイブリッド・カーを掛け合わせた車)、シボレー・ボルトを販売するというが、それにしてもまだ先の話だ。以前GMは電気自動車の開発で日本メーカーを凌駕すると言われたが、商品化前に開発を中断してしまった。今、そのツケが回っているのである。

 GMはかつて世界最大の売上高を誇る企業であり、経営の手本となる企業であった。事業部制の導入や、フルラインの商品構成、自動車メーカーによる自動車ローン等、いずれもGMが始めたものである。
 80年代「いつかはクラウン」というコピーが一世を風靡した。トヨタのCMである。今は給料も安いし、地位もない、まだカローラにしか乗れないが、いつの日にかクラウンに乗れる人間になりたい、そして今漸く・・・、といったイメージであろう。
 これはトヨタがGMのマーケティング戦略に倣ったものである。エントリー・カーとしてはシボレー、その後の収入や社会的地位の上昇に応じていくつかの車種を用意し、そして最後はキャディラックに、というGMのやり方をトヨタも取り入れたのであった。
 「GMにとって良いことはアメリカにとって良いことだ」と豪語した社長がいたが、GMはあながちウソと言えないほどの存在だったのである。まさに20世紀を代表する企業である。そんなGMが破綻したのであった。

 GMの破綻、それは単に一つの巨大企業の破綻というのではなく、一つの時代の終わりのような気がしてならない。20世紀の主役が製造業とすれば、21世紀は情報・ITはじめサービス業が主役である。
 又、経済のグローバル化、貧困の増加、更には温暖化問題など、私達を取り巻く環境が大きく変化し、「明日は今日より良い日だ、いつか自分も高級車に乗れる日が来る」と単純には考えられなくなったことも事実であろう。それが良いか悪いかは別として、人々の考え方、価値観が変わっていることは確かだと思う。

 GMの破綻は“古き良き時代”の終りを象徴する出来事の一つである。

『カエルの王子が導く超個人的恋愛作法』

2009-06-06 19:08:26 | 芸術をひとかけら
 我が家の年末の定番といえば(まだ6月なのにスミマセン)『第九』と『ア・ラ・カルト』。

 この『ア・ラ・カルト』というのは、もう20年続く演劇である。クリスマスの夜に「ア・ラ・カルト」というレストランで繰り広げられる人間模様。恋人達あるいは恋人一歩手前の二人のドラマ、仲の悪い夫婦のディナー、老夫婦の愛情などが、ユーモラスに描かれている。ペーソスの漂う感じもするし、それでいてどこか温かく、観た後に不思議と元気をもらえる舞台だ。
 演じているのは、かつて遊機械/全自動シアターを支えた面々、白井晃、高泉淳子(あつこ)、陰山泰(たい)。又、サブ・タイトルが「役者と音楽家のいるレストラン」といい、バイオリニストの中西俊樹を中心とした演奏もある。そう、歌あり踊りありのエンターテイメントなのである。この3人は皆インド映画でも主役になれるに違いない(?)芸達者振りである。

 その中の紅一点、高泉さんは大変かわいらしい女性であるが、子供から老人に至る幅広い年代を、それも性別問わず見事に演じている。少年、若い女性、老婆、どれを見ても違和感はない。もう20年もこの劇を続けているわけだし、それなりの年齢かと思うが、本当に不思議な、もとい素敵な女性である。おまけに遊機械の頃から作品はすべて彼女が書いているとのことであり、まさに天から二物も三物も与えられた女性といえる。

 そんな高泉さんが、『カエルの王子が導く超個人的恋愛作法』という舞台をやるというので観に行って来た。場所は青山円形劇場。年末の『ア・ラ・カルト』と同じ場所だ。そう、昨年『ア・ラ・カルト』に行った際、アンケートに回答したことから、この『カエル~』の案内が送られてきたのであった。

 彼女は、グリム童話の『カエルの王子』を読み、考え込んでしまったという。お姫様に壁にぶつけられたカエルが、つまり酷いことをされた王子がお姫様のことを好きになるのかしら、逆にお姫様は王子に負い目を感じないのかしら、そんな二人が結婚して幸せになれるのかしら、というのである。
 そしてここからの彼女の想像力が凄い。彼女は思う、もしやカエルが王子に変身したのではなく、もともと別人だったのではないか、真摯に愛を告白したカエルさんは別にいるのではないだろうか、と。

 『カエルの王子が導く超個人的恋愛作法』は、この『カエルの王子』をモチーフに書いたという。偶然と誤解、外見と中身、不思議な三角関係。ありそうにないが、いつも近くで起こっているかもしれない物語。
 この劇の設定自体、本当にありそうにない話なのだが、所詮、他人がどんな人間なのか、何を考えているかなどはわからない。そう思えば、こうした恋愛物語が近くで起きていてもおかしくないのかもしれない。
 ~ あの愛の告白は誰の言葉? この愛の行方は?

 高泉さんが二人の男性の間で揺れ動く女性を演じており、そのお相手がパントマイムの山本光洋とフランス人アーティストのロイック・ガルニエ。声優の雨蘭咲木子の演技も良い。
 残念ながら明日(6/7日曜日)までだが、ちょっと現実から離れ、不思議なタカイズミ・ワールドにトリップしてみたい方は、明日15時、青山円形劇場に行かれてみては如何だろうか。
(当日券がなかったらゴメンナサイ。その場合は年末の『ア・ラ・カルト』へどうぞ。こちらの方がわかりやすいというか、何も考えずに楽しめる舞台です。)