縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

演奏会1回分の幸せ

2011-04-27 00:50:20 | 芸術をひとかけら
 昨日、読売日響の演奏会に行った。冒頭、東日本大震災の犠牲者追悼の意から、オリヴィエ・メシアンの『忘れられた捧げもの(交響的瞑想)』から「聖体」が演奏された。
 震災で1万4千人もの方が亡くなられた。ご冥福をお祈りしたい。そして震災からもう一月半経つというのに、未だ1万2千人弱もの方が行方不明である。一日も早く、何か手掛かりが見つかれば良い。

 震災で被災された方々の多くは、まだオーケストラの演奏を聴く状況になどないと思う。いや、そもそも音楽を聴く気にすらならないのかもしれない。
 しかし、音楽は、悲しいときは慰めになり、辛い時は励ましになり、我々に夢や希望を感じさせてくれるものだ。被災地の方が、音楽を聴こうという気持ちに早くなれるよう祈りたい。

 昨日の演目にスメタナの『モルダウ』があった。有名な『わが祖国』の中の1曲である。ベートーヴェンが聴覚を失った中でも音楽への情熱を失うことなく、かつ第九をはじめとする名曲を作曲したことは有名である。が、実はスメタナも晩年聴覚を失い、その中で『わが祖国』を作曲したのであった。祖国チェコを、その美しい自然を想い、書かれた曲である。幾多の苦難を乗り越え、そして故郷のことを思って作られた曲である。
 岩手、宮城そして福島で、皆が明日への希望を持って、あるいは新たなスタートへの期待を感じて、『モルダウ』を聴ける日が来ることを願ってやまない。

 ところで、以前も書いたが、この7、8年、読売日響の年間会員券を買っている。今まではA席、サントリーホールの2階の中ほどの席だった。更新のたびにS席に変えようとしたのだが、電話が繋がらないは、漸く繋がってもS席に空きはありませんとのつれない返事で、変更できなかった。それが昨年の更新の際は簡単に電話が繋がり、これまた簡単にS席が採れた。
 今度の席は1階の中ほどである。不況の影響に加え、クラシック・ファンの高齢化の影響もあるかもしれない。何はともあれ、念願の1階進出。そして昨日が1階デビューの日であった。
 2階と1階では、やはり臨場感が違う。指揮者の動きがはっきり見える。人も楽器も、何もかもが大きく見える。心なしか、音も良く響くように思えた。会員券の販売が終わった後、S席だけ1回券が千円値下げされ年間会員券のお得度が下がるという酷い仕打ちを受けたものの(せこい話ですみません)、そんなことは忘れ、演奏を心行くまで堪能できた。そして、ささやかな幸せを感じることができた。

 僕は歌も上手く歌えないし、楽器も演奏できない。ましてや、被災地に行き、そこにいるだけで人々に感動を与えたり、勇気付けられる人間でもない。出来ることといえば、こうして皆の明日を信じ、祈ることだけ。
 たまたま先月の読響の演奏会が震災の影響で中止となり、会場でその払い戻しがあった。僕は受け取ったお金をそのまま募金箱に入れた。演奏会1回分の幸せが、皆に届くことを願って。

「君君たらずといえども臣臣たらざるべからず」

2011-04-19 23:22:01 | 最近思うこと
 タイトルの意味は、『大辞林』によると、「君は君たる徳がなくとも、臣は臣たる道を守って忠義を尽くさなければならないということ。」である。
 論語の言葉かと思っていたが、そうではない。論語の曲解というか、封建君主が自らに都合の良い言葉として用い、我が国で広まったものである。つまり、君主がどんなぼんくらであろうと、家臣はお家のため誠心誠意尽くす、滅私奉公すべきだと、家臣に教えた言葉なのであった。

 この1カ月の政府や東電の不甲斐ない対応を見るに、この言葉が思い出された。トップはあんなにいい加減なのに、現場の方々は死に物狂いで頑張っていられるのかと思うと、本当に頭が下がる。
 勿論、君主やお家への忠誠からだとは思わない。それは純粋な責任感からか、家族や郷土のためか、あるいは日本のため、さらには人類全体のためかもしれない。いずれにしろ、政府がだらしがない・経営陣がだらしがないと言っても始まらない、今、自分がやらねば、との思いなのであろう。そんな方々を、私は陰ながら応援するしかできない。

 危機に瀕して思うが、一国のリーダーの条件とは何であろう。

 自らの信念に基づいて行動すること。私利私欲なく、常に一国のこと、国民全体のことを考えること。国民から信頼されること。どんなに辛いこと、難しいことであろうと決断から逃げないこと。こんな所であろうか。
 残念ながら、菅首相にはまったく当てはまらない感じがする(もっとも安倍首相以降の、1年足らずで政権を投げ出した首相達は皆五十歩百歩であるが)。今回の危機に際し、菅首相がまず考えたことと言えば、パフォーマンス、自らの保身、そして原子力の勉強。そんなことをしてる間に、他にすべきことがあったのではないか。大事な決断が先延ばしされたのではないか。そんな疑問を感じざるを得ない。

 更に、震災後、菅首相にはまったく存在感がなかった。枝野官房長官が連日連夜記者会見で状況を丁寧に説明していたのに対し、首相はほとんど引きこもり状態。会うのは東工大出身の諸先生だけ。ご高説を拝聴し、熱心にお勉強とのこと。
 一国のトップなら、まず国民を励まし、安心を与えるべきではないか。「日本の力を、信じてる」というメッセージは、SMAPやトータス松本ではなく、本来、首相が言うべき言葉だと思う。首相は「政府は復興のため最大限の支援をします。国民は皆、あなたと共にいます。」と被災者の方に伝えるべきだった。
 今さら言っても詮無いことではあるが、つい恨みごとの一つも言いたくなってしまう。

 「君君たらずといえども臣臣たらざるべからず」

 首相がどうあろうと、私たちは一人一人、被災者の方々のため、その新しいスタートのため、できることをやって行きたい。