を今まで求めてきたんだとおもう。
徹底的(テッテ的)に圧倒的な表現というべきか。
それに近いものには何度も触れながら、その核にはそれ以上近づけないところで何度もぐるぐるやっているような。
例えば
つげ義春「赤い花」「ねじ式」
スタンリー・キューブリック「2001年宇宙の旅」
梶井基次郎「檸檬」
マルセル・デュシャン
寺山修司「田園に死す」
エリック・サティ「ジムノペディエ」
ジョン・ケージ「4分33秒」
その核に触れた時に「ああ、もういいや」となり、もう表現を追い求めなくなるんじゃないか、そんな気がする。ああ、でもポップス的な絶対的表現というのは難しいかも。
徹底的(テッテ的)に圧倒的な表現というべきか。
それに近いものには何度も触れながら、その核にはそれ以上近づけないところで何度もぐるぐるやっているような。
例えば
つげ義春「赤い花」「ねじ式」
スタンリー・キューブリック「2001年宇宙の旅」
梶井基次郎「檸檬」
マルセル・デュシャン
寺山修司「田園に死す」
エリック・サティ「ジムノペディエ」
ジョン・ケージ「4分33秒」
その核に触れた時に「ああ、もういいや」となり、もう表現を追い求めなくなるんじゃないか、そんな気がする。ああ、でもポップス的な絶対的表現というのは難しいかも。
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