おれおれ日記

平成の快楽主義者な管理者による酒の話、現代美術の話、音楽の話、世間話をただただ垂れ流す日記。

さて

2006-03-22 22:12:14 | Weblog
久しぶりに「ブッダ」なんて読んでるから昔のことを思い出した。

何度も言ってるが、俺の小学生時代は、まわりの子たちが熱狂していたガンダムのプラモや、ミニ四駆や、ファミコンや、エアーガンなんてものは一切買ってもらえなかった。
唯一惜しまず買ってくれたのが本、それと手塚治虫の(という限定詞がつく)マンガ。

だから、俺が小学生の時に繰り返し読んだマンガは、「ちびまるこちゃん」やら「ドッヂ弾平」みたいなものじゃなくて、「火の鳥」であり「シュマリ」であり「ブッダ」だった。
言っておくが、手塚治虫を小学生に読ませると、一種の悪影響を与えることになる。
少なくとも俺は、登下校の最中に「輪廻転生」について思いをめぐらすような、妙に老け込んだ子供になってしまった。
小5ぐらいの時にはもう悟りに近いものも会得していたような気がする。

登下校の時間が長かった(徒歩で1時間弱)のも俺には影響した。
なんせ、考える時間はたっぷりある。

その間、俺は輪廻転生について悩み、将来に思いを馳せ、無数の物語を作り、はたまた死ぬということに恐怖したりしていた(これもブッダの影響)。
自分が作る物語に没頭し過ぎたために身振り、手振りを加えてそれを表現しようとし(もちろん俺の完璧な自己満足のため)、たまたま通りがかり、その異様な俺の動作を見た友人に怪訝な顔をされたことなどしばしばあった。

まあ、今から考えれば変な子だったんだろう。


そのまま、ニーチェとか直結しなくて良かった。
中学校の時は通俗推理小説を読むようになってたし、テレビドラマも観るようになっていたので。

とにかく、多感な時期(それも特に小さいころ)に手塚治虫は良くない。通勤の時間に「住宅街は虫の卵に似てる・・・」なんてことを考える大人になってしまう。

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記者で食っていくのは大変だ。
文章というものに愛着を持っていればなおさら辛い。

まず、情報を売る商売では「無駄」が多い文章は嫌われる。

文章における無駄が大好きな俺にはちと辛い。

あと、文章を簡潔にするためには多少の文の流れの無視も許される。
特に、接続詞を徹底的に排除するのはちょっと我慢ならん。

まあ、ブーブー言いつつもやらなきゃなんないんだけど。

とりあえずそんな仕事です。