楕円と円 By I.SATO

人生も自転車も下りが最高!
気の向くままに日常と趣味の自転車旅を綴ります。

有事に対応する内閣??

2022年08月11日 | 日記

特に不思議なこと。

 

旧統一教会にビデオメッセージを送り、信者の票を差配していたことが元国会議員の証言で明らかになった安倍晋三・元首相がどうして国葬になるのか。

 

参院選で提案型路線が失敗したのは執行部の責任と総括しながら泉健太代表はどうして辞任しないのか。辞めさせられないのか。

 

世界平和統一家庭連合の田中富広会長に、報道は公平を欠き不正確だと一方的に批判されてメディアはどうして反論しないのか。

 

内閣改造が行われた。

岸田首相が言うには「有事に対応する内閣」なのだという。

しかし、新聞、テレビは新閣僚と統一教会の関わりに夢中だ。

 

与党も野党もメディアも国民の意識からどんどん遊離している現実が有事そのものだ。

暫く国政選挙も無く、頼みは国会だが期待薄であり、不思議な国の代わり映えのしない内閣改造で〝有事〟が続くことだけは明らかになった。

 

 

 


ワクチン4回目を受けた

2022年08月08日 | 日記

自転車旅から戻って4回目のワクチン接種をしてきた。今回もファイザー製だった。

一晩寝て、左腕に少し痛みがあるくらいで発熱などの症状は今のところ無いが、前回は3日目に少し倦怠感が出た。

 

パーテーションで区切られた体育館の二つの大きなゾーンに50~60人くらいずつ入り、受付順に座った椅子で巡回してきた医師の問診を受け、看護師から接種を受ける。

始まると早く、よく考えられた方法だ。

 

2週週間の自転車旅をしていて、新聞読まず、ラジオ聴かず、バッテリーが気になってスマホのネットも殆ど見ないうちに、コロナ感染が猛烈に拡大した。

自宅に戻って、第6波の山を遙に超える7波グラフにびっくりだが、この自然界に生きているのはヒトだけでは無いことを現している。

ウイルスも何らかの生きる意図があって、次々に変異して抵抗している。

 

ワクチン接種はいつまで続くのか・・・。

身体に何か影響は出ないのだろうか・・・。

 

命に関わる「検査、隔離、医療」も費用対効果は避けられないのか、

自然界で生きるリスクに許容限界はつきものか、

ワクチン接種を待っている間、つらつら考えるが口に出せない難しい問題だ。

 

一般医療で救急車が呼べない、診察が出来ない、手術が出来ないなどの医療崩壊が起きていても政府は放置状態だ。

岸田首相は説明すべきだ。

 

結論。ウイルスが体内に入らないよう、宿主としては防御するだけだ。

 

暫く山陰地方の海風に吹かれてマスク、手洗いはコンビニとスーパーに入る時だけだった。

考えてみるといつもの生活を続けるだけである。

 


『 私の自転車旅物語 2022 』  ー日本海縦断- 10 お終い

2022年08月05日 | 『私の自転車旅物語』

3年前の道東自転車旅で出会ったOさんと月形町皆楽公園キャンプ場で昨晩再会した。

霧の納沙布岬のライダーハウスで出会い、その後、厚岸町霧多布キャンプ場で再会し、「いつか又北海道で」と別れたが実現した。

Oさんは7/24日に小田原を北海道に向けてカブで出発、自分は7/21日に下関から舞鶴港に向けて自転車でスタートしていたが上手い具合に8/4日に自宅近くのキャンプ場で再々会出来きたのはSNSの威力だ。

互いの位置確認と進み具合が簡単に調整出来てしまう。

 

さすがにチャリという元気は無くて車で出かけ、車中泊した。

Oさんのたってのリクエストであるジンギスカン鍋で旧交を温め、仕事時代の話しも家庭のこともたったの3回目で随分と話し込んだ。

自転車とバイクという乗り物は違っても放浪?流浪?の旅の出会いは意気投合すると濃い語らいになるものだ。

 

Oさんは軽度のガンが見つかったが80才までカブ旅を続けると意気軒昂、自分は75才まで自転車を続けると応じて、再々々会が次の楽しみになった。

チャリとバイクのどちらが長生きするか、結論は出ず。。。次回か。笑

 

「日本海縦断自転車旅」は舞鶴港から小樽港にフェリーで戻って無事〝完成〟した。

フェリー船内で30年間、単身赴任で東南アジアの建設現場で頑張った70才さんと話す機会があった。

奥さんと了解済みで結婚し、途上国の発展に努め尽くした人生に脱帽だった。

モーレツ社員の時代か。今では考え難い。

 

衰退する日本を目の当たりにしているが、これ迄の成長の陰には様々な貢献をしてきた人々がいたことを改めて知る。

「日本人が苦手です。」と笑う顔が印象的だった。

 

鍋釜を持った若者3人のツーリストが乗船していた。

このスタイルは大学サイクリング部だ。聞くと関西の超難関校の1年と2年。

 

どのような分野に進むかを既に持っていて、自分の学生時代とは大違いで感心する。

活躍して日本を再生して欲しいものだ。

 

 

 

 

 

 


『 私の自転車旅物語 2022 』  ー日本海縦断- 9

2022年08月02日 | 『私の自転車旅物語』

 

8/2 無事、舞鶴港に到着した。

舞鶴と敦賀の間はどうも原発がイヤで避けたが、3回に分けて本州の日本海沿岸を縦断する事が出来た。

 

災害はいつ起きるか分からないがリスクは出来るだけ避けたい。

熊本地震に遭遇した記憶が過ぎる。

 

道路不通箇所があり、丹後半島周遊が出来なかったのは残念だが、12日間30℃超えの中、無事に走り切れて良かった。

 

昨日は豊岡から天橋立の60km。

 

《天橋立》

 

なかなかキャンプ場所が無くて探していたら、バイク日本一周の51才さんに出合い、天橋立から少し離れた道の駅周辺に見つけることが出来た。

東家にテントを張ったが蒸し暑く、夜中にベンチに出て寝た。蚊がいなくて陸風が気持ちよかった。完全?野宿は初体験だった。

 

バイクの旅人はコロナの影響で会社が閉鎖し、初めてのバイク旅が日本一周だった。

沖縄まで行くという。

どんな形であれ、籠らずに次の事を考えるための時間を持つのは素晴らしい。

ラインで繋がる旅人が一人増えた。

 

舞鶴港に向かって走っていると自民党の街宣車とすれ違った。

多分、統一協会、コロナを叫んでいたのだろう。

流石に強かである。野党との違いはここだ、

 

小樽行きフェリーの出港までまだ4時間もある。

今回の旅の反芻が始まる。

昨年の龍飛→新潟の旅に比べると、暑さのせいもあるにせよパワーダウンは1年といて言ってられないと実感した。

 

肌寒い北海道に戻ると思うと灼熱の太陽と別れ難い。

 

 

 

猛暑の中、舞鶴港で自衛隊員のボート訓練が行われてあた。

艦船は修理だろうか。 

 

 

 


『 私の自転車旅物語 2022 』  ー日本海縦断- 8

2022年08月01日 | 『私の自転車旅物語』

餘部の手前で。

ずっと並走して、北海道に旅行した想い出話しをしてくれた。

伊福部昭のことを知っていてビックリ。

74才が元気を貰ったと言ってくれた。

 

《キャンプサイトの傍》

 

鳥取砂丘のキャンプ場は砂丘の中といえば中にある。

通り掛かった人に砂丘の方向を聞くと、あちらと答える。

その方向に坂を下るとコンビニがあったので確認すると、真反対だった!

 

再び坂を登った。トホホ

苦労して砂丘の玄関口に辿りついたが、早朝で人もまばら。

昔の記憶を確認して出発。

 

 

昼頃に餘部鉄橋手前で交通止めの立て看板が。

丹後半島に抜けられないではないか!

乗用車は近くの高速道路があるが、二輪車は5km戻って国道9号に入り

ぐるっと迂回路を走ることになる。

これは明るいうちに目的地に着きそうもないとJR輪行して取り敢えず豊岡市まで来た。

途中駅でやはり二人連れの若いツーリストが乗ってきた。

 

道路情報は後戻りしなくても良いように早めから出しておいて欲しい。

 

豊岡駅の観光案内所で近くのビジネス旅館を予約。親切で久しぶりの畳と布団は気持ち良すぎて夜中に手足を

伸ばし過ぎて両脚の痙攣で何度も目が覚めた。笑

 

今日はひとまず京丹後に行き、丹後半島を回るか、天橋立に向かうか

考えることにして出発。

 

直売所で。やくも、という品種だった。二十世紀と遜色はなかった

豊岡駅は自転車スロープがあった。