楕円と円 By I.SATO

人生も自転車も下りが最高!
気の向くままに日常と趣味の自転車旅を綴ります。

『 私の自転車旅物語 』-壱岐、対馬の旅-⑪ 終わり

2021年11月07日 | 『私の自転車旅物語』

 

2019年4月10日 17:20

海上50Kmを1時間ほどで韓国・釜山港に着いた。圧縮水流で進むボーイング社製の水中翼船は揺れも少なく、車並みのスピードだった。

 

 

釜山港のランドマークの斜張大橋。長さ3,331メートル、主塔の高さは190メートル、海面からの高さは60メ-トルある。

 

 

ホテルに荷物を置いて近くの焼き肉店に入った。メニューに写真が無い。隣の人が食べている料理を指さして注文した。

聞いてはいたが韓国の焼き肉店では店員がセッティングし、骨付き肉はハサミで切ってくれる。「私、食べる人」状態だ。香辛料の効いたタレが何種類か添えられていて楽しめた。

 

 

ホテルからの釜山の夜景。韓国第二の都市だけあって高層ビルが立ち並び地下鉄も発達している。遠くにライトアップされた釜山港の大橋が見えた。

 

2019年4月11日

 

 

日本でネット予約したビジネスホテルに泊まった。「日本語スタッフがいます」との案内だったが殆ど通じず。いい加減な英語と身振り手振りで何とかなるものだ。

朝食は韓国風バイキングだったが何故か味噌汁が・・・。

 

 

前日と打って変わって快晴。ホテル前からバスと地下鉄を乗り継いで市内観光をした。

主要な地下鉄駅に英語、日本語のボランティア通訳がいて、行き先を伝えるとバス乗り場と下車・乗り継ぎ場所を地図に落とし、メモを渡してくれた。

メモには「この人は〇〇〇に行こうとしています。最寄りのバス停、地下鉄乗り場を教えてあげて下さい」といった意味のことがハングルで書かれていたようだ。

通りを歩いている人に見せると持参した地図を見ながら親切丁寧に教えてくれた。

市民レベルでは日韓の間のわだかまりは無いように感じた。これぞ“おもてなし”ではないか。

 

 

 

都心部にはマーケット商店街が多く、簡単な食事が出来る屋台が連なっていた。鮮魚料理を食べれることの出来る観光名所を探したが辿り着けなかった。

韓国ウォンのおよそ10の1が日本円のレートになる。このマーケットでは「魚のフライ」「チチジミ」「餃子」等が一皿200~300円で売られていた。

 

 

海岸沿いの平地には高層ビルが立ち並ぶが都心から少し離れると狭い斜面に住宅が張り付いている。

ここは有名な「甘川洞文化村」。

町全体がアート作品のようにカラフルだ。

 

もともとは、朝鮮戦争の際に北朝鮮側から戦争を逃れるために逃げてきた避難民が集落を作ったことに始まるという。

東西を山に囲まれ、南側には海を望む斜面につくられた村の美しい景色に魅せられて美術家や写真家など集まって今のような景観になったという。ギャラリーが点在していた。

 

 

貸衣衣装のチョゴリで散策する女性もちらほら。京都で舞妓さんの衣装で歩いている観光客を見かけるが、とこも同じ発想になるものだ。

 

 

 

海岸に突き出した「五・六島」の空中展望台。床がガラス張りなので傷が付かないように靴にカバーをかける。この日は軍人OB家族と思しき人達が沢山来ていた。

 

 

日本のお祭りの屋台が並んだような夜市の灯りと混雑から外れた釜山駅近くの屋台に入った。サラリーマンがいて安心゛。

ニンニクと唐辛子の利い噌とネギで食べるシジミ、ムールなどの貝類の鍋は二人前くらいのボリュームがあった。薄い塩味の出汁は絶品で全て飲んでしまった。

酒は日本酒と焼酎の間のような風味がした。

 

2019年4月12日

 

 

帰国の日。

釜山港のターミナルはロビーも広く、土産店が並んで空港のようだ。余裕を持って12:15の出発時刻よりかなり早く着いたのでビートルの窓口は開いていなかった。

釜山から博多へは韓国のフェリー会社3社が運行しているがネットの手続が分かりにくく、比田勝港まではJR九州が運行するビートルを利用した。

 

 

出国手続をして比田勝港で下船し、預けてあった自転車、荷物を取って、12:15のフェリーで博多港へ向けて出発した。

 

 

写真は比田勝港を出たフェリー甲板。

駆け足だったけれど、韓国は自然的にも地理的にも歴史的にも“すぐ隣の国”であることを感じた旅だった。

外交的にも早く近くになって欲しいものだ。

 

3年前の九州自転車旅で知り合った Fさんと帰りの福岡空港で1年ぶりの旧交を温めた。

82才、今もチャリ旅を楽しんでいる。 「歩くことが基本」とのアドバイスを貰った。 参考になる。北海道での再会を約して別れた。

 


『 私の自転車旅物語 』-壱岐、対馬の旅- ⑩

2021年11月05日 | 『私の自転車旅物語』

 

2019年4月10日 (対馬四日目  比田勝港→ 韓国・釜山へ)

 

朝、佐須奈の旅館の廊下で「ホシクイ」のことを詠った色紙を見つけた。

対馬初日の厳原港近くの民宿で夕食にその汁物が出た。


~ 凍てつく朝鮮海峡の海面から体いっぱい大きく口を開いて

  降り注ぐ大空の星屑の一つ一つを刈り取るように   

  熱情を傾けているのだろうか。   

  この島ではカサゴのことをホシクイとよぶ。 ~

 

決して見栄えの良くないカサゴの仲間。輝く星と結びつけた対馬の人の感性と網の中で跳ねるカサゴへの漁師の愛情を感じた。

 

15Km先の比田勝港を目指して霧雨の中を走っていると、通り掛かったトラックから声が掛かった。

前日に海神神社で測量の仕事をしていた二人で、佐須奈で建設業を経営する兄弟だった。

 

 

 

比田勝港から韓国・釜山へは海上50Km。JR九州が高圧水流を噴射して進む水中翼船“ビートル”を運行している。現在はコロナの関係で運休中のようだ。(所要1時間 7,500円)

 

当日はフェリーターミナルのコインロッカーに荷物を入れ、自転車は苦労した結果、観光協会のスタッフの方のご配慮で市役所の車庫に緊急避難?させていただいた。

釜山から来るサイクリストは直ぐに対馬島内のツーリングに出発するし、比田勝港から釜山に渡るサイクリストは殆どいないので自転車置場が整備されていない。

 

出港は16:30頃だったか・・・。時間があるので港の近くの温泉で昼食を摂りのんびりした。

 

ターミナルに戻るとロビーは殆どが韓国人。薬、化粧品などの日用品を仕入れに来る人も多いらしい。

 

事務室のような出国ゲートを通って乗船。手荷物検査も簡単なものだった。

 

 

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 


『 私の自転車旅物語 』-壱岐、対馬の旅- ⑨

2021年11月03日 | 『私の自転車旅物語』

 

2019年4月9日 (対馬三日目) 走行50Km

 

 

「神話の里公園」は少し冷え込んだ。貸しテントはいつも使っているソロテントよりかなり大きいので室内で炊事用バーナを焚くと直ぐに暖かくなった。

コーヒーを入れてのんびりしてからテントを畳んで、由緒ある建物を移築したという管理事務所の倉庫に戻した。7:00に北部の「日本最北西端の地」の棹崎公園へ向かって出発した。

隣のテントの元・うなぎ屋のオヤジさんはまだ寝ていた。

 

対馬の道路はよく整備されているがアップダウンとトンネルが多い。

サヨナラ、豊玉町「神話の里」。

 

海岸にはこの地方独特の堅牢な石造りの作業小屋が建っていた。“朝鮮風”が強いのだろう。

 

 

峰町の海岸から少し山に入ったところに対馬国一宮の「海神カイジン神社」があった。海神はワタツミとも読むので神話の里公園の「和多都美ワタツミ神社」と繋がりがあるのだろう。

長い石段を登って本殿にお参りした。作業をしている人がいたので聞くと、氏子さんが高齢化してきて石段がキツくなってきたとのことで、山を巻く自動車道を整備するための測量作業だった。

「日本最北西端の地」に行くと言うと、近所の旅館を紹介してくれた。

 

 

 

 

棹崎公園の中にある「日本最北西端の地」に到着!

残念ながら目と鼻の先の釜山は見えなかった。

趣味ではないがこれで若い頃に勤務していた稚内市の「最北端(宗谷岬)」、2017自転車旅の「最東端(納沙布岬)」に続いて本土の“端っこ”到達は3カ所になった。

良く手入れされたツツジが咲いていて近くには「ツシマヤマネコ保護センター」があったが、残念ながら体調が宜しくなくて見ることは出来なかった。「最北西端到達証明書」を貰った。

 

 

30分ほど走って佐須奈地区の小さな漁港に面した旅館に着いた。

海神神社で測量作業をしていた人に紹介して貰った宿だ。

 

 

名前を忘れてしまったが夕食に地魚の美味しい焼き物が出た。

翌日は近くの比田勝港に自転車を置いて水中翼船で韓国・釜山渡って2泊のプチ観光に出掛けることにしていたのでひとまずホッとした夜だった。

 

朝、食堂で地元の会社員二人と一緒になった。佐須奈には飲食店が無いのでたまに旅館に泊まりがけで飲み会をするのだという。

仕事の帰りに仲間と札幌駅の周辺で一杯という生活ばかりでないことを知った。

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 


戦い終わって

2021年11月01日 | 日記

投票日直前のBS番組に出演していた法政大の山口二郎教授の「政権交代は無い」「野党共闘は地域差がある」「選挙後の野党のことを考えるとぞっとする」「このまま突っ込むしかない」といった発言が気になっていた。

 

「連合」傘下のトヨタ労組が環境問題で政権与党との連携を重視し、立憲民主党が名古屋で候補者を取り下げたことも明らかにした。

 

選挙が終わった。

与党は絶対安定多数を維持し、立憲は大敗し、共産は期待した比例での効果は無かった。

山口氏の心配どおりの選挙結果になった。

 

これからいろいろと分析されるが、立憲の枝野代表は分かり切っていた自民党総裁選というイベントに埋没し、政権を取りに行く迫力が感じられなかった。

共産党を含む野党共闘は選挙直前の〝駆け込み〟の印象を与え、さみだれ式の共通政策の発表も〝生煮え〟の感じさえあって前回の民主党の失敗を思い出させてしまった。

政権を任せて大丈夫だろうかという〝不安〟が風となって吹いては勝てない。

 

「選挙後の野党のことを考えるとぞっとする」という山口氏の心配事がこれから始まる。

自民党幹事長の後任人事は素早い。維新の躍進の中で野党共闘の練り直しなど課題は山積している。

ここでまた枝野体制の刷新に遅れがあれば「人がいなのね」と不安に追い打ちがかかる。