「俺たちゃ何もしないものを罰している訳じゃないんだ。奴らは人間さまを殺しているんだ。
それまで、生きていた人間をな。」
丸山健二の短編『夏の流れ』(1966年 芥川賞)を読み返した。
きっかけは葉梨法務大臣の更迭だ。
学生の頃に読んで、刑務官が如何に悩みながら死刑執行という職務に就いているかを描いていたような記憶があった。
刑務官になると必ず死刑執行を経験しなければならず、悩み辞める人が少なくないという。
読み返してみて、「その日」が訪れることになった新人刑務官を先輩が釣りに誘った時の渓流での会話が重く心に沈んだ。
刑場もまさに生と死が交叉する場ではないか。
その狭間に生きる刑務官という職業の人々とその家族の心理を考えた時、あのような発言が出来るものではない。
ましてや警察庁出身者が。
小説は死刑執行日に到るまでの担当刑務官と死刑囚の心の動きが簡潔に描かれている。
心臓の鼓動が高まるのを感じながら読んだが、平凡な家庭人である刑務官と子供との交流場面が緊迫感を和らげてくれた。
考えてみると死刑には多くの命が関わっている。
犠牲となった人々、死刑囚その人。
それまで生きていた人々である。
そして被害に遭って癒えることの無い精神的な苦痛を受けることになった人々が多数存在することになる。
法務大臣の決裁を得るためには裁判をもう一度行うほどの事務的な確認作業があるという。
刑が確定していても間違いが無いとは言えない。
そうしたことに全く気が回っていないお粗末な法務大臣。
更迭で『夏の流れ』を読み返すことになったのは救いである。
当時、史上最年少の23才で芥川賞を受賞した丸山健二氏はその後文壇から一線を画し、安曇野で孤高の活動を続けていることも知ることが出来た。