団塊太郎の徒然草

つれづれなるままに日ぐらし

東大、“遺伝子カプセル”開発-光を照射してがん組織に導入

2014-04-03 16:46:02 | 日記
東京大学大学院工学系研究科の片岡一則教授らは、光に反応して遺伝子(DNA断片)をがん細胞内に送り込む技術を開発した。光増感剤を修飾したナノメートルサイズの高分子カプセルを開発。同カプセルに遺伝子を入れて体内に投与し、標的のがん組織に光を照射することで、がん組織にのみ選択的に遺伝子を導入できる。
 遺伝子治療では、遺伝子を細胞内外の膜を通過させて核にまで届ける必要がある。光増感剤を使うことにより、遺伝子導入効率を従来比で100倍以上向上させた。

 片岡教授は「高分子ミセル粒子」というナノサイズのカプセルをがん治療に応用する研究を進めている。同粒子の表面は親水性で、血中に投与しても血栓を作らない。血管から投与された同粒子はがん組織に集まり、細胞内の小器官に取り込まれる。ここで光増感剤を放出させることで小器官の膜を不安定化させ、細胞内部に遺伝子を効率的に送り届けられる。
 固形がんのモデルマウスでの実験で、固形がんに選択的に遺伝子導入できることを確認した。




対日賠償詐欺で被告を増長させた民主党の甘さ、ソウル中央地裁も認定

2014-04-03 16:40:33 | 日記
 慰安婦募集の強制性を認めた平成5年の河野談話の根拠となった、韓国での元慰安婦16人への聞き取り調査が、日本政府を相手取って慰安婦賠償訴訟を起こした太平洋戦争犠牲者遺族会の事務所で実施されていたことは何度か指摘した。

 この遺族会の元会長、梁順任(ヤンスニム)氏は、3年8月に「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」という事実関係がすり替わった記事を書き、慰安婦問題の火付け役となった朝日新聞記者の義母に当たる。これももう、周知の話だといえよう。

 この梁氏らが23年5月、日本政府などから補償金を受け取ってやるといって弁護士費用などの名目で約3万人の被害者から会費15億ウォン(約1億2千万円)をだまし取った詐欺容疑でソウルの警察当局に摘発されたと報じられたので、その後に注目していた。

 そして、今年2月になって梁氏の関係者は7年6カ月の実刑判決を受けたものの、梁氏自身は証拠不十分で無罪となったと知った。今回、そのソウル中央地裁の判決文を読む機会があったので紹介したい。そこには地裁が示した、とても興味深い認識が記されていた。

判決文は、梁氏が旧知の弁護士から「日本民主党が政権を取った2010年度が日帝時代の被害賠償に最も適切な時期だ」との説明を受けた点を重視する。

 その上で、(1)同年1月ごろ、日本の鳩山由紀夫首相が米国のマイク・ホンダ下院議員と会った際、強制徴用被害者らに対する段階的な個人補償の意思を伝えた(2)同年7月7日、(菅直人内閣の)仙谷由人官房長官が朝鮮戦争以降の補償が不十分だったとして個人補償の可能性を示唆した-と具体的な個人名を挙げ、こう書いている。

 「この展開、将来的計画という側面において遺族会の(原告募集の)広報活動は欺瞞(ぎまん)手段にすぎないとは断定できない」

 つまり、政府の中枢にいた鳩山氏や仙谷氏による韓国側に譲歩をにおわせる言動があったのだから、日本からカネを取れると遺族会が考えたのは無理もない、という趣旨である。

 ホンダ氏といえば、07年7月に米下院で採択された慰安婦問題での対日非難決議の提出者である。鳩山氏は当時も今も、自分が何を口走っているのか理解していないとしか思えない。

 一方、仙谷氏の示唆とは日本外国特派員協会での講演と記者会見で、韓国への戦後補償は不十分だとして言い放った次の言葉だ。

「(日韓基本条約は)法律的に正当性があると言って、それだけでいいのか」

 現職の官房長官が、政府見解を大きく逸脱することを得々と語っていた。彼らの無責任な発言が韓国側にあらぬ期待を抱かせ、結果的に詐欺事件の誘発・拡大につながった-という流れを地裁は認定したのだ。

 振り返れば、野田佳彦内閣が実行した返還する義務のない朝鮮半島由来の図書「朝鮮王室儀軌」引き渡しも逆効果だった。韓国側から感謝は表明されず、それどころか韓国内での対日文化財返還要求の動きを勢いづかせただけだった。

 「謙譲の美徳をもってすれば相手の尊大さに勝てると信じる者は、誤りを犯すはめにおちいる」

 これはマキャベリの言葉だが、韓国を思えば実感できる。安倍政権には、民主党を反面教師としてもらいたい。(sankei 政治部編集委員)


韓国ガールズグループの新曲、日本語的表現を理由に「放送不適合」判定

2014-04-03 16:30:15 | 日記
 韓国の5人組ガールズグループ、CRAYON POP(クレヨンポップ)の新曲「オイ(Uh-ee)」が、歌詞に日本語的な表現があるとしてKBSから放送不適合の判定を受けたことが3日、分かった。聯合ニュースなど韓国メディアが報じた。

 報道によると、同曲の歌詞にある日本語のピカピカのピカを入れた「ピカポンチョク」という表現が最近行われた歌謡審議の結果、問題になったという。これを受けて所属事務所は、歌詞を「ポンチョクポンチョク(ピカピカの韓国語)」に修正し、直ちに再審議を申し入れたという。同曲の音源とミュージックビデオは今月1日に公開されていた。

 CRAYON POPは、独特なダンスの振り付けと衣装が毎回話題となるグループで、昨年発表した「パパパ(BAR BAR BAR)」では、ヘルメットをかぶった姿で披露する“直列5気筒ダンス”で大ブレーク。その人気は海外にも広がった。日本でも何度もライブを行っており、2日には横浜アリーナで開催された「M COUNTDOWN No.1 Artist of Spring 2014」に登場し、「オイ」を披露。このときは、修正前の「ピカポンチョク」の歌詞で歌っていた。

 CRAYON POPは、過去にも衣装やコンセプトが、日本のももいろクローバーZに似ているととして物議をかもしたほか、昨年リリースした「Lonely Christmas」の冒頭部分が、日本の人気アニメ「ルパン三世」の前奏部分とそっくりだとして非難を浴びるなど、日本がらみのトラブルが続出している。

サンケイスポーツ 4月3日(木)13時9分配信

トルコ、日本からの戦車エンジン購入問題は棚上げに

2014-04-03 16:17:32 | 日記

[アンカラ 27日 ロイター] - 戦車用エンジンの共同開発に向けたトルコと日本の政府間交渉が打ち切られたことが明らかになった。安倍政権はトルコを重要なパートナーと位置づけ、首脳会談を重ねてきたものの、同エンジンを搭載した戦車を自由に輸出したいトルコの思惑と、事前同意を条件とする日本側の姿勢が折り合わなかった。

トルコのムラド・バヤール防衛産業次官が27日、会見で明らかにした。共同開発したエンジンを載せた戦車を第三国に輸出することは認めらないと日本から連絡があり、両国は交渉を棚上げすることで合意したという。

複数の関係者によると、エンジンの共同開発構想は昨年5月の両国首脳会談で浮上。次期主力戦車を開発中のトルコが、日本にエンジンと変速機で技術支援を要請し、三菱重工業(7011.T: 株価, ニュース, レポート)が現地に合弁会社を設立する案が検討された。トルコは日本政府に対し、昨年10月の2度目の首脳会談までに支援の可否を返答するよう求めたが交渉はまとまらず、今年1月にエルドアン首相が訪日した際も合意に至っていなかった。

障害になっていたのが、同エンジン搭載の戦車を国内に配備するだけでなく、第三国へ自由に輸出したいとするトルコ側の主張だった。エルドアン政権は次期主力戦車を開発するに当たって国産化を唱っており、「外国の事前同意がなければ輸出できないという条件はトルコ国内で受け入れられない」(関係者)として、事前同意を義務付ける日本側の条件に難色を示していた。

安倍政権はトルコを重要なパートナーと位置づけるとともに、防衛装備品の輸出拡大を目指しているが、自民党と連立を組む公明党の反対などで打開策を見いだせなかった。政府内からは「トルコと開発することが日本の安全保障に資すると言えるかどうか分からない」との声が出ていた。

もともとトルコは独MTU(MTU.AX: 株価, 企業情報, レポート)のエンジンで試作車を作ったが、輸出に対してドイツが事前同意を要求。韓国にも技術協力を仰いだものの、韓国のエンジン開発が思うように進まず、「日本にSOSとなった」(自民党議員)という。


(Tulay Karadeniz、久保信博、Tim Kelly、竹中清  編集:北松克朗)

ステーキの元祖・銀座スエヒロ、なぜ倒産?激安専門店台頭が呼ぶ、業界の世代交代

2014-04-03 16:08:37 | 日記
銀座4丁目スエヒロ」として高い知名度を誇るステーキレストランを経営するスエヒロ商事(東京都中央区/上嶋棟一郎社長)が、東京地裁から破産手続きの開始決定を受けた。民間信用調査会社によると負債総額は9億7200万円。1910(明治43)年に大阪で誕生した「ビフテキのスエヒロ」をルーツとし、75年に設立された東京・日比谷のレストラン「スエヒロ」の事業を77年に継承した。東京・銀座の「銀座4丁目スエヒロ」、新橋の「航空会館スエヒロ」のステーキレストランや居酒屋「御殿山ガーデンレストラン」を経営しているほか、都内4つの百貨店の弁当・惣菜売り場にテナントを出店。13店を展開していたピーク時の94年12月期には年商23億円を上げていた。

 しかし、デフレ経済下の消費不況や東日本大震災に伴うレストラン事業の低迷、飼料用藁の放射能汚染問題による食肉の風評被害の影響を受けて業績が悪化。次々と店舗を閉鎖し、12年12月期の年商は11億8900万円に落ち込んでいた。

 13年に入って取引先などへの未払いが発生するなか、「銀座4丁目スエヒロ新宿店」「航空会館スエヒロ」を相次いで閉店。14年1月までに「御殿山ガーデンレストラン」などの事業を別会社に譲渡していた。規模を大幅に縮小し、自己破産を申し立てた。

●しゃぶしゃぶ、ステーキの元祖

 スエヒロといえば、ステーキの代名詞となるほど有名である。1910年3月、上島歳末(うえしま・としまつ)氏が大阪市北区堂島で洋食屋の「弘得社」を始めたのが起源。その後、同じ堂島に「ビフテキのスエヒロ」を開業した。ビフテキの呼称はスエヒロから全国に広がった。日本におけるステーキの元祖といってよく、2010年3月に創業100周年を迎えた。

 スエヒロの大きな特徴は、創業者の縁者にのれん分けしたこと。スエヒロの源流である「永楽町スエヒロ本店」(大阪市)のほかに、関東と関西に8社の「スエヒロ」を冠した運営会社がある。スエヒロ商事は、その中の1社で、スエヒロの名前で商売している人々の集まりが「スエヒロ会」だ。

 創業者の上島氏は1939年に創業30周年を記念して、大阪市北区の大阪天満宮に「牛像」を奉納した。郷里である但馬にちなみ、黒毛和牛の起源である但馬牛を模して黒御影石に刻まれた等身大の臥牛像である。スエヒロ会では、創業の原点となった弘得社の創業日である3月10日を「牛の日」として牛像の参拝を続けている。

 スエヒロは「しゃぶしゃぶ」の生みの親として知られる。薄く切った肉を煮立たせただし汁にくぐらせて専用の鍋で加熱し、野菜・豆腐・葛きりなどの食材を煮込んだものと一緒にタレにつけて食べる鍋料理である。「しゃぶしゃぶ」の名称は1952年に大阪のスエヒロが自店の料理として出した時に命名したもので、これが始まりとされている。スエヒロがしゃぶしゃぶを始めたきっかけは「夏場に焼肉が売れない」対策だった。現在では冬の鍋料理として定着している。

「スエヒロ会」のメンバーが全国に展開している運営会社の間には資本関係はなく、店の雰囲気やシステム、価格などがまったく違う。業態は高級ステーキレストランからしゃぶしゃぶ専門店、ファミリーレストラン、居酒屋、学生食堂などさまざまである。銀座に「スエヒロ」の屋号の店が別にあるが、スエヒロ商事とは違う会社が運営している。

●激安専門店の開業

 時代によって呼称が変わった。ビフテキはステーキに変わり、ステーキレストランはステーキ・ハウスと呼ばれるようになった。日本のステーキ・ハウスはオープンキッチン方式をとる店が多く、テーブルではなく鉄板焼きの形式でカウンターに客を座らせ、目の前で調理する。皿に乗せず、鉄板にアルミを敷いた上に、料理人が切り分けて箸を添えて供する。高級そうな雰囲気だが、フォークやナイフを使わずに箸で食べられるとあって人気だ。

 以前と比べて、牛肉の価格は値下がりし、激安を売りとするステーキ店が登場した。

 ステーキのファーストフード店「ペッパーランチ」などを展開する東証マザーズ上場のペッパフードサービスは13年12月、新業態「いきなり!ステーキ銀座4丁目店」を東京・銀座に開店した。立ち食いステーキ店という目新しい業態である。本格ステーキ・ハウス「ステーキくに 赤坂店」で好評の「特製リブロースステーキ」を半額で提供する激安店だ。ランチタイムには、300グラムのステーキセットが1000円で食べられる。

 高級な本格ステーキレストラン「銀座4丁目スエヒロ」が銀座から姿を消すのと入れ替わるように、激安の立ち食いステーキ専門店が開店した。銀座でひっそりと、業界の世代交代を象徴するかのような動きが進んでいる。


Business Journal 4月3日(木)3時55分配信