ま、いいか

日々の徒然を思いつくままに。

「ケイレブ」

2019-05-02 21:34:55 | 

 

「ケイレブ」 ジェラルディン・ブルックス 平凡社 2018.12.6

 

新刊コーナーで見つけて借りたものの、なかなか読む気にならず、

貸出し期間の延長をしても本を開かず、

予約がないことに甘えて借り直した上に延長して、

読もうかどうか迷った末、返却期限日の朝、ようやく読んだ。

 

読み始めたら一気!

 

ハーバード大学が牧師養成を主たる目的として創立されたのが1636年とのこと。

入植からわずか6年、大西洋を越えてやってきた人びとが、ようやく自分の住まいや耕作地を整えることができたかどうか、というときだ。

当時のピューリタンの考えによると、牧師は大学教育を受けていなければならなかったので、どうしても植民地に自前の大学を設立する必要があったとのこと。

ただし、学んだのは聖書の解釈に必要な知識だけで、神学ではなく、まして特定教派の教義でもない。

その意味では、初めから今日のような一般教養大学として始まったとも言える。

 

そのごく初期の卒業生のうちに、一人の先住民(インディアン)がいた。

1646年前後にノーエップ(マーサズ・ヴィニヤード島)で誕生した、ワンパノアグ族のケイレブ・チェーシャトゥーモーク。

 

それを元にフィクションに仕上げられた。

ケイレブを部族から引き取った聖職者の娘ベサイアの語りで綴られる。

ベサイアは自分の意思をもつ利発な娘だが、当時の女性は男性同様に学ぶこともできなかった。

 

ケイレブとベサイアは先住民と女性であり、抑圧された立場にあるという共通点がある。

共に不自由な生活を強いられるが、精神的には自由だ。

権力におもねることなく、常に自分の頭で考え行動する。

そして二人とも知識を他者のために役立てようとする。

ベサイアは島にいたころから生活の知恵を積極的に身に付け、これが後々重要な場面で役立つ。

ケイレブは知識を手に入れることにより、先住民とイギリス人との架け橋になろうとする。

 

偏見や固定観念、差別……時代がかわっても、なくなっているとは思えない。

 

 

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