ま、いいか

日々の徒然を思いつくままに。

一刀斎夢録(いっとうさいむろく)

2012-01-13 11:23:52 | 
浅田次郎。
2011年1月10日、文藝春秋。

一刀斎、逆さに読むと斎藤一。
藤田五郎という名で警官になり、長寿を全うした。
新撰組三番隊長。そもそもは山口一。

帝国近衛兵、剣に秀でる梶原が夜な夜な斎藤一の回想を聞く。

斎藤一と言えば「るろうに剣心」の絵を思い出す(笑)
しかも巡査姿の彼を~

上巻 p178
 おのれのことはわからぬものよ。おのれの顔が見えぬのはおのれひとりであると同じに
 おのれの気象はおのれひとりが知らぬ。

上巻 p182
 おのれの欲せざるところは、人に施すことなかれ、か。
 おのれを先にして人を後にすることなかれ、か。
 おのれに克ちて礼を復む(ふむ)、か。
 いちいちもっともであるな。武士道なるものは畢竟、無私の精神にほかならぬので
 あろう。死ぬことと見つけたり、というはつまりその滅私奉公を言うておるのだが、
 多くの武士は真意をはきちがえて、死に急いでしもうた。(中略)まずおのれを滅して
 民草に仕えよということが、すなわち武士道であった。
 お国のために死するが誉ではない。滅私奉公の結果として、生くるも死ぬるも可と
 するのが軍人の本分である。

上巻 p271
 勝ち負けというはの、命のあるなしのほかには何もない。戦場であれ日々の暮らしで
 あれ、それは同じじゃ。命ある者が負けたと口にするは、たとえであっても真相では
 なかろう。生きておるくせに負けたなどと言うてはならぬ。

下巻 p121
 世の中には、おのれの目で見えぬただひとりの人間がいる。どれほど勘がよかろうと
 視力がすぐれていようと、これだけはけっして見えぬ。ほかならぬおのれ自身じゃな。
 それはみめかたちばかりではなく、気性や中身についても言えるであろう。おのれ
 ばかりがおのれに見えぬのだ。

下巻 p125
 くやしがるだけでは人は堕落する。そのくやしさの根源を考えよ。理知が感情に
 先んじてこそ、人は成長するのだ。

下巻 p194~
 西郷と大久保は盟友どころか骨肉の仲、とうてい征韓論ごときの賛否によって
 袂を分かつはずはない。(略)
 そもそも、征韓論そのものからして、あの二人のでっち上げじゃろうと思う。
 御一新の大業を見事になしえたあやつらが、あれほどお粗末な議論の末に
 決別するものかよ。
 二人きりで大音を設え、幾年がかりの大芝居を打った。
 徳川の世は倒したが、維新は成ったか。いや、まだしじゃ。不平士族を何とする。
 また、徴兵令によってかき集めた百姓ばかりの軍隊を何とする。維新の大業が成るか
 成らざるかは、およそこの二つの悩みの解決にかかっていた。
 一見して、征韓論はその解決方法と思える。しかしどう考えてもお粗末に過ぎるわい。
 むしろそれを契機として西郷が下野をし、叛乱によって一挙に二つの難題を解決する
 という絵図を描いたにちがいない。
 西郷が征伐されれば、不平士族らは武力に訴えることの愚かしさを知る。そして
 百姓ばかりの軍隊にとっては、その実力を試し、建制のいかなるものかを知る
 絶好の機会となろう。いわばこの大演習を経て、帝国陸海軍は国軍として確率する
 のだ。
 わしはあの二人を知っておる。大久保は細密な頭脳を持ち、西郷には卓越せる先見の
 明があった。それら個性を考え合わせれば、答えはほかにあるまいて。日本の現状と
 未来とを、あやつらはこの一戦に賭した。御一新の大業が成るか成らざるかは、その
 大芝居にかかっていた。

下巻 p371~
やつの末期のつぶやきを、わしは忘れぬ。
「かたじけのうございました。生きて下さい」
それですべてがわかった。(略)
 殺すは易く、生かすは難しいのじゃからの。生き残ったわしは負け、死んだ鉄之助は
 勝ったのだ。
 百の命を奪うた末に授かる奥伝とは、すなわちそれであった。


如何にも浅田次郎だなぁと思った。
機関車に語らせた「マンチュリアンリポート」を連想した。
心地よい読後感。
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