ある記憶

遥か遠くにいってしまった記憶たち

木下杢太郎にふれた

2010-05-05 07:39:00 | 
木下杢太郎。
名前だけは知っていましたが、その人の息遣いに触れたのは初めてでした。

旅行のついでに寄った伊東。海の近くにひっそりたたずむ記念館へ。
彼の生家がそのまま残っておりました。




彼の詩を一編。


むかしの仲間も遠く去れば、 また日ごろ顔あはせねば知らぬ昔と変りなきはかなさよ。
春になれば草の雨、三月桜、四月すかんぽの花のくれなゐ、
また五月には杜若(かきつばた)、花とりどり、人ちりぢりのながめ。
窓の外のいり日雲。


彼は明治、大正、昭和を生きた文学者であり画家であり医者でもありました。

与謝野鉄幹、晶子らの「明星」に参加し、北原白秋や石川啄木ら詩人との交流を深めた。
やがて「スバル」を創刊、高村光太郎らと「パンの会」を結成もした。
彼の師は森鴎外だったらしい。


訪れた時には「杢太郎の顕微鏡画」の特別展が開催されていました。
顕微鏡で見た細菌の様子を繊細な筆致で絵模様にしていました。
彼は医学者でもあり東北大学や東京大学で教授として研究に勤しんだようです。


店内には彼の手による「百花譜」も数々展示されていました。
画才豊かな彼の別の側面です。
ほとんどが横ケイの医学用便箋に描かれています。
戦時中で紙不足のためだったのでしょう。
それにしても細やかで上手でした。
これは彼のライフワークで872枚にものぼります。


彼の描いた肖像画に魅せられました。
(画像をはれなのが残念です)


こんな海辺の町からも才能というのは生まれるものかなと、
妙に感心をしてしまいました。




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