TAMAちゃんダッシュ

愛犬タマとマル民の私の毎日です

風とRAINBOW

2007-03-10 | 言霊
アルバムレビューは書けなくともシングルぐらいは頑張ってみましょう。
とはいえ、すでに半月以上経過していつの話だよという感じもありますが。
時期が時期で焦燥感すら感じさせるような追い立てられる感じで、余裕がなかった私はとても解釈なんてできなかったんですが。

最初聞いた時から気になっていたフレーズはサビ部分の
「暁に背をむけて」の部分。
以前の作品fill away籟・来・也 と同様に風の中でも優しい風ではなく、強い厳しい風を思い起こさせるんです。

この風とRAINBOWの中でも風が吹いているのですが柔らかい風ではなく向かい風であり人の思いとは別に吹く風であり、その風の中を理想としている世界の中へ出発しようとしているわけですから、月のない暗闇の世界、暁の時間帯直後でないとならないわけです。強靱な意志を持って暗闇でありながら自身の温もりで暖かだった優しい場所を後にするわけです。

これ以上ないほどに攻撃的にならなきゃとてもやっていけません。
実際にミュージック・フリーク・マガジンの中でもこの作品は攻撃的に挑発的にとボーカルの中村由利さんも言っているようですし。

歌詞を読みすすめていって気になったのはメタルハートと機械式。
無関心で何も感じないのが楽であるのとは裏腹にそうでない自分を求めている。

何かを求めている自分の弱さを晒さないように多くの人が強い自分を見せかけようとしている。
風と渡っていく世界は自分という存在を一瞬にして呑み込んでしまうような虚構の世界だから自分を守るのか、
本当の強さは他者に見せつけるためのものでないから表面に出さないのか。

出発の多くは明るいものではなく、明るくあって欲しい未来に望みをたくして進むものだということを感じさせてくれる作品のように思いました。

こんなだから両A面シングルのもう片方に
この手を伸ばせばを置いたのかもしれないとかも感じました。
あちらはAZUKI作品の中でもシンプルでいて優しい心の在処が別れの時にあっても
感じさせるものですから。

それにしても。。。(一枚しか購入していないけど)特典ステッカー(コワイものみたさでクリックしてみる?)を頂きましたが、あれは何とかして欲しかったですね。何かGARNET CROWのイメージとかけ離れています。

リンク集

2007-01-27 | 言霊
リンク集を整理しました。
HNの五十音順になっています。敬称は何となくそうなっています。
是非、他のブログのお友達のところへも訪ねてみてください。

ランプの光の下で…akiさん

美女と野獣と☆…あせんどさん

黎明彩香_Blog…浮草さん

th’anks-giving day…umeちゃん

えんばたけ…enさん

風と友達…風さん

~華暦~あなたの居場所わたしの居場所
                 …Kyoko♪さん

幸せの雲と整体師…金星さん

His Voyage…コブすけさん

GARNETMOON…こぼっちさん

お気楽ガーデニング…サザエさん

フローリスト シュエット…シュエットさん

ジュモン’絵ブログ…ジュモンさん

じゅりりんのめげずにいくのだ…じゅりりんさん

JPC…Saintさん

うさぎのつぶやき…チェリーさん

英語生活ノおト+α …てっちゃん

トホホなおやじのから元気…とほさん

筑豊の一日…トミーさん

七変化ママともちゃんのしゃかしゃか日記…ともちゃん

びたみん園芸…にんママさん

バンダナーズ…ネイビちゃん

はーちゃんの気晴らし日記…ha-chansanさん

花師のここだけの話し…花師さん

ほろ酔い日記…花とおじさん

つれづれ雑記…ハナミズキさん

週刊金曜日な日々…habiさん

読んで楽しい早起きblog…早起きさん

はるかのひとりごと。…はるかさん

お茶の時間です。…晴れの海さん

bupureのお気楽日記…hinahinaさん

Fleuro et Musica…BOUM!さん

☆★Peek-a-boo★☆…ほりかぅちゃん

ダメ店長の~こんな日も~…まっす~さん

お散歩日記…まめしばさん

今日もミーハー日和…みかんずさん

ユーリャの眼…ユーリャさん

バラ農家の私が作るバラのアレンジ…ユイマールさん

ねことカメラとバンクーバー…りこらさん

4ひきのねこ…ローズマリーさん

HP作成

2007-01-16 | 言霊
 会社のHPをやっとこさ作成することになりました。
 簡易版であるのでブログに毛の生えた程度の大枠が決まったものになりますが、ようやく辿りつけそうです。
 会社概要や新着ニュースなどどのような文面にするのか結構考えるのに時間が必要です。
 1月前から2月には取り敢えずの大元が完成すると思います。その際には見にきてくださいね。ブログの更新はまた(またかい!)ボチボチとなりそうですが宜しくお願いいたします。

ロニーのメッセージ

2006-12-18 | 言霊
著名人を何かを意図して使うことには構えてしまう私ですが今日のネットの記事はありがたいと思った。

「生きろ、生きろ」 ロナウジーニョ、日本の子供に色紙 (asahi.com)

日本サッカー協会がトヨタ・クラブワールドカップで来日しているバルサのロナウジーニョに依頼したものだが、きっとこんなメッセージを贈ることなら彼も快諾したでしょう。

人種や民族、宗教も超えてきっと誰もが同じ思いを持っているでしょう。

「生きろ、生きろ、生きろ。強くあれ。自殺なんかするな」

「絶対に夢をあきらめるな。君の人生を精いっぱい生きよう」

「人生は美しい。心にたくさんの喜びと愛を持って生きよう」


ロニーや皆の思いがたくさんの子どもたちに届いて欲しい。



GARNET CROWベスト10

2006-12-18 | 言霊
ブログのお友達のてっちゃんも記事として取り上げられていましたので、私も乗っかってみます。

楽曲もそうですが+αの記事でてっちゃんがおっしゃっているように歌詞の一部がやはり鮮明に残り、そこを口にしたいんですよね。サビの部分ではないことが多いです。楽曲全体から広がるイメージでは「まぼろし」と「マージナルマン」は自分の中では抜きん出ています。「まぼろし」は心の拠り所的な大切な何か、「マージナルマン」は生き方としてこうありたいとか思う作品です。2つの作品とも何故か大好きなトレネが浮かんでくるのが不思議なのですが…

では、曲名と歌詞の一部を

1.まぼろし
 幼い日々にみてた夢のなかにもう辿り着けないこと何処かで知ってる

2.マージナルマン
 見たこともない花の種咲かせた
 
3.もうちょっとサガシテみましょう
 今もなおしがみ付くこの世は輝いてます
 
4.たとえば12月の夜に
 懐かしいものばかり輝いてみえる時は新しい何処かへいく始まりと
 
5.Yellow Moon
 もうずっと探しているね最後の優しい言葉
 
6.永遠をかけぬける一瞬の僕ら
 もどかしい位感じてた距離も呼び合って引き寄せる
 
7.Holy ground
 与え続けることでしか満たされない聖地へ辿り着こう
 
8.忘れ咲き
 ただ好きでいるそんな風にずっとね思っていれたら…

9.雨上がりのブルー
 偉大な生命力(そこぢから)だね

10.晴れ時計
 会いにいくよどこにいても君がまだ望むなら

 なおこの順位は新しい作品が現れることによって動きます。
 2006年12月18日現在のGARNET CROWベスト10となります。

たとえば12月の夜に

2006-12-01 | 言霊
冬こそ仕事。冬こそスタートの季節です。
また脈絡のないことを言い始めたと思われるでしょうが、至って大まじめな話です。

 一年の総まとめの時期は終わりの時期でもあり、日本の四季の中では冬はイメージ的に停止期にあたります。1月は一年の始まりでもあるので停止のイメージは私の中では12月限定なんです。日中は喧噪とイラチな私ですらかき立てられる焦燥感とでやたら空騒ぎ。体を休める時間までは続きます。でもその時間を過ぎると夏の夜のように朝まで賑やかな感じはなく、空気の冷たさと静寂とがあいまって人間の活動が停止しているような時間帯がやってきます。でも夏の朝は静かに始まりますが冬は明けるのが遅いのでいきなり忙しく次の朝が始まるという感じです。

 昨日、悲しい出来事がありました。学生時代の同級生の突然の死。
 自分の中で整理はなかなかできそうにありませんが、同じように悩み死を悼み愚かな行いに走ってしまったご主人の方の同級生の方からmixiの方ではメッセージをいただいたりもしました。
 人間、程度や種類は異なりますが皆、一様に悩み、少しでも良い未来がやってくるために頑張っています。今回の悲しい出来事を忘れずに自身も他者もともに進んでいける道を探し続ける旅は、一つが終わりを迎えても終わることがないのです。新しいどこかへ行く旅立ちをするのです。

 自身の力で終わることのない旅を一年の終わりに始めようとするGARNET CROWの作品「たとえば12月の夜に」を聞きながらまた始まる毎日のことを考えてみましょう。

 読みかけのNEWS放りだして
 賛美歌流れ出す街に出たんだ
 君のいない隙間うめるような
 何かさがしてたかもしれない

 やっぱそうだ どんな騒がしくても
 なんとなく誰かと過ごすのは やりきれない

 懐かしいものばかり輝いてみえる時は
 新しい何処かへゆく はじまりと
 君はまだあの頃のまま 無防備に歩いてますか
 たとえば12月の夜に

 絡まってはもつれてゆく人の
 思いとかすのも人だけれど
 
 12月は取り繕った感じがちょっと否めなく
 なんだか好きになれない
 
 アベ・マリアその意味を知らないで歌いながら
 過ごしたあの日々ならもう遠い
 それでも振り返っては行く先さがそうとする
 たとえば12月の夜に

 なくしたモノばかりが輝いてみえるのなら
 新しい何処かへゆく時がきた
 なぜかなその強さが 少し悲しく見えたんだ
 たとえば12月の夜に


 春や秋の気持ちの良い季節より夏や冬の方にAZUKI七さんは特に思い入れが強いように感じるのですが。夏は夏という季節を純粋に楽しみ他の季節のことに思いめぐらせながら、歩みをとめようとする冬の時期を好んで仕事をしているような気がするのは管理人だけでしょうか。

 終わりに始めるということは終わりがない事をも表現していて、それが日常として連なっているのでしょうか。いつだって新しい気持ちで何かを求めていたい。人間の自然な姿だと思います。色んなことを乗り越えて続く毎日のためにより自分らしくありたい、そうとても強く感じました。

  


夜の港のボサノバ

2006-11-06 | 言霊
 溜まっていたお話の中で、何から書き始めようかなと色々と考えましたが、私にとってもっとも大きな出来事はある人の訃報でした。コンサートには行ったことはありますが実際あったことはありません。
 ポール・モーリア。イージーリスニング界の巨匠でした。フランスマルセイユ生まれの親日家。享年81歳でした。

 高齢のためもう随分と前から来日公演はなく現在は別の人が楽団を率いて公演をしています。モーリア自身は指揮者で楽団のサウンドにさほど影響がないのではないかと思っていましたが、彼が一線から退いてから何だかイージーリスニングに対する熱はすっかり冷めてしまいまいました。
 その後は洋楽全般やマシアスやエアロビクスの関係でダンスミュージックへ移行。しかしながらスンナリと移行できた理由は実はモーリアのアレンジで洋楽を聴いたからなんです。アレンジした楽曲を好きになり、だったら原曲も聴いてみたいとか思い始めたんですよね。
 いくつかそんな例をあげてみると
 「渚の誓い」「I can’t wait forever」/エア・サプライ
 「愛の翳り」/ボニー・タイラー
 「マイ・ウェイ」/クロード・フランソワ(シナトラではありません)
 「ラ・メール」/シャルル・トレネ 
「悲しみのソリティア」/ ローラ・ブラニガン
 「サンシャイン」「心の愛」/スティービー・ワンダー
 「ワン・オン・ワン」/ホール・オーツ
 「今夜ちょっとさ」/チャゲ&飛鳥
 「恋はみずいろ」/ビッキー
 私の原曲探し遍歴はポール・モーリアがアレンジを手がけたことにより始まり、音楽もジャンルを問わず聴くことになったのです。

 オリジナル曲もたくさんあります。「想い出のトッカータ」や「I LOVE BREEZE」などとてもメロディが美しいです。変わったところでは電波少年か何かの番組で取り上げられた「猫なんだもん」や阪神大震災後にレイモン・ルフェーブル、フランシス・レイ、フランク・プウルセルとの4人で神戸の人々のためにとつくられたアルバム「カルテット・フォー・神戸」。
 とにかく音楽が生活の中に自然に存在していたのはポール・モーリアの存在があったからなんですよね。

 アルバム「ラブ・サウンズ・ジャーニー」の中に収録されている「夜の港のボサノバ」も神戸の夜景をうたった作品です。震災前の明石海峡大橋がかかる前の神戸です。広島にいながら明石や神戸のことを思っていた当時のことをよく思い出します。
 大切な風景も音楽によって今も私の中で守られているのですよと星になった彼にどうか届いていますように。

ご冥福をお祈り致します。

北窓

2006-09-28 | 言霊
北の窓から見える澄んだ秋の星空からどんな美しい物語が始まるかと思われた方も多いと思います。

申し訳ない! 
これは「おはぎ」の話。
ラジオを聴いていると「おはぎ」と「ぼたもち」の違いの話をされてました。

「おはぎ」 …「萩の花」にかけて秋のお彼岸の頃に食べるから
      もち米、うるち米を混ぜてつくられ全体がつぶ状
「ぼたもち」…「牡丹の花」にかけて春のお彼岸の頃に食べるから
      もち米だけでつくられ完全に餅状態になっている  などなど

では何故「おはぎ」の事を北窓というのか。
それは北の窓からは星は見えても月は見えない←おはぎを突い(月)ているのが見えないからなんですって。風流じゃないですか。
ほか、夜船←夜の港にいつ着いた(突いた)かわからない、とか、隣知らず←隣の人が知らないうちにつくの意などがあります。
いずれも美味しい「おはぎ」を作っているのを誰にも知られず秘密にするという事や見えないことにかけているようです。

秘密主義の私(どこがっ!!)にぴったりでしょう。

「おはぎ」でも「ぼたもち」でも能書きはいいから早くおくれってタマがあっちの方で叫んでいます。
     

まぼろし

2006-09-13 | 言霊
いつか辿り着く情景というのは皆同じ淡い色の思い出なのでしょうか。
一番大切な景色はいつも同じ景色。
早瀬の青や焼かれた空も灰色を帯びている。

波音のしない穏やかな海を見ているだけの自分。
波音だけでなく何も聞こえない。

心は黙って忍び込みたいと思っていても届かない。
そこに続く帰る道の存在を
決して確かめることができないと
わかっていても思い出してしまう弱さは何でしょうか。

毎日、生きて生きて生きて
いつかその情景にとけ込んでしまいたい。



 同調シンクロしてしまってどうしようもありません。
いつもなら伝えたいことを自分なりに解釈して書き残すことができるのですが…

 GARNET CROWの23枚目のシングル「まぼろし」で綴られている言葉は解釈する余地がないほどに私の心の中にもある大切な部分を表していて、音楽を聴いただけで想いも言葉も溢れ出しそうです。
 作品を聴いただけで涙が出てしまいそうになるのはこれまでただ1度しかない。
 シャルル・トレネの「ラ・メール」と同等に心の奥底から何にも残らず掬い取っていまいような作品がよもやJ-POPの世界に存在しようとは…
 このような作品を表してくれたことに深く感謝したい。

EDEN

2006-08-23 | 言霊
 8月16日にGARNET CROWの22枚目のシングル「今宵エデンの片隅で」が発売された。
 3か月連続リリースの意味を考えながら、そして前作「夢・花火」との連動性も考えながらのレビューなのだが、正直今回は悩みました。歌詞をみるまでは今作を次のように考えていたんです。

愛が消えても残る何かがあり
夢が消えても残る何かがあり 
その事を身をもって解するために愛を知る旅にも出ようとするのでしょうか。
 
Ti amo(愛している)と言葉にして
情熱のままに求め、愛を知った後は
約束の地で愛をゆっくりと育もう
 
 「今宵…」はそんな愛を熟成させることを歌った作品なのだと思っていたんです。
 毎回のように言っておりますが、メルヘブンは管理人の住まう地域では随分と遅れて放送されており、現在のエンディングは愛内里菜の「ミラクル」ですからどの部分が抜粋されて流されているかなど知るべくもないんです。調べればわかることなんですが、かえって興醒めのような気もしますしね。そしてAzuki七の世界を表現する部分は主題歌としては当然流されているべくもないことも、これまでの流れから何となく想像できます。そして楽曲全体として彼女がみつめる先に辿りつくまでには一ひねりある。それがこの作品のような気がするのです。

 彼女の作品では思い描く理想の世界に達するために、儚さや人の理ではどうにもならない無常感を感じます。この「今宵」では

正しさのベクトルなんて簡単に変わる
愛は偉大なる原動力だって


 ベクトルは人間の決めた物差しではありますが、はかる人によっていとも簡単に価値観が変わる。不変なものなんて無い。でもその器を愛ではかると言ってしまうところが今回はひねってあると感じた箇所ですし、それを楽曲の最初のところでもってきたところが意外でしたね。
 ところがです。これまでの作品だって愛を歌ってきた作品はあったのですが、ふとしたところで出逢い、分かれ、それでも永遠に残る形がありととても自然体だったような気がするのですが、「今宵」はちょっぴり艶めかしい、生々しい恋愛模様が見てとれたような気がするのです。

淡い心をつないでスパークする とか…
多くを望めばいつも満たされないことがわかっているが、
わかっていても求めてしまう とか…

 もっと直接的に
僕にも愛をください とか…
付け入る隙を逃さない とか…

恋愛はどこかクレイジー(狂気)ですからね。

 そしてどういう結末かはそれぞれで異なりますが、終焉は必ずやってきます。
 思慕の情が実らなくて失恋、成就したとしてもその時の恋愛感情は形を変えて違ったものになってしまいますから。

 愛は偉大なる原動力の部分は
自分はさておき他人さまの恋愛を冷めた目で見ていて(悪趣味)
 いろいろと実感してきましたからね。
 多分、これ女性にしかない恋愛観だと思いますけど…
 (自分の恋愛と他人の恋愛を比較する恋愛観)
 男性の方が純粋ですから。

 と、生々しさ、艶めかしさを感じたのは解釈した私に問題が大ありなだけなのかもしれませんが、七さんがいかに思って創り出したのでしょうか。

 そして最後に
 艶めかしさを払拭できなかった理由は実は「今宵」のPVにもあるのですよね。
 あの映像を撮したのは聞いたところによると神戸の「K女学院」らしいです。「K女」は地元の人間に言わせると超お嬢様学校で知られています。
 そんなお嬢様といえども恋愛は「イケイケドンドン」(バブリーな時代の死語らしい)
 チアのお嬢ちゃんたちもみんなの恋愛を応援してくれているのです。

 こんな俗物的な表現を異なった言葉で表現してくれたと思っていいのでしょうか。
 何だこのレビュー!?ファンの皆さまごめんなさい。
 そして誰か別の解釈を私に教えてください。

 ほんとは「エデンの園」や「エデンの東」のように惑わされて突き進んでいると突き落とされる運命が待っているのだと、この作品の最後の部分でも感じ取れるのですが…
ただし、突き落とされたとしても本来あるべき姿に戻ることが人間にはできるとわかっているから、とにかく迷っても頑張れとエールを贈っているのだと感じてしまうのはファンの贔屓目でしょうか。