母音、子音、音節のはなし

何度か「英語の音声の基本パターンは子音+母音+子音で、日本語は子音+母音が基本」という話はしており、わかっていることを前提に話を進めていたきらいがありますが、調べてみるとまったく解説していないことが判明。おそまきながら…

さて、母音と子音ですが、口を開いて発声するものが母音、閉じて発声するものが子音、別の言い方をすれば「あいうえお」は母音、それ以外はすべて子音です。たとえば「て」という音ですが、ローマ字表記するとtetという子音とeという母音から成り立っています。音節には様々な定義がありますが、非常に雑駁に行ってしまうと「一つの母音を中心とした一連の音の集まり」です。先ほどの「て」ですが、子音一つと母音一つで成り立っていますので、これで一音節です。

ここからが英語の音声と日本語の音声の比較ですが、まずgapという言葉で見てみましょう。英語の場合はgという子音、aという母音、pという子音、これでひとまとまりですので、子音+母音+子音の一音節の言葉です。英語の基本パターンですね。日本語風に発声してみるとどうでしょうか?「ギャップ」、ローマ字表記にしてみるとgappu、母音が二つ含まれていますね、ですから子音+母音、子音+母音の二音節。

極端な例ではturtle。英語では母音が一つのため一音節(最後のeは発音しないため)ですが、日本語では「タートル」、taatoru、なんと母音が三つも含まれていますので三音節になってしまいます。

ギャップ、タートルとも原語にはない母音が日本語では含まれてしまいます。「ん」以外子音で終わることはまずありません。必ずと言っていいほど子音は母音を伴います。だからどうしても音節が多くなってしまいます。

こう説明すると先日のミュージシャンから見た英語と日本語の違いがご理解いただけるのではないでしょうか。またいかに英語らしく発音するか、聞こえさせるかの4)、「日本語は必ずと言っていいほど子音+母音で構成されますが、英語の場合子音のみで終わる場合が多い。なんとか(意識して)母音を発音しない努力が必要、たとえばtはtoではなく、しいて言えばトゥ」もお分かり頂けると思います。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ミュージシャンから見た英語と日本語の違い

英語生活ノおト 第3巻> 英語の発音> ミュージシャンから見た英語と日本語の違い


テレビをつけたら、たまたま関ジャム。吉川晃司さんと古田新太さん、サンドイッチマンがゲスト。なぜあんなに崩して歌うのかという質問への吉川晃司さんの答えと古田新太さんのフォローが興味深いものでしたので要約をアップ。

吉川さんによると英語は音が続くのでグルーヴ感が出しやすいが、日本語は音が区切れるためグルーヴ感が出にくい。そこで自分としては歌詞をある程犠牲にしてもグルーヴ感重視で崩して音を繋げている。聴き取り難いのは十二分承知。歌詞カードを参考にして欲しい(笑)

それに対する古田さんのフォローが素晴らしい。音符一つに対し英語は一語だけど日本語は一音、そこが日本語で洋楽を歌う難しさだと。

なるほど。

このブログでも以前「英語の音声の基本パターンは子音+母音+子音ですが、世界の言語はそうとは限らない。日本語は子音+母音が基本ですので、おおむね母音で終わりますし、イタリア語やスペイン語も語尾が母音で終わることが多い。じっさいスペイン系の人は日本人に近い英語の発音をすることがあります。」(変わりつつある英語の世界(続々))などと書いたことがありますが、「音が区切れる」、「音符一つに対し一音」のは実は、この、日本語の子音+母音の基本構造にあります。

例を挙げてみましょう。


の部分確かに一音一音符ですね。これを英語に直すと、単純にFlowers of Apple Treesじゃあ、音符4つにしかならず、やむを得ずIt blew in the wind and apple blossomてな風に語数を増やすというか、まったく別の歌詞を当てるとか、大変なことになります。スローな曲ですので日本語がうまく乗っかっていますが、吉川晃司さんのようなアップテンポの曲は確かに大変だろうな、と思います。

「音符一つに対し一音」か、いい話を聞きました。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

えーご弁語彙追加

弘法にも筆の誤り  Even Homer sometimes makes nods [ノッズ]. ノッズはノッド、チョンボとか動揺の複数形。ホーマーは『イーリアス』と『オデュッセイア』で有名なホメロスの英語読み。映画NANAで伊藤由奈扮するTRAPNESTのボーカル、レイラが珍しく演奏をミスった蓮(松田龍平)にかけた言葉。どう見ても東洋人の伊藤由奈の完ぺきな英語に度肝を抜かれたの、ふと思い出しました。それにしてもよく似ていますね。「弘法にも筆の誤り」という成句の成立時期が不明ですが、近年のものだとすると「ホメロスにさえ駄作はある」を翻訳した可能性さえありそうな。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「スポットライト 世紀のスクープ」の舞台

「スポットライト 世紀のスクープ」見ました。以前住んでいたボストンが舞台。

ボストンが舞台の映画は以前には1994年のジェフ・ブリッジス主演の「ブローン・アウェイ」がありました。これはボストンで見ました。ジェフ・ブリッジスは「キングコング」にも出ていましたし、大変多くの映画で主役級を務めている割には『ハリウッドで最も過小評価されている俳優』に選ばれり、「クレージーハート」でやっとアカデミー主演男優賞を受賞しています、その時おん年既に60歳でした。

さて、「ブローン・アウェイ」の場合には、なんだあそこで撮っているのかという親近感でしたが、20年たった「スポットライト 世紀のスクープ」は、今となっては懐かしい風景がふんだんに登場、おもわず何度かクスッと。

何度か映し出されたプルーデンシャル・センター(右)とジョン・ハンコック・タワー(左、独立宣言に署名したジョン・ハンコックの祖先が設立した保険会社のビル、ついでにプルーデンシャルも保険会社)。ボストンは平地で、風致保存地区も多く高い建物がないため、遠くからでもこの二つのビルは目立ちます。カーナビなど無い時代、遠方からボストンに戻るにはこの二つのビルを目印にしたものです。若干ジョン・ハンコック・タワーの方が高いですが、プルーデンシャルの展望階は360度見渡せるのに対し、切り口が三角形のジョン・ハンコック・タワーの一片は展望できるように作られていません。(写真は家にあったポスターから拝借)


コプレイ・スクェアのトリニティ・チャーチとボストン・パブリック・ライブラリ(ここのシーンは結構多かった)、チャールズ川沿いの道路であるストロー・ドライブ、オールドサウス・ミーティングハウス(旧オールドサウス・チャーチ)の隣には勤め先があったオールドサウス・ビルディング、その向こうには大観光スポットのオールド・コーナー・ブックストア。チャールズ川沿いのバックベイ(というか、多分フェンウェイ・パークの裏あたり)はよく散策しました。当然フェンウェイ・パークもばっちり。あのグリーン・ジャイアントも。スポットライトというコーナーの主幹ロビー(バットマン俳優のマイケル・キートン)の出身校はBC校、明らかにアメリカン・フットボールの名門校ボストンカレッジ。

アメリカより帰国後、イギリスのケント州に旅行したとき、何故ボストンやその近郊がニューイングランドと呼ばれるか、やっとわかりました。町並みや田舎の風景がイギリスと大変似ています。故郷をしのんで同じような町並みを作ったのでしょう。

残念ながらボストングローブは購読していませんでしたので、スポットライトというコーナーは知りませんでした。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

これだけ覚えればもう文型は忘れてもいい

英語生活ノおト 第3巻> 超実践英文法> 

以下のたった25動詞で第2、第5文型を取る動詞はすべて網羅、第4文型を取る動詞も主なものは含みます。ゴマンとある動詞の残りは単純な自動詞か他動詞。さあ、もう、文型は忘れて、丸暗記してください。きっと役に立ちます。



Mary asked John a favor.
He appeared well.(彼は調子が良さそうだった)

He became sick.
I believe him (to be) a honest man.(彼が正直者だと信じている)
My aunt bought me a dictionary.

My husband always cooks me a breakfast.

They elected him chairperson.(彼らは彼を議長に選んだ)

I found him (to be) a good husband.(彼はいい亭主だとわかった)

I gave John a book.
The tree grew [グゥルー] thin.(その木はやせこけた:grewgrowの過去形)
He got angry.

I will have somebody take care of your bags.(誰かに貴方のカバンの面倒を見させる=誰かに貴方のカバンを預けよう)

This book is five dollars.

Don't leave the light on.(灯りをつけたままにしないで下さい)
She looks very busy.

She made her daughter a new dress.
You make me very mad.(貴方は私を怒らせる=頭にくる)

Mary named the dog Poppy.(メアリーは犬をパピーと名付けた)

John showed Mary a letter.
This eraser smells nice.(この消しゴムはすてきな匂いがします。)
That sounds teriffic. [テゥリフィック](それは素晴らしく聞こえる=素晴らしい)

This chicken tastes too spicy [スパイスィー].(このチキンは辛すぎます。)
I think him (to be) an honest man.(彼は正直な人だと思う)

Please write me a letter.

それぞれどの文型か、どうしても知りたい方は英語の文型のまとめ − 文型ごとの主な動詞をご覧ください。収録動詞は同じです。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

コマンド・プロンプトとドット・プロンプト

コマンド・プロンプトってご存知ですか?

次のような画面のことを言います。かってはDOSプロンプトとも呼びました。

年配の方は懐かしいんじゃないでしょうか。現在でもウィンドウズのアクセサリーの中に、コマンド・プロンプトという画面がありますが、DOSの時代はこれが初期画面。今でもソースを修正したりする場合、DOSコマンドのEditなど、使うことがありますね。DOSの場合はAUTOEXEC.BATというファイルに記述することで初期メニューを作ることくらいは出来ましたし、ウィンドウズ3.1まではこのAUTOEXEC.BATを実行してウィンドウズを立ち上げました。

コマンド・プロンプトの場合カーソルの後にコマンドを打ち込み、エンターキーを押すと実行結果がずらっと表示され、カーソルはその下に下がります。WORDなどのワープロソフトと同じ、新しい行はどんどん下に下がっていきます。

さて、こちらは?


答えが出ている気がしますが、1980年代一世を風靡したマイコン用のデータベースマネージメントシステム(DBMS)、dBaseのバージョン3、いわゆるdBaseIIIのプロンプト画面、「>」のかわりにちっちゃな「・」があるため、われわれはドット・プロンプトと呼んでいました。

このプロンプトの場合、コマンドを打ち込むと、その行はどんどん上にせりあがっていき、カーソルは一番下に残ったまま、使った経験のある方はどんどん減ってきていきますが、そう、タイプライターで文章を打ち、キャリッジリターンレバーを押した感じ。コマンド・プロンプトとは逆の動きをします。

どっちかと言えばこの動き方の方がコンピュータの歴史(初期はタイプライターがコンソールだった)に忠実な、正当な動きという気もしますし、実際いろんなOSのプロンプト画面はこのタイプの方が多いと思います。

ついでですが、dBaseはバージョン3からリレーショナル・データベースマネージメントシステム(RDBMS)となり、現在のRDBMSの基礎を作り上げています。dBaseそのものはウィンドウズとの相性の悪さや、ネットワークに弱いことなどからほとんど使われなくなりましたが、強力な内部コマンド群、ファイルのヘッダー部分にデータ構造を定義することにより、プログラムでいちいち定義する必要がないや、可変長フィールドなど、独創的、先進的なシステムで、その発想は現在のRDBMSであるACCESSやファイルメーカーなどにも受け継がれています。

たまたまこのプロンプト画面の画像をネットで発見、懐かしさのあまり延々と書いちゃいました。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

英語の文型 − 第5文型: S + V + O + C

英語生活ノおト 第3巻> 超実践英文法> 英語の文型 − 第5文型: S + V + O + C



ご連絡:2016年4月10日:引用していました武本ティモシー氏(元山口大学?)のサイトが危険なサイトである可能性を発見しました。何かトラブルに巻き込まれたような。大変勉強になるサイトなので残念です。急きょ引用を削除し、記事の修正を行いました。



いわゆる「主語」+「動詞」+「目的語」+「補語」の文型。第2文型の「主語」+「動詞」+「補語」の文形 同様、「目的語」≒「補語」と考えればいくぶんわかりやすくなります。

I think him (to be) an honest man.
私は彼が正直だと思う。

I found him (to be) a good husband.
私は彼がよい夫であることがわかった。

など、「彼」≒「正直」、「彼」≒「よい夫」であることが、明白ですね。

You make me very mad.
まったく頭にくる。

I will have somebody take care of your bags.
誰かにお荷物のお世話させましよう。(Haveは使役動詞)

なども、ごく大ざっぱにいってしまえば、「私」≒「頭にくる」で「誰か」≒「お世話をする」となります。

なにがなんだかよくわからない補語も、このように概念として理解すると、もう後で頭を悩ますこともありません。

ところで、実は第5文型 S + V + O + C を取る動詞というのは、数が限られています。これ以外にkeep、believe、nameなどがおおよその動詞、第1文型 S + V や第3文型 S + V + O に比べ、はるかに数が限られています。また、第2文型を取る動詞というのも、be動詞が余りにも有名なほかは、あまり多くありません。become、look以外にはfeel、soundなどが主な例。

「5文型廃止論」というのがありますが、そう考えていくと、解らないでもありません。管理人自身、何が何でもまず主語と動詞と強調していますが、要するに指示対象(対象語)として名詞句を必要とする動詞の場合の S + V + O 、そうでない場合の S + V が主な文型。あとは例外的と考えることだってできます。

なんか5文型を説明しつつ、不要論に傾いてきましたが、5文型説を採ろうが、2文型説を採って S + V + O + O や S + V + O + C 、さらに S + V + C を S + V + O の例外と見ようが、つまることろ、それぞれの動詞がどのような使い方をするか、が肝心ですね。何を言いたいかですって?第2文型という言葉は忘れても結構ですが、

Are you sure if (whether) John is coming with us?
ジョンは本当に私たちと来ると思いますか?

という例文をしっかり覚えておくことです。


(初出2006年03月15日)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

英語の文型 − 日本語との比較(2)

英語生活ノおト 第3巻> 超実践英文法> 英語の文型 − 日本語との比較(2)



ご連絡:2016年4月10日:引用していました武本ティモシー氏(元山口大学?)のサイトが危険なサイトである可能性を発見しました。何かトラブルに巻き込まれたような。大変勉強になるサイトなので残念です。急きょ引用を削除し、記事の修正を行いました。なお、(1)を先にお読みになることをお勧めします。



二つ目の大きな違いは英語は遠心的(centrifugal)であるのに対し、日本語は求心的(centripetal)であることです。つまり、英語は核心から入り、理由、背景説明、補足はそのあとに拡がる。日本語は理由や、背景説明から入り、核心に近づいていく。例えば関係代名詞ですが、「〜ところの」、より、「それは〜である」と、補足的に用いることが圧倒的に多いと思います(具体例は「線香読みのすすめ」各記事で取り上げています。)

また、欧米人は日本人よりストレートだとか、自己主張が強い、などよく言われることがありますが、同じ人間、アメリカ人にも消極的な人がいると同様、日本人にも自己中な人はいますし、一概にそうとは言えない面もあります。ただ、英語の遠心的な構造が欧米人をストレートにしたともいえる反面、ストレートだからこそこのような言語が発達した、とも言えそうです。つまるところ、文化と言語は複雑に影響しあいますから、どちらも正しいのでしょう。

さて、英語の遠心性というものは、英語の構造に強くかかわりがあります。以下の図式で見てみましょう。


英 語: 主語     動詞     (対象語)
日本語: (話題・主語)(対象語)動詞


ここでもう一度前回紹介の5文型を思い出してみましょう。確かに、どの文型も最初が主語、つづいて動詞、という共通点があります。これと比較して日本語の場合、主語やら、話題やら、対象語(目的語など)がきて、やっと最後に動詞。動詞を中心に見れば英語の場合お尻でっかち、日本語の場合頭でっかち、ちょっと英米人と日本人の体型比較に似ていますね。

つまり、このような構造をとる英語は、言語そのものが遠心的であるともいえるでしょう。

ここで一番大事なことは、英語の場合、何が何でもまず主語と動詞、ということ。

これって、当たり前といえば、あまりにも当たり前ですが、肝に銘じておくと結構役立ちます。例えば英語を読む場合など、だいたい文の最初の方に主語と動詞が、それも比較的近い位置関係にある、と推測してかかるのが一番正しい。そう、まず主語と動詞を捜す。一見複雑そうな文章でも、まず、主語と動詞をマークする。あとは全部「飾り」と思えばいい。

また、英語を話す場合でも、「‥‥‥‥と言うわけで、‥‥‥と、思います」なんて、とてもそのままでは英語には直せません、一度「‥と、思います、何故なら‥‥‥」と、頭の中で書き換える、極端な場合、とりあえず「‥と、思います」と言ってから、あとのことは考えるなど‥‥あ、英米人のレスの早さ、どうもこうやっているとしか思えませんね。だって"I do not think so"までは素早いのですが、"because"以降は、well,..you see,..as you know,..wellてな具合で、結構時間稼ぎしていますからね。


(初出2006年02月14日)
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

上野恩賜公園の一週間

上から3月31日(木)7分咲き、4月6日(水)満開、4月8日(金)葉桜の初め、の上野恩賜公園の桜。上野は通勤ルートにありますので、遅いシフトの時はいつでも気軽に立ち寄れます。

今年は寒い日が続き、見頃が一週間ほど持続。一番見頃は2日〜3日の週末だったのでは。3日は上野は通過しましたが下車せず。7日の氷雨でいきなり散りはじめた感じですね。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ボッティチェリのこの一枚

ボッティチェリ展に行きました。残念ながら春やヴィーナスの誕生は来ていませんでしたが、ひとつの絵に釘付けになりました。「聖母子と洗礼者聖ヨハネ」というタイトル。



マリアとヨハネの母であるエリザベトは親戚関係にあります。実際エリザベトが年老いてヨハネを身ごもった際、マリアが祝福に訪問しております。(ルカ福音書1章39-56節)この時マリアが歌ったとされるのが有名なマニフィカト。(聖なる乙女マリアの頌、同45-55節)

文語体は結構かっこいい。
「わが心、主をあがめ わが霊は、わが救い主なる神を喜びまつる
そのはしための卑しきをも 顧みたまえばなり」
で始まり、キリスト教の一派である聖公会では礼拝で常に唱えます。聖公会出身である私も唱えたものです。カトリックと聖公会はそれだけマリアに対する思いが強いと言えます。

マリアとエリザベトに関する聖書の記述はこれだけであり、どういった親戚関係かわかりません。でも女性がひとりで出かけるくらいですからそんなに遠くはないのでしょう。

従いまして、聖書には一言も書かれてはいませんが、もしかしたら実際に子供時代に出会ったかもしれないイエスとヨハネ。ボッティチェリはこの作品の中でその場面を描き、背景にはそしてイエスの死を暗示させるような十字架を描いております。また、マリアの背景には薔薇の茂みが描かれ、薔薇は当時マリアの慈愛の象徴であるとともに、殉教の象徴でもあったと解説に書かれております。

一枚の絵画に誕生から復活に至るまでのイエスの半生を圧縮したような凄みと深遠さを、この絵を目にして感じました。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ノスタルジア

多分昨年秋ごろでしょうか、「ノスタルジア」という柱を建てたのは。深川江戸資料館や房総のむらを何度か訪ねたりして、結構記事にしましたので。

また最近は上野の下町風俗資料館の年間パスポートを手に入れたりし、かなりハマっています。

どっかで書きましたが、田舎の家から歩いて数分で万葉集に出てくる荒木神社(京都伏見の荒木神社ではありません)があったり、小学生のころ、後に国宝となった栄山寺の八角堂に落書きしたり、見飽きた感があり、いまさら神社仏閣を記事にしようとも思いません。

2016年3月 台東区東上野三丁目稲乃湯
2016年3月 ノスタルジックなクルマと「すぎる」クルマ
2016年3月 大正の長屋の構造
2016年3月 古き良き時代の駄菓子屋さん
2016年3月 下町風俗資料館!
2015年12月 400年の歴史を生かした町おこし - 黒壁スクェア(長浜)
2015年10月 暗夜行路が生まれた場所
2015年9月 戦時中の庶民の暮らし
2015年8月 江戸後期の庶民の暮らし(その2)
2015年8月 旧流山街道を訪ねて
2015年8月 石の庭園、清澄庭園
2015年8月 江戸時代後期の農家
2015年7月 江戸時代の船宿のやくわり
2015年7月 粋な黒塀〜♪(キノエネ醤油)
2015年7月 かっての幕府放牧場をしのばせるもの
2015年7月 千葉にもある江戸時代の街並み
2015年6月 昭和30年代の庶民の暮らし
2014年7月 江戸後期の庶民の暮らし
2014年6月 房総のむらの、かなりおおきな水車小屋
2014年5月 旧花野井家住宅
2014年5月 江戸時代のそば、居酒屋 (Tavern of Edo period)
2014年4月 江戸後期の武家屋敷
2014年4月 下級武士の住まいがしのばれる、子規庵
2012年7月 旧野田商誘銀行、しょうゆう、しょうゆ…
2011年4月 江戸川には渡しがいっぱいあった
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

台東区東上野三丁目稲乃湯

平成3年まで営業していた稲乃湯入り口付近をそのまま移築したらしいです。下町風俗資料館。
自分の少年時代はモロに「Always三丁目の夕日」の描く時代と重なりますし、田舎町ですのでさらに数年は遅れています、内風呂なんて数えるほど、たいてい銭湯に通う時代。懐かしいどころかお馴染みの景色です。




稲乃湯の男風呂と女風呂の仕切りは木戸のようですが、田舎町なんでもっとおおらか?で、なんと暖簾1枚。風呂代を払う都度、なんとか見えないかなと、暖簾の方をチラリ、チラリ。男の子なんてそんなもの。

いま思うとあの子、ちょっと変わってたな、多分小学上級生くらい、すこし年上の女の子。勢いよく暖簾を跳ね上げ、恥ずかしげもなくスッポンポンの全身を晒し男湯の脱衣場を覗いていました。というか「わたし綺麗?」と言わんばかり。お母さんが慌てて連れ戻してましたが、しょっちゅうのこと。エクジビショニスト?

同じクラスの男子生徒の家が通っていた銭湯を経営していました。上級生のころから番台に座ってました。家の仕事を手伝うのだから当たり前。しかし僕らにとってはうらやましい限り。番台に座らせろと交渉する悪ガキもいましたが、座らせてくれるわけがありません。

その番台が目の前にあり、しかも上りやすいように階段まで準備してある。そりゃあ登って子供のころの夢をかなえますよね。






そのうち我が家も内風呂になり、銭湯に通わなくなりましたが、大学に入り下宿生活、アパートくらし、結構最近まで銭湯のお世話にはなりました。上京してからの銭湯はそうでもないですが、田舎町の時代、まだお湯の循環設備が貧弱だったのでしょうか、しまい湯近くに入ると結構垢が浮いていたり汚かったですが、「しまい湯ってそんなもの」と思っていたおおらかな時代でもありました。

それから、銭湯で忘れてはならないのがコーヒー牛乳やフルーツ牛乳。風呂上がりの楽しみ。紙キャップの時代。品物を持って番台でお金を払うと錐(キリ)ような金具でキャップを取ってくれました。


UA、浅野忠信の「水の女」という映画があります。古い銭湯が舞台で、中の様子もよくわかります、銭湯に通ったことのない方、どうぞ。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

コンピュータの発展期を駆け抜けてみて(35年の歩み)

早いものでコンピュータというものと付き合い始めてから、もう30年以上経ちました。最近後輩と話したところでは、私より古い世代は最近のコンピュータはほとんどわからない、また私より若い世代はDOS注1さえ知らない、私は両方をまたがっている珍しい生き物だそうです。

というわけで、自分なりに1980年以降のコンピュータの歩みをまとめてみました。もともとコンピュタ25年の歩み(1番外編名機)で発表したものを加筆修正、一つの記事にまとめ上げました。

お断りしておきますが、このシリーズに登場するイメージ、ウェブ上より著作権に余り問題なさそうなものを探して掲載しておりますが、どれも私が使ったことがある、もしくは少なくとも触れたことがあるコンピュータ(モデルの違いはご容赦ください)のみです。

オフコン注2との出会い


写っているのはシステム3本体と活字ベルトライン・プリンター、
コンソールのIBMセレクトリック・タイプライター

最初のコンピュータとの出会いは今から35年ほど前、1980年代初頭、若造の時です。コンピュータ導入準備の一環として川崎にある日本鋼管のコンピュータ室をなんどか訪問しましたが、そのときの印象は強烈です。多分当時としては最新とは言いがたいが、普及しているIBMシステム3というオフコンだったと思いますが、幅1メートル、奥行き1・5メートル、高さ1.5メートルほどの本体に入力装置として穿孔カード読取装置があり、いまなら当たり前のように使っているディスプレイなど、どこにも見当たりません。

当時のオフコンの制御は何と、IBMのセレクトリック・タイプライター(ゴルフボール上の活字エレメントを用いるもの。活字の交換が出来る、ということで一世を風靡。後デイジー・ホイールに取って代わられる)を用いていました。どういうことかというと、タイプライターでコマンドを打ち込むと、当然ながらタイプ用紙に印字される。そこでキャリッジ・リターンキー(つまり改行キー)を押すと、印字された内容がコンピュータのCPU(中央演算処理装置)に送られる、コンピュータからの応答は自動的にタイプライターで印字されるというもの。つまりディスプレイの代わりにタイプ用紙ですね。

では、プログラムはどういう風にコンピュータに入力するかというと、いまではほとんど見られない穿孔カード(1枚で多分1ステートメント)を束ねてざっと読取装置で読み取る、読み取った内容がメモリーに蓄積され、コンピュータはそれを処理する、と言った具合。この時代を経験しているコンピュータ技術者が言うに、穿孔カードのよいところは並べ替えるだけで簡単に別のプログラムが出来る、というところだそうです。ちなみに私は穿孔カード、残念ながら使ったことはありません。

活字トレイン

続いて、ライン・プリンターはどういうものかというと、これも馬鹿でかい。多分幅、奥行は1メートル、高さも1.5メートルは優に超すしろもので、カバーなんか油圧で開きます!当時の高速プリンターは活字トレインというものを用いており、要するに両脇のスプールの周りを1週する、活字と活字を蝶番でつなげたもの(これをトレインと呼ぶ)が高速で回転、印字位置に着いたらハンマーでぶったたいて印字する、という豪快なもの。轟音を立てます。それでも多分今のインクジェットプリンターくらいの早さでしょうか。印字出来るのは英語の大文字小文字、数字、そしてカタカナの大文字。この時代から連綿と続いている銀行のシステムは、いまだにカタカナの小文字を受け付けませんものね。当時はオフコンはまだ、英数字とカタカナの時代でした。


オフコンの導入


さて私が最初に使ったオフコンはシステム3の後継機種システム34。1980年代半ばのことでした。ハードディスクはLPレコードみたいのが1枚内蔵されており、多分30メガバイト(30ギガバイトの間違いではありません!)だったと思います。プリンターは活字トレインの代わりに活字ベルト(スチールベルトに刻字したもの)を使う、小型のライン・プリンターで、やはり数年間、次の機種に入れ替わるまでは英数字、カナでのシステム構築でした。本体正面に見えるスロットは8インチ(!)フロッピーのスロットです。フロッピーは8インチ、5インチの時代はスリーブ(封筒)に入った剥き出し、3.5インチになってプラスチックケースに入りました。



NECの牙城の崩壊とシステムの漢字化


一方当時パソコンの世界を席巻していたのはNECのPC98××注3シリーズ。この機種に初めてハードディスクが内蔵されたときは、すげえーと驚いたものでした。たかが10メガバイトですが。またワードプロセッサーも高価、東芝の2代目ワードプロセッサーはTOSWORD JW−7というシリーズでしたが、購入したフロッピーモデルでも1台200万円ほどしたと思います

NEC、PC98××の牙城は1984年にIBMがパーソナルコンピュータPC/ATを発表するに当たって、崩落を始めます。当時の大型から中型コンピュータ業界におけるIBMの圧倒的シェアを背景に、またIBMがPC/ATの基本アーキテクチャを無償公開したことから、世界中のコンピュータメーカーが互換機製造に右にならえ、現在でもほとんどのコンピュータ(アップル社を除く)はIBM PC/ATのエミュレートモードで作動しています。つまり今のパソコンの基本スペックは30年前に完成されていたことになります。





ハードディスク400メガバイトに感激したものでした

PC/AT登場と時を同じくし、勤務先ではシステム34から後継の36に切り替え、コンピュータシステムの漢字化に取り掛かっていましたが、







当時の漢字キーボードはキーが300程ついた大きなキーボード、キー一つ当たりに漢字が9つ割り振られており、テンキーの1から9に対応、テンキーを押したまま、一つのキーを押すと、対応した漢字が入力される、という大変な代物。導入されたのが遅く、導入後いくらも経たないうちに後述のIBMマルチステーション5550が発表になったので、極めて短命でした。



時を前後してIBMはIBMマルチステーション5550を発表、これはオフコンのワークステーション・モードとスタンド・アローンのパソコンモードがキー一つで切り替わる優れもの。漢字対応。多分ATOKだったと思います。そこで早速マルチステーションに飛びつきました。ただ当時漢字はROMに内臓でフォントなど、選択肢は限られておりました。この状態は1990年のDOS/V発表まで続くことになります。DOS/Vの発表とウィンドウズ3.1の登場ででPC98××の牙城は完全に崩落。


また、例の活字ベルトを使ったライン・プリンターを漢字対応のシャトル・プリンターに入れ替え。これはどういうものかというと、そうですねドット・マトリクスプリンターの印字ヘッドを横に長くし、斜めに何本もピンを植えたもの。ヘッドの幅がほぼ15インチありますので、横にすこし往復運動(これをシャトルという)するだけで、一度に1行分漢字を印字することになります。これは結構早かったですね。シャトル・プリンターはレーザー・プリンターと違い、複写が取れますので、現在でも結構使われていますね。

システム開発はIBM社が開発した報告書作成向けのプログラミング言語、RPG
Report Program Generator)で行いました。データの入力、演算、印刷など、必要な処理の種類に応じて仕様書が用意されており、仕様書に適切なパラメータを記述してアプリケーションソフトを作成するものですが、通常は画面より直接ソースを入力しました。1500行も書けば結構複雑なアプリケーションも作れます。写真はその仕様書の一部。RPGは次に触れるAS400などで現在も使われています。報告書作成向けの言語ですので、初期は画面周りに弱かったのですが、RPG供■劭丕猫掘■劭丕韮苅娃阿函△なり改善されました。


システム34、36はメンテナンスのしやすい機種で、34も36も正面、側面のパネルは簡単にあけることができます。36の場合前面パネルを開くとメモリーなどのモジュールを納める、棚になっていまして、我々は1つずつ取り外し、掃除機でホコリを吸い取る、てな荒っぽい掃除をよくやっていました。筐体の中も結構スペースがあるので、掃除機の先をつっこんだりして……

次の世代へ


90年代初頭のAS400 重ねてある
ハードディスク、一つで1ギガくらい
さて、システム36は後任者の手によって、1990年代初頭AS400(旧システム38)へ移行。AS400はものすごい技術革新、コンピュータの小型化の波の中でも生き残ってきたIBMの中型機の主力で、名前をi Series, System i, Power Systemと変えながら現在も主力製品であり続けています。後述のシステム38からの伝統、単一レベル記憶を受け継いでおります。

IBMシステム38について触れておきましょう。システム36の後継機ということになっていますが、実際は36が登場する以前からありました。AS400はこれの後継機。単一レベル記憶 (SLS; single-level store) を採用しており、一つのコンピュータが使っている記憶装置全てを、アプリケーションソフトウェアに対して主記憶装置と補助記憶装置の区別を意識させずに、ただ一つの巨大なアドレス空間で管理するという、仮想メモリとかバーチャルメモリを飛び越えた技術です。

それから、これは概念としてやや難しいですが、リレーショナル・データベースという概念。つまりまったく違うデータであっても、例えば顧客番号とか、共通の項目がある限り、あたかもひとつのデータのように扱える機能。いままでのプログラムの考え方からしたら、一つのデータから別のデータを参照するには共通項目(キー)を使って、演算で読み込んでくる必要があった。ところがシステム38の場合、最初に、このデータからはこの項目、このデータからはこの項目を使うよ、と指定するだけでシステムが自動的に読み込む。これはアプリケーション作成の手間、データメンテナンスの手間を大幅に削減した、画期的な概念でした。これもいまでは当たり前のこととなってしまった感がありますが、当時は大いに感激したものでした。プロセッサーにコンソールとキーボードを組み込んだユニークなスタイルでした。

システム36も38もそうですが、IBMのマシンの背の高さは決まっておりまして、ちょうど1メートル。立ったまま、連続用紙を広げて作業するのにはちょうどいい高さでした。システム3や38のIBMブルー、懐かしい色でもあります。

マイコンの登場


さてパソコンの世界ですがアップルが1970年代末にアップル兇離廛蹈肇織ぅ廚魎粟させ、80年代後半までの、僅か10年足らずの間に世界で500万台を売っております。おそらく一般家庭で始めて使われたマイコン(マイクロコンピュータ、当時はPCという言葉はなかった)。6ビットだったらしい。数キロバイトのメモリーに、キーボードとパワーユニットをつけた単純なもので、最初は専用ディスプレイなどなく、テレビにつないで使った。さすがに私も稼動しているのを見たことはありません。ある事務所の片隅にあったのを、へえ、これが有名なアップル兇、と感動して手にしたのを覚えています。当時のアップルのマイコンはアップルDOSというOSで動いていました。

史上最初のデスクトップ


さて、デスクトップの概念はどこから始まる?多くの方がマッキントッシュ、もしくはウィンドウズだと思われていると思います。ところが、ディスプレイを机上に見立てる、という発想を最初に世に問うたのは、あの、コピーで有名なZEROXなのです。名前はXEROX STAR(日本語版はJSTAR注4)。

記録によると英語版の発表が1981年、日本語版が1982年とありますから、アップル社が歴史的なマック(Apple Macintosh)を世に出したのより数年早いですね。ですから正式には、STARが元祖じゃあないでしょうか。

当時のコンピュータのディスプレイは起動時は左のように真っ黒で、画面の上(DOSの場合)、もしくは画面の下(オフコンの場合)にコマンド・ライン(カーソルが点滅している場所、ここにコマンドを打ち込んでプログラムを起動する)があるだけの、味も素っ気もないものでした。ウィンドウズのアクセサリーの中に、コマンド・プロンプトという画面がありますが、DOSの時代はこれが初期画面。今でもソースを修正したりする場合、DOSコマンドのEditなど、使うことがありますね。DOSの場合はAUTOEXEC.BATというファイルに記述することで初期メニューを作ることくらいは出来ましたし、オフコンの場合ログ・オン画面というのもありました。まあ、それくらい。

XEROXの営業の方に連れられてショウルームで見たのが事実上私GUIの初体験。初めてデスクトップという概念の説明を受けたのもこの時でした。80キャラ×24行‥文字ディスプレーしか見たことのない私にとって、それはまさに次元の異なる話でした。


日本語版の画像が手に入らなかったので英語版で我慢していただきますが、30数年前にすでにディスプレイにゴミ箱、計算機、IN、OUTのボックス、プリンターなどのアイコンが登場、基本的に後のマッキントッシュ、ウィンドウズのディスプレイとなんら変わるところがありません。またすでにマウスや、LANを組んでサーバ、プリンターを共用するという基本的な技術も搭載していました。

STARと数年後に登場したApple Macintoshは、当初からお互いにフィードバックを受けながら発展していったと思われますが(マックのデスクトップ、初期のSTARに極似)、マックが他社のアプリケーションを受け入れる、パソコンであるのに対し、STARの方は、どちらかというとXEROX社の専用ソフトでしか動かないDTP機としての側面が強く、値段もオフコン並み(つまり1000万〜)と極めて高価、爆発的にヒットするにはいたりませんでした。

実用的グラフィカル・ユーザー・インターフェイスの登場


マッキントッシュ初期モデル
マッキントッシュはこのシリーズにつけられた名前

そういうわけで、事実上世界最初の実用的GUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェイス)機はアップルが1984年に発売したApple Macintoshだと言えましょう。その描画速度は人々をあっといわせたものでした。初期のモデルはハード・ディスクがついておらず、すぐに後継機種、ハード・ディスク付きのMacintosh SEが誕生。DOSの世界は1986年にやっとWindows 1.0がリリース、マックと比べると使用に耐えるものではありませんでした。Windows 3.1が1990年、この段階でNECは独自規格をあきらめ、PC/AT軍門に下ります。そして95年のWindows 95でやっとApple Macintoshに追いついた感があります。

マッキントッシュSE
私は1990年代初頭からアメリカに居住。オフィスではDOSとWindows 3.1、自宅では前述のMacintosh SEを使用するようになりました。当時すでにDOS/Vは出回っていたものの、日本語のフォントを手に入れるのが困難、またやたらメモリーとディスクを消費するため、アメリカで出回っているPC/AT互換機にはインストールできない。一方アップルの場合もともと多言語対応に作られていることから、日本語フォントや漢字変換システムを搭載するのが容易、標準仕様のMacintosh SE(多分メモリー512K)に充分搭載できたことによります。当時使っていたワープロソフトのEG WORD、変換システムのEG Bridge、すでに販売は終了していますが、「かわせみ」などの後継ソフトはあるようです。


と、いうわけでアップル社のシステム7以降とWindows 3.1を並行して使用することになりました。この時点では完璧にアップル社に軍配。まだ3.1は見せかけのグラフィカル・ユーザー・インターフェイスでしかありませんでした。ペンティアム286プロセッサーでは不足、最低386プロセッサーでないと遅くて使い物になりませんでした。またDOS環境下で稼働するインターフェイスのため、DOSが管理できるメモリ(多分最大640キロバイト)の制限を受け、それ以上のメモリーを搭載するのはなかなか面倒でした。

ハードウェアの面ではPC/ATの後継機、IBMのPS2が登場。私はPC/ATを使ったことはないのですが、経験者によるとこのPS2も画期的なアーキテクチャー。PC/ATの時代にはメモリー付け足すだけでも大変なシステム設定が必要だったそうですが、PS2の場合、スロットに差し込むだけで認識する。拡張カード類も同様。デバイスマネージャーとハードウェアの進歩。

当時、つまりウインドウズ3.1(使ったのは英語版)の時代、表計算はLOTUS1−2−3を使っていましたが、DOSのアプリケーションで、いまでもすごい!と思うのはDOSバージョンの1−2−3のデータに、罫線や多種のフォント、字の大きさなどをフォーム・オーバーレイの感覚で付け加えて印刷する、Alwaysというソフト。擬似WYSIWYG (What You See Is What You Get)スクリーン(印刷どおりに表示され、フォントなど体裁は修正できる。数値入力などはホットキーで通常画面に切り替えて行う)をサポート、DOS上で快適に作動するので、遅い3.1より重宝しましたね。

ウィンドウズ95の登場


帰国後もしばらくはMacintosh Perfoma 5260などを使っていましたが、ウィンドウズ95が登場し、「やっと」マッキントッシュに追いついてから、事務所との互換性もあり、ウィンドウズ機に以降、現在に至っています。どこが追い付いたかというとウィンドウズ3.1はDOS環境下のアプリケーションでしかありませんでしたが、やっと95で自身がOSとなり、DOSのメモリ制限の束縛もうけなくなりました。アップルのOSはそもそもネィティブのグラフィカル・ユーザー・インターフェイスで、メモリの制限ももとからありませんでした。

パソコン発達の歴史で忘れてはならないのがIBMの存在。現在のパソコンのスタンダードを作ったPC/AT、そしてPC/AT互換機での日本語処理を容易にしたDOSV。すでにパソコン業界から撤退したIBMですが、その功績は計り知れないものがあります。自分が作ったものでないDOSの、ハードとの抱合せ販売(何時からか忘れましたがハードウェアはOSと込みで販売することが法律で定められました)でのし上がったマイクロソフトとは違いますね。

振り返れば、今、机上のパソコンをLANでつないでの業務、ほんの一昔前は大きなオフコン、しかも重くて太い同軸ケーブルを、ヨイショ、ヨイショと張り巡らしてやっていました。片手に持った8インチのフロッピー・ディスクを団扇代わりに使いながら。たまらんですねえ。

ウィンドウズ95以降、現在まで


東京大学柏キャンパス情報基盤センターの
Oakleaf-FXスーパーコンピュータ(実写)

最近10年でコンピュータハードウェアの進歩にはすさまじいものがあります。今やキロバイト、メガバイトはほぼ死語となり、ギガバイト、テラバイトの時代です。スーパーコンピュータなんてペタバイトの世界です。一昔前のオフコンの処理能力よりスマートフォンの処理能力の方が上回ります。光回線の運用により通信スピードはけた外れに早くなりました。

ウィンドウズも95、98、ミレニアム、2000、ビスタ、XP、7、8、10とたびたびバージョンアップを重ねてまいりました。一方実用的には95、98時代のソフトで十分という面もありますし、なんだ、バージョンアップの度にメモリだけ喰うようになって、という感じがしないでもありません。はっきり言ってワード2003とか2007は現在も十分通用します。

考えてみると、デスクトップ、LAN、サーバなど、今のコンピュータの核となる技術はすでに30数年前に確立されていた、という驚くべき事実。当時すでに誕生していた、パスカルとかRPGとか、コボルとか、プログラム言語もいまもずっと使われている。この10数年の進歩はハードの面では著しいものがありますが、革新的アイデアという点では、80年代初頭には、頭が上がりませんね。ウィンドウズがXEROX、アップルが開発した技術に追いつくのに10年以上かかりました。

ある意味ではデジタルコンピュータの限界が近づいているのかもしれません。もともと10×10を計算するのに10を10回足す効率の悪い世界、効率の悪さをスピードで補ってきた側面があります。

鷹が獲物を追いかけて林の中を飛翔する動画を見たことがあります。乱立する木々の間を、狭い所はさっと翼を畳んで弾丸のように潜り抜け、潜り抜けると羽ばたいて加速、ばっと羽根を広げ急減速、ものすごい3次元の空間把握能力です。鷹の小さな頭脳で一瞬に計算できること、巨大なスーパーコンピュータではたして出来るのかな?いや、出来るとは思うが実用的じゃないよな。


注1ディスク・オペレーティング・システムの略。コンピュータが磁気記憶媒体やメモリを操作するための基本ソフト。MS−DOSが有名ですが、アップルだって初期のOSはDOSと呼んでいました。現在もMS−DOSはウィンドウズの一部(アクササリの一つ、コマンドプロンプトなど)として存在しており、DOSの命令コマンド、DOSコマンドは現在でも有効、有用です。

注2オフィスコンピュータの略。ミニコンピュータ、ミニコンとも言います。何がミニだという気もしますが、部屋いっぱいの大きさの大型コンピュータと比較してです。

注3後発のPC/AT系はドライブレターの割り当てが固定的で、AとBをフロッピードライブに、Cをハードディスクに割り振っていますが、PC98××系の場合多分ブートドライブ(OSを立ち上げるドライブ)にAを割り振りますので、ハードドライブがA、BとCがフロッピードライブということが多く、両機種併用しているとちょっとややこしいことになりました。またフロッピーディスクのフォーマットも異なっており、共用できませんでした。同じフロッピーをPC/AT系でフォーマットすると1.4メガバイト、PC98××系でフォーマットすると1.2メガバイトだったように記憶します。

注4JSTARに関する情報はこちらを参考にさせていただきました。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ノスタルジックなクルマと「すぎる」クルマ

最初に登場するのはいまでも稀に実働車を見かけるスバル360。江戸東京博物館所蔵。この博物館は日本橋をふくめ、ミニアチュア、ジオラマが多く、実物志向にはあまり面白くないのですが、これは例外。


空冷エンジンを後部に搭載、かってのフォルクスワーゲンや、ポルシェと同じですね。


特徴的なのはドアのヒンジが今のクルマと逆、つまり逆開き。タイアハウスギリギリまで開くことによって、狭い車内への乗り降りを可能な限り容易にしようという工夫です。


実は学生時代親しい大学職員によく乗せてもらいました。4人(乗れる!)乗ったりするとただでさえ低い車高がさらに低くなり、未舗装路などよくお腹を擦るのですが、そこは結構頑丈なモノコックボディであるのと、リアドライブでドライブシャフトが無いため、まったく平気のようでした。そこまで考えていたかどうか知りませんが。

スバル360はノスタルジックなクルマ。次はノスタルジック「すぎる」クルマ。大正末期、国産車第一号OTOMO号、1925年製。国立科学博物館蔵。ベストセラーT型フォード(1907年発売開始)にさえ遅れること18年。当時は自動車先進国アメリカにかなうもんではありませんでしたが、心意気です、心意気。


エンジンも、やたらシンプルでかわいい。


この時代のクルマの、幌馬車にエンジンをつけたというコンセプト、クルマの原点ですね。アメリカでは今でも乗り合いバスのこと、モーターコーチ(Mortor Coach)と呼びます。文字通りモーター付け幌馬車(コーチ)です。同じようなノスタルジアからか、ハーレイダビッドソンのシートは馬の鞍の形状を真似たもの。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

アメリカ大統領選のなぞ・その2

英語生活ノおト 第2巻(補)> 英語のバックグラウンド(3)> アメリカ大統領選のなぞ・その2

昨年夏投稿したアメリカ大統領選のなぞでの予想、トランプが指名されるはずがない、が外れ、どうもヒラリーとトランプの一騎打ちかもしれない、という情勢になってきました。いやはや。

さて、合衆国大統領が決まるまでの、予備選挙による党の候補者選び、そして本番の間接選挙まで、一年以上をかけた一連の活動を英語ではPresidential Campaign、プレジデンシャル・キャンペーンと言います、キャンペーンです、「ザ・プレミアム・モルツ マスターズドリーム<無濾過>」プレゼントキャンペーン」、のキャンペーンです、広報活動です。

広報活動ですから、政策論争も大事ですが、見てくれの良さ、滑舌の良さなどが大きなポイントになったりします。マクガバンか誰かだと思いますが、あと数インチ背が高ければ勝ったかもしれない、なんて言われた候補者もいた位です。レーガンは俳優出身だけあって演技で培われた弁舌が巧みでした。また背が高く、押し出しも立派、大統領になれた一つの要因です。

またコストも半端ではなく、何億ドルとも何十億ドルだとも言われます。それを全部自分で捻出するわけですから、人気があって、集金力も高くなければ候補に名乗りをあることもできません。途中脱落者が多いのも資金繰りがつかなくなったから、が多いようです。

つまり資金力=人気のような側面があり、普通、まず人気があって、それに資金力がついてくるのですが、トランプの場合全部自前の資金ですから、なんかまず資金があって、それに人気が引きずられている、というような逆転現象です。この(資金の)勢いを読み切れなかったのが予想を外した理由ですね。

仮にヒラリーとトランプの一騎打ちになったとしましょう。アメリカ大統領選のなぞでの解説の繰り返しですが、11月の第1月曜日の翌日(今年は11月7日)に選挙人を選ぶ一般投票があり、つづいて各州ごとに選挙人が大統領候補に投票するわけですが、総取り方式、たとえばある州の選挙人の枠が21名だったとします。そして選挙の結果ヒラリー支持の選挙人が10名当選、トランプ支持の選挙人が11名当選したとしますね。そうするとその州の選挙人総数21名がすべてトランプのものとなる、そういった仕組みのため、本当に最後まで目が離せないのがアメリカの大統領選挙です。最後の一票が逆転圧勝に繋がることだってあり得るのです。

もし、かりにトランプが大統領になったとしましょう。おそらく彼の言っていることの半分も出来ないのでは。そこはうまく逃げるでしょうが。あのタカ派で鳴らしたレーガンもそんなには突っ張らなかった、だから2期もったのだと思います。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ