超大型クレーンゲームとサイクロン掃除機

有明清掃工場を見学しました。遠くからでもやたら目立つ煙突の高さはおおよそ140メートル。排気はフィルターや触媒で浄化されているため、実際排出するのは高温の水蒸気、大気と混ぜて温度を下げるため、こんなに高いのだそうです。


夢の島の清掃工場の1,500トンの焼却能力と比べ、400トンはそんなに大きくはありませんが、それでもゴミ溜めは公認50メートルプールの広さ、深さは25メートルあるそうです。


爪を開いた時の直径は4メートル、1度に4トンのゴミをつかめるそうです。オペレータールームも見ましたが、ゲーム機よろしく2つのジョイスティックでコントロール。どう考えても超大型のクレーンゲーム。


有明臨海副都心のビックサイトや、船の科学館、高層住宅にごみ収集車か来ることはほとんどありません。ゴミは地域全体地下に張り巡らされた直径60センチの鋼管を通して清掃工場に送りこまれます。

分離器とか書かれていますが、実は出力1,500キロワット、家庭の掃除機2,000台分のサイクロン(遠心分離)掃除機だそうです。ここから船の科学館までは2キロありますが、ゴミは約3分で到着、時速100キロメートルでぶっ飛んで来るそうです。一部圧搾空気によりゴミを送るという説明がされている場合がありますが、誤り。送るのではなく吸引です。3機あります。


さて、肝心の炉ですが、当然近くで見ることは出来ません。遠目にチラッと。千度を越す高温で、一度都市ガスで火を点けると点検で停止するまで勝手に燃え続けるそうです。


発生する膨大な熱量は近くの有明スポーツセンターのプールに温水を供給するのは手始め、タービンを回して発電に利用、3,300キロワット、8,000世帯分 をまかなう電力、当然売っていて、温水利用を含め、経費の半分近くをまかなうという事です。


施設全景模型ですが、ほぼ右半分は燃焼ガスや灰、水の浄化設備。膨大な手間とコストをかけて環境基準をはるかに上回る浄化を達成しているそうで、煙突がなければスポーツ施設と見間違うほど。この辺のこだわりが垂れ流しの某国とは違う、経験の差ですね〜勉強になりました。


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えーご弁語彙追加 キャリーバッグ

キャリーバッグ Trolley bag、rolling luggage. 誰でも一度はぶつかって「むかっ」とした思いがあるキャリーバッグ。どうもあの製品にはピタッとくる日本語がありません。キャスター付きバッグではなんかダサいし、といってキャリーバッグは機内にキャリー出来るという意味らしいし。英語ではtrolley bagと言いますが、東京駅のアナウンスで聞いたのはrolling luggage。コロコロ転がる荷物の意味。Trolleyはtrollから来ており、トロール漁船のトロール、流すというような意味です、やはりrollingの方が実態に合っている気がします。
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鉄道マンの誇りと心意気がひしひしと、京都鉄道博物館

長浜駅前に長浜鉄道スクエアという施設があり、ED70型電気機関車とD51型蒸気機関車が静態保存されています。実際復元に携わった方にお話しを聞いたことがあります。「ビスの一本、一本、丁寧に磨いた」と嬉しそうに、誇らしげにお話しでした。鉄道マンの誇りと心意気を感じました。

その誇りと心意気をひしひしと感じれるのがここ、京都鉄道博物館。現役の梅小路運転区(車両基地)を中心とした梅小路蒸気機関車館を2016年にリニューアルした京都鉄道博物館。見所は何と言っても運転区の中心をなす扇形車庫と巨大な転車台(ターンテーブル)。線形車庫にはSL20代が保管されていますが、そのうちなんと7台が動態保存といって作動可能な状態で保管されており、一部の車両は構内(体験乗車)や構外(引き込み線は山陰本線に続いています、♪線路は続くよどこまでもでも♪)でも運転されています。



あの義経号でさえも動態復元され、展示されています。


車庫内は立ち入り自由で、運転席にこそ上ることはできませんが、車体や動輪に触れることはできます。実際立ち入ってみましたが、床に油だまり一つない清潔さ、車体も再塗装され、動輪はピカピカに磨き上げられています。それこそ「ビスの一本、一本、丁寧に磨いた」です。

しかも梅小路運転区にはSLの修理、点検に特化した工場さえあり、立ち入ることはできませんが、ガラス窓越しにのぞくことはできます。一台のSLが車輪をすべて外され、修理されています。



可能ならば現存するSLをすべて集め、一台でも多く火を入れてやりたい、墓場にはしたくない、それはすべての鉄道マンの共通の想いですね。別に鉄道マニアではありませんが、扇形車庫に立てば、その想いくらい、十分に伝わります。

おまけ、梅小路扇形車庫カレー。






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端から端まで歩いてみました、五條新町(奈良県五條市)

生まれ故郷である奈良県五條市の、旧紀州街道沿いには多くの古い建物が見られます。 慶長13年(1608年)に松倉重政が二見城城主となり、五條と二見の間に形成された新町村を町場として発展させたもので、東から西にほぼ紀ノ川にそって街並みが並びます。松倉が移封後は天領となり、吉野杉で有名な木材の集積地として発展しました。新町は2010年12月24日付けで「五條市五條新町伝統的建造物群保存地区」の名称で、国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されました。正式名称は五條新町ですが、我々五條で生まれ育った者は単に新町と呼んでいました。

このたびほぼ10年ぶりで帰省しましたので、久しぶりに、実にうん十年ぶりかに端から端まで歩いてみました。全長ほぼ800メートル。

五條側の起点(東端)はここ、五条駅から少し離れた、紀ノ川にかかる大川橋のたもと。実家があった場所は橋のたもとをすこし左に行ったところでしたが、今は堤防の下。写真の家は友人古川氏の家。小学校~中学校の時は教育熱心な彼の母親に誘われ悪友何人かでたむろ、家の前に当時流行った電飾自転車がずらり並んでいました。今は空き家。手入れされていないので軒先が壊れています。


新町のシンボル的な餅商一つ橋。たまたまお休み。もう90年以上続いているそうで、揚げ饅頭や大福、草餅がおいしい。しょっちゅう買い食いしていました。春に紀ノ川堤でヨモギを集めて持っていくと、買い取ってくれました。写真は通り越して振り向いたところ。


山本酒造。近年柿ワインを売り出しています。酒屋のシンボル杉玉が見えます。


道幅は結構狭く、クルマは一方通行となっているみたいです。通り沿いには何件か知人宅がありますが、引越された家もあるようです。


新町の民家は典型的な町家造りで、うなぎの寝床のように奥行きが長い。途中に採光のためか土間や庭があり、その奥は倉とか離れ。新町の民家は裏門を出るとすぐ紀ノ川です。大川橋が見えますね。


しばらく歩を進めると先方に高架らしいものが見えてきました。


五新線の跡。木材輸送などの目的で五條と新宮を結ぶため1939年に着工しましたが、なんとほぼ50年たっても完成せず、国鉄再建法施行により1982年に工事が凍結され、結局断念されました。工事断念後も一部分をバス専用道路として活用されていましたが、トンネルの老朽化などで最近取りやめたようです。


だんだん西端の二見駅に近づいてまいりました。この辺は東から西に上り坂となっています。写真は二見側より振り向いたもの。


新町通りが国道24号線と交差するところが西側の終点。そのちょっと先に二見駅(大和二見)があります。無人化されてから30年たちます。


お年寄りに話を聞きました。重要伝統的建造物群保存地区に指定されてから確かに整備され、民家を利用した施設なども増え、観光客も増えた。ただ、あと10年早く指定してほしかった。住民の高齢化が進み指定を受けたときにはもう建物を維持することが出来なくなり、空き家となり、朽ちつつある建物も結構ある。また一方、指定を受けたことにより表通りの改築が許可なしには出来なくなり不便さゆえに引越した人もかなりあるようです。指定には良い面と悪い面があるとおっしゃっていました。

一時は4万人を超した人口も近隣の村との合併を繰り返したにもかかわらず減り続け、35000人を切っています。寂しい限りです。


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人類の種としての存続

このテーマはツイッターとfacebookには投稿しましたが、文字数制限もあり、やや説明不足。やはりちゃんと文章にしましょう。

相模原障害者施設殺傷事件の容疑者は「障がい者は生きているべきではない」とか「障害者はいなくなればいい」という趣旨の発言をし、その言動は犠牲者の数の多さと共に大きく報道されました。どこかで聞いた話で恐縮ですが、人間が生物である限り、かならずある割合で障がいをもった子供が生まれるそうで、人知では避けられないそうです。確かに高等哺乳類は生まれた子供に異常が見つかり、一人では生きていけないと判断すると、育児を放棄するそうです。つまり事件の容疑者の発言は、言葉こそ悪いですが、動物と同じレベル。

人間が動物と違うとすれば、努力すれば障がいを持った人たちと一緒に生きていける。そこに尽きるのではないでしょうかね。出来る出来ないが動物と人間との境界線。 

一方、こちらは今この瞬間にでも聞こえてきそうな、「ベビーカーが邪魔」、「赤ん坊の泣き声がうるさい」。ベビーカーは子供が小さいときは必需品ですし、赤ん坊は泣くのが仕事。それらが邪魔、うるさいということは「赤ん坊はいないほうがいい」ということでしょうかね。

「障害者はいなくなればいい」、「赤ん坊はいないほうがいい」。人類としての尊厳を否定し、人類の未来さえ否定するのでしょうか、大げさじゃなく。人類を滅ぼすのは戦争でも、原子力でもない。いずれ原子力は無害化されるでしょうし、核のない戦争は人類を根絶やしにすることが出来ない。

人類創造時にDNAに組み込まれた隠しコマンド。「そうか子供なんか生まれなくていいんだ」と、神がその隠しコマンドを発令するや、全世界で子供が一人も生まれなくなる。そして百数十年、老衰で最後に一人だけ残った人類が生き絶えた。戦争や、原子力ではなく、自ら選んだ結末で……
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映画『この世界の片隅に』

新年早々の映画鑑賞、「この世界の片隅に」。予想したのは戦争という悲惨な現実の中で必死に生き抜こうとする人たち。あながち間違いではありませんが、そんな映画やアニメはごまんとあります。しかしこのアニメは一味違う。「三丁目の夕日」がテレビや冷蔵庫、そして東京タワーに象徴される高度経済成長期を背景とした下町の人間模様を描いたものだとしたら、「この世界の片隅に」は戦時中の呉軍港、広島を背景とした、人間模様。すさまじい物資の欠乏、毎日のような空襲、そして原爆と極限状態が描かれはしているが、それはあくまで背景であり、主題ではありません。

描かれているのは優しさ、ユーモアに富んだ人間模様。嫁として主人公のすずを迎え入れた北条家はすずの度を越した「天然」にあきれはするものの、暖かく受け入れ、またすずも一生懸命北条家の人間になろうと奮闘努力。どこまでもすずを守ろうとする周作。みんなあくまで前向きで明るい。

考えてみれば戦時中のいくら極限状態でも人々が毎日をひたすら暗く過ごしていたわけでなない。やはり苦しみもあれば喜びもあり、泣くこともあれば大声で笑ったこともあるに違いない。このアニメはそういった人間の営みを無理にデフォルメすることなく、淡々と描いています。

「人間ってこんなにしなやかでたくましいんだ」と思わされるアニメ。すずの声を担当したのん(本名能年玲)の伸びやかな声はうわさ通りに素晴らしい。まるですずに乗り移ったようでした。

映画『この世界の片隅に』予告編
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新年のごあいさつ

明けましておめでとうございます。元旦は午前中は銀座教会で礼拝を守り、午後は富士見町教会で教区東支区の新年礼拝でした。写真は富士見町教会のオルガンと礼拝堂正面です。



午前、午後と礼拝三昧?一見真面目な信者のようですが……礼拝堂正面が何故かクライミングウォールに見えてしまう不信心な私です。
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お東さんとか、お西さんとか。

仏教徒から見ればキリスト教の長老派、組合派、メソジスト、バプテストの違いなど言うに及ばず、プロテスタントとカトリックの違いさえ、「同じじゃないの?」程度だと思いますねえ。実はすこしから大きくまで違うんですけどね。

逆にキリスト教徒から見れば仏教の宗派の違いはほとんどわかりません。お東さん、お西さん、いったい何のこと?でしょうね。簡単にいうとお西さんは浄土真宗本願寺派のこと、お東さんは浄土真宗大谷派のこと。西本願寺は本願寺派、東本願寺は大谷派です。つーか、西本願寺だからお西さん、東本願寺だからお東さんですね。

西本願寺→お西さん→本願寺派
東本願寺→お東さん→大谷派

浄土真宗は教義が明快ですので、海外でも人気があり、SHIN BUDDHISMといいます。なお築地本願寺は本願寺派。浅草にある東本願寺は「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」といって大谷派から独立しております。

さて、大阪御堂筋にそって中央通りの交差点の北側にあるのが北御堂(浄土真宗本願寺派本願寺津村別院)、




南側にあるのが南御堂(真宗大谷派難波別院)。



もうおわかりですよね、北御堂はお西さん、南御堂はお東さん。二つの御堂の間は直線距離で数百メートルしかありません。

どちらも巨大な本堂を有しますが、特徴的なのは北御堂の本堂(二つ目の写真)。長大な階段の上に位置します。成人男性でも登りきるのにハアハア言うほどで、実際は階段の裏側が数階建てのビルになっており、上に上がるエレベーターもあります。なぜわざわざこんな構造にしたかというと、もともとは石山本願寺といって信長に滅ぼされ、跡地に豊臣秀吉が大阪城を建てたという歴史があります。つまり追い出されたわけで信徒としては本堂が大阪城天守閣より低いのは我慢ならん、たまたま立地が高台のため階段でかさ上げして天守閣と同じ高さにしたのだとか。

北御堂の山門の両脇には仁王様のように親鸞と蓮如の高さ数メートルの巨大なブロンズ像があります。巨大な割にはたとえば仁王像と比べると造形が意外なほどシンプルですが、法衣をまとっていますので、どうしようもないのでしょうね。


御堂筋という名前自体、この二つの御堂を結ぶ道であることから名づけられたもの、北御堂か南御堂、どちらかの入り口でしばらく観察しておりますと、多くの人が、ご老人も若い方も、立ち止まり合掌されるのに気づくことでしょう。大阪の人はなかなな信心深いです。

ここで一言注意。合掌するときに唱えるのは「念仏」、つまり「南無阿弥陀仏」であり、「お題目」、つまり「南無妙法蓮華経」ではありません。念仏は浄土真宗とか真言宗が唱え、お題目は日蓮宗とは法華宗が唱えます、お間違えないように。
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東武アーバンパークライン柏駅

何と交差する常磐線より昇降客が多いらしい東武アーバンパークライン(愛称なのでJRなんかではいまだに東武野田線と呼称)柏駅。

東武アーバンパークラインは船橋より大宮までなのですが、基本船橋⇔柏、柏⇔大宮の折り返し運転。一日に何本か直通運転もありますが、柏からは逆走、というか駅がスイッチバック構造です。

最近流山おおたかの森駅の開設や、沿線の土地開発が活発で、乗客もどんどん増えているよう。もともとが野田から江戸川を使わずに、柏経由で醤油を運搬するために造った路線で、その後もこれほど人口が増加するとは考えていなかったのでしょう、6両編成で未だに単線区間があることはあまり知られていません。東武としてはなんとか全線複線化を達成したいところで、次はホームの延長ですが、これはもっと難しいかもしれませんね。

東武は混雑緩和に思い切った方法も実施しており、その一つが柏⇔大宮(柏⇔船橋よりはるかに利用客が多い)の1、2番線の階段の手すり。なんと階段をはみ出て通路まで回り込んでいます、絶対こっちを降りるのだよという威圧感さえ感じます。でも慣れた通勤客は平気、平気、文句ひとつ言わず当たり前のように回り込みます。




手すりには、あちこちに切り込みがあります。これにも理由があります。大宮からの電車が到着する直前です。女性客は最初から手すりの向こう側、下り階段を下りていますが、男性は広い、上り階段を下りようとしていますが……


一瞬後はこのありさま。これでも夕刻で、朝のラッシュアワーの半分くらい。




先ほどの男性はあわてて階段を少しのぼり、手すりの向こう側に回り込んで難を逃れました。もう少し下りたあとなら、殺気立った乗客に頭を下げながら、手すりの切れ目から避難です。

そうなんです、通路まで回り込んだ手すりは、こちらを通らないと大変な目にあいますよとの警鐘なのです。

私は殺到する降車客に逆らって上り階段を下りきった人を、今だかって見たことがありません、無理です、ゼッタイに無理です。
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名前の表記について

英語生活ノおト 第2巻(補) >英語のバックグラウンド(3)> 名前の表記について


この記事はFamily Name(姓)とLast Name(名)の改定版です。

名前の表記について学びましょう。
例えば、通常Shin'ichi(注) Kawadaと表記するところ、名簿などで、姓を最初にもってくる場合、KAWADA, Shin'ichiと、
1)姓は全て大文字、
2)姓と名の間は,
3)名は最初が大文字、つづいて小文字で
書いてください。英米ではWilliamなどのように姓、名どちらにも用いる名前が多くあります。しかも他民族が入り混じり、どっちが姓でどっちが名なのか彼等でもわからない場合が多い。だから、このようなルールができるのでしょう。

この表記法に関してはどんどん変わってきています。まず、最近は「,」を省き、
しかも最初を姓でそろえず(姓のアルファベット順には違いありませんが)、

Williams CLINTON
KAWADA Shin'ichi
George WILLIAMS
YAMADA Taro

となってきています。頭を姓でそろえたほうがわかりやすいのですが、その国固有の名前の表記法をより重んじるやり方ですね。

なお、last name, family name, surnameはいずれも姓のこと、first name, given nameはいずれも名のことです。

と、ここまでは名前には姓と名の両方があるという前提ですが、アラブ系の国々、ミャンマー、マレーシアでは名前に姓と名の区別がなく、名のみ、ということが多くあります。考えてみれば明治まで日本の庶民は名のみでしたね。

サダム・フセインの正式な名前はSaddam bin Hussein at-Takritiで、どうもTakriti一族のHusseinの息子のSaddamという意味らしく、全体で彼の名前です。姓と名の区別はありません。同じようにアウンサンスーチーもAung San Suu Kyiで一つの名前です。当然夫婦でも名前は異なります。

このような場合アルファベット順はやむを得ず、名前の頭文字を使います。

Aung San Suu Kyi (ミャンマー人)
Williams CLINTON
KAWADA Shin'ichi
Mariam Binti Mohd Hashim (マレーシア人)
Saddam bin Hussein at-Takriti (アラブ人) 
George WILLIAMS
YAMADA Taro

だんだん複雑になって来ましたね。私は最近の国際会議で、名前を名簿や名札でどのように表記して欲しいか、いちいち聞きました。トラブルになるよりマシですからね〜。

(注)ヘボン式ではShinichiが正しいですが、「シニチ」と発音される可能性が大。どうしても「シンイチ」と発音してもらいたければ、このように'を挟むのも手ですが、パスポートの表記では許されません。またヘボン式では大野も小野も同じONO。どうしてもちゃんと伸ばしたければOHNOとHをはさみますが、こちらはパスポートの表記で許されているようですが、使用実績を証明するものが必要だそうです。同じように加藤はKATOH。なお、パスポートのローマ字はあとで変更できませんので気をつけてください。
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MM/DD/YYとDD/MM/YY

英語生活ノおト 第1巻>英語のバックグラウンド(1)> MM/DD/YYとDD/MM/YY

当ブログ開設一月に満たないころ(2005年2月23日)にアップされた記事ですが、なぜか8年後の今日に至るまで、最も多くの方に読まれた記事の一つです。多分6万人くらいでしょうか。ずっとほったらかしでしたが、細かいところをすこし改訂しました(2013年2月18日)
原稿の間違いをご指摘いただき、直しました。また、あらたに序数についても触れました。(2016年10月15日)

(本文)

日付の書き方は大きくアメリカ式とイギリス式があります。ヨーロッパは主にイギリス式。よく申込書 (application form) の日付欄に(MM/DD/YY)や(DD/MM/YY)という指示があります。

(MM/DD/YY)は(Month, Date, Year)の略、たとえば12/31/99、アメリカ式。
(DD/MM/YYは(Date, Month, Year)の略、たとえば31/12/98、イギリス式。

つまり年号が一番最後に来るのは共通ですが、月と日の並びがまったく逆。指示通りに書かないと大変なことになります。

手紙などで1995年3月5日は

March 5, 1995 (アメリカ)
5 March 1995 あるいは5th March 1995(イギリス)

となり、アメリカ式では日と年の間はコンマになります。イギリス式では序数(1st, 3rdなど)で書く人が多いようです。12/31/99はアメリカ式だと見当がつきますが、3/4/95となるとさあ、どちらかわかりません。(MM/DD/YY)や(DD/MM/YY)という指示が必要なはずです。

なお、序数の書き方は以下の通りです。11から20まではすべてthをつけます、21以上は1から10と同じ、st, nd, rd, th........ま、覚えてください。

1st 2nd 3rd 4th 5th 6th 7th 8th 9th 10th
11th 12th 13th 14th 15th 16th 17th 18th 19th 20th
21st 22nd 23rd 24th 25th 26th 27th 28th 29th 30th
31st
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フード・スタンプ

英語生活ノおト 第2巻(補)> 英語のバックグラウンド(3)> フード・スタンプ


ずいぶん昔になりますが、アメリカに住んでいたころ、ひょんなきっかけで母親が『厳密にいえば不法滞在』、娘はアメリカ生まれのためにアメリカ国籍、のアジア人親子に頼まれ、娘のリーガル・ガーディアン(legal guardian)、つまり後見人を引き受けることになりました。多分高校入学手続きに必要とか、医療費の補助を受けるためだったと記憶します。母親が『厳密にいえば不法滞在』のため、娘の法的保護者になれないためです。

じゃあ、アメリカ人ではない我々日本人夫婦が後見人になれるのかという疑問が生じますが、ビザの種類によっては可能だそうで、特に私のJ2ビザはまったく就労の制限がない(つまりどこでも働ける)タイプでしたので、一定の収入があるとみなされたのでしょう。

ずっと親しくしていた親子ですし、事情により一人本国にいる父親はそれなりに地位のある人で、知りあいでもありましたので、引き受け、行きましたよ、生まれて初めてアメリカの福祉事務所に。結構郊外でしたね。一発で申請は受理され、無事にリーガル・ガーディアンに。

まあ、これだけでもふつう日本人は経験しないことですが、どういうわけか後見人になると自動的にフード・スタンプ(food stamp)がついてくるようです。我々の収入からしたらまったく受給該当者ではないのですが、多分肉親で無い他人の後見人になるので、養育費の足しにということなんでしょうね。

これは写真のようなクーポンを何枚かステープラーで綴ったもので、スーパーマーケットなどで金券として使用できます。つまり低所得者のための、日本でいえば生活保護費の一種に該当するもの。食品は買えますが、アルコール、タバコなどのし好品は買えません。もちろん闇マーケットがあり、かなりのフード・スタンプがたばこやアルコール、麻薬に消えている実態はありますが。実際お釣りはキャッシュでくれますし。最近は週にもよりますが磁気カードやプリペイドカード化が進んでいるようですが、当時はこんな紙のクーポンでした。

月50ドルから100ドルの間だったと記憶します。だいたいその娘と、一緒の寮に住んでいた仲間たちとステーキとか、バーベキューとかに使っちゃいました、農務省さん、ごめんなさい(フードスタンプの正式名称は「補助的栄養支援プログラム」)。



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復刻版「英語に強くなる本」

英語生活ノおト 第3巻> 名著「英語に強くなる本」> 復刻版「英語に強くなる本」 


管理人にとって「右手に聖書、左手に英語に強くなる本」の、その「英語に強くなる本」が復刻されています。サイズも新書版から文庫版に替わり、出版社も光文社から筑摩書房に替わっています。手元にあるのが2016年6月15日の第五刷、第一刷は2014年6月10日です。一度にどれくらい刷るのか知りませんが、仮に5000部として50年前に出版された本としては刷数を重ねること自体すごいことだと思います。

カバーに書かれた解説をそのまま転用させていただきます。

「1961年の発売時わずか3カ月で100万部を突破した昭和を代表するベストセラー。日本人が陥りがちな暗記や直訳など小手先のテクニックにとらわれることなく、英語という言語の本質に迫りながら多彩な例文を多数用いて、わかりやすく、ユーモアたっぷりに英語を学ぶことができます。50年以上も前に書かれながら今なお新鮮な発見を与えてくれる一冊です。解説晴山陽一」

まさにその通り。晴山陽一氏は言語学者、英語学習教材執筆者で最近の著作は「うまい、と言われる1分間スピーチ―10の「伝える」技術で身につける」など。

はっきり申し上げます、英語学習入門書としてこの本を超えるものはかって存在したことがない。筑摩書房の手先でもなんでもありませんが、たった900円+税。アマゾンでも買えますし、カスタマーレビューも参考になります。

手に取ると、ある意味では英語感そのものが変わります。


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棄老伝説と山姥

長野県千曲市に姨捨山(おばすてやま)長楽寺というお寺があります。芭蕉が「俤や姥一人なく月の友(おもかげやうばひとりなくつきのとも)」という句を詠んだとかで、句碑もありますし、姨石(おばいし)という高さ15メートル、幅、奥行きとも25メートルという巨石にそって断崖に建てられた特異なお寺です。芭蕉はその姨石から眺めた絶景を詠んだものだそうです。






実際姨石に寄り添って建てられた観音堂からはこれも千曲名物の棚田を眺めることが出来ますが、すこし距離があるので、どうせならと大汗をかいて5分ほど歩いて近寄ってみました。


個々の棚田は耕作する希望者を募るという取り組みもあり、財団法人東日本鉄道なんとかという倉庫も見えましたので、JRも観光資源として投資しているようです。




さて、姨捨山という山号は長楽寺の南にある姨捨山(おばすて山、正式名冠着山(かむりきやま))から取ったというかそのままですが、やはり棄老伝説の本場ではあるようです。棄老伝説には難題型と枝折り型に分かれますが、ここは山に老いた親を捨てるために背負っていく際に、親が道すがら小枝を折っている(あるいは糠を撒いていく)のを見た息子が何故か尋ねると、「お前が帰るときに迷わないように」と答える。自分が捨てられるという状況にあっても子を思う親心に打たれ、息子は親を連れ帰る(ウィキペディア、)という枝折り型だそうです。

ついでですが、難題型とは、親を棄てきれず床下にかくまったが、その親が隣国からつきつけられたいくつもの難題を老人の知恵によって見事に解き、隣国を退散させるというような話です。

実際のところは年寄りを敬う風習がある日本で棄老という風習はなかったというのが定説で、むしろ年配者の知恵を讃えるための言い伝えというのが真相でしょう。

一方、山姥(うば)は捨てられた老婆が生き延びて、生き延びて、妖怪になったもの、という説もあります。なぜかというと女性は元来男性より生命力が強く、男だったらとっくに餓死か病死していることろ、木の実などを食べてしつこく生き残る、生きて、生きて山姥になる、そういうもんだそうです、そういえば山爺って聞かないですね、なんとなく納得です。
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衝立(ついたて)の間、式台

記憶をたどってみると、小学校3年まで、つまり伊勢湾台風で全壊(流される)まで住んでいた家は別荘風の風雅な建物で引き戸になっている玄関の戸を開けると靴脱ぎ場があり、多分2畳ほどの小部屋がありました。玄関の間というのでしょうね、家具は何もなく、花台が置いてあり、花が飾ってあったような記憶があります。

現在の建築では普段なにも使わない、無駄?な玄関の間はあまり造られなくなりました。たいてい廊下の端が少し広くなり、下駄箱とか靴脱ぎ場があるというのが普通じゃないでしょうか。邸宅の場合は知りませんよ。

江戸時代までさかのぼると庶民、農家はいざ知らず、体面やしきたりを重んじる武家屋敷では式台とか玄関の間は必須であったようです。

房総のむらに慶応の時代の佐倉藩の武士であり、90石取りの田島伝左衛門の屋敷が再現されています。風雅な造りですが台所を除くと部屋数はたった4部屋、そのうち一つが玄関の間となっています。

軒を深くとってあり当時の建物は床が高く、式台は必須だったようです。


ただし、たったの3畳、それでも4部屋のうち一部屋です、衝立(ついたて)の間とも呼んだようです。


商家でも船宿とか宿には衝立の間はありました。ただしこれは実用的なもので旅人はここに腰掛け、たらいで足を洗いました。写真は深川江戸資料館にある船宿升田屋のもの。


さて、豪農、名主の旧吉田家。牧士(まきし)といって幕府の牧場の牛馬の管理をする職にも従事していたそうで名字帯刀を許され、士分扱い。豪農ですので規模も半端ではありません。衝立の間もなんと8畳。


権勢を示すかのように造作も豪華です。



多分上級武士の屋敷もこのようなものだったのでしょうが、庶民としては90石の下級~中級武士で、それでも体面を保つつため、つつましいながら3畳の衝立の間を持つ田島伝左衛門宅くらいがちょうどいいです。



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