平成19年9月6日(木)一時
先日の阿蘇での仲間の集いは「モンタナ会」と称しています。今回の世話役・地元阿蘇のIさんの案内で幅遺跡発掘現場を案内してもらいました。
県文化課参事SOさんが忙しい最中、説明してくれました。南阿蘇村大字両併(りょうへい)字幅にあります。両併川の大地城に広がる遺跡。現在まで縄文時代早期(およそ約8千年~7千年前)・前期、弥生時代中期末から後期初頭(およそ約2千年前)・後期後半から終末期、平安時代、鎌倉時代、室町時代、江戸時代の遺物や遺構が確認されています。隣接する崖には古墳時代の墓があります。
遺跡上に県道建設が予定され、記録保存のために平成18年12月から発掘調査が行われています。
麦わら帽子の方がSO参事です。古墳発掘に命を賭けてると言うと大げさですが、眼がきらきら輝き、古墳の話が嬉しくてたまらないという純粋な方でした。
葬式の祭祀と関連ある二つの溝のひとつです。多数の土器が出てきました。まだ土中にある土器のかけらも見えてました。前日に説明会が終わった後で、残念ながら主な土器類は保管先へ移って、見ることが出来ませんでした。
木棺墓(もっかんぼ)墓の後です。深さはまちまちでした。約80基見つかっています。【木棺墓(もっかんぼ)=掘った穴の中に遺体を埋葬した墓】
これは段ボールで作った模型ですが、このように板を差し込み、木の棺を作り、遺体を埋葬したものと考えられています。
出土品には在地の黒髪式土器を中心に北部九州の須玖Ⅱ式(すぐにしき)土器が混在して出土しています。イネの圧痕が残る土器片も見つかっています。稲作が行われた証拠でしょう。
暑い中、地元の方々が発掘作業に携わって汗を流していました。
お疲れ様とお礼を言ってみなさん、笑顔で応えてくれました。
【本稿は県文化課参事S0さんの説明と提供の資料により構成しました】
先日の阿蘇での仲間の集いは「モンタナ会」と称しています。今回の世話役・地元阿蘇のIさんの案内で幅遺跡発掘現場を案内してもらいました。
県文化課参事SOさんが忙しい最中、説明してくれました。南阿蘇村大字両併(りょうへい)字幅にあります。両併川の大地城に広がる遺跡。現在まで縄文時代早期(およそ約8千年~7千年前)・前期、弥生時代中期末から後期初頭(およそ約2千年前)・後期後半から終末期、平安時代、鎌倉時代、室町時代、江戸時代の遺物や遺構が確認されています。隣接する崖には古墳時代の墓があります。
遺跡上に県道建設が予定され、記録保存のために平成18年12月から発掘調査が行われています。
麦わら帽子の方がSO参事です。古墳発掘に命を賭けてると言うと大げさですが、眼がきらきら輝き、古墳の話が嬉しくてたまらないという純粋な方でした。
葬式の祭祀と関連ある二つの溝のひとつです。多数の土器が出てきました。まだ土中にある土器のかけらも見えてました。前日に説明会が終わった後で、残念ながら主な土器類は保管先へ移って、見ることが出来ませんでした。
木棺墓(もっかんぼ)墓の後です。深さはまちまちでした。約80基見つかっています。【木棺墓(もっかんぼ)=掘った穴の中に遺体を埋葬した墓】
これは段ボールで作った模型ですが、このように板を差し込み、木の棺を作り、遺体を埋葬したものと考えられています。
出土品には在地の黒髪式土器を中心に北部九州の須玖Ⅱ式(すぐにしき)土器が混在して出土しています。イネの圧痕が残る土器片も見つかっています。稲作が行われた証拠でしょう。
暑い中、地元の方々が発掘作業に携わって汗を流していました。
お疲れ様とお礼を言ってみなさん、笑顔で応えてくれました。
【本稿は県文化課参事S0さんの説明と提供の資料により構成しました】
時間が止まったような風景に…感激です。
>古墳発掘に命を賭けてると言うと大げさですが…
彼の上着の汗をみれば、わかります。
こういう方が貴重なんですよねぇ
発掘調査には、捏造もいわれる昨今ですが
そういうことはないようですねぇ
暑い中、どんこさんもご苦労さまです。…
平成18年12月から発掘調査が行われているということは、終了まではかなり時間を要するのではないでしょうかね?
数千年という時を隔てて、今尚当時の様子を窺い知る~スゴイですね・・・ロマンを感じます!
夏だけで2回、合計3回も阿蘇へ出かけることが出来ました。広々とした景色の中にいると時間を忘れそうです。
一心に仕事に打ち込んでいる男の美しさを久々に見たような気がしました。
捏造、そう言えばそんな事件がありましたね。
ここはそんなこととは全く縁のない現場だと断言出来ます。
私も好きなんですね。こう場所。
モンタナ会ですか?こういう機会(SOさんの説明)
がもててよかったですね。
どんな場面でもコツコツと黙々と、取り組んでる方がいらっしゃるんですね。
そういう方には頭が下がります。
建設会社にいますと現場で古墳が見つかると
作業は中止になるから、その方面からの「古墳」
と言う言葉が頭に浮かびますが、この春 初めて
竹原古墳(装飾古墳)をみて感動しました。
案内されるまで全然知りませんでした。白川水源から遠くない場所です。
まだまだ古墳のほんの一部を発掘したばかり、広大な地域に広がっているそうです。
そのうちまた説明会も開催されるでしょうね。
いっそのこと予定の県道を迂回させたらと言う声もあるそうですが「そのへんは上の方が決められることで・・・」とSOさんはあくまで謙虚でした。
北部九州で出土する土器は須玖Ⅱ式(すぐにしき)土器と言うのだそうですね。熊本の地域は黒髪式土器です。これは出土した地域の名前から名付けたようです。
建設業者にとっては「古墳」が出てくるとショックだと聞いています。費用も工期もかかる上に面倒なのでそっと埋め込んでしまい、素知らぬふりをすることもあると知人が言っていました。
momomamaさんの会社はそんなことはしないでしょうが・・・。
阿蘇の幅(はば)遺跡 、悠久ロマンの旅に思いをはせたことでしょう。
関係者は、このような遺跡が出てくると、工期は遅くなる、手続きはしなければ・・・と迷惑せんばんのようです。
東京に、23区をハチマキの様に廻る
環状7号線があります。古い話ですが、東京オリンピックを目標に工事を進めた。
・・・・・が、しかし葛飾区の一角で『葛西城の遺跡』が出土して、この遺跡発掘〔およそ200m〕のために、この箇所だけ、工事ができずに車の流れが半減された。
保護と開発はこれまでも多くの論議を呼んできましたが、これからも課題は引き継がれていくことでしょう。
天皇陵などは手厚く保護されますが、一般の古墳ともなれば開発が優先されがちですね。
零細業者にとって古墳は会社を潰す地雷だと言う声も聞きます。国レベルの対策を講じないとこの問題は解決出来ないようです。
話は飛躍しますが狭い日本に国会議員が多すぎます。百人ずつは減らしていいのじゃないでしょうかね。余った予算を古墳対策に回したらいいなあ。
縄文時代、弥生時代のころの生活は、このごろ随分新しいことがわかってきたようで、私たちが学校で教わったこととはだいぶ違うみたいですね
縄文の人たちの生活は随分文化的だったようですね
これからもどんどん新しいことがわかったら楽しいですね
新発見で定説を覆すことも多いようですね。こういう新しい研究により、新たな歴史が明らかになっていくこともまた楽しみです。
でも発掘作業は昔ながらの地道な手作業でした。
台風の進路に当たっているようで、心配しています。どうぞ気を付けてくださいね。