花鳥風月・・・気ままな写真日記

ようこそ、どんこの小部屋へ。ゆっくりくつろいでください。
日常を出来得れば自然と融合したいと思っています。
 

荒尾競馬今昔物語(その二・終編)

2016-03-04 | 郷土 荒尾
 平成28年3月4日(金)

 2月3日の(前編)に続き続編(後編)をお届けします。ここで入場料を払っていました。



 予想新聞も好評でファンはお気に入りの新聞を買ってから入場していました。



 競馬は廃止になりましたが全国の地方競馬共同発売所BAOO(バオー)が開設されて、根強いファンが連日駆けつけています。でも外は人の気配がしません。



 かつてのJRAの馬券売り場はシャッターが降りたままです。



 でも、ここ「BAOO」の前は俄然賑やかです。競馬廃止前と変わらぬ人出です。



 モニターテレビに映し出されるレースに釘付けです。



 競馬場は草ぼうぼう、中央、グリーンの部分は表彰台でした。



 中央スタンドに出てみました。新聞を持ったファンがひと休憩していました。「取れましたか?と聞くと「ぜーん全然!」と言う答えが跳ね返ってきました。 



 今から9年前の5月のレースです。 



 走馬燈のように思い出されます。



 スタンドもGWで満員でした。



 パドックの跡。かつての荒尾競馬の花形騎手たちのメモリアルが色も褪せずに残っていました。 



 賑わっていた食堂も1軒を残し閉鎖され、ご覧の通りです。 



 4年2ヶ月前、荒尾競馬最後の日の広場。食堂も賑わい、別れを惜しむ人々が押しかけました。



 まだ取り壊せないで残っている4基のうちの第4コーナーの見張り台が今も荒尾競馬の歴史を静かに見つめているようです。 

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10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (moka)
2016-03-04 05:52:16
おはようございます♬
今朝は久しぶりに朝からパソコンを開いて一番乗りです。
また懐かしい風景の記事でちょっといい気分に浸っています。
中学の時、クラスの悪ガキが昼休み、このあたりで青大将を捕まえ、首にかけて女の子を怖がらせたことがありました。
この跡地はどうなるのでしょうね。
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mokaさん (どんこ)
2016-03-04 09:17:21
一番乗り、ありがとうございます。
ここを通る度に色々な思いが交錯します。
青大将、男の子は良くやっていましたね。
私もその部類で、女の子たちがキャーキャー言うのを楽しんでいました。(申し訳ないです、ハイ。)

競馬場跡地の再利用はまだ決まっていないようです。
前市長はここに市民病院を移転させる計画でしたが
新市長は運動公園周辺に変更することを決めました。
沿岸道路が延長され競馬場跡地の一部を通るようです。
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女子の騎手 (momomama)
2016-03-04 12:47:06
どんこさん こんにちは。
テレビで久しぶりの女子騎手 が紹介されてました。
2着でした。 とっても可愛らしいお嬢さんで
競馬人気が上がるでしょうね。

荒尾競馬場 こちらでも開催予定放送してたけど
寂しいですね。。
お遍路で前を通ったことがありますよ。。
クロツラヘラサギ・・・来てましたよね。
今日は変なお天気です。。 降ったり照ったり・・
体調管理にご注意くださいね。
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momomamaさん (どんこ)
2016-03-04 18:44:30
荒尾競馬出身の女性騎手たちも
佐賀競馬などで活躍しているのではないでしょうか。
今度追跡調査しておきますね。
栄枯盛衰は世の習いとは申せ
やはり寂しさを禁じ得ませんね。
場外馬券売り場はそこそこに賑わっていても
やはりさんが走らなければ物足りないです。

こちらでも雨が降ったようですが気づきませんでした。
来週はまた寒気が戻るとのこと。困ったもんですね。
返信する
こんばんは~ (蓮の花)
2016-03-05 00:30:36
荒尾競馬場の付近は仕事で通った事が
ありましたが中に入った事はありません。
競馬があっていた当時はスポーツ新聞が
よく売れていたと聞いています。
荒尾競馬場の跡地の利用は二転三転と
していますが、どうなったのでしょうか?
返信する
大人は勝負場所、子供は動物園。 (縄文人)
2016-03-05 07:21:48
お父さんが言った。
   今日は、坊主を動物園に連れて行ってあげる!!
 ママ・・お父さんが、動物園に連れて行ってくれるって。
   楽しいな・・・・。ルンルン
       着いたところは、競馬場。

・ 天高し 馬は肥えても 財布やせ

荒尾競馬場も、きっと万馬券を夢見て多くのフアンが・・・・・。
跡地利用も、広大な面積、おいそれと、決められないでしょう。
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蓮の花さん (どんこ)
2016-03-05 08:49:10
幼少時、祖父に連れられていった頃は
スタートはボックス式ではなく、馬の前に1本のワイヤーが張られ
それが跳ね上がるやり方でした。なかなかスタートが揃わなかったですね。
跡地利用の現状は↑のコメントで触れている通りです。
本当にどうなるのでしょうね・・・。
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縄文人さん (どんこ)
2016-03-05 09:01:32
競馬場はいずこも家族で楽しめる施設になっていますね。
昔は腹巻きやねじり鉢巻きのおっさんが主流でしたが
イギリス生まれの紳士淑女のレジャーという伝統が
日本にも定着しつつあるようです。
地方競馬が廃れていくのは寂しいことです。
炭坑が栄えていた頃がやはり荒尾競馬のピークだったようです。
全盛期の競馬開催日には道路が渋滞するほどでした。
競馬にのぼせて田畑を売ってしまったという話も聞きました。
勝負事には喜怒哀楽がつきまといますよね。
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競馬場 パート2 (旧アラオジュミン)
2016-03-05 22:15:49
荒尾競馬場の閉鎖を聴い時は昔の事が走馬灯の様に頭を過ぎりました。中一の時場長の息子U君とクラスが一緒で勉強はニノ次ぎで良く遊び、担任T先生から何時も注意されてました。
鹿児島本線の肥後伊倉駅から通ってた先生は教え子のT、Nさんと結婚されてたので帰省時には出来るだけ寄せて頂きました。私達の古希の頃からお二人共体調を崩されて思いもよらぬ早い永眠でした。生前に先生が何時も僕のパソコンの先生が どんこさんだよと自慢されて小岱山の山麓での貴重な野草や花等の写真を撮り頂いてました。アルコールの所為?で乱文失礼しました.
返信する
旧アラオジュミンさん (どんこ)
2016-03-06 09:40:16
1年の時、市屋の宮でT先生が
クラス写真を撮って下さったですよね。
あの写真はまだ持っていますよ。
みんなみすぼらしい服を着て写っています。
T先生が「ほんなこて、どるもこるも戦災孤児のごたる。」と言われた言葉が忘れられません。
Nさんが亡くなった時には、私が弔辞を読みました。
T先生の葬儀にはやむを得ぬ事情で参列できずに弔辞を託しました。
長い間お付き合いをさせていただいていたので、別れがつらかったですね。
私のような者がT先生のパソコンの先生役を務めたことも縁だと思っています。
奥さんのNさんには孫のチョロ2が特にかわいがって貰いましたよ。
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