淡路の志知地区の村中の狭い道を
これでもかと車で走り、
森の中を抜けたら大きな池に到着しました。
「間河瀬池」といいます。
この道の北西のすみっこに
大きな大師像が作られています。
これがお迎え大師あるいは
帰宅時は見送り大師として
四国八十八ヵ所参りをする人々を
静かに見守る淡路島の大師像なんです。
近くで見ると大きいですね。
高さは2m以上あります。
いつもバスの中からだと
しっかり見えていました。
ただ高速道路沿いの草なんかを見てみると、
乗用車だとほんの一瞬しか
見えないでしょうねえ。
大師像は足元の大きな石段の上に
すっくと立っており、
その石段には「間河瀬大師」と
書かれています。
昔は徳ヶ池といわれていた池ですが、
平安の頃からこの地を潤しており、
江戸時代初期に改築された後、
有料道路がひかれて改築され
今の姿になっている池です。
なぜ間河瀬池なのかはよくわかりません。
間に川が流れて瀬になっていたという名前も
地域の開発と共に名前だけ残して
変わっていったという
歴史があるのでしょう。
そしてこの大師が実際にいた人なのか、
それとも四国巡礼のために
築かれたものなのか
詳しいことはネットでもよくわかりません。
そもそも誰がお金を出して
立てたのかさえよくわからないのです。
多分有料道路ができて
回収されたときに
立てられたんだと思いますが、
これ以上のことは調べられませんでした。
ただdoironにとっては四国参りの時に、
首藤さんと眺めていた像です。
何回か眺めたときには、
一回だけ観光客のグループらしい人が
その周りにいたのを記憶しています。
でもまあ、ここはとても気になって
いたところなので
行けてよかったなあと喜びながら、
じっと眺めていたのでありました。
しばらくして、この場を離れようと
思った時です。
あれ?と気が付くことがひとつありました。
この間河瀬池の水面に巨大な島
のようなものが作られ
その上に太陽光発電が並んでいるのです。
これはいいアイデアですねえ。
広い面積のいる発電が、
もともと広く広がっている池の水面に
並べられるってグッドアイデアです。
前面を覆ってしまったら、
水中の太陽光による分解などの
水質浄化が出来なくなって困りますが、
水のきれいな池で
これくらいの面積なら
覆っても差し支えないんでしょうねえ。
こういう取り組みが、
これからも進んでいくかもしれません。
平安の昔からある伝統のある池が
未来に向かって進んでいくという、
そんな歴史秘話を目にしたのかもしれません。
さてここから来た方向とは
反対に進んでいくと、
広い道のまま有料道路を橋で越えて、
県道に合流してゆきます。
最初からこの道を行けば
よかったのかもしれません。
さあでは最初から目標にしていた
地点はほとんど終えましたね。
あと二つ、洲本の海辺にある
砲台跡にもいきたかったのですが、
ちょっと時間がないようです。
友ヶ島の西側に大阪にもある砲台跡が、
淡路島にもあるんですねえ。
これは見にいかなくてはなりませんね。
そこにある離れ島にわたるのも
もう一つの目的なんですが無理な感じです。
また日にちを変えて見に行くことにしましょう。
県道に出たら、左に曲がって
大鳴門橋に行き、シラス丼の食事を
いただくことにしました。
これです。
ああ、尿酸値が暴れだしませんようにと
警戒しつついただきました。
そのご、島の西側の国道を走り、
新たにできたスポットや
キティちゃんの施設なんかを
横に見ながら帰宅していきました。
そんな施設は、近づくのもいやなくらいに
人々であふれていましたね。
また夏休みとかじゃないときに
来ないといけないなあと思いながら、
明石海峡大橋をわたりつつ、
いま淡路は新施設と人で
すごいことになってるなあと
恐怖を感じながら
帰宅してゆくdoironなのでありました。