ブログ引っ越しまで猶予ありなので縛らしくよろしくお願いしますの朝です。
昨夜、いや早朝の夢のうろ覚えを忘れないように書いておこう。
子供時代、遊び呆けている時代のお遊びについて以前も書いていましたが、再び頭に上がってきました。子供の遊びの砂取りです。
分校の砂場で棒を立てた砂山を取り合う遊びです。
こんな遊びは、田の地域でもあるのか興味がわきました。
これはこの地の特有のものかとちらっと思いました。
何故か?
昨日、草の生え始め竹の侵入も気になり長い畑へ踏み入りました。
カサブランカ畑にしているとっころです。
少しカサブランカも芽を出そうと草の中。
可愛い水仙の花がいっぱい咲いていてびっくりしました。忘れていました。
以前はコットンを植えて楽しんいた畑。
いつも境界部分には気になります。すれすれに鋤かれているので遊びの場がないなとまた草を刈るとき、歩くのが大変。
私は15センチくらいセットバックしメッシュ柵を立てていましたが、15センチくらいの境界部で草刈りは大変です。すれすれに鋤いているので、お互い作業が大変だ。
人目のつかぬ隅はなぜか土が少なく、おかしいこと2度、
こんな歩合に土への執念のような思いだあるのだと感じました。そして遊びの中でも砂取りゲームの興奮していた子供時代。
土に関しては、どこでもあるらしくだれだれさんがとっていくという話をよくしていた幼馴染のSちゃんでした。そのこぼしを今鮮やかに思い出しました。
そんなやり取りの拡大が戦争。いつもウクライナの戦争で感じています。
畑を鋤いていると地主でないおばさんがせっせと他人の土地で蕨取り。
挨拶もせず、せっせせっせでした。
知っている人だけに、不愉快に畑鋤、スイカ用の畑を作っていました。
小さな、ささいなことから境界部分は怪しく、目に見えないような攻防線が起こっています。人間ってなんだろうとと考えながら可愛く咲いている水仙も私にきずかれて、うれしかったでしょうか?
そんなの関係ないわ、その場でらしくいきているのよと言っているのかな?
小粒な花を咲かせた花に支えられた午後でした。
人間は土に敏感です。他人の土にでもだから、困っちゃう。
農業をしていなかったら、きずかなかった。
いろんなことがあるから、人間は音楽や絵画など芸術にあこがれるのかな?