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原爆死の真実(PART 1)

2020-02-26 03:45:22 | 戦争反対 世界平和
 

原爆死の真実(PART 1)

 


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デンマンさん。。。 原爆が投下されたのは70年以上も前のことなのに、どういうわけで 今更 原爆を持ち出してきたのですか?



あのねぇ~、バンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。。。

 



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7年もの間、検閲対象となっていたという御幸(みゆき)橋の写真。

その経緯を詳しく知る人物が、ニューヨーク州のハドソン川をのぞむ住宅地の一角に暮らしていることが分かった。

核兵器をテーマに取材を続けてきたジャーナリストのグレッグ・ミッチェルさんだ。

 (中略)

(ミッチェルさんは次のように語る)


「写真を隠蔽した7年間は、非常に重要な期間でした。

1945年から52年までは、ちょうど核兵器の大量生産が始まった時期に当たります。

わずか8年の間に冷戦が激化し、アメリカとソ連による大規模な軍備増強が進みました。 (略)

 

原爆に関する写真や映像は、日本のものでもアメリカのものでも、あまりに長い間、検閲され、隠されたため、アメリカだけでなく世界中の人たちが、核兵器が一体どんなものなので、どういう意味を持つのかを熟慮する機会が奪われたのです。

こうして、核兵器廃絶のための極めて大規模な民衆運動でもない限り、ある意味後戻りできない状態になってしまいました。

あの失われた7年間の重大さは、そこにあるのだと思います。


 

今もミッチェルさんは、核兵器をテーマにした執筆活動を行っている。

写真が隠蔽されたことでアメリカ人に根付いた核兵器の意識を変えたいと考えているからだ。

核兵器の悲惨さを伝え続け、アメリカ人が2度と核兵器を使うべきではないと考えるようになるまで取材を続けるつもりだ。

 (154-157ページ)

 

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




『原爆死の真実 きのこ雲の下で起きていたこと』
著者: NHKスペシャル取材班
2017年9月25日 第3刷発行
発行所: 株式会社 岩波書店


 



デンマンさんは上の本を読む前にNHKスペシャルのテレビ番組を観たのですか?



いや。。。 観てなかったのですよ。。。 それで、ネットでググッて冒頭のクリップと、すぐ上のNHKがコンピューター・グラフィクスで被爆当日の御幸橋の様子を再現したクリップを探し当てたのです。。。

本の中には、クリップには出ていない悲惨なエピソードも書かれているのですか?

悲惨なエピソードが たくさん書かれてますよ。。。 ジューンさんも図書館で借りて読んでみたらいいです。。。

デンマンさんは、本を読んで、かなりの衝撃を受けたようですわねぇ~?

分かりますか?

衝撃を受けなかったら、上のクリップを探したりはしないでしょう!

そうなんですよ。。。 僕は広島の原爆に関しては、自分でも理解に苦しむほどの関心があるのですよ。。。

デンマンさんの親族にも、広島で被害にあった方がおられるのですか?

いや。。。 幸いに、僕の親族には広島で被爆した人は一人もいないのだけれど、その当時、広島で救護に当たったお医者さんの話を聞いて、その時初めてかなりの衝撃を受けました。。。 それ以来、目に付くたびにバンクーバー市立図書館でDVDを借りて原爆の映画を観ているのです。。。

 


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『拡大する』

『実際のページ』


 


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『黒い雨』は、1989年5月13日より公開された原子爆弾(原爆)の恐怖と悲劇を描いた日本映画である。
1965年に出版された井伏鱒二の小説『黒い雨』の映画化であり、矢須子に扮した主演の田中好子の演技は高く評価され、公開翌年の第13回日本アカデミー賞で最優秀作品賞をはじめ数々の部門で受賞した。

英語圏ではBlack Rain (ブラック・レイン)という題名で上映された。
タイトルは、原子爆弾投下後に降る「黒い雨」のことを指している。

 

あらすじ

広島の原爆投下によって人生を変えられた閑間夫婦と姪の矢須子の悲劇的な運命を描く。
二次被爆の恐ろしさも明瞭に描かれている。

昭和20年8月6日の朝、閑間重松は工場に出勤するため広島市内から電車に乗り込んだが、その直後アメリカ軍により原子爆弾が投下される。
その後なんとか帰宅した重松は妻・シゲ子と、海を隔てた知人宅から戻った姪・高丸矢須子の3人で市内から逃げることに。

原爆により広島の街は瓦礫の山と化し、多くの怪我人や遺体を間近に見ながら、3人は徒歩で重松の職場である工場にたどり着く。
矢須子は海から市内に戻る途中空から降ってきた黒い雨に打たれていたが、被爆した閑間夫妻共々特に大きな症状もなく、工場で寝泊まりしながらそのまま終戦を迎える。

 


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5年後の昭和25年5月、矢須子は福山市で閑間夫妻と暮らし始め、近所には元特攻隊員・悠一や原爆の二次被爆者である重松の友人3人も暮らしていた。
結婚適齢期を迎えた矢須子は知人から縁談を持ちかけられるが、二次被爆による健康被害を理由に相手側に断られ、閑間夫妻から心配される。

後日三度目の縁談が来て相手も乗り気だったが、数回のデートの後矢須子は原爆投下後に広島市内にいたことを正直に告げると相手家族から断られてしまう。

夏頃シゲ子は、矢須子が嫁に行けないことを不憫に思い祈祷師に見てもらうが、次第にのめり込み精神的に不安定になってしまう。
そんな中元気だった重松の友人たちが突然原爆症を発症した後、短期間で亡くなってしまい矢須子も発症への不安を抱き始める。

その後矢須子は悠一との日常の触れ合いにより彼の誠実で優しい人柄に気分が癒やされると、後日彼の母が息子と矢須子との結婚を検討してほしいと重松に申し出る。

閑間夫妻が2人の交際を認めようとした矢先、矢須子の体に異変が起き毛髪がごっそり抜け、偶然それを見たシゲ子がショックで1ヶ月後に亡くなってしまう。
その後矢須子は重松や悠一の母の手を借りて自宅療養することになり、気分が安定したある日釣りをする叔父と共に近所の池に訪れる。

その時池の主である大きな鯉が飛び跳ねるのを2人で目撃するが矢須子が興奮して半狂乱になってしまう。
帰宅直後に体調を崩した矢須子は、悠一に付き添われて救急車で運ばれることになり、重松は姪の病気が治ることを祈りながら見送る。




出典: 「黒い雨 (映画)」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



上の映画はかなり前に観たのですわねぇ~。。。



8年前ですよ。。。 2012年3月31日です。。。 それから、何本か観ましたよ。。。 どれも悲惨な劇映画か記録映画でした。。。

。。。で、何か印象に残っている映画はありますか?

どの映画も印象深いのだけれど、次のクリップは感動的でした。。。 悲惨というよりも、悲惨の中での人間の温かみが感じられた映像でした。。。

 


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どういう物語なのですか?



これは記録映画です。。。 この少女の映像を撮影したのは、アメリカ軍が長崎の原爆の威力を記録するために派遣したカメラマンなのですよ。。。 その映像に写っている この少女を探し出そうという日本のテレビ番組が制作した記録映画です。。。

。。。で、この少女は生きていたのですか?

生存していたのですよ。。。 80歳を過ぎたおばあちゃんになっていましたけれど。。。

。。。で、デンマンさんは どういうところに人間の温かみを感じたのですか?

この少女の映像を撮影したアメリカ人のダニエル・マクガバンさんが、この少女のことをずっと覚えていて、やっぱり、子供たちのことが気になっていたんですよねぇ~。。。 悲惨な原爆投下にも奇跡的に生き残って、その少女の笑顔に触れたマクガバンサンは、被爆後の悲惨な長崎の街を見て心の痛みを感じたのです。。。 撮影中に少女の笑顔を見たことで、幾分か救われた気分になった。。。

 


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そのことが自分の死ぬ間際まで心に刻まれ、死期を悟ったマクガバンさんが、遺書のつもりで残したホームビデオに、この少女のことも語られているのですよ。。。



マクガバンさんは、かなり良心的な人だったのですねぇ~。。。

そういうことですよ。。。 長崎の原爆跡を見て、心の痛みを感じていたのだと僕は思いましたねぇ~。。。 その点で、上の本の中のミッチェルさんと同様に、核戦争には批判的だったようです。。。 つまり、戦争にかかわったアメリカ人でも、個人的には戦争に反対だった人はたくさんいるのですよ。。。

 


アメリカ人は戦争が嫌い

 


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ケント: 基本的にアメリカ人は戦争が嫌いなんですよ。 当たり前のことですけれど、一般のアメリカ人で戦争をやりたいと思っている人なんていません。 どこの国でもそうだと思います。
第一次世界大戦も、アメリカの世論は参戦に反対だったんです。 (略) ウィルソン大統領も「The war to end all wars」、つまり、「すべての戦争を終わらせる戦争だ」と言い、この戦争が終われば、もう戦争は起きないと世論を説得して、第一次世界大戦に参戦したんです。
ところが、大戦が終わってしばらくしたら、またヨーロッパで紛争が始まった。

 (中略)

ケント: アメリカは日本と戦争をする理由があった。 (略) 日本とドイツを放置していたら、アメリカはいずれ間違いなく窮地に立たされる。 政治家とは本来、そこまで将来を見越して対応しなければならない職業なんです。
しかし、国民はなかなかそんなこと理解してくれないんですよ。 やはり「戦争は嫌だ」と。 現在の不戦主義者に似ているような気がします。 だけどね、井上さん。 
国民がやりたくないからといって、一国のリーダーはやるべきことをやらないというわけにはいかないんですよ。 そう思わない?

井上: そうですね。

ケント: だから、ルーズベルトは、相手(日本)が先に手を出すように仕向けたわけです。

 


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(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




17-21ページ 『東京裁判をゼロからやり直す』
著者: ケント・ギルバート 井上和彦
2018年2月5日 初版発行
発行所: 株式会社 小学館




つまり、一般のアメリカ人で戦争をやりたいと思っている人なんていないのだけれど、国民がやりたくないからといって、一国のリーダーはやるべきことをやらないというわけにはいかない。 それで、アメリカ合衆国としては戦争をする、とケントさんは言ってるわけねぇ~。。。



そういうことですよ。。。

要するに、世界中の市民は誰もが戦争をやりたくないのだけれど、国を動かしている政治家が国家の安全と威信をかけて戦争をやっているというわけねぇ~。。。

そうなのですよ。。。 そういうわけで、アメリカが世界で一番悪い国になっているのです。。。

 


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『今、新たな戦前』

  



なるほどォ~。。。 一般のアメリカ人で戦争をやりたいと思っている人なんていないのに、アメリカ合衆国は世界一の軍事費を用意しているのねぇ~。。。



これってぇ~、アメリカ国民の意思を無視しているということですよ。。。

でも、アメリカの政治家が、戦争を防ぐために万が一に備えているんでしょう!?。。。 つまり、ウィルソン大統領が言ったように「The war to end all wars」、つまり、「すべての戦争を終わらせる戦争」を起こすための軍事費じゃない?

あのねぇ~、それを口実にして、アメリカの政治家と結託して 大手の軍需産業経営者が武器を作って、アメリカ軍ばかりでなく、世界中の軍隊に最新の武器を売っているのですよ。。。 戦争をやめさせるには国際平和連合を立ち上げる必要があると思います。。。

国際平和連合というのは、どういう組織ですかァ?

だから、戦争をこの世からなくすための組織ですよ。。。

そんなことは不可能じゃないですかァ~?

確かに、多くの人がそう思うかもしれない。。。 でもねぇ~、ケントさんも「一般のアメリカ人で戦争をやりたいと思っている人なんていません。 どこの国でもそうだと思います」と言ってるのですよ。。。 要するに、庶民は戦争などやりたくないのです。。。 だから、この庶民の声を集めれば、一部の戦争をやりたい政治家や「死の商人」を退(しりぞ)けることができる。

それでどうするのですかァ?

各国の軍隊と軍需産業を廃止して、国際平和連合のみが国連軍と軍需工場を持つことにする。。。 そうすれば、この世から戦争をなくすことができるのです。。。

でも、各国の軍人と悪徳政治家とペンタゴンが反対するでしょうねぇ~。。。

そうです。。。 一般の庶民は戦争などやりたくないのだけれど、一部の軍人と政治家が戦争をやらねばならない時がくると信じているのですよ。。。

要するに、そういう一部の軍人と政治家がいるので、戦争がなくならないのですねぇ~。。。

そういうことです。。。 だから、ネット市民が団結して国際平和連合を立ち上げる必要があるのです。



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 (すぐ下のページへ続く)










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