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断絶夫婦 (PART 1)

2018-11-23 11:00:43 | アクセス解析の面白い...
 

断絶夫婦 (PART 1)

 


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デンマンさん。。。 あんさんは断絶夫婦になりはったん~?


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なんで わてが断絶夫婦にならにゃあかんねん!?

そやかて、タイトルに書いてますやん!

いや。。。 わてやのうてぇ~、ネット市民の内の一人が断絶夫婦について調べておるねん。。。

どなたはんが調べてはるのォ~?

ちょっと次のリストを見て欲しいねん。。。

 


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『拡大する』

『分かり合えない夫婦』


 



これはライブドアの わての「徒然ブログ」の日本時間で8月28日の午後12時11分から 29日の午前2時46分までの約14時間半の生ログの一部やねん。。。 赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しい。。。



あらっ。。。 8月28日の午後1時37分にGOOGLEで検索しやはって『分かり合えない夫婦』を読みはったのやねぇ~。。。

そういうことやァ~。。。 実は、兵庫県の尼崎に住んでおる有田君江さんが読みはってん。。。

 


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あんさんは、またIPアドレスを調べやはって、君江さんが記事を開いたと突き止めやはったん?



そういうことやァ。。。

 


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上の写真の女性が君江さんやのォ~?



そうやァ~。。。

あんさんのブログにアクセスする女性は、どういうわけで美人ぞろいやのォ~?

めれちゃんを始め、ジューンさん、美由紀ちゃん、小百合さん、真由美ちゃんと美人がたくさん登場するさかいに、きれいな女性が安心してアクセスすることができるねん。。。

そないなことをネット市民の皆様が信じるかいなァ~。。。

。。。で、君江さんは、尼崎で何してはるのォ~?

関西国際大学の尼崎キャンパスにある教育学部に通っておるねん。。。

 


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卒業したら先生になりはるのォ~?



実は、福祉学を専攻しておるねん。。。 将来は、福祉関係に進むそうやァ。。。

。。。で、君江さんは、どないにして検索しやはたん?

次のように検索したのやがなァ~。。。

 


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『拡大する』

『現時点での検索結果』


 



あらっ。。。 「"分かり合えない夫婦" 徒然」と入れて検索しやはったのやねぇ~。。。



そうやァ。。。 すると、検索結果のトップに『分かり合えない夫婦』の記事がでてきよる。。。

君江さんはその記事の中で何を調べやはったん?

あの有名なイタリア人の作曲家・プッチーニの「夫婦の断絶」とドリア事件について調べたのやがなァ~。。。


駆け落ち スキャンダラスな恋

 


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  ジャコモ・プッチーニ

 

1884年は、プッチーニの人生にとって大きな影響を与えた出来事が続いた。
『妖精ヴィッリ』の初演に加え、ひとつは先に述べたとおり、母アルビーナが亡くなったことであり、もうひとつは生涯の妻となる女性エルヴィーラとの恋であった。

プッチーニは、この年に彼女と同棲を始めている。
しかし、彼女との結婚生活はけっして幸せなものとは限らなかった。

エルヴィーラ・ボントゥ-リ・ジェミニアーニは人妻であった。
金髪の豊満な美人だったと伝えられており、現在残されている晩年の写真からも、若い頃の彼女の美しさをうかがい知ることができる。

プッチーニとエルヴィーラは、彼女が食料品の卸しを手がけていたナルチーゾ・ジェミニアーニと結婚する以前からの顔見知りであったらしい。
ナルチーゾ・ジェミニアーニはプッチーニの学友とされているが、どの時点での学友であったのかははっきりしない。

ともかくミラノで知り合ったプッチーニとエルヴィーラは恋に落ち、エルヴィーラは夫を捨てて、夫ナルチーゾとのあいだにできたフォスカという娘を連れてプッチーニと暮らしはじめた。
彼女にはジェミニアーニとのあいだにもう一人、フォスカよりも三歳年下のレナートという子供もいたが、その子は夫のもとに置いたまま駆け落ちをした。
その二年後の1886年には、二人のあいだにアントーニオという息子が生まれるのだが、エルヴィーラとナルチーゾ・ジェミニアーニの離婚が成立しなかったために、ナルチーゾが死亡する1904年まで、プッチーニとエルヴィーラは正式な夫婦とは認められなかった。

 (37-38ページ)




ドリア事件


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  ドリア・マンフレディ


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  エルヴィーラ・プッチーニ

エルヴィーラのドリアに対する「いじめ」は言葉による暴力であり、尋常なものではなかった。
ドリアを解雇した後も、エルヴィーラは村の住民たちに、いかにドリアがふしだらな娘であるかを吹聴(ふいちょう)したばかりか、たまたま道でドリアを見かけたときなどは、周囲に人々がいるにもかかわらず、ドリアのことを「妾(めかけ)」と罵(ののし)り、「湖に沈めてやる」とまで脅迫した。
またドリアの家へも押しかけ、彼女の母親に向かって「いまだに逢引(あいび)きをしている」とか「伯父が連絡役をしている」だとか、明らかに妄想から出たとしか思えないような中傷をわめき散らしたといわれる。

そのうえ村の教区司祭を訪れて、ドリアのような娘は村から追放すべきだとまで提言した。
エルヴィーラの常軌を逸した言動にプッチーニは深く傷ついたけれども、このときの彼の行動は、客観的に見るといささか無責任に思える。
村を離れてパリへ行ってしまうのである。

この事件がおきてからプッチーニがどのようにして問題の解決に立ち向かったのか、具体的に知ることはできない。
シビルにあてて頻繁に手紙を送り、いかにひどい状態であるかを知らせている。
その手紙の中では、エルヴィーラとの結婚生活は地獄であり、自殺も考え、彼女とはもう一瞬たりとも一緒に暮らせないだろうとまで述べている。

 (121-122ページ)

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




『プッチーニ』 著者: 南條年章
発行所: 音楽之友社
2004年8月5日第1刷発行

『蝶々夫人 (2010年3月24日)』に掲載




。。。で、この夫婦の危機をどないして解決すべきやと、君江さんは思いはったん?



君江さんは、めれちゃんとわての次の対話に注目しやはってん。。。


愛のポケット


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あのなァ~、人間はだれかてぇ、不完全で未熟なのやがなァ。それはプッチーニかて、エルヴィーラかて、シビル・セリグマンかて同じやでぇ~。。。もちろん、めれちゃんかて、わてかて不完全で未熟なのやがなァ。



そやから、どうやと、あんさんは言わはるのォ~?

だから、より完全な者、より幸せな人生を歩むために、誰もが少なからず努力して毎日を生きている。努力しなくても、今よりはましな自分になろうと思っている。より良い生活を送ろうとも思っている。

でも、まだ“愛のポケット”が出てきよらん。

あのなァ~、プッチーニは少なくとも3つの愛のポケットを持っていたのやァ。一つはエルヴィーラのための愛のポケットやァ。二人は激しい恋に落ちて駆け落ちまでして結ばれた。

。。。で、2つ目の愛のポケットは。。。?

ドリアのための愛のポケットやがな。

でも、ドリアは司法解剖で処女やと判明したのですやん。

あのなァ~、愛し合うためにセックスをしなければならないという法律はないねん。

あたりまえやんかァ。そないな法律があるわけないやん。

だったら、ドリアが処女だったか?非処女だったか?そんな事は関係あらへん。

そやけど、ドリアとプッチーニは愛しおうてたん?

あのなァ~、めれちゃんが考えているような愛ではないねんけれど、二人は愛しおうていたのやァ。

どうして、あんさんは、そのように言わはるの?

エルヴィーラがドリアとプッチーニの関係を疑ったのは、親戚の一人の告げ口がもとやった。


ずっと後年になって彼女(エルヴィーラ)が書き記したものによれば、この疑い(プッチーニとドリアの関係)に彼女の目を向けさせたのは、しばしばトッレ・デル・ラーゴ(プッチーニ夫婦が住んでいた村)を訪れていたエルヴィーラの親戚の一人であったらしい。




『第三の女 (2010年7月20日)』より




つまり、この愚かな親戚の者はドリアとプッチーニがオペラ『蝶々夫人』について親密そうに語り合っているのを見て、男と女の関係になっているのではないかと誤解してエルヴィーラに告げ口したのやがなァ。



どうしてドリアとプッチーニがオペラ『蝶々夫人』について語り合っていたことが、あんさんには分かるん?

ドリアは自殺したのやでぇ~。。。蝶々夫人もオペラの中で自殺するのや。。。

つまり、ドリアは、プッチーニから『蝶々夫人』の話を聞いてたん?

愚かな親戚の者が誤解するほど、二人は親密にオペラのことで話し合っていたことがあったに違いないのや。プッチーニは、かいがいしく働くドリアを可愛がっていたし、ドリアも世界的に有名なオペラ作曲家を尊敬していた。

エルヴィーラから妾(めかけ)呼ばわりされた時に、それでドリアは蝶々夫人のように自殺を選びはったん?

『蝶々夫人』の影響が無かったとは言えへん。。。ドリアは、おそらく、蝶々夫人を「女の鏡」と思っていたかも知れへん。

それで、3つ目の愛のポケットがシビル・セリグマンのためのモノやのォ~?

そうや。夫のデイヴィッドは、シビルを理解していなかった。シビルを本当に理解していたのはプッチーニだけやったとわては思っているねん。そやから、シビルはプッチーニとオペラを見るのを何よりも楽しみにしていたのやァ。



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プッチーニとシビルは毎晩のように劇場に出かけた。

コヴェントガーデンでプッチーニと一緒にオペラを観ることは

シビルにとって何よりの楽しみだった。


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コヴェント・ガーデンにある

ローヤル・オペラハウス



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音楽などにはほとんど関心が無かったデイヴィッドは、プッチーニに対して表面上は好意を抱いているように装っていたけれど、内心では好感を抱いてなかった。

シビルがプッチーニと外出している時には、デイヴィッドは他の女性と情事を楽しんでいるのだった。

シビルは夫の情事に対しては、ほとんど気にかけていなかった。

そう言う訳で、20世紀の最初の10年間は、シビルにとってもデイヴィッドにとっても幸せだったと言えた。




『愛のポケット (2010年7月22日)』より




エルヴィーラからは文学的にも音楽的にもインスピレーションを得られなかったプッチーニにとってシビルの存在は不可欠になっていた。



エルヴィーラは、ドリアの時のようにはシビルに対してムカつかなかったのやろか?

もちろん、良く思っていたはずが無いねん。でもなァ、ドリア事件でエルヴィーラも少しは反省したと、わては思うでぇ。そやから、シビルに対して妾(めかけ)呼ばわりして毒づくことも無かった。可哀想なのは自殺してしまったドリアやァ。

つまり、エルヴィーラが、プッチーニに3つの愛のポケットがあることを認めていたら、ドリアは自殺することもなかたっと、あんさんは言わはるのォ~?

その通りや。




『愛のポケット2 (2010年7月24日)』より




。。。で、君江さんは上の記事を読みはって、どないに思いはったん?



君江さんは「愛のポケット」について理解することが何よりも大切やと思いはったのやがなァ~。。。

そやけど、夫婦の断絶の原因は浮気や不倫ばかりとはかぎらへん。。。 夫がギャンブルに夢中人なったとか、妻がアル中になったとか、夫が経営する会社が破産したとか。。。浮気や不倫以外にも原因はたくさんあるのやでぇ~。。。

確かに、そうかもしれへん。。。 そやけどなァ~、君江さんは、やっぱり、愛情深い夫婦であるならば、経済的な問題や家庭内暴力なども解決できるに違いないと、思いはってん。。。 「愛のポケット」を理解することが大切やと思いはってん。。。

ほんまかいなァ~? 愛情至上主義やないかいなァ~?

そう思い込む人がいてもいいやないかいなァ~。。。



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 (すぐ下のページへ続く)













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