デンマンのブログ

デンマンが徒然につづったブログ

うさぎ追いしかの山(PART 1)

2016-05-05 11:33:23 | お笑い・ユーモア・娯楽・ゲーム・音楽

 

うさぎ追いしかの山(PART 1)

 


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デンマンさん。。。今日は小学校の時に歌った唱歌のお話ですか?


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いけませんか?

別にかまいませんけれど、どうして急に唱歌なのですか?

小百合さんは、もう忘れてしまったのですか?

何をですか?

僕のふるさとでピクニックをしたことですよ。




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Subj:真心のこもった

手作りの弁当ありがとう!

きゃはははは…


From: denman@coolmail.jp
To: sayuri@hotmail.com
Cc: barclay1720@aol.com
Date: Wed, December 2, 2015 0:06 AM
Pacific Standard Time
日本時間:12月2日(水)午後5時6分
 

バンクーバーも行田もそれほど寒さに変わりがありません。
ちょうど行田が寒かったのかもしれません。

でも、12月1日は実に良い天気でしたねぇ。
小百合さんも洗濯物をたくさん干したことでしょう!

ところで、11月29日の日曜には、手作りの弁当をありがとう!
まさか、小百合さんが弁当まで作ってくるとは思いませんでした!(微笑)


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小百合さんが連れてきたトモユキ君が釣りをした場所。。。 と言うよりも僕と小百合さんが弁当を食べて アイリッシュ・クリーム・コーヒーを飲んだ場所は知る人ぞ知る 極めて有名な場所なのですよ。

。。。ていうかあああァ~ 小百合さんと僕のために、わざわざ歴史が用意してくれた場所なのですよ。 
ぎゃははははは。。。

どういうこと。。。? と小百合さんが不思議に思うかもしれません。

僕も、改めて本を読んでみてビックリしているのですよ。
では、その箇所をここに書き出しますから、じっくりと読んでみてね。


行田船着き場跡


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(行田)市の中心から国道(125号線)を東へ約500メートル、下町のT字路の左に、古風な木造洋館(デンマン注: 現在は岡田カメラ店)がある。

田山花袋の『田舎教師』に出て来る斉藤医院(文中では原田医院)、それから北へ左折して150メートル、またT字路で、右側が遊園地になっている。


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この公園の地が、行田船着き場で、長野口御門、番所、高札場があった。 

(略) つい最近まで、石垣があって、如何にも船着き場らしかった。


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 (中略)

昔はどんな水路を通って、ここまで来たかわからないが、とにかく、今から400年前には、下町を中心に行田町が出来、一、六の市が立った記録は、成田氏時代からである。

そして300年前には、関西方面から、市日めあての商人が来たことが古文書に見えている。
天正18年(1590年)『家忠日記』に「宮津衆、行田の市(いち)に人を切る」とあって、京都府宮津の商人が来ている事を示している。

特に船着き場が栄えたのは、見沼代用水が出来てからであろう。

八代将軍吉宗が、普請奉行 井沢弥惣兵衛為永(いざわやそうべえためなが 1663-1738)に命じ、大宮市東の見沼干拓事業を起こし、旧芝川の水路を拡張して、見沼の溜水を荒川におとし、利根川の水を行田市下中條の今の利根道水路取入口(今、見沼代用水元圦口公園になっている)から、延々60キロメートルの水路を作り、更に通船堀を設け水運の便に供した、一大工事で、享保13年(1728年)の完成であるから、今から、270年も前の事である。

 (中略)


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英照皇太后


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昭憲皇后

明治19年5月10日、英照皇太后、昭憲皇后陛下が、館林の「つつじヶ岡」に行啓された時、行田の橋本喜助宅で、御着替えをなされ、その荷物が、船で下町の船着き場に運ばれ、下町から橋本喜助宅まで大変な列で賑わった事を、私は祖母(安政6年生まれ)から聞いたことがある。

ついでに、その模様が、『埼玉県史』第7巻に出ているので書いておこう。

「明治19年5月10日午前7時30分新宿停車場より別仕立汽車にて御発車、9時鴻巣駅にて御下乗遊ばされ、同宿鈴木半右衛門方、行田町橋本喜助方等に御小休、川俣にて利根川を御渡船……」とある。

帰路も、橋本喜助方で御着替、鴻巣駅午後7時40分発、9時10分新宿駅御着とある。

吹上駅は明治18年3月1日開設であるのに、何故鴻巣駅(明治16年7月28日開設)で下車されたかわからない。
吹上駅では近くに小休される適当な家がなかったからだろう。

とにかく、行田の船着き場が、幕末から明治中頃まで栄えた事は、想像出来ない程だったらしい。
番所が今の久保田屋さんの所にあり、その前に長野口御門があって通行人を見張り、高札場がある程の賑わいだったという。
ところがある人から「あそこは晒し首場だったそうですね」といわれたので色々調査した結果、次の様な事情がわかった。

即ち弘化3年(1846年)蘭法医の河津省庵が本町横町で開業し、その名声が高くなり、御典医となった。
省庵は常に研究に励み、特に“腑分け”して医学の進歩をはかったが、当時人体を解剖することは許されなかった。
藩では先生の便宜をはかり、下町の高札場に晒し首をした。
それを近くの大長寺内に運び“腑分け”をして寺に葬ったという。


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省庵が日本の眼科医学史上の人となり、『眼科方規』『医則発揮』はそんな事情で生まれたのだろう。
藩の役人も医学の為に随分イキなはからいをしたものだと思う。
下町の晒し首の事実は、日本医学史上に役立ったわけである。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




5-9ページ 『行田史跡物語』
著者: 大澤俊吉
1979(昭和54)年12月20日 初版発行
発行所: 歴史図書社


ということで、明治19年5月10日、行田の橋本喜助宅で着替えて、あの船着き場から英照皇太后、昭憲皇后が、船に乗って、川俣で利根川を渡り、小百合さんが生まれ育った館林の「つつじヶ岡」に行ったのですよ。


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なんと、その船着き場で 僕と小百合さんが弁当を食べたというわけなのです。 (爆笑)

もちろん、それだけではありません!

なんとォ~ 僕と小百合さんは館林の「つつじヶ岡」でも、何度か 10月桜を見たり、白鳥を見たりして、ルンルン気分で散歩したのですよ!

しかも、何度となく白いテーブルで小百合さんとアイリッシュ・クリーム・コーヒーを飲んだ大長寺までが出てくるのですよ!


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ぎゃははははは。。。

そういうわけで、この事でまた今日寝て起きたら バンクーバー市立図書館で記事を書くのです。

面白い記事になるので、小百合さんもぜひ読んでみてね。

とにかく、真心のこもった手作りの弁当ありがとう! きゃははははは。。。

では、今日も一日、小百合さんにとっても 素晴らしい日でありますように。。。
祈ってますねぇ~。

じゃあねぇ。。。バイバ~♪~イ。。。


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『手作り弁当@船着き場』より
(2015年12月3日)




デンマンさん。。。 どうしてまた 上のメールを持ち出してきたのですか?



だから、僕のふるさとで小百合さんと再会したわけですよ。。。

それで、小学校唱歌の“ふるさと”を持ち出してきたのですか?

だってぇ~、小百合さんは釣りに拘(こだわ)っていたでしょう!

私がですかァ~?

やだなあああァ~、三男のトモユキ君が釣りが好きだと言うので、“行田船着き場跡”が 釣りに手ごろな場所だと 小百合さんは下見までしたのですよォ~。。。

そういえば、そのようなことがありましたわねぇ~。。。

トモユキ君がこぶなを釣ったので小百合さんも喜んでいたではありませんかァ!


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でも、あの日は確か、何も釣れなかったと思うのですけれどォ~。。。



小百合さんは忘れてしまったのですよ。。。

それで、デンマンさんは“うさぎ追いし かの山 こぶな釣りし かの川”の“ふるさと”を取り上げたのですかァ~?

そうですよ。。。 いけませんか?


故郷 (ふるさと)


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故郷 (ふるさと)は、高野辰之作詞・岡野貞一作曲による文部省唱歌。
1914年(大正3年)の尋常小学唱歌の第六学年用で発表された。

長らく作詞作曲者不明だったが、昭和40年代に高野、岡野と同定され、1992年(平成4年)からは音楽の教科書に両者の名前が明記されている。

高野の出身地である長野県中野市と、岡野の出身地鳥取県鳥取市に歌碑がある。


1. うさぎ追いし かの山

   こぶな釣りし かの川

   夢は今も めぐりて

   忘れ難き ふるさと

2. いかにいます 父母

   つつがなしや 友がき

   雨に風に つけても

   思いいづる ふるさと

3. こころざしを 果たして

   いつの日にか 帰らん

   山は青き ふるさと

   水は清よき ふるさと



解釈

子供の頃の野山の風景を遠い地から懐かしむという内容で、生まれ故郷から離れて学問や勤労に励む人の心情を歌っている。

歌詞に述べられている「かの山」は高野の故郷にある「熊坂山」や「大平山」、また「かの川」は「斑川」であるとする説がある。

1. 野兎を追ったあの山や、小鮒を釣ったあの川よ。今なお夢に思い心巡る忘れられない故郷よ。

2. 父や母はどうしておいでだろうか(「います」は「居る」の丁寧形ではなく、古語の尊敬語「在す」)、友人たちは変わりなく平穏に暮らしているだろうか。風雨(艱難辛苦の比喩とも)のたびに思い出す故郷よ。

3. 自分の夢を叶えて目標を成就させたら、いつの日にか故郷へ帰ろう。山青く水清らかな故郷へ。

岩谷産業が1997年11月から12月にかけて全国の10代から80代の世代を対象に実施した「“ふるさと”を思い起こす歌」の人気投票で、647人・137曲の投票の中から本曲が124票を獲得して1位に選ばれた。




出典: 「故郷 (唱歌)」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




つまり、バンクーバーに住んでいるデンマンさんは、急にふるさとの行田が懐かしくなったのですかァ~?



小百合さんに書いたメールを 改めて読んでいたら “ふるさと”のメロディーがオツムに滲(にじ)み出してきたのですよ。。。 それに、つい最近4月30日にバンクーバー市立図書館でDVDを借りて“おもひでぽろぽろ”を観たのです。


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『実際のリスト』



27歳の主人公のタエ子さんは東京生まれで東京育ちだから、実は田舎にふるさとはないのですよ。。。 そんなわけで、クラスメートが夏休みに田舎のふるさとに帰るのが羨(うらや)ましくてしょうがない。。。 田舎の“ふるさと”に憧れがある。。。 残念ながら、タエ子さには田舎に“ふるさと”はないけれど、農家の親戚が山形にあって、農作業の手伝いをしに出かけるのですよ。


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それで、山形の田舎で有機農業に夢と希望を見出して頑張っている2歳年下のトシオ君に出会うのでしょう!?


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あれっ。。。 小百合さんも“おもひでぽろぽろ”を観たのですか?



もう、ずいぶん前に見ましたわァ。

だったら、僕が“ふるさと”を取り上げる気持ちも分かりますよねぇ~。。。 うへへへへへ。。。



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 (すぐ下のページへ続く)






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