だから、僕と小百合さんが白いテーブルに座って大仏を見ながら、いろいろと取り留めの無い話をしていたように、そのカップルもお互いに気心が知れているように気兼ねなく楽しそうに話をしているように見えましたよ。
ただ無駄話をしていただけでしょうか?
なぜ、あのような白いドレスを着て周りの世界とはあまりにもちがった“外国”でお茶を飲みながら談話していたのか?僕にだって、なぜなのか断言できませんよ。想像を膨らませる以外には答えようが無いですね。
デンマンさんはどう思われるのですか?
僕は“最後の晩餐”ならぬ、“最後の茶会”だったのではないだろうか?今、考えてみると、そのように思えるのですよ。つまり、華麗で豊かな時代が終わったのですよ。行田の足袋産業は斜陽化していた。すでに繁栄の時代の終焉は見えていたのですよ。その女性は30代の半ばだったかもしれません。一緒に居た男性は夫だったかも知れません。二人はハネムーンにパリに行ったのかもしれません。
女性は、パリで着たドレスを出してきて身につけたのかもしれませんよ。工場も邸宅も人手に渡ってしまった。それで最後の茶会を夫と二人で楽しんでいたのかもしれません。
でも、その邸宅は、いわば風雨に晒されて朽ち果てるような佇(たたず)まいだったのでござ~♪~ましょう?
そうですよう。工場は操業していなくて、廃業に追い込まれていたようです。大きな門もペンキがはげて、かなり傷(いた)み始めていましたよ。でもねぇ、二人の思い出の中では、真新しい邸宅のままだったかもしれませんよ。
もしかして、その二人は幽霊なのでは。。。?
まさかぁ~。。。僕は学校が終えてから通りがかりに覗いたのだから午後3時半か4時ごろでしたよ。晴れ渡っていて、雲もほとんど無くイイ天気でした。芝生の色が鮮やかに記憶に残っていますよ。第一、幽霊だったら、足が無いでしょう?僕の見たその二人には足がちゃんとありましたよ。だいたい幽霊ならば、晴れ渡った昼下がりに出てきませんよう。
それで。。。男の人はどのような服装をしていたのでござ~♪~ますか?
それが。。。やっぱり普段着ではないのですよ。タキシードのようなパシッと決めた服装をしていましたよ。とにかく、アメリカ映画の中でしか見かけないようなカップルでしたよ。その前にも後にも、行田では見たこと無いような、とびっきりハイカラな格好をしていましたよ。
もしかして、デンマンさんが夢を見て。。。その夢を現実と混同していたのではないですか?
もし夢ならば、20年も30年も記憶に残りませんよ。あの鋳鉄(ちゅうてつ)でできた白いテーブルと白い椅子ね。。。これが、とにかく印象的に僕の脳裏に焼きついたのですよ。
そんなモノがですか?
卑弥子さんは、“そんなモノ”と言うけれど、当時小学生の僕は『名犬ラッシー』にハマっていたのですよ。
『名犬ラッシー』
ラッシーは、元来は、イギリス系アメリカ人の作家であるエリック・ナイト(Eric Kngiht 1897-1943)が創造し、短編として、1938年のサタデー・イブニング・ポスト紙上で掲載された話「名犬ラッシー 家路 Lassie Come-Home」の主人公である。
1940年には単行本の小説として出版された。
ナイトのオリジナルの話では、英国ヨークシャーに住む幼い少年が、類い希な美しさと気高さを持ったラフコリーを所有していたが、少年の一家が経済的な困窮に直面したとき、やむをえず、ラッシーを金持ちの貴族に売却した。
少年と犬は別離を悲しみ、わけても新しい所有者が、自分の領地のあるスコットランドへと、何百マイルもの彼方にラッシーを連れて行ったため、悲しみはいやましに増大した。
しかしラッシーは、コリーの持つ本能と勇気で逃げだし、小説は、ラッシーが故郷へと、彼女の愛する少年のいる土地へと、家路を辿る苦難の旅を描いている。
1954年-1974年には、アメリカでTVドラマ・シリーズとして製作され、放映された。
このドラマは、日本では、「名犬ラッシー」として、1957年11月3日 - 1966年4月23日、TBS系列で放映された。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
庭にある洒落(しゃれ)た鋳鉄製(ちゅうてつせい)の白いテーブルと白い椅子は『名犬ラッシー』の中でしか見たことが無かったのですよ。言わばそれは僕にとってアメリカを象徴しているようなものだった。それが、大きな門の隙間から覗いた向こう側の庭にあった。そこにアメリカを覗き込んだような驚きでしたよ。ショックと言った方が的確かもしれませんよ。それほど衝撃的に小学生だった僕のオツムのスクリーンに焼きついてしまったのですよ。
それほど衝撃的だったのですか?
そうですよ。アメリカは僕にとってテレビの中の世界だった。言わば夢の世界だった。その夢の世界が大きな門の向こう側にあった。僕が知らずに毎日通っていた道の傍らに別世界があったのですよ。
どれぐらい覗いていたのですか?
どんなに長くても5分以上は覗いていませんでしたよ。
カップルが居たのは門からすぐ近くだったのですか?
門から20メートルほど離れていましたね。
デンマンさんが覗いていることは気づかれなかったのですか?
気づいている様子は全く無かったですね。楽しそうに夢中になって会話している様子でしたよ。
今でもその場所はあるのでござ~♪~ますか?
もう、20年近く前にその場所は取り壊されて新しい建物が建っていますよ。
行田のどの辺にあったのでござ~♪~ますか?
本町(ほんちょう)通りにあったのですよ。この上の地図だと125号が本町通りです。僕が小学校の頃の面影はほとんど無くなってしまいました。“徳樹庵(とくじゅあん)”という居酒屋がありますが、ここにあったと思うのですよ。
今は居酒屋になっていますが10年ぐらい前は、この店は洋食屋だった。まだ僕のオヤジが生きていた頃で、僕が帰省した時には家族でこの店に食べに行ったものですよ。タバスコが食卓にあって、オヤジが“こういう物は初めて見るなぁ~”と言って興味深そうにカレーに振りかけて食べていたことがあった。今、思い出しましたよう。
面白いお父さんでしたのね?ところで、小百合さんと一緒にパスタを食べたと言うお店は、上の地図ではどこにあるのでござ~♪~ますの?
大長寺の隣に赤い丸がつけてあるでしょう?ここがパスタの店ですよ。
大仏からすぐ近くでござ~♪~ますの?
すぐですよ。ほんの目と鼻の先ですよ。去年(2007年)の11月、この大仏の前に初めて白いテーブルと椅子を見たとき、小学生だった時のあの衝撃が再び僕のオツムに蘇(よみがえ)ったのですよ。僕の実家はこの大仏を目指してやってくればすぐに分かりますからね、それで小百合さんにメールを書くときに僕は“ロマン・スポット”の事を書いたのですよ。
つまり、ロマン・スポットとは、鋳鉄(ちゅうてつ)でできた白いテーブルと椅子が置いてある場所でござ~♪~ますか?
そうですよう。僕が、あの幻の上流社会の大邸宅の庭に見た白いテーブルと椅子ですよう。
Re: 10月22日 大仏のロマン・スポット
From: barclay1720@aol.com
To: fuji@adagio.ocn.ne.jp
Date:Sun, 21 Oct 2007 7:16 pm
早いですねぇ~
。。。と言う僕も日本に来てから、たいてい6時半に目が覚めてしまうのですよ。
それで、もう一眠りと思って起き出すのが8時半から9時です。
今日は8時半に起き出して、NHKの朝の“おはよう日本”を見ながらゆっくりと朝食をとって。。。
もちろん、すべて自分で用意して食べますよ。
味噌汁は、お袋が夜寝る前に作るのです。
大体、できたものを温めて食べますね。
あるいは鮭やタラコ、メンタイコをチンして食べます。
そういえば、今思い出しましたが、日本へ来てからまだ納豆を食べていませんでしたよ。
明日の朝、食べようと思います。(^ー^*)
では、小百合さんからのメールをお待ちします。
今度お目にかかる時には、ぜひ小百合さんを大仏のロマン・スポットにご案内しようと思いますよ。
お昼ごろ、昼ごはんを食べずにやってきてください。
でも、期待しすぎないように。。。
小百合さんにとっては、つまらないかもしれません。。。
by デンマン
\(^Д^)/ギャハハハハ。。。。
『ロマンと小百合さん (2007年11月24日)』より
このメールの中で書いた“大仏のロマン・スポット”こそ、僕にとって小学生の頃見た白いテーブルと白いドレスの女性を思い起こさせるロマンあふれるスポットなのですよ。
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