初めて軽井沢に行った時、
町並みがやけにファンタジーで、
お伽っぽいというかメルヘンチックな感じで
メチャ良かったんですね。
たくさんのお土産屋さんが軒を連ねていて、
かわいい小物をたくさん売っていました。
つまり、“お伽っぽいというかメルヘンチックな感じ”が和子さんには良かったのでしょうね。
小百合さんにも同じような“メルヘンチックな思い出”があるのでござ~♪~ましょうか?
あるのですよ。小百合さんは、かつて次のように書いていましたよ。
Subj:明けましておめでとうございます。
Date: 01/01/2008 3:12:13 AM Pacific Standard Time
From: fuji@adagio.ocn.ne.jp
To: barclay1720@aol.com
お正月に何を書こうと迷いましたが
思いつくままに最近感じた軽井沢の不満
について書こうと思います。
題して“軽井沢不満たらたら編”ですう。
私は群馬で上州だから
学生の時から夏は軽井沢に良く出かけました。
(軽井沢は信州ですが)
那須とか日光には、めったにいきません。
私が学生のころ、高崎から横川へ碓氷峠を登り
軽井沢駅まで普通電車で安く行けました。
今は電車は横川止まりです。
子供達はバスで峠を登り軽井沢駅につきます。
大人は高崎から新幹線のホームへ向かい高いお金を払って、
峠を越えるというか、山の中をくぐってワープします。
長野オリンピックで便利になったけど
あの峠を新幹線でアットいう間にすりぬけてしまって、
釜めしは食べる時間もなく
軽井沢の駅の売店で買って食べたりして、
時間の流れが違ってしまいます。
子供のころ軽井沢ってほんと遠いな~というか
高い聖地にある町だな~と思い
楽しみに電車に乗って峠の風景をみていたものです。
私の子供にも経験させたかった。
碓氷峠にはいろいろ思い出があります。
東京も横浜も好きでよくいきますが、
スキーもできてVancouverのように
涼しい軽井沢がいいです。
佐野はあつい~。
夏は昼間出かけられません
労働意欲もなくなります。
思いつくままに取りとめも無く書きましたが、
どうかデンマンさんも良いお正月を迎えてくださいね。
2008年元旦
小百合より
『釜飯と小百合さん (2008年1月3日)』より
小百合さんにとって軽井沢は“高い聖地にある町”だったのですよ。その頃の思い出が小百合さんの心の奥深くに“なつかしいメルヘン”になって宿っているのですよ。
う~♪~ん。。。
卑弥子さんにも、そのような“懐かしいメルヘン”があるでしょう?
そうですわねぇ~。。。ありますわ。
その卑弥子さんの懐かしいメルヘンをいつか聞きたいものですよ。。。ところで、どうして“プリンスホテル”と言う名前になったのか?卑弥子さんは知っていますか?
知りませんわ。どのようなエピソードがあるのでござ~♪~ますか?軽井沢と関係があるのですか?
あるのですよ。
千ヶ滝プリンスホテル
(旧・軽井沢プリンスホテル)
プリンスホテルの名の起源。
現在の天皇が皇太子(プリンス)だった頃、当時の正田美智子さんと最初にテニスをしたことで知られるテニスコートがあったホテル。
プリンスがテニスをしたホテルで“プリンスホテル”。
また、皇籍離脱後に財政難に陥った旧・皇族(プリンス)から安価で買い叩いた土地にホテルを開業したので“プリンスホテル”と呼ぶのだ、と言う人も居る。
いずれにしても、プリンスホテルと呼ばれたのは千ヶ滝プリンスホテルが初めてだった。
このホテルは朝香宮の沓掛別邸跡に建てられたもので、買収した西武グループが天皇家の為に用意した。
1964年からは一般市民の利用は出来なくなり、事実上皇室専用施設となっている。
現在、いわゆるホテルとしての登録はされていない。
後に西武グループから非公式に「軽井沢御用邸」にとの計画が持ち上がったが、グループの経営悪化、民間からの献上は受けない定めが法律にある事、また申し出た西武鉄道グループの元オーナー・堤義明(つつみよしあき)氏の逮捕もあって立ち消えとなった。
天皇皇后が1990年8月に静養の為訪れたのを最後に、10年以上に渡って使用されていない。
“立ち入り禁止”の札がかかっている旧・軽井沢プリンスホテルの門
現在は年に一度のメンテナンスが行なわれているのみ。
ザ・プリンス軽井沢
(旧・軽井沢プリンスホテル南館)
西部グループの株式会社プリンスホテルが経営している4つの“ザ・プリンス”ホテルの1つ。
旧・軽井沢プリンスホテル南館という名前から
旧・軽井沢プリンスホテルと同じではないかと思う人が居るかもしれないけれど、
全く別のホテル。
参考書: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小百合さんは生まれも育ちも館林なんですよ。現・皇后の旧姓・正田美智子さんは生まれは東京だけれど実家は館林です。
美智子さんは、館林で暮らしていた事もあるのでござ~♪~ますか?
太平洋戦争中に館林に疎開していた事もあり、その時には館林南国民学校(現・館林市立第二小学校)に通っていたそうですよ。
じゃあ、小百合さんはお父さんやお母さんからその時のお話を聞かされていたかもしれませんわね。
お爺さんとお婆さんからでしょうね。とにかく、美智子さんが皇太子と結婚した事は館林市民の間で語り継がれていますよ。だから、軽井沢で美智子さんが皇太子(現・天皇)とテニスをしたことも小百合さんは知っているはずですよ。
それで、小百合さんは軽井沢に夢とロマンを感じているのでござ~♪~ますか?
いや、僕はまだ小百合さんから直接聞いた事は無いけれど、案外、関係ないかも知れませんよね。うしししし。。。
【卑弥子の独り言】
そうかも知れませんよね。
なにしろ、現・皇后さまと小百合さんでは世代が全く違いますものねぇ。
小百合さんのおばあさんの時代の人でござ~♪~ますわ。
でも、軽井沢にロマンを感じる人は、けっこうたくさん居るかも知れませんわよねぇ。
上のエピソードを書いた木下和子さんも軽井沢にはメルヘンチックなモノを感じています。
あたくしは、生まれも育ちも京都ですから、軽井沢の思い出って全くありません。
デンマンさんと小百合さんのお話しを読んでいて、ああぁ、そう言うところなのかな?と思っているのでござ~♪~ます。
ところで、やっぱし、デンマンさんとマリアさんの秘め事が気になりますわよねぇ~。
とにかく、あたくしは諦めませんわ。
何が何でも、デンマンさんとマリアさんの本当の秘め事を聞きだすつもりですわ。
あなただって、聞きたいでしょう?
また、あさって読みに戻ってきてくださいね。
じゃあね。
ィ~ハァ~♪~!
メチャ面白い、
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正田美智子さんのことを調べていたら、
“ミッチー・ブーム”と言うものに出くわしましたわ。
すごかったらしいですわよね。
わたしの生まれるずっと前ですし、
日本の事ですから、全く知りませんでしたけれど。。。
面白いのは、そのブームの中で
股上が極端に短い新作パンティー
「スキャンティー(scanty)」が
誕生したのですって。
ショーツよりさらに布地の面積の小さい下着のことです。
これが女性下着ブームの火つけ役となったとか。。。
スキャンティーは履き込みが浅いため
商品によっては、お尻の割れ目が見えたらしいですわよ。
うふふふふ。。。
現在では、冷え症防止という健康上の理由や
パンツ、タイトスカートに下着のラインが
映らないようにというオシャレの観点から、
深くお尻を包みこむデザインの方が良い
と言われているのですよね。
やっぱり、おばさんパンツが見直されているのですわよ。
これ、今、わたしが穿いているものです。
うふふふふ。。。
やっぱり、冷えないし冬にはこれに限りますわよね。
ところで、デンマンさんが小百合さんの記事をまとめましたわ。
ぜひ、次のリンクをクリックして覗いてみてくださいね。
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では、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。
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