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羅漢と良寛(PART 1)

2019-12-11 10:43:51 | 歴史四方山話
 

羅漢と良寛(PART 1)

 


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デンマンさん。。。 どういうわけで羅漢と良寛を取り上げたのでござ~ますかァ~?


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卑弥子さんは不満なのですか?

別に不満ではありませんけれど、ただ取り上げた理由が気になったのですわァ~。。。

卑弥子さんは羅漢と良寛に興味がないのですか?

良寛さんと言うと、あの子供と手まりをして遊ぶお坊さんのことですか?

そうです。。。

でも、羅漢という言葉は あまり耳にしませんわァ~。。。

じゃあ、次のリストを見てください。。。

 


(liv91202a.gif)


『拡大する』

『良寛さんの顔』


 



これはライブドアの僕の「徒然ブログ」の日本時間で12月1日の午後2時10分から翌日2日の午前4時16分までの「生ログ」の一部です。。。 赤枠で囲んだ個所に注目して欲しい。。。



あらっ。。。 12月1日の午後5時25分に、ドコモの検索エンジンで検索して デンマンさんの「徒然ブログ」に掲載された『良寛さんの顔』を読んだネット市民がいたのですわねぇ~。。。

そうなのです。。。 実は、京都市に住んでいる笠原紀美代 (かさはら きみよ)さんが読んだのです。。。

また、いつものようにIPアドレスを調べて紀美代さんが読んだことを突き止めたのですかァ~?

そうです。。。

 


(ip170127b.gif)

 



あらっ。。。 この写真の女性が紀美代さんでござ~ますか?



そうです。。。

。。。で、紀美代さんは京都市で何をなさっているのですか?

花園大学の文学部で勉強している女子大生ですよ。。。

 


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。。。で、リストの リファラ をクリックするとどのようなページが表示されるのでござ~ますか?

 


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次のような検索結果が出てくるのですよ。。。

 


(doc91202a.gif)


『拡大する』

『現時点での検索結果』


 



あらっ。。。 羅漢と良寛 と入れて検索したのですわねぇ~。。。



そうです。。。

それで、今日の記事のタイトルを 羅漢と良寛 としたのでござ~ますかァ?

そういうことです。。。 いけませんか?

かまいませんけれど、ちょっとばかり単細胞的ですわァ~。。。。 おほほほほほ。。。 で、どういうわけで紀美代さんは羅漢と良寛に興味を持ったのでござ~ますかァ~?

あのねぇ~、クラスメートと話をしていた時に、相手の女性が「良寛さんは羅漢顔だったのよ」と言ったというのです。。。 それで、羅漢顔というのは、どういう顔なのだろうか?。。。 そう思って検索したというのですよ。。。

。。。で、紀美代さんは、記事を読んで満足のゆくような答えをゲットしたのですか?

次の箇所を読んだのだけれど、答えは出ていないというのです。。。


ボサツ顔とラカン顔

 

良寛は菩薩だったのか、それとも羅漢だったのか。

そんな問いが、いつごろからか明滅するようになった。

菩薩のようでもあり、羅漢のようでもある、いや、そのどちらでもなうようにも思える。

安田靫彦(ゆきひこ)の良寛さんをみていて、つくづくそう思う。

 


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安田靫彦画 良寛和尚像

 

いや、そう思い惑っている。

現実の良寛も、おそらくそんな風だったのではないか。

良寛の面白いところ、近づき難いところである。

(デンマン注: 読み易くするために改行を加えています)




194ページ
『日本人の情感はどこからくるのか』
2003年5月9日 第1刷発行
著者: 山折哲雄
発行所: 株式会社 草思社




確かに、上の文章を読んでも「菩薩のようでもあり、羅漢のようでもある、いや、そのどちらでもなうようにも思える」と書いてあるだけですわねぇ~。。。



そうです。。。 そして、最後に「良寛の面白いところ、近づき難いところである」と書いている。。。

。。。で、デンマンさんは、紀美代さんの質問に対して、どのように答えたのですか?

あのねぇ~、記事の中には次のように書いてある箇所があるのですよ。。。



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名書家として知られた良寛であったが、高名な人物からの書の依頼は断る傾向があったが、子供達から「凧に文字を書いて欲しい」と頼まれた時には喜んで『天上大風』(てんじょうたいふう)の字を書いた。
現在でもその凧は残っている。

ある日の夕暮れ時にも、良寛は隠れん坊をして子供達と遊んでいて、自分が隠れる番になり、田んぼにうまく隠れ得た。
しかし、日が暮れて暗くなり、子供達は、良寛だけを探し出せないまま、家に帰ってしまった。

翌朝早くに、ある農夫が田んぼに来ると、そこに良寛が居たので、驚いて問い質すと、良寛は、
「静かに!そんな大声を出せば、子供達に見つかってしまうではないか」と言ったという。

このような類いの話が伝えられ、子供向けの童話などとして紹介されることで、良寛に対する親しみ深い印象が、現在にまで伝えられている。

また戒律の厳しい禅宗の僧侶でありながら般若湯(酒)を好み、良寛を慕う民と頻繁に杯を交わした。
また弟子の貞心尼に対してほのかな恋心を抱いていたといわれている。

今日生家跡には「良寛堂」が建っている。
裏手には良寛の坐像がありその視線の先には日本海が広がっている。
沖に見える島影は、良寛の母のふるさと佐渡島である。

 


(ryokan5.jpg)


 



あのねぇ~、これだけ子供たちに慕われている良寛さんの顔は、ボサツ顔とラカン顔 のどちらでもない。。。

 


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。。。と言うと、良寛さんは どのようなお顔をしていたのでござ~ますか?



だから、子供たちにとっては、実に優しい顔をしていたのですよ。。。

 


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 (すぐ下のページへ続く)









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