◇あの夏の子供たち(2009年 フランス 110分)
原題 Le pere de mes enfants
staff 監督・脚本/ミア・ハンセン=ラヴ 製作/ダヴィド・ティオン、フィリップ・マルタン
撮影/パスカル・オーフレ 美術/マチュー・ムニュ 編集/マリオン・モニエ
挿入歌/ドリス・デイ『ケ・セラ・セラ』作詞作曲ジェイ・リビングストン&レイ・エバンズ
cast キアラ・カゼッリ ルイ=ドー・デ・ランクサン アリス・ド・ランクザン アリス・ゴーティエ
◇生きた日々と死んでからの日々
生きているときは鬱陶しいな~とかおもってた人間が、
ある日、いきなり死んじゃうと、
なんだか、その人間のいるべき空間がぽっかりと空いちゃったような気がする。
さみしくて、どうしようもなくなる。
鬱陶しいほどの明るさがあったからなおさら空虚さが増す。
でも、それもつかの間のことで、
いつの間にかその空間にはいろいろなものが詰め込まれ、埋められていく。
この映画もそうした人生の中で誰しもが体験することを描いている。
それも淡々と。
日本の映画のプロデューサーは、自分の会社が赤字で破裂し、
借金を返すあてがまるでなくなっても、自殺したとかいう話は聞いたことがない。
でも、この作品の監督ミア・ハンセン=ラヴの処女作のプロデューサーは、
どうやらそうじゃなくて、この作品で描かれたように自殺してしまったらしい。
それを第2作目のモチーフにしたみたいなんだけど、
いやまったく、邦画界とはちょっとちがう。
ただまあ、主人公なのかとおもってた映画プロデューサーがいきなり道端で拳銃自殺し、
あとに残された妻が死にもの狂いでがんばって会社を立て直していく話かとおもえば、
まるでそうじゃなくて、
会社はそのまま倒産して残務処理に追われ、
くわえて、
夫が実は不倫をしていて息子まで作っていたとかって事実まで知ることになり、
父親を亡くした子供たちもさまざまな気持ちを抱えながらも、
長女は長女で、
父親が最後にプロデュースしようとしていた映画「サトゥルヌス」の監督と恋仲を予感したりと、
ぼくみたいなアホたれが予測するような展開をまるで裏切る展開が待ってて、
しかも最後には妻の実家のあるイタリアへ旅立っていくという、
なんとも現実味に徹した家族の旅立ちが描かれてるんだけど、
そのときに聞こえてくるのが、
ヒッチ・コックの『知りすぎていた男』でドリス・ディの『ケ・セラ・セラ』だ。
ハリウッドの作品や邦画とかだったら、こうはいかない。
まじかってくらいに家族ががんばっちゃって、父親の夢を継ごうとするんだけど、
いや、現実ってのはそんなに甘いもんはおまへんねやってばかりに、
ミア・ハンセン=ラヴは淡々と現実的な世界を映し出していく。
まいった。
たぶん、現実というのは、こういうものなんだろう。
たいした映画だ。
ただ、ちょっと父親が自殺するまでの描写が長くて、ぼくにはきつい。
それだけ、父親の生きていた日々を色濃く出そうとしてるのはわかるし、
ふたつの日々の対比という点もわかるんだけど、ちょっと長かった。
でも、たいした映画だったことにはまちがいない。