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☆=☆☆☆☆☆
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甘い生活

2017年11月28日 16時51分03秒 | 洋画1951~1960年

 ◇甘い生活(1960年 イタリア 174分)

 原題/La dolce vita

 監督/フェデリコ・フェリーニ 音楽/ニーノ・ロータ

 出演/マルチェロ・マストロヤンニ、アニタ・エクバーグ、アヌーク・エーメ、イヴォンヌ・フルノー

 

 ◇神は死に、天使は語らず

 しょっぱな、屋上に水着でいるお姉ちゃんたちの腋毛に迎えられるキリストの像をヘリコプターで吊るしていくマストロヤンニは、要するに神を否定した存在で、享楽と退廃に身をゆだねるのはつまり地獄をさ迷っていくゲオルク・ファウストなのだっていう意味をもたせてるのかしら。となると、アニタ・エクバーグは女メフィスト・フェレスってことになる。

 ま、そんなつまらん感想はさておき、つぎつぎに重ねられてゆく挿話が自己を反省させてゆく種のひとつひとつになってるんだけど、そこまで見つめていかないと自分の愚かしさがわからないのかともおもったりする。友人の家庭の幸せぶりに、愛人はこんな家庭を持てたらいいわねというけれども、それも所詮は束の間の幻影にすぎないという虚無感も漂わせてるのは嫌いじゃない。

 いや、実際、海の家みたいなテラスで簾から落ちてくる木洩れ陽のコントラストの美しさだけでなく、すべての画面でくっきりした輪郭と光線と反射が観られ、なんていう見事な絵を撮るんだっておもったりもするけれども、ここでようやく登場してくるのが天使(ギリシア神話のヘレンってことかしら)をおもわせる横顔の綺麗なヴァレリア・チャンゴッティーニだ。

 ラスト、まったく語ることのない彼女はまさしく天使が降りてきているわけで、夏休みの間にマストロヤンニに会いに来てくれたわけで、また天上へ帰っちゃうんだね。だから、この世を象徴するような醜悪な汚らしい魚の死骸が浜辺へ打ち上げられたとき、それはまさしくマストロヤンニたちの見立てにもなってるんだけど、それが野次馬たちの見世物にもなっていく過程をじっと見つめる彼女のアップで映画は終わる。

 難解だとか意味深だとかっていわれるけど、きわめて単純で、とてもわかりやすい映画だったんじゃないかしら。

 まあたしかに、この映画の産み出したのは登場人物の名前パパラッツィオから出た「パパラッチ」っていうゴシップの追っかけ屋の徒名のほかになにがあったんだろうっていうような気にさせなくもないけど、ぼくの受け止め方はかぎりなく単純なんだけどな。

 でもそういう、この世界では神はすでに死んじゃったんだけど、まだ救いもあんじゃないのかな、このマストロヤンニだってちょっとは後悔して自己批判もし始めてるみたいだしねっとかいう皮肉と哀しみを描いてるんじゃないかしら?…なんておもうのはぼくの感性が鈍いからなんだろうな。


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