狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

多くの中国史書を根拠に、その邪馬台国についての多くの「特徴」が四国山上の天然自然と一致・・・「邪馬台国の結論は四国山上説だ―ドキュメント・邪馬台国論争 」を読んで

2014-01-26 20:19:09 | 歴史・伝統・文化
 総タイトル:【多くの中国史書を根拠に、その邪馬台国についての多くの「特徴」が四国山上の天然自然と一致・・・「邪馬台国の結論は四国山上説だ―ドキュメント・邪馬台国論争 」を読んで】

 「邪馬台国の結論は四国山上説だ―ドキュメント・邪馬台国論争 」(著者:大杉博 氏、出版社:たま出版、出版日:1993/9/10)
 本書を読みました。
 多くの中国史書を根拠に、それら文献に記されている邪馬台国についての多くの「特徴」を比定した結果、四国山上の天然自然環境と一致する事が判明し、畿内説や九州説を唱える多くの識者との邪馬台国の比定地比べ論争を自ら申し込んで、その相手の唱える矛盾点等を突いて全て論破し勝利した著者の研究結果が記されています。
 魏志倭人伝をはじめとした、多くの中国史書に在る邪馬台国についての記述内容の多くの「特徴」が、四国の天然自然と一致
 四国の中腹から上の山上の至る所から、弥生土器・石器が出土。また、古代からの多くの高地性集落と、大土木工事による無数の人造池、山焼・焼畑の風習。井の国=倭奴国=倭国(いのくに)
 「翰苑」所引の魏志倭人伝に、「海中洲島の山に絶在」、「四面がみなともに、海にそびえ立っている」、山脈が「或いは絶え、或いは連なり」
 魏志倭人伝の記事を更に詳しく説明した「広輿図」に、倭・女王の境にくっつく斯馬国以下21の旁国(そば・はたの国)の国名と各大きさ・戸数。「日本東海島、夷亦名倭」、昔、阿波は夷と呼ばれていた(「阿府志」)。
 「太平御覧」所引の魏志倭人伝に、邪馬台国が21の小国を皆統治、南隣に属さない狗奴国
 「釈日本記」の南北二倭は、畿内が北倭、南倭は女王国で阿波。九州は西海道
 阿波に高天原、天岩戸、天孫降臨の地、葦原中国、出雲、天つ国。本当の高千穂は、現在の友内山(木綿麻山、宮内山、木綿内山、忌部山、連台山とも)。阿波と記紀神話の記述の一致
 阿波に、高天原族と出雲族、海族が住む。
 天武8年(679年)5月6日の「吉野宮の会盟」による、大和朝廷発祥地・阿波の隠蔽を行なった「大秘密政策」による、皇室の出自隠蔽の為の九州・島根(出雲)の神話の形跡
 徳島県池田町に、倭国の都の地にしか祭らず、全国の3,132座在る延喜式内社の内ででただ1社しかない倭大国玉神大国敷神社が鎮座
 最初、気延山山頂の前方後円墳に在ったものを後に現在の中腹に移転した、徳島県国府町矢野神山の天石門別八倉比売神社は、大日命(おおひるめのみこと=天照大神)が祭神。大日命は「大日巫女命」で卑弥呼のこと。気延山周辺に100基以上の古墳が群在(気延山古墳群)。三角縁神獣鏡の出土
 邪馬台国の在る倭の地には青い玉と丹(丹砂)が在ると記され、阿波の美しい青石は有名で、阿南市に全国でただ1ヶ所しか確認されていない、弥生時代の丹(辰砂)の採掘跡である若杉山遺跡が在る。
 倭の地では、粟、稲、紵麻を作り、養蚕が行なわれていた。(魏志倭人伝、「古語拾遺」)。
 徳島県神山町神領字高根は、卑弥呼の都跡。天蚕(やまがいこ)、絹の生産。天の中川。高天原と呼ばれていた大川原高原
 大和国は、四国の山人(やまと、山の住人)の国・邪馬台国から山人が大勢行って作って拡げた山人の国。大阪弁の元は阿波弁
 三種の神器は、徳島県穴吹町の古墳からも出土。
 秦の始皇帝の使い・徐福の蓬莱山は、徳島県山川町の高越山(阿波富士)。本当の葦原中国の入口にそびえ、そのすぐ内側に天孫降臨の地・忌部大神宮。「義楚六帖」に「徐福此に止り、蓬莱と謂ふ。今に至って子孫皆秦氏と曰ふ」。和歌山県新宮市の熊野に「大秘密政策」によるカムフラージュ用の徐福の偽の墓
 剣山を囲む様にして、いっちゅう(一宇、市宇=いの中)の地名が5か所。
 和歌山は「紀の国」、阿波は「いの国」。
 神武の阿波からの東征。


 
邪馬台国の結論は四国山上説だ―ドキュメント・邪馬台国論争邪馬台国の結論は四国山上説だ―ドキュメント・邪馬台国論争価格:¥ 1,835(税込)発売日:1993-08



 関連動画↓↓
 

</object>

YouTube: 本当の邪馬台国 四国山上説 その1 1/3


 

</object>

YouTube: 歴史ミステリー 邪馬台国は四国にあった?1





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ダイエット飲料と宣伝しながら発がん性物質を添加する企業のマーケティング戦略

2014-01-26 16:07:56 | 食品
 「カロリーゼロ」等と謳い文句に「ダイエット食品・飲料」等と「宣伝」し、実は発癌(がん)性物質である人工合成甘味料を添加物として含めて、大きな食品・飲料メーカーはそれらの商品を売っています
 菓子、飲料、加工食品、インスタント食品等、様々な商品に、健康に悪影響を与える人工合成添加物が含められています。その内、ガムコーラをはじめとした商品には、人工合成甘味料のアスパルテーム・L・フェニルアラニン化合物、アセスルファムK、スクラロース等が含まれ、これ等は脳腫瘍や肝機能低下、免疫機能低下等を引き起こします。
 また、コーラと同様にカレー等の多くの商品に含まれて茶色い色を付ける着色料・カラメル色素は、4種類の内の2種類に発癌性が有ります。普通は4種類の内どれを使っているか解らないのですが、コーラの場合には発癌性の有る2種類が使われており、原料にアンモニウム化合物が使われ、副産物としての4-メチルイミダゾールがいずれにも含まれています
 カロリーは少し高めになるかもしれませんが、やはり自然の砂糖が体に良いのではないかと思います。


 
 
食べるなら、どっち! ? 不安食品見極めガイド (Sanctuary books)食べるなら、どっち! ? 不安食品見極めガイド (Sanctuary books)価格:¥ 1,155(税込)発売日:2013-05-22

 
プライベートブランド食品の危険度調べました (三才ムック vol.601)プライベートブランド食品の危険度調べました (三才ムック vol.601)価格:¥ 880(税込)発売日:2013-03-28


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

679年の「吉野宮の会盟」により、大和朝廷発祥地・阿波の隠蔽を行なった「大秘密政策」・・・「古代ユダヤと日本建国の秘密―消えた『ユダヤの秘宝』と四国・剣山の謎」を読んで

2014-01-26 14:13:07 | 歴史・伝統・文化
 総タイトル:【679年の「吉野宮の会盟」により、大和朝廷発祥地・阿波の隠蔽を行なった「大秘密政策」・・・「古代ユダヤと日本建国の秘密―消えた『ユダヤの秘宝』と四国・剣山の謎」を読んで】

 「古代ユダヤと日本建国の秘密―消えた『ユダヤの秘宝』と四国・剣山の謎」(著者:大杉博 氏、出版社:日本文芸社、出版日:2000/6/25)
 本書を読みました。
 天武8年(679年)5月6日の「吉野宮の会盟」による、大和朝廷発祥地・阿波の隠蔽を行なった「大秘密政策」
 「契約の箱」を外国から守る為と、皇族の山上での質素で粗末な出自の隠匿により、特に外国に対しての皇族の権威と神秘性の創出の為。
 四国全体の山上に、古代からの無数の高地性集落と人工池井の国=倭奴国=倭国(いのくに)
 邪馬台国と高天原は同一国。葦原中国も四国・阿波
 八咫鏡の裏のヘブライ語による「我は有りて在るものなり」(旧約聖書・出エジプト記3章14節)
 2700年前に「契約の箱」を携えて四国に漂着した預言者イザヤイザナギは「イスラエルの主権者ダビデの王統を救い給え」、イザナミは「ナヲミ(ダビデの母祖)を救い給え」。ナギ→禰宜。日本の皇室はダビデの王統。高天原の中心・剣山
 劔神社の山頂神輿渡御は、ノアの箱船のアララト山漂着の7月17日。兜巾(ヒラクティリー)を付けた山伏。
 「大秘密政策」によるカムフラージュ用の神社をあちこちに創建。出雲大社、宇佐神宮、諏訪大社……。
 本来の富士山・高越山(阿波富士)のカムフラージュ・浅間山(偽富士山)。中国史書(「普陀山志」、「拾遺記」)の蓬莱山=阿波富士に徐福の墓。和歌山県新宮市の熊野に偽の墓
 延喜式から外された忌部大神宮
 日本書紀・伊勢の狹長田は、阿波国以西郡狹長田。
 出雲族の本拠地、長国(元イズモ)の祖神を祭る八桙神社(阿南市長池町宮内)は本来の出雲大社。出雲国風土記に出雲族の神々を祭る神社が載っていない。その風土記に大穴持命(オオナムチノミコト)=オオクニヌシノミコトの名が付く神社が全く無い事で、後に朝廷が延喜式編纂時にあわててその名の付く神社を創建して記載する。
 「大秘密政策」に基づく、日本書紀、古事記、風土記、延喜式、万葉集、釈日本記の嘘の歴史書・偽装工作書
 渡来人(外国人)用に公開目的で作られた「日本書紀」と、皇族関係の勉強用の「古事記」
 四国の秘密を万葉集の中で詠った柿本人麻呂
 記紀神話の本当の舞台・四国を隠蔽した日本書紀の注釈書(質疑応答のマニュアル。役人の虎の巻。)としての「釈日本記」
 大秦景教流行中国碑。秦氏。太秦公秦嶋麻呂
 四国に異常に多い勅願寺「大秘密政策」への国民の反発に対する朝廷の鎮圧藤原広嗣の反乱とその父・藤原宇合。朝廷に対する不信感の表れとしての火災の多発
 空海の四国八十八か所霊場の目的は、朝廷発祥地と契約の箱の封印の為第十番・切幡寺から西へは皇族以外は入らせない。
 八の重要性:八雲、八重垣、八尋殿、八島、八咫鏡、八百万神……。
 空海が、唐の長安城内の大秦寺において、其の寺の僧である景浄から景教(キリスト教)の情報を得る。大秦景教流行中国碑の碑文を作った景浄と、空海が仏教について教わった般若三蔵とは六波羅密教を漢訳した間柄。
 空海著「秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)」は、「秘蔵している宝の鑰(かぎ)」。密教による暗号・暗示


 Dvc00064
古代ユダヤと日本建国の秘密―消えた「ユダヤの秘宝」と四国・剣山の謎価格:¥ 1,260(税込)発売日:2000-06



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本書紀に抹殺された排仏派・物部守屋と、中臣氏に成済ました百済王子・豊璋(中臣鎌足)・・・「物部氏の正体」を読む ※2017/12/02追記:中臣氏の先祖「コヤネ」はユダヤ祭司「コヘン」

2014-01-26 00:36:47 | 歴史・伝統・文化
 (2017/12/01:追記)

 「物部氏の正体」(著者:関裕二氏、出版社:新潮社、出版日:2010/6/1(単行本は2006年9月に東京書籍より刊行))
 本書を読みました。
 「『日本書紀』が物部氏の正体を抹殺」
 「八世紀に編纂された正史『日本書紀』は歴史を改竄(かいざん)し、真実を隠蔽するために記された。」
 仏教反対派(神道派)の物部守屋と中臣勝海、仏教推進派の蘇我馬子。蘇我馬子によって滅ぼされた物部守屋。
 平城京遷都は、藤原不比等によるクーデター。総理大臣級の左大臣・石上(物部)麻呂の藤原京留守役任命による石上(物部)潰しの陰謀。
 古代最大の豪族・物部氏は、神道祭祀軍事に深い関わり。
 物部氏一族にマウラ・マラの名が多く、銅や鉄の精錬に従事する集団。
 経津主(ふつぬし)神と、物部氏の神宝・'霊(ふつのみたま)、'霊剣、物部氏の祀る石上神宮(奈良県天理市)の主祭神は布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)と、「フツ」の名の重なり。
 弥生時代後期に、が山陰地方に溢れだした事と対照的に、大和の鉄欠乏。鉄による農業生産力向上、人口増加、富の蓄積、軍事力増大、国力増大。鉄の独占。
 二世紀後半の小氷河期。
 神道祭祀に関わる斎部(忌部)氏と中臣氏。八世紀以降、斎部(忌部)氏の不当な扱い。
 藤原不比等の父・中臣鎌足は百済王子・豊璋で、物部氏と共に落ちぶれていた本物の中臣氏に成済ます
 瀬戸内海の制海権を握る物部氏は、吉備の一族。
 金属冶金の神アメノヒボコ(天日槍・天日矛)の、新羅から但馬・角鹿(つぬが・敦賀)に本拠地。
 日本書紀が、実在した初代天皇を三人の天皇に分解。初代・神武天皇と第十代・崇神天皇だけでなく、第十五代・応神天皇も初代王で同一人物
 物部氏と尾張氏の祖は腹違いの兄弟の繋がり。律令制度・中央集権国家以前、物部氏と尾張氏は日本の大半の広大な土地と人民を私有。
 藤原の天下の体制作りの為の、物部氏と蘇我氏の滅亡

 <<2017/12/01:以下追記・・・中臣氏についての著者の見解との異論・補足文>>
 ヘブル語(ヘブライ語)では、祭司の事を「コヘン」と言う。ユダヤ人は、古代に於いてはヘブル人、ヘブライ人と言った。
 「コヘン」をヘブル文字で書くと。「コ八ノ」となり、「八」は漢字の「ハチ」にも読めるので、「八」を音読みの「ヤ」と読んで「コヤノ」と読まれる様になり、それが訛って「コヤネ」となった。(※「コ八ノ」の中でも特に「八」の文字は、入力文字としてヘブライ文字が無い為に近似する文字をここに載せているが、正確には左上の角部が離れて上に水平線の付いた文字。上の部分は「几」に近い(「コ几ノ」)。)
 「コヤネ」は「天児屋命」(アメノコヤネノミコト)の事で、古事記には中臣氏の先祖と書かれている。中臣氏は、中臣鎌足から藤原氏に姓を変えた系が存在する一方で、本系の方は中臣氏のままで神事職・祭祀職を代々継続した。
 そして約1,800年以上続いているとされる忌部氏は、先祖代々、古代朝廷における祭祀を司り、剣山の北麓に位置する徳島県美馬市木屋平(こやだいら)に住んで来られた。天皇陛下即位後の初めての新嘗祭である践祚大嘗祭に於いて、麁妙服(あらたえ)を天皇陛下に献上されて来られた。忌部氏直系の後裔・三木家が住む木屋平は、旧・阿波国麻植郡三ツ木村である。そして忌部氏の先祖は天太玉命(アメノフトダマノミコト)である。
 古事記に於いて淡路島の次に創られた伊予の二名島の四国・阿波の山間部・伊国(倭国:いのくに)の高天原から、東の海岸部の葦原中国(いのはらのなかのくに)、つまり長国(ながのくに:那賀、中)である伊津面(出雲:いずも)に天孫降臨し、その後に奈良の大和(やまと)に移動して日本の礎を築いた。支那・中国正史である後漢書に書かれている邪馬台国の正式名は「邪馬臺国(やまとこく)」である。卑弥呼の宗女にして卑弥呼の跡を継いだ「臺與(とよ)」「臺」を「と」と読む事と同じである。尚、「臺與」の代用として「台与」の漢字が用いられている。
 大和へ移動した後の中央氏族としての忌部氏は、奈良県橿原市忌部町周辺を根拠地として、各地の忌部を率いて中臣氏と共に古くから朝廷の祭祀を担った。しかし奈良時代頃から、勢力を増す中臣氏に押され始めた。「コヤネ」を先祖とする中臣氏も、元々は阿波・木屋平に住んでいたものと思われる。
 よって、中臣氏は「コヘン」であり古代ユダヤ人である事が言える。

 
物部氏の正体 (新潮文庫)物部氏の正体 (新潮文庫)価格:¥ 578(税込)発売日:2010-05-28


コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする