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ロベルト・デュラン対エステバン・デ・ヘスス(1974/03/16)

1974-03-16 21:59:21 | classic

WBAライト級タイトルマッチ

4階級を制した伝説。パナマの石の拳ロベルト・デュラン選手(Roberto Duran)が地元パナマで臨んだライト級王座4度目の防衛戦は、キャリア唯一の敗北を喫した相手でもあるプエルトリコのエステバン・デ・ヘスス選手(Esteban De Jesus)に11回KOで勝利して雪辱を果たすと共に王座防衛に成功した一戦でした。

72年6月に英国のケン・ブキャナン選手を破ってライト級王座を獲得し、31戦全勝(27KO)で敵無し状態だった21才のデュラン選手が、デ・ヘスス選手との無冠戦でよもやの完敗で初黒星を喫したのが72年11月。
初回にいきなりデ・ヘスス選手の左フックでダウンを喫し、3回4回にも同じパンチで腰を落としかけるなど、プエルトリカンの鋭く正確なブローに最後まで対応できなかったニューヨークMSGでの大番狂わせから1年5ヵ月後にパナマで行われた再戦でしたが、試合は第一戦同様にデュラン選手がデ・ヘスス選手の左フックで初回からダウンを喫する波乱のスタートとなります。

2回に入ってもデ・ヘスス選手の鋭い左フック、右ストレートをクリーンに浴びてしまうデュラン選手の姿、試合展開は初戦のVTRをみるかのようだったのですが、初戦と大きく違ったのがデュラン選手の精力的でエネルギッシュな攻撃でした。
初戦ではデ・ヘスス選手のパンチを浴びたりホールディングされた場面で攻撃が止まっていたデュラン選手だったのですが、この日は少々パンチを貰ったぐらいでは全く怯む事なく攻撃を繰り出し続けます。片腕を掴まれてももう片方の手でフックアッパーを連打で打っていくようなデュラン選手の力強くしつこい攻撃に挑戦者は次第に為す術を失っていきました。
7回には左フックのボディブローで動きを止められたところに右フックを側頭部に叩きつけられて薙ぎ倒されたデ・ヘスス選手。
以降度々良いパンチを決める場面もあったものの、デュラン選手の精力的なアタックに確実に戦力を削られ続けた末に11回開始早々に7回と全く同じ形でダウンを追加されて10カウントを聞いています。

この試合ではデュラン選手のコンディションの良さ(=初戦でのコンディションの悪さ)が非常に強く感じられました。初戦では感じられなかったキレと力強く精力的な攻撃と言うデュラン選手の持ち味が出た内容での快勝でした。ただヘスス選手の初戦での勝利が単にデュラン選手の調整不良だけが原因でなかったという事も明白になった試合でもありました。
スピードのある正確なヘスス選手の攻撃は見事なもので、ディフェンスの上手いデュラン選手がこんなにもパンチを食う姿はあまり記憶に無いです。


この一戦の後デュラン選手は精力的に無冠戦をこなしながらライト級王座を7度防衛(計11度)しライト級の絶対王者として君臨。62勝(49KO)1敗。
一方ヘスス選手は1つ上のスーパーライト級王者アントニオ・セルバンテス選手に挑んだ試合では敗戦しましたが、76年5月に地元プエルトリコで日本の石松選手を破ってWBCライト級王座を獲得し4度防衛。52勝(30KO)3敗。

そして78年1月、両者は互いの王座を賭けて米ラスベガスのリングで決着戦に臨み、デュラン選手が試合を終始リードする内容の末に12回TKOで完勝してライト級を完全制覇しています。

ライト級での最後の試合ともなったこの日のデュラン選手のパフォーマンスは、ボクサーファイター型の完成形とも言える素晴らしいものでした。
非常にリラックスした動きから良く出るジャブで距離とペースを終始コントロール。機を見て鋭く伸ばす右ストレート、左フックを効果的に決めていきます。
相手の攻撃を小さくスウェーで外し、すぐさま右フックや右アッパーを返すというデュラン選手らしい動きの切れ味も見事なものでした。(敗れた初戦ではこの攻めでデュラン選手唯一と言って良い見せ場を演出していました。8R)

非常に完成されたボクシングでありながらも、訓練の賜物といった画一的なものを感じさせないデュラン選手の動き。
非常に完成された技巧を見せるんだけど本能的、洗練されていながら野生、決して野生味を失わない洗練?・・うまく言えませんがw、デュラン選手のナチュラルな動きは素晴らしいものでした。

ヘスス選手もWBC王者として懸命に戦っていましたが、離れた距離でのジャブの差し合いで上回られ、接近戦でもデュラン選手の力強い左右フックに追い立てられる苦しい展開。最後は12回にデュラン選手の素晴らしい右アッパーでダウンを喫し、力尽きたようにロープを背にデュラン選手の連打を浴びて再び倒れた場面でコーナーが試合を止めています。


デュラン選手はこの後何度も苦杯を舐めながらも戦い続け、1989年に37歳にして4階級制覇を達成。2001年のラストファイトまで戦士として思う存分のボクサー人生を全うしています(?)。103勝(70KO)16敗。世界戦16勝(13KO)6敗。

一方、ヘスス選手の晩年は悲劇的なものでした。
【小説 ロベルト・デュラン】作・夏野澤夫(あしボク編集Blog)
ヘスス選手のその後についてはこちらが詳しいです。あくまで「小説」と銘打っていますのでフィクションも加味されたものなのでしょうが、読ませます。


ヘスス選手は麻薬針によるHIV感染で89年に37歳の短い生涯を終えています。拳友のデュラン選手が4階級制覇を達成した3ヵ月後のことでした。
58勝(33KO)5敗。世界戦4勝(3KO)4敗。

ヘスス選手が亡くなった頃と言うのは、エイズに関する正しい知識がまだ浸透していなく偏見も非常に強かった時代なのですが、死期の迫ったかつてのライバルを病床に訪ねた際に、デュラン選手は一直線にヘスス選手に近寄って抱擁したそうです。


Robert Duran vs Esteban De Jesus II 16.3.1974 - WBA World Lightweight Championship



Roberto Duran vs Esteban De Jesus III



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2009-07-31 21:59:21



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6 コメント

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Unknown (Ike Quarty)
2009-08-04 15:42:54
すみません、リクエストしていたにも関わらずレスが遅くて(週末避暑旅行に行っておりました)。
デュランのボクシングは野性味だけでも楽しめる上に、じっくり見ても高等な技巧を楽しめるところが魅力と感じています。病床を見舞ったデュランの様子から見ても、ヘススはライバルだったんですね。それにしてもデュランもヘススも世界戦の戦績だけ見ると以外に勝率が低いんですね。それだけ昔はタイトル数も少なく、群雄割拠だったということでしょうか。逆に言うとヘススは世界戦以外では1敗しかしていないんですね。凄い・・・。
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Unknown (管理人)
2009-08-04 17:44:21
>Ike Quartyさん
いえいえ。最初はデュランの負けた一戦目だけ見ようと思ってたんですが、立て続けに第3戦まで見てしまいました。
過去に見ている試合はなかなかキッカケがないと後回し後回しになりがちなんですが、今回その機会がIke Quartyさんのリク(?)でもたらされたのでこちらが感謝したい思いです。

デュランの世界戦での敗戦というとレナード、ハグラー、ハーンズ、ベニテスとかですからねぇ。
世界戦での敗北が多いってことは何度負けてもまたチャンスを与えられたということでもあるんで、超一流選手の証だとも言えるのではないでしょうか。

機会があればヘススやデュラン、彼らと日本人選手との試合なんかも・・・とか考えてたりしますが、他にもこの手の構想?みたいなものだけはいっぱいあるので実現可能性は限りなく低いと思っていてくださいw
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Unknown (Ike Quarty)
2009-08-06 13:04:59
何度もチャンスを与えられるのは確かに超一流の証ですね。あと6敗のうち2敗はレナードと知っていたのですが、あと一人誰だろう、と思ったらジョッピーでしたね(笑)

デュラン、ヘススと日本人というとガッツや高山、小林といったところですかね。確かに優先順位は低いかもしれないですね。それ以上にリカルド・ロペスとかも面白そうですね(と微妙にプレッシャー??)。ただライバル対決みたいなものが無いのは残念ですが。当然”可能であれば”ベースで結構なので、お時間あるときによろしくお願いします!!
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Unknown (管理人)
2009-08-06 20:30:35
>Ike Quartyさん
ロペスは、ちょっと私的には盲点でしたね。実家にVHSでいっぱいあるはずですが、もう見れなくなってるか、勝手に捨てられてるか・・・?
PC動画として持ってるロペスの試合って、ゼロかもです。
これを機に収集してみるのもいいかもですね。
最近はすでに記事で取り上げている1~2年前の試合を振り返る&思い出す意味で見ることも増えてきています。次から次に忘れてしまうのでw
今もタボリス・クラウドの一年前の試合を見直したりしてました。(今月末に遂に世界戦やるので)
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King of '70s (gavilan)
2013-09-12 17:47:44
はじめまして。
貴殿のブログは最近知りました。
デュラン対へススの記事、興味深く読ませていただきました。デュランという人は病床の元ライバルを見舞ったり、アルゲリョの葬儀に駆けつけたりと芯からの男気を感じます。自分と同時期に活躍し互いに刺激をしあった最大のライバルたちは時を経て無二の戦友みたいなものに昇華していったのだと思います。
たしかヘススとの第三戦の計量時、握手の手を差し出したヘススの手を払いのけたデュランに怒ったヘススが殴り掛かったり勿論それをかわしたデュランが...というようなマスコミ用のプロモーション活動では無かったようなシーンもあったようでした。
そして、おそらくこの時代に於けるデュランのライバルはこの二人以外にもう一人いたのでは無いかと思います。それはアントニオ・セルバンテスです。
ヘススを自らのもつWBAJrウェルター級の防衛戦で
完封した試合はたしかパナマで行われたはずです。
デュランはどのような気持ちでこの試合を観ていたのか興味が湧きます。

デュランとセルバンテスがもし'73~'75(セルバンテスがベニテスに敗れる前)頃に戦っていたならどのよなイメージを持たれますか?
また、セルバンテス対ブキャナン(両者全盛期)のイメージはどうですか?

長々と失礼致しました。


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Unknown (管理人)
2013-09-15 09:11:11
>gavilanさん
セルバンテスもブキャナンも門田選手との試合、石松選手との戦いをずいぶん前に見たぐらいでほとんどわからない
ってのが正直なところです。
デュランもライト級のバリバリの頃は後から見ただけで、その当時の突出度、存在感みたいなものは掴みかねている状態です。
お恥ずかしい限りですが、仮想デュラン対セルバンテス、セルバンテス対ブキャナンってのは私には想像できないです。


ご存知かもしれませんが
現在62歳のデュランはホルヘ・カストロの引退記念エキシビションに出場する話があって結構楽しみだったりしたのですが、結局試合はやらずレフェリーを努めた?
なんてことがあったようです。
http://www.fightnews.com/Boxing/photos-quotes-from-roberto-duran-jorge-castro-argentina-press-conference-224279

http://www.fightnews.com/Boxing/maciel-dionicius-win-in-buenos-aires-224973

元気そうで嬉しいです
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