Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

帽子と社会性。

2007-07-22 | 物質偏愛
 他の民族のことはよく知らないながら乱暴に云ってしまうが、近頃の日本人は帽子を被るのが本当にうまくないと思うのだ。
 日本橋や銀座あたりでは、冬にもなると自分の親よりもはるか年上の男性たちの一部が、本来ならより美しくあるはずの若い世代よりもはるかに美しくしゃっきりとスーツを着こなし、それにさり気なく帽子を加えているのを目にする。それは必ずと云ってよいほど私の目を奪い、「私が男であったならなぁ」と思わせる。「日本人は民族的に体型が違うから、洋装が似合わないのだよ」というのが怠慢な言い訳であることを彼らは証明してくれる。

 上記の御爺さんたちの姿に象徴されるように、帽子の文化は昭和初頭までは確かに日本にも息づいていたはずだ。その後、どのような経緯か知らないが日本から正統なる帽子の文化は失われた。
 今では、どんな路面店でもデパートでも季節ごとにあまたの帽子が売られている。私は帽子という、本来あってもなくても全く生活に支障のないアイテムが大好きであるので、必ず季節ごとに店頭をチェックする。そうして、まるで洋服と同じようにモードの上っ面だけを乱暴になぞっただけの帽子しか見当たらないことに、がっかりする。

 近頃の帽子は、服の延長として捉えられているように感ずる。
 私にとっての帽子は、靴の延長として捉えるべきものである。
そこに、小さいようでどうにも埋まらない大きな齟齬が生じるのであろう。

 服は(※正装、スーツ以外)、自由に組み合わせてよく流行り廃りが顕著な消耗品である。一方、靴は本来万能であり、長持ちさせるべきものであったはずが、昨今の廉価傾向とデザイン化により、服と並ぶくらいに消耗品化してきているのが事実だ。多分、昨今の若者は、消耗品としてのお洒落用品に成り下がった後の「靴の用途を持つもの」に最初に触れる。本物の「靴」に触れるのは、もっと後だ。
 帽子はきっと、靴の低俗化に引っ張られるようにして、消耗品の仲間入りをしてしまったのであろう。それはとても残念なことだ。


 帽子は、被っている最中は別にその重要性を思わない。
それを被る瞬間やはずす瞬間、あるいはそれを被っていてはいけない場所において、本来あるべき場所になく手に持たれている状態。そんなときに、帽子はとてつもなく華やかに、ひらめく。

 雨が降ってきたときに、被っていた帽子をきゅっと深めに傾ける。
 知り合いに出逢った瞬間に、笑顔とともに片手でするりと帽子を脱ぐ。
 美術館や自社仏閣に入った折に、敬意をもってそれを外す。
 誰かとの別れ際、店を出る際にきゅっと帽子を被る、ひとときの別離の合図。

帽子が動くときは、何らかの環境変化が起こる(起こった)ときだ。
環境の変化を、仕草として自分の身に反映するのは、モードが含有する社会性の体現。その様式美がとても芳しいから、私は帽子が好きなのだ。


 これを読んで、万一にも新しい帽子が欲しいな、なんてふと思いついてしまった人が居たとしたら、その方には是非イタリア製の帽子を選んで欲しいと思う。
帽子の文化がある国で作られた帽子は、価格の如何に拠らず、その風情が日本のそれとは全く異なることに気付くだろう。






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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
美しくないんだもんねぇ (ヨーコ)
2007-07-23 00:30:29
そうなんです。最近の帽子は美しくないんだもんねぇ。
ここ数年、帽子を購入していないのは、そういうわけだからかも。
色々な新しい解釈があるのは構わないのだけれど、
男性のも女性のも、帽子はそもそもどういうものだったのか、
みなよ、ちょっと考えてみたまえ!っていう気持ちです。

うちのおじいちゃんは地味な公務員だったけど、ステンカラーのコートに、しっかりした帽子をかぶって通勤していたのを鮮明に覚えてます。その様子が大好きだったんだ。
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ペーパーの帽子 (マユ)
2007-07-23 01:13:51
>ヨーコちゃん

わたしは今日、数年ぶりに「まともな」帽子を買いました。
写真に挙げた、地味だけれどベーシックでクラシカルな形状をしたペーパー繊維で作った夏用の帽子です。
軽くて空気を通して、でもストローのような夏休み仕様でないやつ。
書いていて気付きました。
そうだ、最近はノーブルな帽子がなさすぎるのだ。

素敵なおじいちゃんの姿が浮かびます。羨ましい。
あたしもできることなら、日差しを避けるように、スーツに帽子を被って出勤してみたいです。
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Unknown (☆無学☆)
2007-07-23 02:27:37
私にとって帽子は正装の一つで、礼儀を示したいときには欠かさず被ります。
(19世紀末~20世紀初頭に憧れているのでw)
セピア色の彼女達はちょこんとした帽子を被っていて、うっとりします。(いつか被ってみたいな~)

紫外線対策に大きな黒いツバの帽子を被っている人を見かけますが、
「喪中じゃあるまいに・・・。」とげんなりしてしまいます。
機能美の追求は結構なんですが、デザインにも趣向を凝らして欲しいですね☆
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文化 (葵木和寿)
2007-07-23 22:37:32
文化ある国で作られたモノはその深みが違う。と、思うよ。
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なんとなく思う (渡部太郎)
2007-07-23 22:55:49
室内(人の家)で帽子をかぶりっぱなしの人が
なんか好きになれません。
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黒い帽子の用途 (I)
2007-07-23 23:37:16
マユさん、こんばんわ。
私も大きな黒いツバの帽子の愛用者なのですが、これを被って外出すると、紫外線だけでなく、視線をカットして、姿が見えなくなる魔法の頭巾に近いもの、匿名性が獲得できるような感じです。メイクをしないときの心理的なバリアでもあります。
デザインは、心の中で、白い花をつけたり、赤いサッシュを巻いたり、エメグリーンのリボンを結んだり。
もし、現実に飾り付けたら、際限なく次から次へと新しい帽子が必要になって、永遠に満たされなくなるでしょう、きっと。
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黒い帽子の用途’ ()
2007-07-24 12:54:06
上のコメント、一部の男性への皮肉ではありません。社会性を持たせられる、記号?としての帽子は、年月に磨かれた、基本に忠実なデザインでないと、満足できる役目を果たさないということ。
マユさんお勧めの、イタリアの帽子に賛成。
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エレガンス (マユ)
2007-07-24 13:22:36
>無学☆ さま

わたしは髪が短いので、帽子を被ることはそう頻繁ではありません。
本当なら、コンサートのときなどに帽子を被って行きたい気持ちはあるのですが、脱いだときの置き場所に困るのは勿論のこと、とくに暑い季節などにはその後の髪がぐちゃぐちゃになってこれっぽっちも美しくありません。

大きなツバも大好きなのですが、満員電車でだけは、よしてほしいな。エレガントなはずのそれから、途端にエレガンスが剥奪される瞬間だ。


>葵木和寿 さま

文化は生活(生きざま)に密着しているからね。
日本の色彩がこんなに美しいのも、そのせいだ。


>渡部太郎 さま

それはきっと、どーーーーしても見せたくない部分があるからだ!

※因みに、昨夜、ハゲになった(髪の分け目のところが大幅に)夢を見ました。
 いろいろとげんなりです。


>I さま

黒い大きな帽子は、あこがれです。
しかし、私は背が低いので、頭が歩いてるみたいになってしまうのです。おまけに眼鏡野郎なので、大きく垂れるツバと眼鏡のフレームがぶつかって喧嘩してしまうのです。
よって、まだうまいこと自分に見合うものを見つけられずにいるのです。
黒い大きな帽子とともにお出掛けできることは、本当に羨ましいことだと思います。

そういえば、昔に購入したそれなりにツバ広の帽子に「落雷注意」と書いてあったことを思い出しました。
ツバの形を調整するために、薄いアルミ(?)が入っていたように記憶します。くわばら。
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