こころがかるくなる心理カウンセラーかきかわのブログ

山口市で心療カウンセリングルームを営みながら日常のエピソードをまじえて泣いたり笑ったり感情を動かすお話を掲載しています。

今年の桜、こころのお花見

2012-04-07 21:03:47 | 日記
気温が低めの今年の春は桜が長く楽しめる気がします。

日本には四季があり、花の咲く時期は限られているので日本人は時の慈しみ方が上手だと思います。


今年の桜は今年しか愛でることはできません。

数年前の春のことです。

車椅子をおしながら、ある方とお散歩しておりました。


「 桜を観るのも今年で最期だねえ。」

死期を悟ったご婦人から、散り初めのそれはそれは美しい桜の下での言葉を聞きました。


とても淡々と、凛とした表情が印象的でした。

自然と言葉になりました。


「 今年の桜は誰にとっても今年で最期です。」

ひとひらの花びらが散るその時は、二度と戻らぬ時間です。


私の心に在るアルバムには多くの桜が遺されています。

今は切られて無くなった木も思い出の中には在ります。


繋がりとは何でしょう?

親から子へ、子から孫へ・・・

子々孫々と受け継がれること。



見えていることなどほんの一部です。


座右の銘、私の尊敬する人物、心の礎となる本・・・

何かを規範にしたいと思いますが、私のライフワークとしているカウンセリングは、規範になる何かは存在しません。


人とは、自然とは、宇宙とは無二です。

形はあってないもの。人はそこに在ってもこころは形ありません。


もし、教科書通りに何でも解決するのであれば悩むことはないでしょう。


ずっとずっと、いつもいつも好きな人を好きでいたいです。

夫・・・師・・・親・・・

関わる人全部。

もし、誰も嫌わずずっと好きでいられるならば、どれほど幸せでありましょうか?


だけど、私は神様じゃないから・・・

やっぱり腹の立つこともあります。

思い通りにならなくて悲しいこともあります。


今夜の桜を綺麗だと思っていても、咲いていない時はその存在すら忘れてしまうこともあります。

人のこころも同じく、好きであったことも忘れてしまうこともあります。


それでもいいのではないでしょうか?

忘れることができるから、思い出すとき感動も大きいのかもしれません。


夫と結婚した最初の年に観た桜は、京都の石清水八幡宮の桜でした。

私の母も一緒でした。

大きく切った筍の煮物と、甘めの卵焼きと大きなおにぎり・・・

はじめて我が家の味を夫にも食べてもらいました。


二年目の桜の思い出は、醍醐寺のしだれ桜です。


最近の一番の思い出は、5年程前に、緩和ケアの皆様とご一緒した瑠璃光寺の前で夜桜見物しながら

語り合ったことでしょうか?


忘れても構わない。

命ある限り、消えてはいないのです。

根っこは残っているものです。


どうしても、忘れてしまって悲しい時、苦しい時、優しい気持ちを思い出したい時は、お訪ねくださいませ。

私はカウンセラーという仕事を鏡に例えますが、普通の鏡ではなく水鏡だと思っています。

ふぅ~っと息を吹きかければ波紋が起きます。


そーっと見つめてご覧ください。心穏やかになったその瞬間見えることもあります。

ブログからは全国の皆様からお便りをいただくことがございます。


旅の折にもお訪ねいただければ幸甚です。


山口市宮野の小さな心療カウンセリングルーム

かきかわ統合医療相談室
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 子どもが泣く理由と大人が泣... | トップ | 手をつなぐことの意味 »
最新の画像もっと見る

日記」カテゴリの最新記事