最近の数十年間だけを見ても、我が国の分娩場所のトレンドは何度も何度も大きく変遷してきました。各地域によってそれぞれ独自の歴史があると思いますが、大きな流れとしては、自宅分娩が中心で町の産婆さん達が大活躍していた時代、助産院やバースセンターが各地に林立していた時代、町の産婦人科開業の先生方が中心になって頑張っていた時代、各地域の比較的小規模の病院・産婦人科が競って頑張っていた時代と、どの地域においても分娩場所のトレンドは時代と共に何度も大きく変遷してきました。それぞれの時代時代で、担当者達は必死で頑張ってきました。
これからの産科医療は、産婦人科医、助産師、新生児科医、麻酔科医などからなるチーム医療が中心となっていくと思われます。
しかしながら、産婦人科医、助産師、新生児科医、麻酔科医はどこでも足りなくて、奪い合いになっているような状況にあり、決してすぐには増えません。今は、医師数に対して施設数の方が圧倒的に多すぎて、各施設が医師不足で困窮しているわけですから、この際、緊急避難的に産科施設数を必要最小限に絞り込んで、その絞り込んだ施設で屈強の周産期医療チームを結成し、そこで充実した産科医療を実施するしかないと思います。
今ある公立・公的病院の産科施設を、すべて次世代に残そうとしても絶対に無理だと思います。我が国の分娩場所のトレンドが、今、どのような方向に向かっているのか?ということを公立・公的病院の管理者達はよくよく考えてみる必要があると思います。
我が国の妊産婦死亡率の推移を見ると、1950年は10万分娩に対して176でしたが、2000年には6.3となりました。また、周産期死亡率(早期新生児死亡率と妊娠28週以後の死産率との合計)の推移を見ても、1950年は出生1,000に対して46.6でしたが、2000年には3.8となりました。 これらのデータから、この五十年間で分娩の安全性が著しく向上したことがわかります。 しかし、今でも実際には、1,000人に4人の赤ちゃんが、また1万人に1人の母親がお産で亡くなっているわけですから、現在の医療水準であっても、必ずしも、一般に信じられているように『お産は母児ともに安全』とは限りません。 ましてや、万一、このまま地域から産婦人科医が絶滅し、昔(五十年前)の医療水準に戻ってしまったら、現在の何十倍もの母児がお産で亡くなりかねないということを一般の人達にもよく理解していただきたいと思います。 崩壊の危機に直面している地域周産期医療体制を守ってゆくために、我々は今何をしなければならないのか?今何ができるのか?それぞれの地域の実情に合わせて、長期的な視野に立ち、地域全体で考えてゆかなければならないと思います。
地域内の病院が全滅してしまっては地域住民全員が困るわけですから、国や県のレベルの強力なリーダーシップにより集約化する病院を決定し、多少の反対運動は覚悟の上で断固として実行していく以外にないのかもしれません。