SpiMelo! -Mie Ogura-Ourkouzounov

L’artiste d’origine Japonaise qui mélange tout sans apriori

自分の中の内なるプーチン

2022-04-04 09:37:00 | Essay-コラム

私は小さい頃、大きくなったら国連に勤めたい、と思っていた時期があった。


なぜかというと、小学校で「国連があるから戦争が止められる」と習ったからだ。


もちろん今では、当たり前だけど国連が戦争を止められないのは知っているし、どうやったら戦争が止められるのかも当たり前だけど分からないから、国連に勤めたいとは思わない。


そして私は、音楽以外に能のない何にも出来ない人だったので、そのまま音楽家になった。


だから今回の3月28日のコンサート評の新聞記事:https://blog.goo.ne.jp/cieuxstage/e/de53654c7775c6374580ce57c897967fで、私が演奏したことが平和へのメッセージとして聴衆に届いた、という表現に驚き、それが本当かは別としても、この記者さんがそのように感じてくれたことに深く感銘している。


この記者さんは私が「二つの音楽的世界を繋げるためなら身を挺し何でもした」と書いてくれていた。


私のしてきたことを、私のたった一音で分かってくださった。そしてその一音を「日本の満開の桜の下で、マルティニーク島の奴隷地区の回想が太陽に照らされた」と、表現してくださったのである。


私はマックス・シラの曲「ロシェルの住民」をアレンジした時、それが奴隷地区の回想であることを厳密には知らなかった。ただ彼の音楽から、フルートの音から、深い哀しみと高らかな昇華を感じたのを、私なりに音にして写し書いていっただけだ。(そのことは後になって黒人奴隷の歴史に詳しい同僚Cが教えてくれた)



音楽している間は作曲やら編曲やら演奏に必死で、もちろん平和のへの字も考えてないのだけれど、この記者さんの心の中で、コンサート冒頭で演奏されたウクライナ国歌と、奴隷植民地区の歴史が重なったとも読める、奥深い記事である。


__ちなみにこの記者さんは黒人さんであった。フランス海外県の主要新聞なので多分アンティーユ諸島出身であると想像する。記事を読んでしみじみ思うのは、フランス植民地支配による歴史を誰もおおっぴらに語らなくなっているのと同様に、多分マックスさんを中心とするアンティーユ音楽も現代では徐々に忘れられ消えかけていて、今この音楽を「書かれた」アレンジを通して現代の音楽に融合させることは、私が思っていた以上にずっと意味のあることだったのではないか、ということだ__


二つの世界を繋げるとはなんだろう。


私が思うには、二つの世界を深く知ること、そしてどちらか一方からの認識でものごとを見るのをやめること。


それには長い長いトンネルを抜けて行かなければならない。この世界の次元以外のところを通って行かなければならない。論理ではなく、音楽という次元のトンネルだ。


相手の生きたことを生きるのは決して簡単なことじゃない。海に深く潜るのと同じことだ。実際ここ数ヶ月は時々息ができなくなるほど苦しい時間を過ごした。


思うに、長らく勤めてきたパリ19区音楽院と小学校は、私にとって世界のミニチュアであり、そこの即興アトリエで「即興」を教えることで、まさに色んなレベル、次元の異なる人々のエネルギーを繋げる作業で、この世界に生きることを体得してきたように思う。


改めてこの経験をくださった新旧の私の生徒たちに心から感謝したい。


この小さな世界から大きい世界に乗り出した時、私はそのままのやり方でやって行くと思う。


そこで学んだことはこれだ。すなわち


イデオロギーにはまらない。


イディオムに奉仕しない。


異なる世界を繋げられるのは、イデオロギー(思想、理念)じゃない。


経験を積むと自身のイディオム(慣用が出来てくる。しかしそれに囚われたり、胡座をかいたり、それを利用してもっといい立場になりたい、と考えると、途端に世界を繋げる回線は切れてしまい、他の存在に対抗するところに身を置くことになる。


最初純粋だったはずのどのようなスピリチュアルな考え方も、それに囚われ過ぎると確立した強固なイデオロギーのシステムとなって、いつしか軍隊と化し他を攻撃するのではないか。


世界中の宗教や思想の歴史がそうであるように。


みんなプーチンは悪いと言う。もちろん悪い。しかしみんな一人一人が自分の中にいるかも知れない内なるプーチンに気付き、戒める。その作業なしに、どうして世界に平和が訪れるだろうか。


日本のニュースによると、プーチンは悪いが、ウクライナが真珠湾攻撃のことを引き合いに出すのはいかがなものか、と言っていたタレントがいる。軍事施設なら攻撃が許されるのと言うのであれば、その軍事施設の中にいるのは自分と同じ人間だという事実を忘れるほどに「イデオロギー」に支配されている。自分の中にある悪、自分の国の歴史にもある悪。どこにも潜む可能性のある悪。それをまっすぐに認められない弱さ。自分は悪くないが人は悪い。そのような一次元的考え方で世界平和が訪れると思うのなら、それはとても甘いし危険だと思う。


娘が幼稚園のころ、学校で作ってきたブレスレットがあって、これには黄色、青、赤、白が混ざり合い、その上に金粉が舞っている。


それはまるでウクライナとロシアの国旗をカクテルシェーカーで混ぜ合わせたように美しい。


これが私が今回のコンサートで、服飾アーティスト安藤福子さんの創った「黒のタブーのドレス」と共に身につけていたのものである。


私はタブーに挑戦する、その先にあるのは一体何だろう。



2 Comments

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Unknown (cieuxstage)
2022-04-18 15:53:37
どっちと出るか??相反するこの二つの世界。数ヶ月後はKosmosにいるのかKhaosにいるのか。それは誰にも分からない。それはひとちひとりの心の内次第です🎶
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Unknown (ナオフミルク♪)
2022-04-16 00:54:13
COSMOS(宇宙)かKHAOS(混沌)か それが問題だ♪
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