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孫文さんの“多摩たまの隠れ部屋”ブログ編

「孫文さんの“北京の隠れ部屋”」を「孫文さんの“多摩たまの隠れ部屋”」に変更しました。

大同の旅 Part4 (雲崗石窟)

2010年11月15日 01時32分13秒 | 旅行(中国)
木搭から雲崗石窟までどのくらいの時間が掛かるのかタクシーの運転手に聞いたら1.5時間くらいだという。 遠いなぁと思いながら、景色に飽きると車中でタバコをすう・・・
チャーターしたタクシーは郊外を走り、雲崗石窟についた。


雲崗石窟の入場料は100元。 写真の入場券を買う場所の案内所のようなところ。
休憩設備やトイレもしっかりして整備されている。


入場するとお寺があり、いったい石窟はどこなんだろうと思いながら中に進む。
彫刻が何となくインド的な感じもするなぁ


洞窟があったので、ともかく入ってみることにした。
(この時点では、あまり期待はしていなかったのだが・・・)


この三窟の仏像は471~494年に作られたと、案内板に書かれていた。
雲崗石窟は、460年(北魏の和平元年)に開削され494年(北魏の太輪18年)の洛陽遷都の前には大部分が完成していたらしい。洞窟に入って、洞窟をくりぬく技術、仏像の穏やかな表情の豊かさに感銘した。この当時の大仏文化が、後の日本に入り、奈良の大仏などに発展していったのだろう。 1500年前の大仏文化を目の辺りにして歴史の流れを感じずにはいられなかった。




完成当時は目にも鮮やかな極彩色の彩りで綺麗だったんだろうなぁ
今でもその面影は残っています。


精巧な加工技術に思わず見とれてしまいました




加工技術の観点からは少し細部に関してラフな像であるが、表情はユニーク


第12窟 音楽窟とも呼ばれ、よく見ると、さまざまな楽器を奏でている伎楽天 (471~494年に作られた)




雲崗石窟のシンボルの20窟の仏像 (460年~470年に作られたと書いてあった)


周恩来記念堂 (1973年9月15日 周恩来とフランスのPompidou大統領が大同を訪問、記念堂で放映していたビデオを見たが、当時大歓迎が行われた)


ラクダがいました。 


じっくりと2時間以上見学した。 夕暮れ近くなり、車は大同市内に向かった。
タクシーの運転手が、宿はどこだと聞くので、(聞かないと行き先分からないよね)駅前の○○賓館だと告げると、あそこは不好だと。 ゲゲッ、このホテルの何が不好なの??
日本のネットで予約しているのでキャンセルも大変だし、ま、運を天に任せるしかない。

大同の旅 Part3 (木搭)

2010年11月10日 23時49分26秒 | 旅行(中国)
懸空寺見学のあとは、木搭へ向かった。 大同市応県まで、懸空寺からタクシーで1時間強。 朝が早かったのでタクシーの中でしばし睡眠時間とする。 
木搭は1056年に建造された、中国でも古い部類の木製の搭で9層の搭で高さは67.13mとのこと。さて、見学しようと思ったら、入場料が60元。 うーん、どうしようかと考え、入場料を払って入るのはあきらめ、外から見学だけすることにした。
(本当に、中国って施設の見学料がどんどん高騰するなぁ… 貧乏な日本人には払えないよ!!)

木搭の入り口 (この門の向こう側は有料なので外から見ただけ)


同じく、出入り口の場所から・・・ どっしりと作られた搭です
(五層に見えるけど、実は九層)


裏の方に回って、木搭の周囲の壁ごしに




表通りは綺麗な町並み(観光用)だが、一歩裏に行くと昔ながらの街が


木搭の前の通りで女性二人が抱き合っていました。 ま、中国ではよく見る光景ですが、片方の女性はクールな表情で抱かれているなぁ・・・


・・・街を歩いていたら、急に便意が・・・
木搭のそばに公衆便所があったはず。 思わずか駆け込みました。 料金は5角。
管理人にトイレの入り口(施錠してある)を開けてもらい中に。
しかし、トイレの水は出ないし、トイレのドアは閉まらないし。
結局、ドアを閉めずに、しゃがみましたけどね。。。 (抵抗感無いのが怖いなぁ)
こういったトイレで使った紙は、トイレに流さず、ゴミ箱に入れましょうね!!

さて、木搭の見学を終えて、予定見学地最後の雲崗石窟へ向かった。

途中、荷台に大きな草を詰め込んだトラックを見かける。
のどかだなぁ





そして、大同は石炭の街でもある。 途中、火力発電所があった。 火力発電所の前は、石炭を積んだトラックが長蛇の列。火力発電所の煙突からは白い煙が!!
まだまだ石炭に頼っている発電事情を直視した。この付近は大型トラックで大渋滞。


朝、北京を出発して、まだ午後1時。
今日の一日は長いなぁ!!!

大同の旅 Part2 (懸空寺)

2010年11月08日 00時36分54秒 | 旅行(中国)
懸空寺は、北魏の末期時代に建てられた仏教寺院。良くこんな急傾斜の場所に建てたと関心。 縦方向の足場のような丸太が何本も急傾斜の岩盤で寺の床を支えている。 いや、支えているように見えるのだが、強度としては不足。 重い寺の床板や建物は支えきれない。 と、言うことは岩盤から水平に張っている木が支えている??
北魏の末期時代とは6世紀ごろ。 良くまぁ、こんな技術があったものだと関心。

天空の懸空寺の全景


垂直に近い岩盤の隙間に建造されている




寺の中には仏様が





通路は人が交差できない場所も、そして下を見ると・・・
まさしく天空の寺


確かに“壮観”なんだけど






足場の木は意外なほど貧弱



大同の旅 Part1

2010年11月07日 23時19分29秒 | 旅行(中国)
11月6日、7日、山西省大同市を旅行してきた。 大同の観光で有名なのは、世界遺産の雲崗石窟や断崖絶壁に建てられた懸空寺。 今回はその2つの見学が目的で、6日の北京→大同行きのフライトに間に合うように、朝5時起床。 5時20分に家を出て地下鉄で空港に向かった。 東直門で空港線に乗り換えようとしたら、通路が閉鎖されている。


どうなっていると周囲の中国人が騒ぎ出す直前に係員が来て、通路の鍵を開けた。
東直門6時の電車で一路空港に向かい、ラウンジで朝食。 ビジネスのラウンジは閉鎖されていて、ファーストクラス用のラウンジに案内され、朝飯をパクついた。


北京から大同までは西に約350kmの距離。 飛行時間は40分ほど、朝7:25分のフライトで8時30分には大同の飛行場にランディングしていた。 飛行時間の40分で空中小姐が飲み物(水のボトルだった)と中国風ハンバークを配るのはさすが!!!

B737-300型の飛行機で大同まで飛びました


大同は小さな空港です。


空港でタクシーと交渉して1日借り切ることにして、車は懸空寺に向かった。
大同は標高1000m程なので外気は寒い。 (空中小姐は着陸前に零下3度と機内アナウンスしていた)

黄土高原に建設中の高速道路と民家




空港からタクシーで約1時間ほどで懸空寺に到着。 見学料は125元。 高ッ!!
どうして中国の見学料って高いんだろう!!! 懸空寺が山の切り立った(殆ど垂直)山の中腹にへばりついている様に建っているのが分かりますか?


懸空寺のすぐそばではダムが建設されていた。 
(確認はしなかったけど、これってダムだよね)
こんな近くにダムサイトがあるのにびっくり。 もしダムが決壊したら、間違いなく、この写真を写している付近は瞬時に大洪水で命は無い。こわーーー!!


懸空寺の様子はPart2で。

無錫・上海旅行 番外編

2010年11月06日 01時11分01秒 | 旅行(中国)
29日、出発したのは朝の5時半。 空は星空!! 星が見えるなんて珍しい!!
中国は汚染が進んでいて、星座なんて滅多にみえない。
だから、中国人は実際の星座を知らないし、銀河も見たことが無いから夜空の恒星と惑星の違いが分からない!! 夜空が見えないから流れ星に願いを込めるってことも知らない・・・

でも、この日の夜空はオリオン座がはっきりと見えた。
写真は三脚を使用しないで撮影なので少しぶれているが、星座を良く撮影できたと自画自賛。


この写真は、上海の人民広場駅地下の様子。
結婚式のドレスを専門にする店が続いていた。


北京への戻りはB777だった。


3日間の旅行は、試験所の幹部と食事や、業余無線の上海での老師と食事、目的のテニスの試合などで疲れた・・・・

31日は上海万博最終日、ついに万博は見学の機会がなかった。 添付は、11月1日の万博閉幕式を伝えるChina Dailyです。

無錫・上海旅行 Part3

2010年11月05日 01時09分28秒 | 旅行(中国)
10月30日及び31日の無錫・上海の写真です。

30日の土曜日、11時06分の無錫から上海虹橋へ行く新幹線に乗るため、9時半ごろホテルをチェックアウト。バスで無錫駅までバスで行く。 無錫駅は見慣れた風景なのだが、新幹線は、この無錫駅の南側からではなく線路をはさんだ北側の駅ターミナル。

無錫駅の南側のターミナル


地下道を通って、北側に出たところで、無錫駅の北側のターミナルが見えてきた
再開発中という感じです・・・


デカッ!!! 巨大な無錫駅ターミナルです。


新幹線が次々と通過又は停車していきました


停車中のCRH2


停車中のCRH3


東海道新幹線ほど過密ダイアではないが、かなりの本数があちこちに向って高速鉄道網が整備。初めて上海虹橋行きに乗ったけど、これ、東京でいえば、東海道新幹線が横浜の次に羽田空港に停車するようなもの。 つまり上海虹橋空港は、航空機・地下鉄・高速鉄道のアクセスで日本と比較して便利になっている。インフラ整備の旨さを感じた!!!
しかも地下鉄は上海虹橋空港と上海浦東空港を結んでいる。


車中、蘇州の虎丘がみえました。 この搭は地盤沈下で3.5度傾いています。


上海で泊まったホテル 経費節約で中国の安ホテルなのでたいしたものはおいていない(風呂もシャワー)で、298元/泊。 ま、寝るだけなら、これで十分。


30日の夜、市内を散策。 ハロウィンで仮装した欧米人に出会う。 そして古い倉庫の建物に人が集まっていた。 お化け屋敷を営業しているようだった。柵の向こう側には入場を待っている人たちの長蛇の列。


延安西路の道路沿いにある馬のオブジェ。 よぉく見ると、馬さん、リアルで立派なこと!!


31日は静安寺に出かけた。日曜日で人がたくさん・・・


以前は見かけなかった形のタクシー 車高が高いので、乗りやすいのでは?
今度乗ってみたいタクシーです。

無錫・上海旅行 Part2

2010年11月04日 02時17分40秒 | 旅行(中国)
10月29日午後、ホテルの近くでは昼食を食べる場所も無いので、錫恵公園に出かけた。
が、・・・
公園のそばにも没有!!! しまった、市内中心部経由で出かけるんだったと思ったけど後の祭り。 でもハラは減っていない。空港ラウンジでサンドイッチ2つ、お粥2杯、玉子2つを食べて、機内で朝食食べているんだから、食いすぎか??!!
公園の入り口のチケット売り場で入園料を見たら40元だった。 でも入り口を、何食わぬ顔して通過したら、何も言われなかった?? ハテ? 今日は無料開放日??
いつも思うのだが、中国って物価がアンバランス。 40元なんて、日本人の感覚では中国の収入と比較して高すぎ。 いや、日本人の収入でも観光地めぐりしたら大赤字!!!


錫恵公園入り口







独特の屋根の形と紅葉がきれいでした


天下第二泉 天下第二の味とされたので、この名称になった、ちなみに、天下第一泉は鎮江市にあるとか・・・




錫恵公園を出ると、昔の町並みを再現した店が並んでいた。 運河には昔の船が停泊


でも、まだ工事中の部分があり、町並みは未完成のようです




無錫太湖国際博覧中心へ足を伸ばして開催中の展示会を見学







無錫・上海旅行 Part1

2010年11月03日 01時16分07秒 | 旅行(中国)
10月29日~31日、江蘇省無錫市と上海を旅行してきた。 目的は、上海で上海在住の日本人とのテニスの試合だったのだけど久しぶりの上海方面なので無錫にも寄ってきて、いろいろあちこちの人と会ったり忙しいたびだった。
前述の、上海での万博無線局運用も、当初予定に無かった事であるが、旅行時のひとつです。

本当は新幹線の夜行で行きたかったのだけど、切符を買おうとしたら売り切れ。 中国国内での人の移動のすさまじさを感じた。 そこで、北京を7:40発の無錫行きの便で出発。
朝5時起床。 5時半に家を出発。 まだ空は真っ暗で眠い。
冬の星座のオリオン座がはっきり見えた。

空港のラウンジで朝食。


無錫空港です。


ホテル(無錫大飯店)にチャックインして近くを散策
食事をしようと思っても、近くの日本食屋は平日の昼間なので休み。
そうだよね、地方都市だし、平日の昼間は日本人は工場で仕事しているから、夜にならないと商売できないよね…


無錫大飯店そばの無錫テレビ局
いつの間にこんな立派な建物が!! 開局50周年だそうです


裏道の店先で鳩とウサギを売っていました





 ***

   ***



これ観賞用ではありません。 鳩の籠の後ろではグツグツと沸騰した鍋が・・・
つまり、食用です。
店の下には鳩の羽が集められていました。
こんなのを見て、残酷!!!と感じなくなったのは、この国に同化してしまったせいでしょうか。 日本人としてのアイデンテティは無くしたくないなぁ・・・

承徳のたびPart2

2010年07月25日 12時04分11秒 | 旅行(中国)
普寧寺

乾隆二十年(西暦1755年)の建設で漢とチベットの寺廟を総合した形式。
中には巨大な木造の千眼千手観音像が安置されている。
写真撮りたかったけど、僧侶が駆け回って“撮影禁止!”と声かけていたので、仏像の写真はありません。
寺を出たら何やらが音楽が…
テープの音かと思ったら、演奏していました。
このとき、天気は雨、傘さしていたのですが、けっこう濡れました。






寺の外観 (天気が悪くどしゃぶり)






小ボタラ宮
正式名は普陀宗乘之廟で乾隆帝60歳と皇太后80歳を祝い、少数民族の王侯貴族を招くためにつくられた。モデルはラサのポタラ宮。普陀宗乘はポタラの漢訳であることから、小ボタラ宮とも呼ばれ、ポタラ宮の外観写真は良く見るので、中はどうなっているのか疑問だったが、ラサの本物も同じなのかなぁ?

中の寺の屋根は金1トンを使っているそうだ。 一部は金が剥ぎ取られていた。
晴天なら、黄金色に輝き美しいとのこと。天気が悪くて残念。

チベットへ出かけた雰囲気…


晴天なら、寺の屋根は黄金色に輝いていたはずで残念


天津のたび

2010年07月20日 00時27分56秒 | 旅行(中国)
16日(金)仕事で天津に出かけた。 天津までは近いのだけど、滅多に出かけたことは無い。 専用線開通前の天津の仮設駅から北京駅までの列車に乗ったことはあるけど、北京南駅から天津への列車に乗るのは初めて。 北京南駅は飛行機のターミナルのようでかっこいい。
ドイツのシーメンスICE3世代をモデルにした列車。 定刻になってドアが閉まり、列車はスピードを上げる。 東三環路を通過した頃は時速200㎞で、さらにスピードを上げて時速330㎞前後で走る。 天津まで30分のあっという間に旅だけど、北京はどんよりした天気だったのが快晴で暑い!!!

ICE第3世代をベースにしたCRH3
(内装は木目を使った落ち着いた色調で良い印象)


北京南駅-天津間のチケット 58元(2等)


あっというまに時速327㎞


CRH3の運転席 (意外と狭い)


天津駅も大きくきれいなのにびっくり。(でも構内のトイレは、なんでこんなに駅がきれいなのに、トイレは進歩が無い普通の中国(人も設備も)なの??という感じでがっかり) 
トイレに行ったら、トイレのドアも閉めず、こっとむいてしゃがんでる人たちがいました…
こんなの、見たくないよ…

天津駅



天津駅の360度の眺めです


天津駅の前の運河に掛かっている橋が特徴ある形だったので、橋をじっくり見学する。
橋の名称は開放橋と書かれていて、勝鬨橋のように両側に競り上がる形だ。 

開放橋全景






橋の中央部 (車道の約5㎝くらい左右の端の間での隙間があった)


租界地など古い建物も残っていて、北京から日帰りできる距離なので今度じっくり探訪してみようかな…

承徳の旅 Part1

2010年07月12日 00時10分16秒 | 旅行(中国)
北京から北東に250km。 7月10日(土)、清の時代の皇帝の避暑地だった承徳へ日帰りのたびをしてきた。
北京から承徳まで片道250km。 前夜にCDの音楽をたんまりDLして携帯電話に詰め込み、往復500㎞のバスの中での対策はバッチリ。 天気は曇りで今にも雨が降りそう。 そして、昨年秋に全面開通した京承道路を順調に向かう。道路は天候のせいなのかすいていた。 うーーん、道は良いなぁ。 こんな道をピンクのポルシェかオレンジ色のカウンタックで飛ばしたら気持ち良いだろうなぁ。
承徳は、明清の時代の皇帝の避暑地として有名であり、先週は元の時代、今週は明清の時代と、急に歴史のたびが続いたなぁ。
承徳へはなかなか行く機会が無かった。 理由は距離的に中途半端。 旅行会社の人に聞くと、例えば日本人の北京ツアーで日程が短い場合には承徳へは、往復丸1日必要なので行かないそうだ。 例として、中国人の日本観光で関西に行く場合、京都・大阪は定番であるが、奈良にはなかなか行かないのと同じとのこと。 旨い比喩だなぁ。。

避暑山荘:
中国四大名園の一つで、世界一大きい宮廷の庭園とか。 面積はいわいえんの2倍とのことなので、広さは想像がつかない。 避暑地として、皇帝は執務や狩を楽しんだそうだ。
その際、各地方の者も参加させ皇帝の力を見せ付け、皇帝に反抗する気力を失わせたそうだ。 そして、狩は軍事訓練と後継者を定める試験の場。 避暑って言っても実態は熱い戦いがあったのね・・・
さて、その避暑山荘、総面積5460平方km、周囲の城壁は10㎞。

これ、顔の部分をナデルト金持ちになれるそうだ。 だから、顔や口の部分が剥げている。 お尻の部分は、何に効果があるのだったかなぁ… 聞いたけど、忘れた。 顔とお尻と両方触ってきました。


四知書屋
書屋というから書庫というわけではない まず四知という言葉は“君子知微、知彰、知柔、知剛、万物之望”に由来。 これは乾隆帝の治世思想であり、柔=温和政策、でも従わなかったら剛=武力で制圧しちゃうぞ!!
皇帝はここで着替えをしたり、日常の政務や会見をしたようだ。
避暑山荘の建物は、皇帝が住んでいた場所という割には色具合は質素だ。
また中国の建物にはつきものの屋根の上の動物の飾りも避暑山荘にはない。 これは、避暑地であり、周囲との調和を優先したかららしい。 避暑山荘って環境配慮型建築の元祖だったのね…



江南地区の庭園を思い浮かべるのどかな雰囲気
遠方の不思議な山(少しかすんでいる)は分かりますか? この山(棒錘山)に登ると130歳まで生きられるそうだ。 見ただけで93歳まで生きられるそうだ。 御利益あるのかなぁ?? だとすると、承徳の人は平均年齢93歳以上ってことになるが・・
垂直、いやオーバーハングの山(きっと岩山なんだろう)で、遠くから見たら大きな皇帝の椅子に見える。今回は時間が無くて、この山は遠くから見ただけ。




当時の衣装と靴を履いていた女性。 靴の部分を良く見てください。
約10㎝位の底上げ靴(当時のハイヒール?)です。 そして良く見たら、中国の衣装の内側はスパッツ姿…  チラリを期待したのに…  @_@;;;



河北省 張北の旅 番外編 その3

2010年07月10日 22時43分11秒 | 旅行(中国)
張北では、風力発電設備の巨大さに圧倒された。
7月10日、北京から北西が張北、北東が承徳。 その承徳へ出かけてきたのだが、高速道路のSAに風力発電の羽根を輸送中のトラックを見かけた。
トラック後部の人と対比して、大きさが分かるだろう。
トラックの荷台には乗り切らなくて、かなりの部分が飛び出しています。
これが、ぐるぐる回るのだかからすごい!!


河北省 張北の旅 番外編 その2

2010年07月09日 06時06分06秒 | 旅行(中国)
張北の風力発電施設を見て、こんなのができたらいいなぁと感じたアイデアですが、風力発電瀬施設のタワーと羽根の部分を使った、業余無線(アマチュア無線)の天線(アンテナ)。

タワーの高さはあるし、羽根は大きい。
たから、短波帯用の巨大なアンテナが作れるはず。
ループアンテナでもよいし、ダイポールアンテナの構成にしてもよいだろう。
そして、タワーとの間隔と方向がうまく作れれば、指向性のあるアンテナも作れる。

風力発電中のときは、アンテナとしてはどうなるのだろ?
回転してるから、水平偏波でも垂直偏波にもなるので、回転しながらの送信はQSBの原因になるかもしれないが、Sが上がって交信の確立が上がるかもしれない。

総工費はウン億円かなぁ… 誰か、実験しないかなぁ!!!

3.5MHz又は1.9MHz用で、とんでもないビックアンテナが作れるはず???
夢だろうなぁ…
発電機からのノイズの影響は??

こんなタワーを1つ個人で持ちたいなぁ…



河北省 張北の旅 番外編 その1

2010年07月07日 22時03分38秒 | 旅行(中国)
張北では食品加工工場にも出かけた。
ジャガイモの産地でもあり、そのジャガイモは工場に送られ、粉末状に加工していた。
加工食品に使用したり、ポテトスープの基になるようだ。

工場訪問でそのジャガイモの粉末を少しもらってきた。
さて、何にしようか、料理人味平は考えた・・・


ジャガイモの粉末に少しづつ牛乳を加える。
マッシュポテトのような感じになってきた。 そして玉子を加え程よい感じになるよう牛乳を加えながらかき回した。
(子供の時、フナ釣りした練り餌作りを思い出すなぁ)
で、それをフライパンで焼いたのが下記。
ホカホカでホットケーキみたいなマッシュポテトケーキになって美味しかった…

河北省 張北の旅 Part6

2010年07月07日 01時08分59秒 | 旅行(中国)
張北の標高は1400m~1600mで真夏でも32度以上にはならない。 しかし真冬の最低気温は零下32度まで下がるのだそうだ。 そういった厳しい環境で育つのが高原野菜。
高原野菜を栽培し、北京近郊だけでなく輸出もしているとか。





また高原地帯にある池でのどかに釣りをしている人たちも
この釣竿の様子はフナ釣り?
観光施設として別荘を建てて週末を過ごしたら気持ちがいだろうなぁ
天は高く青かった、そして空気はきれい。