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孫文さんの“多摩たまの隠れ部屋”ブログ編

「孫文さんの“北京の隠れ部屋”」を「孫文さんの“多摩たまの隠れ部屋”」に変更しました。

河北省 張北の旅 Part5

2010年07月06日 02時08分10秒 | 旅行(中国)
馬頭琴
夕食はモンゴル風の建物で音楽を聴きながらモンゴル料理を食べた。
馬頭琴の音色はとても美しかった。

窓の向こうは何も無い草原の地平線
そういった大自然を背景に音楽を聴く贅沢を感じた
後方の草原は人間の手を加えていない自然のままの草原と言っていた。



馬頭琴の演奏
三味線は3本だが、馬頭琴は2本の弦を使用。 しかし、音の豊富さはすばらしい。



馬頭琴を弓ではなく、指を使って演奏するフィンガーピッキング奏法も披露。
馬頭琴でこんな奏法もあるのかと驚いた!!



宴会の部は、内モンゴルに近いので、美人の女性(演奏時に横笛を吹いていた、とっても美麗小姐だった)に歓迎を示す白いスカーフを首にかけてもらう。
しかしそのためには白酒を3杯呑まないといけない。 1杯目、ニコッと笑って2杯目を注ぐ。 2杯目を飲む、小姐はもう1杯と指で示す。 ギブアップしたかったけど、美人には弱いので3杯目を飲み干し、首に白いスカーフを掛けてもらった。

モンゴルの建物
夕食が終わると外は真っ暗。 自然豊かな場所なので都市の明かりは無い。



この建物は便利店、つまりスーパーです。



料理
これは宴会ではなく、昼の料理の時の写真です。


ポテトやトウモロコシがとっても美味しかった。
中国で、こんなに美味しいトウモロコシは初めてでした。
こういった地元の野菜や肉で歓迎してくれ、さらに料理には日本語で記載もされていた。



ロバの肉です。 
自然に恵まれているので野生種の動物の飼育も盛んとのこと
ロバ肉は初めて食べた。味はうーん、覚えていないけど、食事中は意識しないで食べていたっけ。




河北省 張北の旅 Part4

2010年07月06日 02時07分45秒 | 旅行(中国)
元中都遺跡
注: この時代の歴史は得意じゃないので、専門家が長い時間をかけて丁寧に説明してくれたのですが、まじめに聞いていなかったので下記の解説は怪しいという前提で読んでください。 
ガイドの話を記憶を思い返すと、現在の中国の領土は960万平方km、元の時代は3300万平方km。 つまり現在の中国の3倍以上の広大な地域を制圧していたことになる。
そして、階級社会が存在していた。
一番偉いのは、勿論モンゴル人
2番目は青い目の人たち
3番目が漢民族
4番目が南方人(揚子江付近)
だったと。 中国が世界を支配していた歴史があったんですね…
中都遺跡は、元の時代の都跡で1995年頃に発掘。



ただの原っぱに思えるのですが、歴史の専門家にとっては元時代の遺跡が残っていないので非常に貴重だとか…



これが元時代の遺跡を証明する貴重な形とか
壁は遺跡保存のために作られたもの



城壁 
大きさは大都(北京の紫禁城)と同じ大きさらしい
当時の元の時代、国家プロジェクトとして建設



元の時代のレンガが無造作に置かれていた
なぜ元の時代のものかというと、セメントが当時は無いので石灰をセメント代わりとして使っていたのだそうだ。 レンガを良く見ると白いもの(石灰)がついていた

河北省 張北の旅 Part3

2010年07月05日 01時12分54秒 | 旅行(中国)
風力発電基が見渡せる丘の上から、この一体を眺めた。
見渡す限り風力発電機があり、いったい何基あるのかもわからない。
風力発電設備の最大出力は500万kWの予定で、2009年までに50万kWの発電を実施とのこと。
そして、この張北は太陽の光が強い。 北京では味わえない紫外線の強さを感じる。
年平均日照時間は3000時間とのことで日照率も65%。
風力発電と太陽発電の相乗効果による発電が見込める場所との説明だった。

風力発電の搭直下で見上げてみたかったのだが、残念ながらそれは日程的に出来なかった。



風力発電基の間を送電線が走っているのだが、ものすごく低く小さく見えてしまう


手前にモンゴル風の家があるが、後方には家が密集している。
風力発電基と比較して、これらの家が小さく見える


羽根が何気なく置いてあった。 
これも写真で小さく見えるが、間近でみると巨大なサイズだった
手前の岩は小石じゃないです

河北省 張北の旅 Part2

2010年07月05日 00時54分23秒 | 旅行(中国)
張北は風力発電や太陽パネル発電など新エネルギー発電の街であり、風力発電機の工場もある。 つまり、工場と設置現場が近いところにある。 風力発電の工場で生産能力を聞いたら、この工場は年間400基の生産能力があるとのこと。

風力発電機を近くで見ると大きい!!!

見学させてもらった風力発電機の工場


風力発電基を乗せる搭のパイプ
(一枚の鉄板(2cmくらいの厚さがあったかな?)を丸く加工した物を何段かつなぎ合わせていました)


つなぎ合わせた加工が終了し、ペンキを塗ったものが工場外に置かれていました


風力発電機の回転部分です。


風力発電機の内部はこうなっています(製造途中の工程です)
いくつかの部品は欧州から輸入しているといっていた


風力発電機のカバーを取り付けたところ


風力発電機の羽根をトレーラーで輸送中のところ
(トレーラーに対して羽根のほうがはるかに長いです。いかに羽根が巨大かを比較してください)

河北省 張北の旅 Part1

2010年07月04日 20時52分21秒 | 旅行(中国)
7月2日、3日の2日間、河北省張家口市張北県に出かけてきた。
さて、この張北とはどんなところかというと、まず位置関係を示すと、北京から北北西に約240km。 人口は約38万人の中小都市である。 高速道路で走ると張家口市を通過して高度をまし、張北の標高は1400~1600mとのこと。 草原地帯であり、また軍事上の要所でもあった。 元の時代は中都といわれ、繁栄した場所。 そして、現在は風力発電・太陽発電の設備があり、また高原の特色を生かした有機農法での高原野菜の産地でもある。
さてさて、どんな旅立ったのでしょう…


張北の広告
写真は北京の地下鉄内でのドアの上に貼っていたポスターを写したもの
 現在、北京の地下鉄の車内や駅・バス等にこの張北の広告を見ることが出来る

 

長身!! 一体身長は???
張北とは関係ないが、北京から張北に向かう高速道路のサービスアリアで見かけた長身の中国人。 あまりにも身長が高いので、中国人は彼と記念写真を写していた。
写真撮影が終わると、この乗用車の助手席に座って去っていったが、乗用車ではさぞ狭かろうと思う



パトカーが先導
河北省ではパトカーが先導し、そして張北県内では、交通の要所要所の交差点は警官が立ち、交通規制を行いノンストップでスムーズに通れるよう配慮してくれた。
一体動員した警官とパトカー車両は、のべ何人・何台???
で、おそらく二度と体験できないこととして、北京に戻る際に、高速道路が渋滞して動きが取れなくなりそうになった。 先導したパトカーはクルッとUターンして高速道路の路肩を逆走。 中国のことだから、路肩車線も車であふれ動きがとれなくなるが、警官は車両を整理しながら路肩を逆送し、無事渋滞から抜け出せた。
写真はパトカー先導で逆走中のところ…



張北音楽祭
 7月30,31日,8月1日の3日間は、張北で張北草原音楽祭が開催される。
昨年は述べ10万人を集めたというイベント、今年は何万人が集まるのだろう。
人口38万人の農業人口が多い町にこれだけ多数の観光客が集まるイベントは大変だろうなぁ…

四国八十八箇所 零番札所 西安の青龍寺

2010年03月29日 00時34分44秒 | 旅行(中国)
部屋を整理していたら、以前西安を旅行した際に青龍寺を訪問で購入した記念のお札が出てきた。
中国の西安は昔は長安と呼ばれており、西安の青龍寺は弘法大師が修行した寺として有名。そのため、四国八十八箇所の札所で零番札所と呼ばれている。

西安の街はシルクロードの基点であることが実感するアジアとイスラムが混在する街、また行ってみたくなった。





 空海(弘法大師)を記念した塔 
 (丸い玉は前後左右に4個あり、空海の故郷の四国を表していると説明してくれたお寺の人が言っていた)

中国航空博物館

2010年03月22日 23時40分00秒 | 旅行(中国)
九華山庄への社員旅行集合時間まで間があるので、近くの航空博物館に出かけてきた。
ここをおとづれるのは2年ぶりぐらいで展示内容ががらっと変わっていた。
昨年の建国60周年を記念して変化があったようだ。 いままで防空壕跡地にあった機体のいくつかが野外展示に変わっていた。

まず博物館の入り口に変化があり、入場料は無料になっていた。(以前は確か50元)


そして、防空壕跡地の展示場に向かう途中で、今まで室内にあったF104が迎えてくれた。
防空壕の展示は有料になり見学には20元必要。 20元払って中に入ると、今まで無造作に航空機が並んでいたが、航空機の発達の解説の展示部分が充実し博物館らしくなっている。



野外のミグの整列はいつ見ても壮観な眺めです。


奥のほうに室内展示場が作られており、ここも入場料は20元。
室内には多くの飛行機が所狭しと並べられておりP-51ムスタングがあった。
このP-51は今までこの航空博物館には無かった気がするが…
そして操縦席の風防を良く見たら銃撃された弾痕がそのまま残っていた。





そして、P-51の隣(上)には、巨大な空中給油機が展示されていた。
デカッ!!!



帰りぎわ巨大な室内展示場の外の駐車場に、ミグが無造作に駐車していたのが印象的。

九華山庄

2010年03月22日 18時57分33秒 | 旅行(中国)
会社の社員旅行で、北京郊外にある九華山庄に出かけてきた。
約1年ぶりの九華山庄で今日は16区という新しい建物に宿泊した。



なんせ中国のこと、この16区の建物がばかでかい。
ホテルのチェックインするカウンターだけでも、この写真のようにいったい何人が同時にチェックイン・チェックアウトできることなのか…



大きな宴会の場所もいくつかあり、下記のように1000人規模の宴会だって可能で、棟の中には会議室がずら~と並んでいる。



ホテルの部屋も、数年前に宿泊した建物の部屋は内容も古くシャワーしか無かったが、ちゃんと風呂もあって部屋の内装も合格点。 夜は、宴会で白酒の酔いが回っていたので、ベッドに入るなりぐっすり眠れた。



今回は、この野外の温泉ではなく16区の建物地下にある温泉を使用した。
いくつかの薬草風呂もあり、地下なので洞窟の中のような雰囲気、そしてセットのマッサージで服務員の按摩に気持ちよく温泉三昧することができた。 (少し湯あたり気味で帰宅)



ところで、その温泉のコースのオプション料金で“卵巣保養”というのがあった。
うーん、中国語で記載だと直接的な表現だけど理解不能な文字が多いです。


上海 虹橋空港2号楼オープン

2010年03月16日 23時56分49秒 | 旅行(中国)
    

3月16日 上海の虹橋空港の2号楼がオープンした。
今までの古臭いターミナルと違って最新で明るく広い。
今日の空港の各女性職員(航空会社・ラウンジ・搭乗券チェック・X線チェック)がいつもより化粧が綺麗に感じたのは気のせい??
ターミナルの場所は、滑走路の反対側になるので、ちょっと遠回りになる。
少し余裕を持って空港に向かったほうが良さそうです。

そういえば、最近、日本の関東の某県の空港が開港したけど、赤字が必死とか。
また、東海の某県の空港は登場率が少ないのでJALに一方的に優遇策をとりANAなど他に乗り入れているの航空会社が某県のやりかたに堪忍袋の緒が切れそうとか…
某タレント弁護士が知事の某府は空港は2ついらないと…
某県上空を飛ぶと、眼下に3つの空港がはっきり見える。
こんな近くに3つも必要というより、空港間のアクセスや市内へのアクセスなど効率的な戦略が乏しい。
関東の某県や東海の某県の空港は、いずれも取らぬ狸の皮算用の甘い予測を真に受け(真に受けないと建設には至らないか…)開港したつけと思える。

それに比べ、上海は2つの空港を地下鉄で結ぶなど、市内と郊外の空港を効果的に使おうとして利便性の向上が見られ、中国の主要都市空港として機能している。


  虹橋空港ターミナル


  ターミナルではまだ工事が続いているような雰囲気


  近代的な感じのターミナル内


上海 錦江飯店

2010年03月16日 00時51分46秒 | 旅行(中国)
14日は北京は雪、上海に行こうと空港まで行ったが、雪のため上海行きを断念。
(飛行機は飛んだようだがDelay確実で、しかも上海の天気も悪そうだったので、14日に行く気力が無くなった)
で、15日の夜便で改めて上海に移動。 しかし、予定の飛行機はキャンセルになり、別の便で上海に着いた。
一緒に上海に来た同僚は別のホテルに宿泊し(予約手配を別々に行ったのでホテルが別になった)、私は上海で老舗の錦江飯店にチェックイン。
チェックインしていると、同僚から携帯に電話が・・・
彼は、“まだ部屋に入れません!!” えっ、なぜ? 予約が取り消されてチェックインできないの??
と、聞いたら、部屋に中からチェーンが掛かっていて、部屋に入れないんです!!
これって、予約した部屋の中に人がいるって事?? それとも、無人の部屋に中から鍵を掛けた?? 誰が、どうやって??!!
相変わらず、予想もつかないことが起きる中国です。

さて、錦江ホテルは、海外の要人が宿泊したことがある有名ホテル。
しかし、私が予約したのは、その張有名な著名人が宿泊するホテル楼ではなく、一般的なビジネスホテルの南楼。
ここは以前は3星のホテルでショボかったのだが(でも安かった)、立て替えて立派なホテルに変わっていた(そしてホテル代も上がった)。 
部屋に入るとシックな感じでグーー!!

写真のように、さりげなく茶器がおいてあるのが中国らしくて印象は良かった。

・・・のだが、しばらくするとうるさくなった。
隣のシャワーのゴーと言う音が壁越しに聞こえてきてうるさい。
隣の部屋の音がゴトゴトと聞こえる。 これは、日本のビジネスホテルか華南の方の3星ホテル並み。
壁を叩くとコンコンと音がして、壁の厚さに問題があるので実際の作りは良くないようだ。
窓を開けたら、外は空けないほうがよかった・・・ 2階なので、景色は全くだめ。
ま、1泊寝るだけだから、いいか・・・



 茶器がさりげなく置いてあるのは初めて





上海小旅行(盧浦大橋)

2010年01月17日 13時01分57秒 | 旅行(中国)
上海小旅行(盧浦大橋)

まず、腹が減ってはと言うわけで、ホテルで朝食をたらふく食べる。朝9時近くまで寝ていたので、朝食時間のピークを過ぎたホテルのレストランは補充状態が悪いが、それでも品数が多いのでそこは没問題。
ちょっと食べすぎ(?)カナとは思ったがぺろりと食べてしまった。

朝食 (浦東 由由酒店) やたらと品数をとったなぁ


さぁて、今回の行き先はどこにしようかと、思案する・・・
そして今まで行った事の無い盧浦大橋の橋の上に登る事にする。
そこで、浦東の輪渡駅(フェリー乗り場)から黄浦江を横断し浦西へ行く事にする。人間の渡し賃は5角。渡し舟はバイクや自転車が多く、生活の交通機関として上海では使用されている。 黄浦江から南浦大橋を眺めると遠くに万博の中国館が霞んで見える。

 フェリー乗り場 右側の窓口で5角を払う。


 対岸からフェリーがやってきた


 南浦大橋の向こう側に万博中国館がみえた



 浦西側に着いてタクシーに乗って行き先を告げるが、タクシーの運転手は盧浦大橋の上に登れる事を知らないので説明に苦労する。 運転手は浦東だろと根拠のない意見を言い浦東に向かおうとする。入場は浦西側だと思ったが自信がない。 さて困った、観光案内などで事前に調べなかったので、どうしようか・・・ 上海在住の誰かに聞けば分かるか考え、TBBさんに電話して“浦西から”だと教えてもらう。 TKSです。
橋の観光の入場料は38元。 高い!! ま、しょうがないか。

 入場券です


 エレベーターで盧浦大橋に上がると、万博のマスコットの海宝(HAIBAO)が迎えてくれる


 橋のアーチ架橋にそって階段がある。 
 この階段けっこうしんどい。300段の階段に挑戦


ところで、橋には“盧浦大橋”と繁体字で書かれているが、中国での正式な字は簡体字のはず。 なぜ、簡体字を使わないのだろう? 不思議です。



 階段は途中から息が切れてくるが天気が良ければ橋の上からの景色は絶景(のはず)。 今日は中国特有のスモッグで遠くが見えないのが難点だが、万博会場は何とか見える。 そして、警備のスタッフからあれが日本観だと教えてもらう。 いや、正確には、こちらから質問しなくても、相手が寄ってきて日本人だと分かると万博会場を指して方向を案内してくれた。

 展望台(高さ110m)から万博会場を眺める
 赤い建物が中国館


 演芸中心(Performance Art Center)と日本館
 (左側のピンクの建物が日本館)


 黄浦江には多くの船が行き来している 
 時々、追い越す船もいて接触事故起こさないのかなぁ?


入手したパンフレットには下記の記述があった。
 上海盧浦大橋は、現在世界一の径間を持つ鉄骨構造のアーチ型の橋です。盧浦大橋ではオーストラリアのシドニー海湾大橋のように観光スポットとしてもお楽しみいただけます。“世界一のアーチ” 盧浦大橋では、南浦大橋、楊浦大橋などと違い、展望スペースが巨大な弓のようなアーチのトップに設置されており、浦江の美しい景色を一望いただけます。またアーチリブの“斜面”は、景色を楽しむ事ができる300数段の階段になっています。高速観光エレベーターのアーチリブのトップ、展望スペースに達します。バスケットコート大の展望スペースから一望できる美しい景色をぜひお楽しみください。また盧浦大橋は2010年に上海で開催される世界博覧会の所在地中心に位置していますので、世界博覧会の開催会場を一望できる絶好の場所になっています。

 階段を下る時、浦西側の景色が眺められる




武漢旅行 Part2

2010年01月10日 02時12分28秒 | 旅行(中国)
 孫文・宋慶齢像
今回の武漢旅行で絶対観光したかった場所は中山公園。中国のあちこちに中山公園があるが、この武漢の中山公園には孫文と宋慶齢が並んでいる珍しい像がある。孫文は1915年に結婚したが、その結婚当時の写真を基に作成され、像の高さは7.6mある。
孫文は結婚したとき、宋慶齢に下記の言葉を贈っている。
 精誠無間同憂楽
 篤愛有縁共死生
 慶齢賢妻鑑 孫文
孫文(1866年~1925年)と宋慶齢(1893年~1981年)が結婚したのは1915年として孫文は、離婚をしてまで秘書でふたまわり以上も若い女性と結婚したことになる。
(暇な方は年齢差を計算してみて…。 だとしたら、孫文がこういった言葉を贈るのも当然か??)

 孫文・宋慶齢像







中山公園
 早朝の中山公園は、他の中国の公園がそうであるように、太極拳やダンス等を行っているグループや散歩している人たちであふれている。“北国の春”の曲で太極拳のようなダンスを踊っているグループもあった。おもわず“北国の春”を口ずさみながら公園を歩く。

 早朝の中山公園入口 (朝7時半)


 剣舞を行っていた人


 水で書を書いていた人




食事
 武漢での食事は美味しかった。 ホテルでの朝食と、市内観光後にSOGOデパートがあったので、SOGOの地下で食べた韓国料理。




 栗を売っていた店 
(何故か、周りの店より流行っていました。 栗を買い求める人が長蛇の列を作り10元でかなりの栗を食べれました)


足裏マッサージ
 歩きつかれたので街をうろうろしていると、足裏マッサージの店があった。 このマネキンに誘われて110分100元のコースで疲れを癒した。


 開店で爆竹
 タクシーに乗っているとバンバンという爆竹の音が聞こえてきた。 開店でのお祝いに爆竹を鳴らした直後で、店の人(?)が道路上の爆竹の片づけを行っていた。


武漢空港そして北京首都空港
 市内から武漢の空港まで約27kmでタクシーで約30分。 武漢の空港は新しく綺麗だった。 北京は武漢観光をしていた8日は降雪の予報だったが幸い外れたようで、定刻に北京首都空港に到着することができた。 写真は北京の空港で見つけた特別塗装機。






武漢旅行 Part1  

2010年01月09日 19時52分21秒 | 旅行(中国)
週末を利用して武漢へ旅行してきた。 最初は大同へ行く予定だったのだが、8日の北京は雪との天気予報があり天候が悪い事が予想、かつ寒すぎる場所なので急遽行き先を武漢に変更。
武漢はどのような街かというと、湖北省の省都で、長江(揚子江)がある華中の都市。三国志の舞台でもあるが、三国志はあまり詳しくないのでここでは割愛。 武漢は1911年辛亥革命の口火が切られた町で有名、程度の知識しかなく、そして絶対武漢で行きたい場所が中山公園でした。なぜ中山公園に行きたかったのかはPart2で。
北京から武漢までは飛行機で約2時間。 A320で快適なフライトでした。

黄鶴楼は長江大橋を見下ろす蛇山の楼閣。 観光書によると黄鶴楼が一番有名な観光地。
昔、ここに酒屋があり仙人が壁に鶴を書いたところ繁盛した。 仙人は鶴に乗って去り、その後に楼閣を酒屋の店主が建てたという伝説がある、らしい…
どおりで武漢の街中に鶴のモミュメントをよく見たはずだ。 しかし、町は白い鶴の街とは逆にスモッグで汚れている。 天気も、太陽を見る天候ではなかった。 それは武漢の抱いていたイメージどおり… タクシーも型が古いものが多い。タクシーの初乗りは6元。公園でコマを廻している人がいた。鞭のようなものでコマをビシリとたたき、廻している。 こんな大型のコマは始めてみた。



黄鶴楼 何度も建て直しが行われ、この楼閣は1981年に再現された。 エレベーターで最上階までいけるのだが、この公園の入場料は50元で、さらに2元も取るのかよ… がめついなぁ、と思ったらエレベーターは動いていませんでした。そこで最上階までは階段を昇ることに。

 黄鶴楼

 
 この鐘、3回敲いて10元でした。







長江(揚子江の眺め) 黄鶴楼から長江大橋方面の眺めなのですが、向こう岸はスモッグで見えません。


その後、長江傍にあるお粥屋を見つけ、昼食にしたのだが、お粥屋のオヤジさん、テレサテンの熱烈ファンとかで店中にテレサテンの写真が飾られていた。 そして当然店のBGMもテレサテンの曲しか流していなかった。そこて、お粥、ものすごく美味しかった。

 テレサテンの若い頃の写真も店内に飾られていた


 お粥屋の前の川岸から長江(揚子江)の対岸を見る



 毛沢東同志旧居 (入場料無料)
1927年頃に、この住まいに住んでいた。 各部屋にベッドがあり、この住まいに毛沢東の家族以外に何人も住んでいたようだ。
一番奥の部屋は会議室か何かに使用したのだろうか? よ~く見ると、韓国LGの液晶TVが壁に据えられている。 当時も毛沢東は液晶TVとProjectorを使って、革命の事を論議していたのだろう。 (←嘘です、当時はProjectorもTVも存在しません。 中国メーカー製ではなく、韓国製というのが微妙だなぁ… もしここに日本製の液晶TVが設置してあったら???)

 毛沢東旧居


 毛沢東(1927年)の写真


 毛沢東と楊開彗夫人の部屋


 旧居一番奥の部屋 (LGの液晶TV付き)

 毛沢東は、この机でLGのTVに写した同志がVAIOを使ってPower Pointで作成したプレゼンを聞きながら革命の事を考えていた。 ←時代考察としてはウソですよ


 中央農民運動講習所旧址 (入場料無料)
毛沢東が農民運動の指導者を養成していた場所。 小さい場所を想像していたのだが、けっこう敷地は広かった。
当時のままに再現され、各教室、大教室、教務室が再現されている。
当時の時代を感じた場所で、この大教室で農民運動について熱く語っていたのだろう。
と、いうことで、この場所に立っていただろう教室に小孫文先生も真似してみた。

 武漢市革命博物館と書かれていた


 大教室(詰め込めば1000人以上は楽に入れる)の講義場所


 小孫文先生、孫文の写真を前に毛沢東が講義した場所でポーズをとる






平日だったからかもしれないが、誰も観光客は居なかった。 中国人にとっても毛沢東の存在は遠い過去になったのか?? 


 東湖風景区(入場料無料)
総面積73平方kmですごく広い。 広いのだが何もない。 冬なので寒いだけの場所…
北京の中南海に住んでいた時期を除き、毛沢東はここに住んでいたそうだ。
と、言う事は市内のこの巨大な湖は毛沢東の庭だったということ??
湖の周りを歩いていると小舟が来た。 乗っていかない?? 寒いので不要というと値下げしてきた。 ま、船もいいかと思い乗ることにするが、値下げ交渉したためか、途中の湖岸で下ろされ舟は出発点には戻らなかったので、戻りは徒歩になってしまった。 トホホ!!
公園で新婚さんが記念写真を写していた。 ポーズをとっているときは薄着なので寒かったろうなぁ…

 東湖の眺め 2日間ずーと、こんな天気で太陽を見ることはなかった


 湖岸を散策していると次々に小舟が寄ってくる


 ついにこの女性の舟に乗ることに


 はいポーズ


 ウエディングドレスの下にズボンをはいている姿は見ちゃいけない光景



上海・無錫雑感

2009年11月04日 01時15分46秒 | 旅行(中国)
10月31日から11月2日まで上海・無錫と出かけてきた。
北京に戻ったら、11月1日は北京は大雪で晩秋が一気に真冬状態。


 北京首都空港から上海虹橋空港行きのB737-800にのるところ。
 あれっ、このB737-800にはウイングレットがない
 オリンピック塗装のB737-800にウイングレットが無い事に気が付きました。


 無錫上空で機は左旋回し徐々に高度を下げ上海虹橋空港への着陸態勢に・・・
 今日は太湖もよくみえた。 上海まであと20分です
 下界に見えるのは無錫の空港です。 (チョット分かりにくいけど)


 虹橋空港の出口にライターが置いてあった。
 それでは、まだ使えるライターを頂く事に・・・
 日本のライターをゴソゴソと探した。


 Private旅行時の定宿からの眺めですが、
 下の駅は中山公園駅、まだ空き地があるんですね
 この空き地もそのうち開発するのかな?


 上島コーヒーでモーニングセットを頼みコーヒータイム
 しばし、のんびり過ぎ行く時間を楽しむ


 上海駅から837路のバスに乗って、豊庄路曽安路で降りる。 付近には軽工業品を扱う大きな店がありました。 交差点では、写真のような露天があり、このオジサン荷車いっぱいに果物を積んでいました


 昆山駅から無錫駅までは電車のたび。 昆山駅前の様子


 改札前の様子。 この駅の雑踏にはいつになっても好きになれないなぁ
 昆山から無錫までは約30分、車内は満席で混んでいました。


 久しぶりに無錫に来たので無錫大飯店そばの『きーさんラーメン』でラーメンを食べようと店に行ったら、ありゃ、10月31日に閉店。 今日は11月1日。
 ラーメン、美味しかったので食べたかったなぁ


 しょうがないので、無錫大飯店で日本食を
 いろいろな定食のラインナップがありましたが昔は無かったような気がした。
 焼魚定食は50元で味はまぁまぁ、美味しかった。


 無錫空港ではこんなマスコットが迎えてくれました
 しかし、出発が遅れ、機内に乗り込んでからも更に出発せず
 無錫空港は軍用兼用空港なので、離陸時に格納庫をみたら早期管制警戒機が2機駐機していた。


 たぶん、無錫の空港の格納庫にあったのはこの早期管制警戒機。
 (写真は10月1日の軍事パレードから)

 北京に着いたら、道路は除雪されていたがあちこち残雪が・・・
 寒い!!! 北京を3日留守にしていただけで気候はすっかり変っていた。