シルバーバーチを拠り所にして

スピリチュアリズムを学んでいます。

ゴードン・ヒギンソン

2018-09-20 00:41:14 | スピリチュアル

ヒギンソン-現代のスピリチュアリズムは正しい方向へ向かっていると思われますか。私には非常に混乱したイメージしかありません。どこへ足を運んでも、そこにはまた違った考えをもった人達がいます。正しい理解が行きわたるまでには、どれくらいの年月が掛かるのでしょうか。進むべき道はどちらにあるのでしょうか。

「率直に申し上げて、スピリチュアリズムの最大の敵は、外部ではなく内部にいる-つまり、生半可な知識で全てを悟ったつもりでいる人達が、往々にして最大の障害となっているように見受けられます。
・・・ 私たちはラベルやタイトル、名称や組織・団体といったものには、あまりこだわりません。私自身、スピリチュアリストなどと自称する気になれません。大切なのは暗闇と難問と混乱に満ちた地上世界にあって、霊的知識を正しく理解した人が一人でも多く輩出して、霊的な灯台となり、暗闇の中にある人の道案内として、真理の光を輝かせてくださることです。」『シルバーバーチの新たなる啓示』

いいなあ、ゴードン・ヒギンソン。
ヒギンソンさんが所属されていたAFC(アーサーフィンドレーカレッジ)の遺灰が埋まっているという場所に行きたくて、思ったら
ヒギンソンさんからメッセージが降ってきた

<メモ>
今の日本でこういう小さなサークル(読書会)が広がっていることは大変喜ばしいことです。日本のサークルはいいですね。金銭に動かされていない純粋な人たちが集まっております。
やがてさらに高等なものに統合されたり置き換えられたりして拡大し、やがて衰退していくことでしょう。
※↑何だ!!これはオンライン(Zoom)での集まりのことだったのか・・・?!!2021年2月記入

<私に対する個人的なメッセージ>
「私はカレッジに行きたい。同じ目線の人と触れ合いたい」
あなたの才能を育てるコースが存在しないため、わざわざカレッジに来なくて良いとメッセージしたのです。
あなたのブログ(依存症のケアと霊的真理の普及)での仕事は終わりました。もう再び関わることはないでしょう。
ネットの普及で一度に大勢の人に霊的真理を広めることができても、
あなたにとって、霊的真理の普及は、あくまで個人の魂に訴え手渡しで伝えるものです。

どの人どの(スピリチュアリズム)団体にも愛と慈悲と寛容で接して下さい・・・どなたも嫌ってはいけません。

霊媒の心が 愛と慈悲に満たされ、深い寛容の精神が宿ったときにのみ、自分より霊性の低い人々に手を差し伸べることができるのです。

霊界は、あなたを含め未熟で間違いを犯す人間の個々に対して、いつも愛と憐れみの心で最大限の援助と啓発をしていることを忘れないように。

私が地上人生で躓いたことを伝えるのは、あなたに同じ過ちを犯して欲しくないから。

あなたへの愛と指導を目的としてメッセージを送っています。
人の間違いを指摘するのは簡単なことで、憤ることも糾弾することもある種の本能を伴いますが、
しかし愛と寛容は、それを乗り越えて、あなたの霊的真理の普及を加速させるものなのです。

 

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2 コメント

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霊的覚醒 (あなたのファンより)
2018-07-31 10:28:09
ちりりんさんのブログを読んで、この前から爆笑の連続です。
ちりりんさんの辛口は、私は大好きです。
いつもツボに入っています。

私の師匠も、おっしゃっていました。
「自分の事を本物のスピリチュアリストだと連呼するスピリチュアリストほど、三流!恥ずかしい真似はしてはいけません!」
これを一般社会の言葉に変換すると
「一流気取りの三流のような、みっともない真似はするな!」と同じ意味です。
表に顔を出さない一流の霊能者の方は、共通してユーモアのセンスも抜群です。
これはサービス精神が旺盛だからではないかと思っています。
ちりりんさん、私と一緒に、我が道を行きましょうよ~
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結局 (ようよう)
2018-08-22 06:33:52
結局、タブー視したり、祭り上げたし、低くみつもったり、恐れたりして、日本人は誰も、体の使い方を研究しないからと想います。

自分も低級霊なのに、必要以上に低級霊を恐れすぎだと想います。

>>本来、霊のメッセージを伝える「霊媒」というお仕事は、霊界の信頼と栄光に包まれた霊界の道具なのに。

シルバーバーチは基本この視点にちかいですよね。

だって肉体とその心外せば、ふつうに私たちそのまま霊だし、それを瞑想では行うくせにぃい。。。。

{ここでいう霊媒}なるものも、所詮肉体という機械と霊体との関係性の中の話しですよね。そう、関係性といった相対的な話しにすぎない。まさに真理というより、法則にすぎない!!!

それは智恵の話しとは想いませんか?


霊の話しを必要以上にタブー視するのは、文字通り地上の人間そのものですよね。皮肉にも。
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