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シルバーバーチを拠り所にして

スピリチュアリズムを学んでいます。

自分を愛することの難しさ

2014-08-26 13:27:43 | 摂食障害
「私の目には人間の心と魂とが映ります。外部の身体は映りません。苦悩の淵に沈まれたあなたの心は私にはよく分かります。ですから、あなたの心の奥底で動めいているものを私が知らずにいると思ってはいけません。」
『シルバーバーチの霊訓7』


シルバーバーチをこれまで読んできて、どうしても解答を得られない(気がする)問題・・・

「自分を愛する必要があるかどうか?」

スピリチュアル系の本には自分を愛することの大切さが書かれています。
シルバーバーチは利他愛を説くことが中心であって、「自分を愛せよ」が見つからないのです。

自分を愛していないから病気になるとか、
自分を愛することで、人を愛することができるとか・・・

病気になる時は確かにそうかもしれませんが・・・
でも、私の摂食障害が治ったのは自分を諦めた(受け入れた)からであって、自分のことを愛したからではありません。

でも、自分のことをちゃんと愛さなければいけないような気もする。

そんなことを考えると、とても苦しいです。

摂食障害がとれて醜形障害も諦めて、そうして自分の武装していたものが剥がれてみると

「自分が嫌い」

という心の芯が見えてきます。


では自分がどうであれば、自分のことを好きになるのか?

容姿が美しくても、いずれ年をとって醜くなります。
優れた頭脳で仕事をバリバリこなしても、だから自分が好きということにはならなさそう。
異性にモテてもどうせ既婚者ですし、薄っぺらい関係に満足はできないし・・・・。

自分のことを無条件で愛せる人はとても幸せだと思います。
でも、私は自分を無条件に好きにならなければいけないのか?

この答えを、シルバーバーチに求めているのです。

これペンディング事項ですね。

あっさりカミングアウト

2014-06-03 22:31:05 | 摂食障害
今日友人と飲んでいて、自分の醜形障害のことを話しました。

えっ~!と驚かれ、なぐさめられ、こんなにかわいいのに、とおだてられました。

そうそう。摂食障害もそうなんですが、こういう障害から回復するのには、
周囲の優しい信頼できる友人にカミングアウトするのが良いのです。(たぶん)

友人は酔っ払っていますから気分は上々。

こうやって自分の心の垢をそいでいこうと思います。

この障害がなくなったら、私は自由だ!!

それでも私は誰かの役に立っている

2014-06-01 23:10:22 | 摂食障害
「自分は役に立たぬなどと 決して言わないようにしましょう。
 今、あなたは天使ではありませんが、 真面目で高貴な人となることができます。
 神聖な外見を持っていないかも知れませんが、 隣人のために行動するあらゆる可能性を持っています。
 完璧な人格を持ち合わせていなくとも、 あなたには奉仕する ための貴重な力があります。
 高い教養と知性を表すことはできないかも知れませんが、 多くの仲間を優れた導きによって助けることができます。
 この世の大きな富を動かすことは出来ないかも知れませんが、 愛と理解の意志表示として放つ善意の宝を 心の中に蓄えることを阻止するものはなにもありません。

おそらく あなたは幸福というものが何であるかを 未だに知らないのかも知れませんが、 あなたが望むのであれば、 他人のために仕え、理解し、許し、 勇気づけ、微笑みかけることによって、 それを手に入れることが出来るのです。」

『フランシスコ・カンディド・シャビエル』



私の醜形障害は霊的成長を促進することになっていることに気がつきました。

もし、私が自分を愛そうと自分にばかり目を向けていたら、神の摂理を理解しようと努力しなかったことでしょう。

容姿が醜い人間でも、何の役にも立たないわけでもなし・・・。
私は今日ゴミを拾った、これで十分!

スピリチュアリズムを知って良かったと思える点は、自分の欠点にも寛容になれることです。

基準が「人のために役に立とうとしているかどうか」だからです。

自分が劣っているかどうかは問われないからです。

そういう視点で見ると醜形障害も治さなくても良いような気がします。

摂食障害をやっと克服していい気になっていたのに、今度は醜形障害か・・
と自分の心の歪みの深さに落ち込んだりしていたのですが、公開ヒーリングを受けたからかな。
やはり、守られているような気がします。
霊界から応援を受けている、という感覚をまだ持ち続けています。

たぶん 大丈夫だと思います。

醜形障害者

2014-05-30 11:23:58 | 摂食障害
「不公平を口にされるのは、問題を肉体の問題としてだけ、つまり物質界のみの問題としてお考えになり、無限の生命の観点からお考えになっていないからです。・・・両親の遺伝的特質や後天的性格を受け継ぐことはありません。それは霊が自我を表現する媒体であるところの肉体に影響を及ぼすことはあっても霊そのものを変えるような事ことは成りません。
・・・実際にはむしろ宿命的な進化のための備えとして、多くの痛みや苦しみを味わうことによって霊が豊かになるという考えの方が正しいのです」 『シルバーバーチのスピリチュアルメッセージ』


どうやら醜形障害者というのが私らしいです。

私は醜形障害から、摂食障害になったようです。
摂食障害が治った後も、醜形障害は残っています。

私は人が怖いのです。
大人もこどもも、全ての人が怖いのです。

私の容姿に対する極端なコンプレックスが病気だとわかると涙が止まりません。

シルバーバーチから学んだように、自分で選んだ身体だから、既に心の中では受け入れています。

私は摂食障害を病院のお世話にはならず、自助グループと考え方を変えることで治しました。
自分の心の中の闇は精神科の薬で治るものではない、とわかっていましたから・・

きっと醜形障害という病気を理解することで、摂食障害と同様に克服することができると思います。

いえ、もう治りかけているような気がします。

ケアしているおばあさんに私のコンプレックスを話せたから・・・
こうやって人に自分のコンプレックスを話せるほどになっただけでも随分進歩したと思います。


スピリチュアリズムを学んでて良かった。


あと・・私に醜形障害だと気づかせてくれた遠野なぎこさんに感謝です。
この方の産経ニュースの記事
ここからリンク
*記事抜粋*
摂食障害は「過激なダイエット」という誤解がとても多いけれど、本当は心の問題、自尊心の低さの表れです。私自身も性的に逸脱していた時期があり、それが面白おかしく、大きく騒がれました。リストカットをしないと生きられなかった時期もあります。血を見ると生きているのだ、生きていていいのだと安心しました。「誰かに見せたくてやっている」という誤解が多いのですが、自分の傷を見て安心するためにやっている人が多いのだと思います。
*抜粋終わり*

真実を語ってる。すごい!!

容姿の理解

2013-11-15 15:20:58 | 摂食障害
「不公平を口にされるのは、問題を肉体の問題としてだけ、つまり物質界のみの問題としてお考えになり、無限の生命の観点からお考えになっていないからです。霊そのものは性病なんかには罹りません。霊が傷ついたり奇形になったりすることはありません。両親の遺伝的特質や後天的性格を受け継ぐことはありません。それは霊が自我を表現する媒体であるところの肉体に影響を及ぼすことはあっても霊そのものを変えるような事ことは成りません。
 確かに地上的観点から、つまり物質的観点からのみ人生を眺めれば、病弱な身体を持って生まれた人は健全な身体を持って生まれた人よりも、物的には不幸の要素が多いと言えるでしょうが、その意見は霊については当てはまりません。身体が病弱だから霊も気の毒で、身体が頑健だから霊が豊かであるという方程式は成り立ちません。実際にはむしろ宿命的な進化のための備えとして、多くの痛みや苦しみを味わうことによって霊が豊かになるという考えの方が正しいのです」
『シルバーバーチのスピリチュアルメッセージ』


私の容姿に対するコンプレックスに対して、新しい道が見えてきました。

それは、全ての人は病気や欠陥を含めた肉体の一切を、わざわざ選んで産まれてくるということ。
嫌なら他の遺伝子を選ぶこともできたはずです。
なのに、私は これで一生過ごすことを決心したのですから・・・・
容姿も全て自分の責任です。

これまで私は 自分の容姿を前世の罰ゲームのように感じていました。
だから、自分の容姿が嫌いだったし、早く自分の人生を閉じたかったのです。

でも、カルマであっても罰ゲームじゃない。
この容姿でないと学べないことがあって、この容姿であることで達成されました。

いじめ。摂食障害。
このことは私の未熟な心を向上させるために絶対必要だったはずです。

なぜ、私のような女が結婚できたか不思議だったのですが、
これは前世で主人と約束していたからです。
前世で約束した相手とは、目的実行のため、その通りに展開されます。
私を好きでいてくれる人は、私の今世がどうであろうと確実に前世から私を好きでいてくれる人・・・・

だから、今世の容姿が美しいかどうかという基準は霊には当てはまりません。

今もこの容姿が好きだとはいえません。
それは、当たり前です。
病気を好きかどうか訊かれるのと同じことですから。
本当の美しさは霊にしかないのですから。
全て自分の責任、と受け入れることで精一杯です。
ですが私は、この容姿を選んだ自分を理解し褒めます。
私の霊的成長を促進させてくれたのもこの容姿のおかげですから。

お師匠から言われた言葉があります。

「あなたのように霊性の進化した人が醜いはずがない・・・。」

私は冗談かなぐさめのように受け取りました。
しかし、今なら、この言葉を真理として受け取れます。

体が病弱な人よりも、体が頑健な人のほうが、霊が豊かであるという方程式は成り立たないように、
多くの痛みや苦しみを味わうことによって、霊が豊かになり気高くなるというのが
本当のところでしょう。

容姿に対するコンプレックス解決の道が見えてきました。
人生の大きな課題だったコンプレックスが氷解していくのがわかります。

容姿

2013-11-04 11:55:42 | 摂食障害
「身体はあなたが住む家であると考えればよろしい。家であってあなた自身ではないということです。家である以上は住み心地よくしなければなりません。手入れが要るわけです。しかし、あくまで住居であり住人ではないことを忘れてはなりません。」『シルバーバーチ霊訓1』


容姿の呪縛。
私は、どうしても見た目を気にしてしまうのですね。
本当に、これがいやです。

スピリチュアリズムを学ぶと、肉体より心のほうが本物だと理解できます。
しかし、心の中から わかりきっていないのです。

友人は「内面が外見に現れるから、内面が大事よ~。」
と言います。
彼女は人の容姿が全然気にならないそうです。
私には、それが不思議でなりません。
内面が外見に現れるなら、私はかなり不細工な内面だと思います。

街はおしゃれでとても美しい人がいっぱいです。
その人たちの内面が美しいかといえば、これはどうでしょう・・。
よく、人相で、口が曲がっていればその人は悲しみや悔しい思いをしていると言いますが、
それは、霊格とは全く関係ありませんしね。

なんでだろう。
お金とか、地位とかはいらないと心から思えるのに・・
これは私が女性だからでしょうか。


霊界では お金が必要ないのはわかりきったことです。
地位も霊格の高い順です。
でも、容姿は皆若返るそうですから、あんがい皆 容姿を気にしてますよね。

容姿はとても重要なのではないか・・・

そんなことを考えていると、なんか自分が惨めになってきました。

お師匠からは、このコンプレックスを払拭するための道が用意されているとも
教えていただいています。
しかし、未だ 何も道が見えてきません。

どうして、容姿は大したことないって、答えもわかっているのに、
心が頑迷なんでしょう・・・
自分が嫌になります。

摂食障害は社会の洗脳の犠牲者ではないか

2013-07-15 23:33:02 | 摂食障害
「人間の限られた能力では一つ一つの事態の意義が判断できません。ですから、前にも申し上げたよに、判断できないところは、それまでに得た知識を土台として(すべては佳きに計らわれているのだという)信念で補うしかありません。しかし、所詮、そこから先のことは各自の自由意志の問題です。自分の生き方は自分の責任であり、ほかの誰の責任でもありません。」
『シルバー・バーチの霊訓8』


洗脳について昨日書いたのですが、ちょっと物足りないので
書き足します。

私は、人生の10年間ほど摂食障害でした。

高校まで、勉強を頑張ってきたのですが、大学になると、勉強よりも女性は容姿が美しいのが一番だということに気がつき、散々ダイエットしたあげく拒食から過食症へ移行しました。

女性は美しくなければならない、と思い込んだので、規格外の私は恥ずかしい存在でした。

でも、美しくなければ価値がないと・・こう思わせたのは社会です。

社会は新たに作り出した価値を次々とCMや雑誌やネットなどを通して 押し付けてきます。

時代そのものも、洗脳。

女性(男性)は本能的に美しさや強さを求めるというのはうそです。

社会が色々な手段で勝手に洗脳しています。

その洗脳の規格内で、なんの疑問を抱かない人が大多数なのではないでしょうか。

気がつかない人は、それはそれで結構なことだと思います。

ただ、目指さなくて良い人は、自分の価値観を持つまで苦しまなければなりません。

私は別の洗脳を自分にかけることで 摂食障害から抜け出すことができました。

それは、「醜くて良い。男の人から馬鹿にされても良い。太ってても良い。一生過食症でも良い」

逆転思想です。

全ての人は 神の子です。

絶対 優劣はありません。

自分の価値を低めるような 社会からの洗脳は 捨てるべきだと思います。