シルバーバーチを拠り所にして

スピリチュアリズムを学んでいます。

それでも私は誰かの役に立っている

2014-06-01 23:10:22 | 摂食障害
「自分は役に立たぬなどと 決して言わないようにしましょう。
 今、あなたは天使ではありませんが、 真面目で高貴な人となることができます。
 神聖な外見を持っていないかも知れませんが、 隣人のために行動するあらゆる可能性を持っています。
 完璧な人格を持ち合わせていなくとも、 あなたには奉仕する ための貴重な力があります。
 高い教養と知性を表すことはできないかも知れませんが、 多くの仲間を優れた導きによって助けることができます。
 この世の大きな富を動かすことは出来ないかも知れませんが、 愛と理解の意志表示として放つ善意の宝を 心の中に蓄えることを阻止するものはなにもありません。

おそらく あなたは幸福というものが何であるかを 未だに知らないのかも知れませんが、 あなたが望むのであれば、 他人のために仕え、理解し、許し、 勇気づけ、微笑みかけることによって、 それを手に入れることが出来るのです。」

『フランシスコ・カンディド・シャビエル』



私の醜形障害は霊的成長を促進することになっていることに気がつきました。

もし、私が自分を愛そうと自分にばかり目を向けていたら、神の摂理を理解しようと努力しなかったことでしょう。

容姿が醜い人間でも、何の役にも立たないわけでもなし・・・。
私は今日ゴミを拾った、これで十分!

スピリチュアリズムを知って良かったと思える点は、自分の欠点にも寛容になれることです。

基準が「人のために役に立とうとしているかどうか」だからです。

自分が劣っているかどうかは問われないからです。

そういう視点で見ると醜形障害も治さなくても良いような気がします。

摂食障害をやっと克服していい気になっていたのに、今度は醜形障害か・・
と自分の心の歪みの深さに落ち込んだりしていたのですが、公開ヒーリングを受けたからかな。
やはり、守られているような気がします。
霊界から応援を受けている、という感覚をまだ持ち続けています。

たぶん 大丈夫だと思います。
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