暇なので「ゆるキャン」のなでしこのおばぁちゃんの住んでる場所を特定してみた www

2021-01-28 10:14:18 | Weblog

ゆるキャン2では志摩リンが浜名湖まで遠征している。
なでしこもおばぁちゃんの家に行き、この地でエピソードを繰り広げる。

以前このブログでなでしこは三ヶ日に住んでいたと特定したことがあった。
これはあっていたようだ。奧浜名におばぁちゃんの家はあるようだ。

今回リンちゃんがキャンプをしたのは渚園キャンプ場。
ドラマの中でリンちゃんも言っていたがヤスイ!!!

10:00~翌10:00  受付時間 8:30~20:00
 1泊 大人 410円
 1泊 小中学生 200円

一度行ってみたいものだ。



第3話の終わりの方でリんのおじいちゃんがむかえにくるが、リンを乗せて走っているのは奧浜名の国道301号。
そのまま進んで新城に行くのだろうか。
ひだりに曲がって姫街道を使い豊橋に行くのだろうか。
おじいちゃんのトライアンフのナンバーは豊橋。
範囲は豊橋市、豊川市、蒲郡市、新城市、田原市、北設楽郡(設楽町・東栄町・豊根村)
どちらも可能性はある。
おじいちゃんの名前は新城肇であることがわかった。
どちらかであると思うのだが ^^



展望台は 細江奥浜名湖展望公園の展望台であることが映像からわかった。
舘山展望台かとも思ったが一瞬の映像から特定できた。

    



ゆるキャン△ SEASON2 
                

実写


ゆるキャンの登場人物には東海3県の地名が使われている。
これはだいたいの人がわかっているが・・・・
斉藤恵那の愛犬の名前はちくわ。
この由来がわかっている人は少ないだろうな www
豊橋の名産は「ちくわ」  これからだと思うよ ^^


前にも書いたがchimoさんの生まれ故郷は豊橋。
このあたりにはくわしいのです www
生まれて初めて競艇をやったのが浜名湖競艇場 www

弁天島赤鳥居の写真を撮ってみたいな。




しばらく帰っていないな ><
コロナがおさまったら帰ろうかな^^





ちょっと勉強 w

姫街道(ひめかいどう)は、浜名湖の北側、本坂峠を経由して静岡県磐田市見付町(東海道見附宿)と愛知県豊川市御油町(東海道御油宿)を結ぶ街道である。道程約60キロメートル。古くは東海道の本道で、二見の道(ふたみのみち)と呼ばれていた。中世以降、浜名湖南岸の往来が盛んになると長距離を移動する利用者は減り、地震などで浜名湖南岸が通行不能になった後に迂回路としてよく利用された。本坂峠を経由したことから本坂越(ほんざかごえ)、本坂通(ほんざかどおし/ほんざかどおり)、本坂道(ほんざかみち)、本坂街道(ほんざかかいどう)などと呼ばれた。戦国時代に街道が整備され、江戸時代には東海道に付属する街道とされ、宿が置かれた。幕末頃から姫街道の呼称が定着し、明治以降、新道が出来て本坂峠はトンネルで通過するようになり、峠越えの道は廃道となっている。
江戸時代後期になり、幕藩体制が衰えてお蔭参りなどの機会に女性が比較的監視の緩い脇道を通り抜ける機会が増えた頃から、本坂道は姫街道と呼ばれるようになった。呼称の由来は、東海道の本道である新居(今切)の、関所での取り調べ、舟での渡海、もしくは「今切」の語の縁起が悪いことを嫌って利用した女性が多かった、古くからある道という意味の「ひね」街道が転訛した、本道を男、脇道を女と見なした、など諸説ある。

明治維新政府によって全国の関所と、東海道の宿駅伝馬所が廃止されると、姫街道は街道としての使命を終え、その後は地域の生活路として利用されるようになった。明治以降に新たに敷設された新姫街道は、引佐峠を南に迂回して浜名湖岸を通り、本坂峠越えは廃されて本坂トンネルを通過するようになった。旧姫街道は廃道となったり、新旧姫街道が重なる区間では幅員の拡張工事が行なわれ、気賀から三方原追分にかけて道の両側にあった松並木の片側が取り払われた。
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群馬にも姫街道がある。
はじめて聞いた時には「群馬にもあるのか」と驚いたのを憶えている。

上州姫街道(下仁田街道)概要: 下仁田街道(上州姫街道)は中山道の脇往還として開削された街道で、大名行列などは利用されませんでした。利便性が追求された為か、険しい道を避けたルート設定がされ、女性が比較的通り易い事から姫街道などと呼ばれました。その分物資の往来は盛んで米を中心に生糸や麻、楮、煙草、漆などが取引されて各宿場は活気があったとされます。中山道の本庄宿(埼玉県本庄市)から分岐し、吉井藩(藩庁:吉井陣屋)や七日市藩(藩庁:七日市陣屋)などの城下町を通り(織田信良と織田信昌の時代には福島宿に仮陣屋)、下仁田宿や、現在でも古い町並みを残す本宿を経て再び中山道の追分宿(長野県北佐久郡軽井沢町追分)に合流します。街道には西牧関所と南牧関所の2つの関所が設けられましたが、いずれも数人程度が務める小規模なもので中山道の碓氷関所(群馬県安中市)に比べると取締りも楽だったとされます。又、小幡藩(藩庁:小幡陣屋)では参勤交代の際は下仁田街道を利用しています。
上州姫街道(下仁田街道)のルート
借宿-初鳥屋宿-本宿-下仁田宿-宮崎宿-一ノ宮宿-七日市城下-富岡宿-
福島宿-吉井宿-藤岡宿-本庄宿

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