CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

旧山陽道 西国街道 太子町 鵤本陣跡 on 2018-4-18 

2018年04月21日 05時04分54秒 | 神戸市以外の兵庫県
2018年4月18日、太子町立歴史資料館の方から聞いた情報を頼りに
鵤本陣跡遺跡の石碑を目指して歩きました。

西国街道は古代には山陽道といわれ、日本の中心であった京都や奈良の都と
朝鮮半島への玄関口であった九州の大宰府とを結ぶ幹線道路として発展してきました。

鵤宿の東側の隣の宿場は姫路、西側はJR竜野駅近くの正条になります。

前置きが長くなりました早速、写真紹介していきます。


上の写真が鵤本陣跡遺跡と書かれた石碑です。
太子町新町公会堂(住所は兵庫県揖保郡太子町鵤575−1)の前にあります。




上の写真は石碑のある太子町新町公会堂のある路地の遠景と中景
浄土真宗の西光寺も目安になります。

本陣の経営は五百井氏が担い、旅籠の数は約20軒あったと伝えられています。
尚、鵤本陣は安政4年(1857)に山陽道沿い(今の鵤東本町)に移動しています。




上の2枚の写真は安政4年(1857)以降の鵤本陣の平面図とそれを基に作成
された模型(太子町立歴史資料館の展示より)


上の写真は近世の山陽道、宿場町が列挙(太子町立歴史資料館の展示より)

鵤宿は 上記のように宿場町に指定され 宿泊施設としての本陣はありました。
しかし、人や荷物を運ぶ 人足や馬を手配する問屋場がなく 前後の姫路や
正条宿・片島宿から 人馬を呼んでこなければならず機能面で問題があった。
また、本陣が 山陽道から 北側へ300mあまり 奥まった場所にあって 
便利が悪いこともあり幕末期に大名の利用が減少、徐々に 宿場町としての活気を
失っていきました。さらに本陣が築250年を越え 安政元年(1854)の地震、
安政4年(1857)7月の台風で 大破してしまったので斑鳩寺近くから 山陽道沿いに
移して再建し心機一転を図ったものの文久2年(1862)に参勤交代制度が緩和、さらに
慶応(1865~)に入ると完全に不実施となりさらに衰退していきました。


上の写真は江戸時代後期の鵤本陣宿帳 (太子町立歴史資料館の展示より)
五百井 実 氏蔵


上の写真は山陽道鵤宿に関する太子町立歴史資料館の展示遠景


上の写真は上述の展示の中の絵図(行程記 江戸時代後期 タテ28.5cm 山口県文書館 蔵)
の一部で斑鳩寺付近をピックアップしたものです。

行程記:萩藩毛利家当主が参勤交代の旅のなぐさめとした、美しい
街道絵図で、長門から品川まで、山陽道・東海道沿いの景観を描いています。藩の絵図方
有馬喜惣太が明和元年(1764)に描き始め、このあたりは文政元年(1818)頃までには
できあがっていたようです。道中の名所、川の渡り方(舟か橋か、橋ならばその長さ、
石橋か板橋か)、宿場間の人馬の賃金など、いろいろな情報が書き込まれています。

太子町立歴史資料館は平成28年2月13日から4月10日の会期で企画展 「お様ご到着 
~山陽道 鵤宿・本陣 五百井家から~」が開催され詳細な展示があったようです。

その内容を詳細に記録されているサイトがありましたのでリンクさせていただきました。
 https://blog.goo.ne.jp/1945ys4092/e/a6f6a281cd3e4cfc493de4b22377bfc7
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太子町 稗田神社 on 2018-4-18

2018年04月20日 04時25分32秒 | 神戸市以外の兵庫県
2018年4月18日、斑鳩寺の北側、約500mに所在の稗田神社を訪問しましたので
写真紹介します。

稗田神社の基本情報

住所:兵庫県揖保郡太子町鵤926  TEL:079-276-0577
御祭神:(現在)稗田阿礼大神、素戔嗚大神
    (旧) 豊受姫大神(とようけひめのかみ)、素戔嗚大神(すさのうのかみ)
        猿田彦大神、天鈿女大神(あめのうづめのかみ)
境内摂社:豊受姫大神、太安万侶、品陀和気神(ほんだわけのかみ)、大物主神



上の写真は神門の外から境内を撮ったものです。




上の2枚の写真は拝殿と本殿の正面と側面


上の写真は現地説明版
由緒について簡略化or追記して引用させていただきます。

推古天皇十四年(606)秋七月、推古天皇は摂政の聖徳太子が経典(勝鬘經、法華経)
を講じた褒美に佐勢の地(後の鵤荘)を与えられた。、
そこで太子に仕えていた一族(今の奈良県大和郡山市稗田の辺り)が移り住んで
この土地を管理し、貢物(みつぎもの)を斑鳩宮へ納めていた。
やがて猿田彦命、天鈿女命の子孫である稗田氏は朝廷に仕え、聡明で記憶に優れた
稗田阿礼は、国記や帝記などをよく学び、日本の国が生まれて以来の古い事柄を
よく聞き覚えていた。第43代元明天皇(661-721)はその阿礼の記憶を文字を
よく知る太安万侶に書きとらせ和銅5年(712)「古事記」全3巻ができあがった。
やがて当社では、この日本最古の歴史書、神典ともいえるこの書を言い残した
稗田阿礼を祭神として祀っていくようになった。


尚、稗田神社は上記のように稗田阿礼を祭神とする説と、聖徳太子妃である
膳大郎女(かしわでのおおいらつめ)を祭神とする2つの説があります。
いずれにしても、中世は法隆寺・斑鳩寺と稗田神社は密接な関係があり、
鵤荘成立後、総鎮守社としての役割を果たすようになっていました。




上の2枚の写真は稗田神社に続く参道です


上の写真は掲示板に貼ってあった秋祭りのポスターです。
屋台は1台ですが毎年10月の第2土曜・日曜日に行われているようです。


上の写真は太子町立歴史資料館に展示の稗田神社祭礼練り物順序につき取り決め
という古文書です。
この文書により明治12年(1879)10月時点で屋台が13台、花車2台
獅子舞が2ケ村で実施されていたことが判ります。

境内の見どころ


上の写真は手水舎


上の写真は拝殿前、左側の狛犬(吽)で子供が足のところにいる
非常に珍しい一見の価値あり




上の2枚の写真は拝殿の両側にある古い神輿を利用した?祠




上の2枚の写真は境内の摂社の祠


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斑鳩寺訪問記 on 2018-4-18

2018年04月19日 07時27分05秒 | 神戸市以外の兵庫県
2018年4月18日(水)、兵庫県揖保郡太子町の斑鳩寺を訪問しましたので
写真紹介します。初訪問です。

斑鳩寺の基本情報

住所:兵庫県揖保郡太子町709 TEL:079-276-0022
宗派:天台宗  山号:斑鳩山
御本尊:如意輪観世音像(左手)、釈迦如来像(中央)、薬師如来像(右手)
    毎年2月22日・23日の太子春会式で御開帳
創建:推古天皇14年(606) 開基:聖徳太子(574年2月7日-622年4月8日)
霊場:新西国霊場第32番、西国薬師霊場第23番、聖徳太子御遺跡霊場第28番
   播州薬師霊場第18番


御詠歌:かみつ代の 聖の徳は いかるがの 蓮(はちす)の花と かをるなりけり

公式サイト:http://www.ikarugadera.jp/index.html

の字の読み方が判らなかったのですが「いかるが」と読むようです。




上の写真は斑鳩寺の代表的な建物である三重塔と現地説明版です。


上の写真は同じく斑鳩寺の代表的な建物である聖徳殿 中殿及び後殿
この建物は明治37年(1904)2月起工、大正3年(1914)増築が完成
当日、中も拝観させていただきました。
中には16歳の聖徳太子尊像が髪を植えた状態のもので衣も纏っておられます。
現在の衣は昭和37年(1962)2月22日、高松宮宣仁親王殿下の寄進で衣替え
この像は圧巻であった。
また聖徳太子2歳像も見せていただいた。
建物は平成19年(2007)7月31日、国の重要文化財に指定されています。
聖徳殿後殿について文化庁のデータベース解説文より引用紹介します。
3層の屋根を重ねた八角円堂の外観で,中殿取合い部の南北に入母屋造翼部を突出。上層は三手先に扇垂木,中間の庇は平三斗に疎垂木,下層は出組に繁垂木と変化を付ける。内部は中殿に面して唐破風を飾り,中央に厨子を納める。伊藤平左衛門設計の近代仏堂。




上の2枚の写真は斑鳩寺の聖徳殿の前殿と聖徳太子2歳像


上の写真は聖徳殿の側面全景




上の2枚の写真は明治から大正期に建立された聖徳殿 中殿及び後殿の建設にあたり
多大な功績があった永井彦蔵翁の顕彰碑と説明板。




上の2枚の写真は太子山の頂上にある聖徳太子立像です。
滋賀大学小谷教授が原型製作されたそうです。


上の写真は聖徳太子に関連する大きな出来事が書かれたパネル
(太子町立歴史資料館の展示パネルより)


上の写真は太子山から観た斑鳩寺の遠景です。


上の写真は講堂です。


上の写真は斑鳩寺・講堂の前の摩尼車


上の写真は仁王門


上の写真は斑鳩寺・仁王門の近くにある石碑(金井元彦 元兵庫県知事の揮毫)


上の写真は鐘楼(中央)と講堂(左手)


上の写真は弥勒堂(左手)、寺務所と仁王門


上の写真は観音霊場33箇所巡りの石仏




上の2枚の写真は「富の小川」


上の写真は赤松正秀(1510?-1570)とその子、赤松広英(秀)=斎村政広の慰霊碑
龍野城主で斑鳩寺の再建の功労者です
元兵庫県知事 金井元彦氏などが発起され建立か


上の写真は斑鳩寺の由緒が書かれた現地説明板。要約転記します。

聖徳太子が開創になった霊刹である。
推古天皇十四年(606)秋七月、推古天皇は聖徳太子に請われたので、
豊浦宮(とゆらのみや)で勝鬘經(しょうまんぎょう)のお話をされました。
三日かかったといわれます。その夜、蓮華の花がその地に降りしいたと伝えられます。
この年また太子は法華経のお話も岡本宮でされました。
推古天皇は、たいへん慶ばれ、播磨国揖保の郡に於いて、水田百町を太子に
さし上げました。聖徳太子はこの地を「鵤莊」(いかるがのしょう)と名付けられ、
一つの伽藍を建てられました。これが播州斑鳩寺の始まりです。往古には、七堂伽藍、
数十の坊院がいらかを並べ、真に華麗を極めていたが、天文十年(1541)尼子政久氏の
播磨侵入後の混乱の中惜しくも堂塔尽く焼失。その後楽々円勝寺(現たつの市)の
昌仙法師により漸次再建されました。創建から約1,000年間は大和 法隆寺(法相宗)
の末寺であったが、火災再建後天台宗となりました。





上の2枚の写真は聖霊権現社 拝殿と本殿 及び説明碑
説明によれば聖霊権現社本殿は太子町の指定文化財(平成18年指定)で
文政10年(1827)建立の建物


上の写真は太子町立歴史資料館に展示の絹本著色聖徳太子勝鬘経講讃図
鎌倉時代(13世紀前半) 195cm×224.9cm 斑鳩寺 蔵
聖徳太子が推古天皇や時の政治中心人物に勝鬘経(しょうまんぎょう)の話を
している様子を描いたものです。
斑鳩寺の宝物館で見せて頂いだもの(レプリカ)は写真より色も鮮やかで
興味をひいた。


上の写真は勝鬘経の観覧者の人物名


上の写真は江戸時代初期(寛永年間)の境内図
現在はここに書かれたすべての塔頭が消滅してしまったようです。




上の2枚の写真は太子町立歴史資料館、斑鳩寺の瓦の展示。
製作した職人名の銘や製作年も書かれています


上の写真は斑鳩寺の最も古い瓦
文治5年(1189)では?と考えられるそうです。


上の写真は聖徳太子関連の系図です。
平成26年(2014)3月2日近つ飛鳥博物館館長の白石太一郎先生の講演資料よりです。

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GERGE'S PIEでのおやつタイム on 2018-4-11

2018年04月18日 04時58分57秒 | 神戸情報
2018年4月11日(水)、GEORGE'S PIE(ジョージズパイ)でおやつタイムにいただいたアップルパイ
と飲み物のセットを写真紹介します。(スイーツ パスポートを利用)

GEORGE'S PIE(ジョージズパイ)の基本情報

住所:神戸市垂水区舞多聞東3丁目8−16 TEL:078-781-8781
営業時間:10:30~18:00 スイーツパスポートは15:00~18:00
定休日:木曜日


公式サイト:http://georgespie.com/
 (お昼のメニューを見ることができます)
公式FB:https://ja-jp.facebook.com/GeorgesPie1




上の2枚の写真はスイーツ パスポートを利用したアップルパイと飲み物のセット
で500円(税込)です。


上の写真はメインプレートのアップルパイの拡大版です。


上の写真はお店の内部です
落ち着ける空間です。


上の写真は持ち帰り用のお客様用入口と建物外観です。


上の写真は喫茶や軽食が楽しめるカフェの入口です。
持ち帰り用の建物の右手に建物があります。

ジョージズパイの名称で判るように創業者はオーストラリアで修業されたそうです。
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芦屋市 詩人・富田砕花の旧居 on 2017-10-25

2018年04月17日 04時16分08秒 | 神戸市以外の兵庫県
2017年10月25日(水)、芦屋市 詩人・富田砕花(とみた さいか)の旧居を
訪問しましたので写真紹介します。

詩人 富田砕花旧居の基本情報

住所:芦屋市宮川町4−12 TEL:0797-38-2091(現地)
問い合わせは芦屋市教育委員会文化財課 0797-31-9066へ
開館時間:10:00~16:00 入場料:無料
開館日:水曜日、日曜日
最寄り駅:阪神・打出駅
耐震改修工事:2016年5月1日に完成、開館
特記事項:谷崎潤一郎も一時期ここに住んでいました


Goo地図を添付しておきます。





上の2枚の写真は富田砕花旧居の外観


上の写真は石塀に貼ってある富田砕花の一句で谷崎潤一郎がすんでいた頃を懐かしく
思い書かれたもので「細雪 源氏の君のかかわりを わが庭に残す擬春日灯篭」と
詠んでいます。


上の写真は富田砕花旧居案内図で庭に現在も残る春日灯篭も載っています


上の写真は庭の春日灯篭


上の写真は庭の歌碑で歌集「歌風土記兵庫県」の最初の歌で富田砕花が特に
愛唱した歌です。
「しんとろりこはくのいろのしたたりの澄めば澄むもの音のかそけく 砕花」




上の2枚の写真は正面の展示室の外観と内部遠景






上の3枚の写真は展示室内部


上の写真は展示パネルの一部で「兵庫県文化の父」と呼ばれた富田砕花の略歴が
記載されています。
明治23年(1890)11月15日 盛岡市に生まれる 本名は戒治郎
大正2年(1913)小田原から芦屋へ移住
大正9年(1920)田島マチと結婚 芦屋市茶屋之町に住む
昭和14年(1939)宮川町(現在の富田砕花旧居)に住み始める
昭和59年(1984)10月17日に93歳で逝去するまで終の棲家としました

このパネルに記載されていない事象として特記すべき事項としては兵庫県下を
中心とした学校の校歌や市町村歌、社歌を多数書かれていることです。
芦屋市はこれらをリストアップし年譜と共に公表されています。(下記サイト)
 http://www.city.ashiya.lg.jp/bijutsu/documents/tomitasaika-nennpu.pdf




上の2枚の写真は展示パネルの一部で富田砕花が写っています。


上の写真は平成7年(1995)1月の阪神淡路大震災で壊れた富田砕花旧居

平成8年初夏に修理工事が完了し、再開館しました。


上の写真は入口の門に隣接して建つ展示室の外観です。
入口には「富田砕花先生を偲ぶ」という看板が立っています。


上の写真は昭和20年(1945)の空襲前の富田砕花旧居と現在のものを対比して
書かれた図面






上の3枚の写真は展示室の内部遠景


上の写真は富田砕花先生


上の写真は展示の近景
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乙巳(いっし)の変と甘樫丘東麓遺跡

2018年04月16日 04時39分04秒 | 奈良情報



上の写真は談山神社に残る多武峰縁起絵巻で、蘇我入鹿暗殺の場面と首以外の胴体の
遺骸が運び出される場面です。所謂、乙巳(いっし)の変を描いたものです。


明日香村に史跡として残る板蓋宮は、645年7月10日(皇極天皇4年6月12日)
に発生したクーデター(乙巳の変)の舞台となった。
この日、皇極天皇の眼前で大臣の次期後継者である蘇我入鹿が刺殺される
という凶行がなされ、翌日(6/13)蘇我入鹿の父蘇我蝦夷が自邸に火をつけて
自害したことで蘇我氏宗家は滅亡した。ここから「大化の改新」と呼ばれる
政治改革が始まることになる。

「日本書紀」には皇極3年(644)に蘇我蝦夷(そがのえみし)と入鹿(いるか)親子の
邸宅があったと記録されており、その場所とされているのが奈良県明日香村の
甘樫丘東麓(あまかしのおかとうろく)遺跡である。
蘇我蝦夷の舘は「上の宮門(うえのみかど)」、
蘇我入鹿の舘は「谷の宮門(はざまのみかど)」と呼ばれていた。

2018年4月4日(水) 午後10:25~午後11:10 放送のNHK「歴史秘話ヒストリア」
発見 蘇我入鹿の棺 よみがえる“大化改新”」でも
乙巳の変と蘇我蝦夷、入鹿の邸宅に関する番組があったことから表題のような
テーマで話を進めていきます。

まず、私の新聞スクラップ(下の写真)より甘樫丘東麓遺跡の発掘調査を担当している
奈良文化財研究所の2014年の紀要に下記表題の検討がなされました。
14C年代ウイグルマッチングによる甘樫丘東麓遺跡の年代学的検討 第171次
新聞はこの結果について結論が紹介されています。

甘樫丘東麓遺跡の炭化材の年代(95.4%の確率)は605年~645年であった。

結果の詳細は下記サイト。
 https://repository.nabunken.go.jp/dspace/bitstream/11177/6381/1/BA67898227_2014_123_126.pdf




次に、奈良文化財研究所の過去の発掘調査結果の成果をまとめていきます。


上の写真は177次調査現地説明会資料で書かれた発掘調査の行われた場所です。

1993年度からの発掘調査
第71-11次(1993年度)が初調査、国営飛鳥歴史公園甘樫丘地区の整備に伴い
遺跡の有無や状況を確認するために発掘調査が行われた。
第75-2次調査では7世紀中頃の焼土、焼けた壁土、炭化した木材、多数の土器を確認
7世紀後葉から藤原宮期に大規模な整地が行われたことも確認
報告書:藤原概報25

2005年度の発掘調査(第141次)
国営飛鳥歴史公園甘樫丘地区の整備にともなう試掘調査で2005年8月~11月に実施。
調査地は丘の麓から北西に入り込む約6,000mの平坦な谷地で幅5m、長さ145m
の調査の結果、大規模な整地層と6棟の掘立柱建物、3条の塀を確認

建物や石垣などの遺構は、7世紀前半のもの(Ⅰ期)、7世紀中頃~後半のもの(Ⅱ期)、
藤原宮期(7世紀末期)のもの(Ⅲ期)の、3時期に分かれるようです。
「紀要2006」で報告

2006年度の発掘調査(第146次)
2006-10-4~2007-3-14に調査 
7世紀代の3時期(上記)にわたる大規模な整地と建物が検出された。
7世紀前半(Ⅰ期)の石垣を確認。
今回検出された建物は規模が小さく焼けた痕跡も見られなかった。
日本書紀によれば蘇我氏は滅亡時に天皇記などを燃やしているが邸宅が燃えて焼失した
との記述はない。今回の調査ではⅡ期、Ⅲ期の整地層に焼土や炭を含み、工房関係の
遺構、建物も出土している。焼土は工房に由来している可能性もあり、注意が必要
建物配置の全容解明が課題。

現地説明会(2007-2-11)の様子を詳細に記載されているサイトがありましたのでリンク
 http://sendo.fc2web.com/flame02/20070211amakasihigasi/amakashi146.htm

奈文研ニュース No.24 Mar.2007にも概要が記載されています。

2007年度の発掘調査(第151次)
2007-11月~  建物跡を確認 現地説明会は2008-3-29
奈文研ニュース No.29 June 2008に概要が記載

2008年度の発掘調査(第157次)
2008年12月17日~  
現地説明会資料は下記サイトよりダウンロードできます。
 http://sitereports.nabunken.go.jp/ja/14909
第146次(2006年度)の石垣の検出を含め7世紀前半から中頃の石垣遺構34m
が確認された。このほか石組の溝をめぐらせた石敷き50点を超える土師器、須恵器
建物跡なども確認。

2009年度の発掘調査(第161次)
2009年12月~2010年6月  現地説明会:2010-3-20

斜面の中腹に7世紀の柱穴を確認。丘陵上部の遺構が広がる可能性
調査区南端の下層調査で7世紀前半の谷の造成や炭・焼土層の広がりを確認

2011年度の発掘調査(第171次)
2011-9-22~2012-?-?    現地説明会:2012-3-4

工房的な施設の一部が谷入口部付近の存在

2012年度の発掘調査(第177次)
2013-1(C区)~2013-?    現地説明会:2013-9-7

7世紀半ばごろの2棟の建物跡が見つかったと発表されました。2棟の建物跡が
確認されたのは、邸宅跡の中心部とみられる場所の北約100m地点。
1棟は東西4.5m、南北3.9m。柱穴の配列から高床式の倉庫跡などとみられるとの
ことです。別の1棟の規模は東西5.4m、南北3m。建物の性格は不明とされています。
敷地内では、谷を最大で5.5m以上も埋め立てる大規模な造成工事がされており、
飛鳥盆地を見下ろす丘を広範囲に邸宅として利用していた可能性も考えられると
コメントされています。

現地説明会の詳細は下記サイトで確認で確認できます。
 http://www.gensetsu.com/20130907amakashi/index.htm


上の写真は上述のNHKテレビ「歴史秘話ヒストリア」からのもので
甘樫丘東麓遺跡の蘇我蝦夷・入鹿親子の邸宅跡と小山田遺跡と菖蒲池古墳が
描かれています。


上の写真も上述のNHKテレビ「歴史秘話ヒストリア」からのもので
番組では蘇我氏一族の古墳が主要道路の要所に配置されたとの解説がありました。

さらに番組では中大兄皇子と中臣鎌足が初めて出会ったとされる槻の木の広場
(飛鳥寺西方遺跡)蘇我氏初代の蘇我稲目の屋敷跡とされる向原寺内の豊浦宮跡の
紹介がありましたので写真を添付しておきます。




また、同じく番組で蘇我蝦夷・入鹿の親子の家形石棺が菖蒲池古墳に安置され
石棺が蝦夷・入鹿親子の邸宅を模したものだという仮説を紹介されていたので
写真を添付しておきます。





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ゆず庵 神戸小束山店でのランチ on 2018-4-11

2018年04月14日 17時20分32秒 | 神戸情報
2018年4月11日、ゆず庵 神戸小束山店で頂いたランチを写真紹介します。
2017年5月30日に洋服の青山の隣に出来たお店です。

ゆず庵 神戸小束山店の基本情報

住所:神戸市垂水区多聞町字小束山868-1358  TEL:078-784-7011
料理ジャンル:寿司、しゃぶしゃぶ、串焼き
営業時間:11:00~24:00(最終入店22:00) 定休日:?
経営:洋服の青山を展開する青山商事100%出資の株式会社glab(2011年7月6日 設立)が
   展開するチェーン店


公式サイト(株式会社glab):http://www.glob.co.jp/company_topmessage.php

メニュー表:http://www.shabu-yuzuan.jp/


上の写真は当日いただいた牛すき焼膳 1,280円(税別)
美味しく頂きました。







上の2枚の写真はランチのメニュー表です。


過去の訪問記

ゆず庵 神戸小束山店でのランチ on 2017-11-15

ゆず庵 神戸小束山店でのランチ on 2017-11-8

ゆず庵 神戸小束山店でのランチ on 2017-6-22

ゆず庵 神戸小束山店でのランチ on 2018-3-9


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花いっぱいの春の風景

2018年04月13日 15時19分30秒 | Weblog

神戸地方気象台は3月23日午後、神戸市内で桜(ソメイヨシノ)の開花を宣言した。
平年より5日、昨年より11日早かった。
桜(ソメイヨシノ)標本木:神戸市立王子動物園(神戸市灘区)
現在(2018-4-13)は既にソメイヨシノは葉桜となってしまいましたが、木々や
花が勢いよく咲き誇っています。

4月20日は24節気の第6節「穀雨」、4月20日~24日は日本の七十二候の第16候
「葭(あし)始めて生ず」大地な真新しい緑が雨の恵で勢いよく成長する季節であります。
まさに、春爛漫の良い時節です。

本日のブログでは3月から4月にかけて神戸近在地で撮った花や木々の写真を紹介します。

桜(サクラ)

上の写真は神戸市須磨浦山上公園の桜(撮影:2018-3-28)


上の写真は神戸市須磨区 妙法寺公園の桜(撮影:2018-3-29)


上の写真は神戸市中央区 小野八幡公園の桜 撮影:2018-3-30


上の写真はたつの市 龍野城の桜 撮影:2018-4-1


上の写真は興福寺三重の塔のしだれ桜(撮影:2018-4-8)


上の写真は東大寺のしだれ桜(撮影:2018-4-8)




上の2枚の写真はならまち「御霊神社」のしがれ桜と桜のじゅうたん(撮影:2018-4-8)

ユキヤナギ

上の写真は神戸 湊川公園のユキヤナギ (撮影:2018-3-21)

菜の花

上の写真はアジュール舞子の事務所横のトイレの周囲に咲き誇る菜の花などの花です。
まだ肌寒い日ではありましたがちょっぴり春を感じる瞬間でした。撮影:2018-3-23

ムスカリ

上の写真は我が家の庭に咲いたムスカリです。 撮影:218-3-23

クリスマスローズ

上の写真は我が家の庭に咲いたクリスマスローズです。 撮影:218-3-23

水仙

上の写真は我が家の庭に咲いた水仙です。 撮影:218-3-23

レンゲ

上の写真は姫路市 山陽網干駅 魚吹八幡神社近くのレンゲ 撮影:2018-3-25

牡丹

上の写真はならまち「御霊神社」の牡丹 撮影:2018-4-8

チューリップ

上の写真はならまち「元興寺 塔跡」の境内に咲くチューリップ(撮影:2018-4-8)

三色スミレ

上の写真は神戸市須磨区 地下鉄妙寺駅前の花壇の三色スミレ 撮影:2018-3-29

たんぽぽ

上の写真は 神戸市垂水区 マリンピア神戸のタンポポ 撮影:2018-4-4


上の写真は神戸市西区 大山寺のタンポポ 撮影:2018-4-13

オオイヌノフグリ

上の写真は神戸市西区 大山寺のオオイヌノフグリ 撮影:2018-4-13

オオイヌノフグリ=オオイヌフグリ (大犬の陰嚢) 学名: Veronica persica
通称(英名):Persian speedwell, large field speedwell, bird's-eye,
        or winter speedwell
ゴマノハグサ科。平地の道ばた、草地にはえる2年草です。
ヨーロッパ原産の帰化植物。
全体にやわらかい毛があります。
茎(くき)はよく枝分かれし、地面をはい、先が立ちあがります。
青地に濃い筋のある花が1個ずつつきます。
近縁種にイヌノフグリ (V. didyma var. lilacina)、タチイヌノフグリ (V. arvensis)、
フラサバソウ (V. hederaefolia) などがあるがこれらよりオオイヌノフグリは大型です。

詳細な解説 By Wikipedia

ゴマノハグサ科に属する植物としてはオオイヌノフグリの他に
イヌノフグリ、ウリクサ、カワヂシャ、クガイソウ、コシオガマ、ゴマクサ
ゴマノハグサ、タチイヌノフグリ、トチワハゼなどがあります。


ハナミズキ

上の写真は神戸市長田区 若松公園近くのハナミズキの街路樹 撮影:2018-4-12
ハナミズキは神戸市長田区の木です。



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香港ダイニング Shige でのランチ on 2018-4-10

2018年04月12日 06時32分10秒 | 神戸情報
2018年4月10日、垂水センター街の香港ダイニング Shige でランチを
頂きましたので写真紹介します。
イタリア料理のUsagiのあった場所に2017年2月19日から営業した店です。


香港ダイニング Shigeの基本情報
住所:神戸市垂水区陸ノ町2−9  TEL:078-798-6056
料理ジャンル:中華料理
営業時間:ランチ:11:30〜15:00 LO14:30
     ディナー:17:00〜22:00 LO21:00
定休日:水曜日


公式FB:https://www.facebook.com/hongkongdiningshige/

地図は下記の訪問記で記載しています。
 香港ダイニング Shige でのランチ on 2017-9-18


上の写真はshigeランチ1,080円(税込)のメインです。


上の写真は最初に出てくるサラダです。


上の写真は当日のShigeランチの内容が書かれたボード
ほとんどの方がこのメニューを選択していました。


上の写真は当日撮ったお店の外観です。

これからはお店の宣伝です。

上の写真は宴会の案内


上の写真は13時からの平日限定(5食のみ)のメニューです。
過去にこのメニューを食べたことがないのでこのメニューを目当てに入店
したいと思っています。
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神戸市西区 天王山古墳群 訪問記 on 2018-4-10

2018年04月11日 07時00分33秒 | 神戸情報
2018年4月10日、神戸市西区の天王山古墳群を訪問し写真を撮ってきましたので
紹介します。古墳群周辺の街の住居表示でも天王町という名が付けられています。

天王山古墳群は明石川の支流である「伊川」中流域の右岸、標高約70~80mの丘陵上に
築造された古墳群である。

天王山古墳群昭和45年(1970)から昭和47年(1972)にかけて発掘調査が行われ
4基の古墳規模が判明した。さらに昭和55年(1980)には前の調査では円墳とされた
4号墳が方墳であることを確認。さらに昭和62年度(1887)には盗掘を受けた5号墳
及び6号墳と16地点参考地の全面調査が実施されました。


上の写真は1号墳(円墳)、1-2号墳(円墳)、2号墳(円墳)、3号墳(帆立貝式2段築成)
4号墳(方墳)がある高台です。天王山北公園の周囲の道路より撮影






上まで登ると盛り上がりで墳丘と判る景色があります(上の3枚の写真)


上の写真は墳丘高台から北東側の眺望


上の写真は墳丘高台から南東側の眺望


上の写真は平成24年(2012)3月に神戸市教育委員会が作成の現地説明板


上の写真は現地説明板の地図の部分拡大図


上の写真は天王山古墳群 1~4号墳の南側にある大歳神社
御祭神は豊宇気比売尊(とようけひめのみこと)


上の写真は大歳神社の南側にある高野山真言宗の滝山寺
所在地住所:神戸市西区北別府5-1898

ここで1号墳~6号墳の規模を記載しておきます

1号墳(円墳)     直径約10m 高さ約1.2m

1-2号墳(円墳)    直径約10m 高さ約0.6m

2号墳(円墳)     直径約14.5m 高さ約1.3m

3号墳         直径約20m  高さ約2.5m
(帆立貝式2段築成)  2段築成は幅10m 高さ5mの造り出し

4号墳(方墳)     南北 約19m 東西約16m 高さ3.3m

5号墳(方墳)     一辺 約20m 高さ2.0m

6号墳(方墳)     一辺 約8m 高さは墳丘流失のため不明


上の写真は天王山東公園に移設された5号墳
下の説明書きのように現在地の北西50mの場所にありました。
ベンチの下には4基の埋葬施設を切り取り埋設保存されています。






上の3枚の写真は天王山5号墳の現地説明板

箱式石棺は壊されていたが神戸市埋蔵文化財センターびより復元され、
神戸市埋蔵文化財センターに展示されています。
写真をすぐに見つけられなかったので添付できませんでした。

最後に神戸市教育員会が昭和62年度神戸市埋蔵文化財年報のPage130で
記載されている天王山古墳群の埴輪、埋葬施設、埋葬品、年代について
纏めた表がありますので添付しました。


また、神戸市埋蔵文化財センターが天王山古墳群に判り易い解説を
されていますのでリンクさせていただきました。
 http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/center/spots/html/nishi/tennou.html
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