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漢委奴国王の金印は志賀島のどこで発見されたのか

2024年02月06日 14時22分13秒 | Weblog
2月3日の7:30からNHKBSテレビの火野正平の「とうちゃこ」の番組で金印が発見された
ことで有名な志賀島の志賀海神社を訪問する場面が紹介されていました。
これが刺激となって表題の「漢委奴国王の金印は志賀島のどこで発見されたのか」を
調べるキッカケとなりました。
漢委奴国王の金印はあまりにも有名で歴史関連教科書には必ず掲載されています。
まず、これまで展示会で観た金印のレプリカの写真を添付しておきます。



上の2枚の写真は「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」と刻まれた金印の複製品
と説明パネル。倭の字がにんべんが無いことに注目。
天明4年(1784)2月23日福岡市の志賀島(しかのしま)で出土(甚兵衛さんが発見)
重さ109g 一辺2.3cmの角印  現物は福岡市立博物館蔵
出典:2017年3月28日 訪問の大阪府立弥生文化博物館の展示 

上の写真は「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」と刻まれた金印の複製品 の展示
出典:兵庫県立考古博物館の春季特別展「弥生時代って知ってる?」2021年7月4日、観覧
西暦57年、九州北部の玄界灘に面した奴国の王が中国の都・洛陽に使者を送り金印を授与した。



金印の出土地についてWikipediaには次のように記載されています
文献上は筑前国那珂郡志賀島村叶崎(かなのさき)または叶ノ浜とされている。志賀島(現・福岡県福岡市東区)の島内であるが、正確な場所は明らかとなっていない。
1914年(大正3年)、九州帝国大学の中山平次郎が現地踏査と福岡藩主黒田家の古記録及び各種の資料から、その出土地点を志賀島東南部と推定した。その推定地点には1923年(大正12年)3月、武谷水城撰による「漢委奴國王金印発光之処」記念碑が建立された。その後、1958年(昭和33年)と1959年(昭和34年)の2回にわたり、森貞次郎、乙益重隆、渡辺正気らによって志賀島全土の学術調査が行われ、金印出土地点は、中山の推定地点よりも北方の、叶ノ浜が適しているとの見解が提出された。ただし、志賀島には金印以外の当時代を比定できる出土品が一切なく、志賀海神社に祀られる綿津見三神は漢ではなく新羅との交通要衝の神であり直接の繋路はまだ見出されていない。
1973年(昭和48年)及び1974年(昭和49年)にも福岡市教育委員会と九州大学による金印出土推定地の発掘調査が行われ、現在は出土地付近は「金印公園」として整備されている。


漢委奴国王印出土推定地「金印公園」 
 所在地住所:福岡市東区志賀島字古戸1865 
 問い合わせ先:092-645-1058(福岡市東区役所)

所在地のGoogleマップを添付しておきます。


金印公園は「漢委奴國王」金印が出土したのを記念して昭和50年(1975)に開園。
上の写真中央は金印公園入口「漢委奴國王金印発光之処」記念碑 
この記念碑は大正12年(1923)3月に建立されました。文字は武谷水城撰  
出典:Googleマップ ストリートビュー
上の写真は金印公園の案内図
出典:Googleマップ ストリートビュー


上の写真は現地案内書の説明文
出典:Googleマップ ストリートビュー


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