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三木市志染町安福田の栄運寺訪問記 on 2014-5-19

2014年05月21日 06時49分57秒 | 神戸市以外の兵庫県
2014年5月19日、三木市志染町安福田の栄運寺を訪問したので写真紹介します。

栄運寺の裏山にもうひとつの竹中半兵衛の墓と供養塔(法名が異なる)があることで知られています。
平井山本陣近くの墓が本墓か?
他に禅幢寺(岐阜県不破郡垂井町)、浄土寺(滋賀県東近江市)にも墓所があるようです。

今回紹介の栄運寺の竹中半兵衛の墓は地元では「馬塚」と伝わる。詳細は後述。

栄運寺の基本情報

住所:三木市志染(しじみ)町安福田(あぶた)577
TEL:0794-87-3203
宗派:浄土宗 山号:屏風山 御本尊:木造阿弥陀三尊坐像
寺宝:善導、円光両大師像 
開山:不詳 
中興:第4世 単蓮社空譽智源和尚の代 元禄5年(1692)1月20日 堂宇建立
改格:第14世 昇蓮者厚進道和尚の代 天保7年(1836) 平僧寺→能分寺に昇格









上の写真は栄運寺の本堂。


上の写真は本堂の近くにある寺内社? 後方に栄運寺が見えます。
栄運寺の近くに地蔵堂もあるようですが今回確認できず。

竹中半兵衛の墓と供養宝篋印塔


上の写真は竹中半兵衛の墓への入り口の看板。墓地の脇から入って行きます。


上の写真は竹中半兵衛の墓(手前)と供養塔(宝篋印塔)です。


上の写真は竹中半兵衛の墓です。盛り土の上に基壇があり、その上に竹中と刻まれた石標があります。
この地は今井家の所有の山林で、今井家に残る古文書に「文化9年(1812)10月9日 今井家の仁左衛門兌和
が雨の降り続いた裏山の中腹に死人の墓が露出しているのを見つけ、当時栄運寺の住職であった群誉円碩和尚に
相談しその翌日(10月10日)立ち合いの上、この蓋を開くと完全な人骨が顕れたので11日に地頭に報告。
易の占いに大臣病気出養生病死則ち葬候。竹中半兵衛重治公と知り10月26日再び塚を築いて戒名を
浄源院殿霊誉道覺居士と刻み位牌を作り栄運寺に安置して以降供養を営む」と記されている。


以上は福本錦嶺氏著「三木市の史跡と神社仏閣」 平成新元号記念誌として1989年3月
三木市老人会連合会により出版 Page139より引用。







上の写真は文化9年(1812)に建てられた竹中半兵衛の供養塔(宝篋印塔)

戒名の浄源院殿霊誉道覺居士 竹中半兵衛の命日の天正7年6月13日(1579年7月6日)6月13日が
供養塔及び卒塔婆から判読できた。


栄運寺の位牌については当日、栄運寺の方が不在で写真は撮れなかったが福本錦嶺氏著の「別所氏と三木合戦」
平成8年刊 Page 82に写真が掲載されていましたので添付させていただきます。



竹中半兵衛を中心とした系図(上記文献より)も添付しておきます。


拡大図はこちら






上の写真は今井家の墓所(栄運寺の墓所及び今井家の山林内)



上の写真は栄運寺の墓所の石造 仏像


上の写真は栄運寺歴代住職の墓。











 





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