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7月16日放送のNHK BSプレミアム 「キトラ 最古の天文図のミステリー」を視聴して

2015年07月17日 06時02分52秒 | Weblog
7月16日(木)午後10時~NHK BSプレミアム コズミック フロント NEXTで
キトラ古墳の天文図について詳しい解説番組が放送されていました。
テーマ名は「キトラ 最古の天文図のミステリー」。

上記番組の内容を整理の為、レビューしました。

NHKの番組サイトはこちら




上の写真は694年から710年(藤原京の時代)の造営されたと推定のキトラ古墳と
藤原京(694-710)及びキトラ古墳より造営年代が新しいとされる高松塚古墳の
位置を示した航空写真。


上の写真はキトラ古墳の最近の写真。直径13.8m、高さ3.3mの二段築成
の円墳が復原されています。

2011年5月16日にキトラ古墳 =亀虎古墳を訪問した時にブログにまとめて
いますのでリンクしておきます。
キトラ古墳の概要はこちらでまとめています。

 http://seiyo39.exblog.jp/15602075/ 

上記の番組で壁画と天文図の画像紹介があったので添付しておきます。









上に添付の写真が壁画。


上の写真は天文図。
キトラ壁画の天文図は、直径60センチの中に350もの星々が金箔で描かれ、
それらは赤い線で結ばれ、古代中国の星座「星官」が68個表現されている。


星官は中国の古書「開元占経」(上の写真)に詳細に記載されています。
『開元占経』とは、中国の唐王朝の時代に玄宗(685-762)の勅命を受けて
編纂された、120 巻に及ぶ天文. 暦学・占術学の集大成である


上の写真は現場の天文図を基に名前などを書き入れた天文図。

さて番組の内容に話を戻します。

キトラ古墳の天文図はいつの星座か?

国立天文台の相馬充助教の推測 384年

 手法:
 5つの星の位置と、年代によって僅かに変わる地球の自転軸の傾きを照合



上の写真はキトラ古墳の距星と計算で求めた距星


上の写真は天の赤道の5つの星の名前と位置


上の写真のように西暦400年でキトラ古墳の距星と計算で求めた距星が
赤道上で重なった。


国立天文台OBの中村士(つこう)さんの推測  紀元前88年

  手法:
   25の星の位置を基に分析



上の写真は中村士氏の手法で紀元前88年の根拠を示したもの。
中村士氏はさらに前漢の時代。渾天儀(こんてんぎ)とよばれる観測装置が存在
しており当時にも星座の科学的観測が可能であったと付け加えられました

2つの推測値が提案されたいずれにしてもキトラ古墳の築造(694-710)より数百年
古い星座であろうと思われる。



キトラ古墳の天文図はどこで見える星座か?

当初の計算で北緯37.84度としたが外規の老人性(カノープス)が描かれている
ことの説明がつかないことが判明。




内規の八殻と文昌の見える緯度と内規の位置を照合し北緯34度付近
星座の観測地点と結論づけた。

この井戸は中国の長安(現在の西安)や洛陽の位置に相当。

キトラ古墳へは朝鮮半島を経由して伝えられたと思われる。

(根拠)
中国の星座図では星座の大きさの区別が無い

朝鮮半島の星座図では特定の星座の大きさを大きく描かれる

キトラ古墳の天文図は上記の朝鮮半島の方式であり中国から伝えられた星座図
が朝鮮半島で改変されていったものであろうと推察される



関連サイト:
  NHKBSプレミアム 飛鳥の大宇宙 ~キトラに眠るのは誰だ~を視聴して


  奈良散策記 その5 キトラ古墳 on 2011-5-16


  キトラ古墳

  高松塚古墳訪問記(2011-5-16)













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