2022年5月27日(金)19:30NHK総合テレビ「かんさい熱視線」-亡命のウクラニアン
百年の記憶という番組を視聴しました。
番組では神戸市東灘区の深江文化村に約100年前に亡命してきたウクライナの音楽家
に関するものが主であったがホロドモール(飢餓殺人)についても紹介されていました。
私にとってホロドモールについて初めて聞いた言葉で全く知らなかった。
そこで番組で紹介されていたホロドモールとイアンターネットで調べた内容について書いていきます。
ホロドモールとは、1932年(昭和7年)から1933年(昭和8年)にかけてウクライナ人が
住んでいた地域で起きた人為的な大飢饉である。日本語で飢餓殺人とも訳されています。
当時のウクライナは、ヨシフ・スターリンが最高指導者を務める旧ソ連の統治下にあった。
この出来事は、飢饉を意味する「ホロド」と、疫病や苦死を表す「モール」を合わせて、
「ホロドモール」と呼ばれている。
オスマン帝国のアルメニア人虐殺や、ナチス・ドイツが行ったユダヤ人に対する
ホロコーストなどと並んで、20世紀最大の悲劇のひとつとされている。
番組ではウクライナでのホロドモールでの死者数は350万人~900万人とされています。
ホロドモールの主な地域はウクライナ以外でもあった。以下の地域である。
カザフ・ソビエト社会主義共和国
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国のクバーニ、ヴォルガ川沿岸地域、南ウラル、北シベリアなど。
これらの地域での死者を含めると死者数はさらに大きな数値であると言える。
上の写真は今回初めてメディアの取材に応じた在日ウクライナ大使館に勤める
ヴァディーム・スィチャチェンコさんが番組で証言されていました。
上の写真はヴァディームさんの親族(1931年撮影)
さらに父には13人の兄弟姉妹がいましたがその半数はホロドモールにより死去しました。
ホロドモールはロシア(当時のソ連)がウクライナに対して行ったジェノサイド
であったとヴァディームさんは証言されています。
番組ではソ連が製作したプロパンガンダ映像も紹介されていました。
上の3枚の写真はソ連のプロパガンダの映像
ソ連はウクライナなどでとれた農作物を強制的に徴収して、それを諸外国に輸出し、
外貨を得ていたという背景があります。“強制的”ということで、ウクライナの人にとっては、
自分たちが食べる分をも取られて、命が奪われていきました。
多くの人が命を落とすこととなったホロドモール。しかし、ソ連による歪められた
情報工作が影響してか、日本では現在も認知が高くないのが現状だ。
在日ウクライナ大使館では、ホロドモール被害者追悼の日にあたる11月第4土曜日に、
追悼祈祷式と礼拝が行われている。
更に番組では実際に6年間現地に潜伏し、現地の惨状を見たという日本人の証言を
紹介されていました。
「食物が枯渇し、犬も猫も鼠も1匹もいない。隣の父親が自分の息子を食べたと
現場を実際に見たと・・・・」
以下はWikipediaによるホロドモールの概説です。
ホロドモール(ウクライナ語: Голодомо?р;ロシア語: Голод на Украине;英語: Holodomor)は、ウクライナ語でホロド (holodo) は飢え、モル (mor) は絶滅や抹殺[注釈 1]を意味する合成語[2]で、飢餓による殺害 (death by hunger) を意味する[3][4]。具体的には、1932年から1933年(または1934年[注釈 2])にかけてウクライナ・北カフカース・クバーニなどウクライナ人が住んでいた地域をはじめ、カザフスタンなど、ソビエト連邦各地でおきた大飢饉を指す[5][6]。特にウクライナでの被害が甚大で、かつウクライナを標的としたソビエトの政策が飢饉の原因であったことから、ホロドモールはソビエトの政策に抵抗したウクライナの農民に対するソビエト国家による攻撃の集大成であり[4]、人工的・人為的な大飢饉であったとされている[3]。ウクライナ飢饉[1]、飢餓テロや飢餓ジェノサイド、スターリン飢饉などとも呼ばれる[7]。
ソ連における第一次五カ年計画において、コルホーズ(集団農場)による農業の集団化や、クラーク(富農)撲滅運動において反ソ連分子を強制収容所(グラグ)に収容したり[8]、さらに穀物の強制徴発などを原因として発生した[6][1]。「富農」と認定されたウクライナ農民たちはソ連政府による強制移住により家畜や農地を奪われ、「富農」と認定されなくとも、少ない食料や種子にいたるまで強制的に収奪された結果、大規模な飢饉が発生し、330万人[9]から数百万人ともされる餓死者・犠牲者を出した[6][10]。
上の写真はホロドモール=飢餓殺人に関する映像
また、ソ連の秘密警察による処刑。さらにウクライナ語を話すことを禁止されロシア語を
使用することを強要されたことも番組では紹介されていました。
2022年2月24日より続くロシアのウクライナ侵攻についてウクライナが降伏しない理由として、
90年前に起きたホロドモールがトラウマとして残っており、大きな要因となっていると
2歳の時に日本にやってきて30年経つウクライナ人のソフィアさんが語っていました。
ホロドモールに関しては、現在になってウクライナ国内でも意見が割れている。
ヴィクトル・ユシチェンコが大統領を務めていた2006年、ウクライナ最高会議は
ホロドモールをウクライナ人へのジェノサイドと認定する決定を採択。
しかし2010年、ユシチェンコの後継であるヴィクトル・ヤヌコーヴィチ大統領は、
「ホロドモールはウクライナ人に対するジェノサイドと見なすことはできず、
ソ連国内の諸民族の悲劇」と強調し、見解を修正した。
一方の現代ロシアでは、歴史家を中心に飢饉の事実認識には同調するが、被害はロシア人や
カザフ人にもおよんだと指摘し、ウクライナ人に対する民族的なジェノサイドであることを
否定する声が挙がっており、見解の相違は埋まっていない。
上の写真は昭和36年頃の深江文化村。
深江文化村については別途、ブログ記事を書くつもりです。
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