2018年5月26日(土)、楠公武者行列が5年ぶりに開催されました。
楠公さんと親しまれている楠木正成が、元弘3年(1333)6月、幽閉されていた
隠岐から京に戻る途中、後醍醐天皇を神戸で迎え、都まで先導した行列
を再現したものである。
当日(2018-5-26)のイベントの内容は下記のとおり。
午前9時半 発輿(はつよ)祭 (湊川神社本殿及び本殿前庭)
午前10時 楠公武者行列(御神幸)湊川神社出発→メルカロード宇治川→11:10 湊川公園到着
午前11時半 御旅所祭 (湊川公園 斎場)
午後 1時 楠公武者行列(御神幸) 湊川公園出発→新開地商店街→14:00 ハーバーランド
→乙仲通→15:00 元町商店街→16:00 湊川神社着
午後4時頃 還御祭 (湊川神社本殿及び本殿前庭)
楠公武者行列は下記の3つのパートから成っています。
(1)前陣武者列(ぜんじんむしゃれつ)
(2)神幸列本社(じんこうれつほんしゃ)
(3)神幸列甘南備神社(じんこうれつかんなびじんじゃ)
全部で69役 総勢約700名の行列で行列の長さは約1Kmにも及びます。
このブログでは前陣武者列について主に動画で紹介していきます。
上の3枚の写真は8時半頃に撮った湊川神社拝殿前の様子です。
ここで楠公武者行列の開催歴史について簡単に触れておきます。
明治7年(1874)神輿渡御に楠木正成を大将とする騎馬武者が供奉したのが始まり。
戦前、特に昭和10年(1935)の大楠公600年祭の楠公武者行列は総勢3千人を
超える大行列となり沿道の見学者も50万人と盛んな行事であったようです。
戦後は簡略化されながらも昭和40年(1965)までは毎年開催されていました。
昭和40年(1965)から平成14年(2002)までに実施されたのは2回。
平成14年以降は5年に1回開催の方針でしたが東日本大震災を考慮して平成24年
の祭が延期され平成25年(2013)の祭(楠公武者行列)となりました。
武者行列に先立ち行われた発輿祭(はつよさい)の様子を動画で紹介します。
楠公武者行列 on 2018-5-26 その3 初與祭(はつよさい)
10時頃神輿と葱華輦(そうかれん)が出発する様子を動画で紹介します。
楠公武者行列 on 2018-5-26 その4 神輿と葱華輦(そうかれん)の出発
10時から楠公武者行列(御神幸)湊川神社を出発していくのですが
グループ毎に記念撮影されていました。(上の写真)
まず、11時頃荒田町付近を通過した御神幸の行列を紹介します。
前陣武者列
第1梯団
No.1 鉄杖(てつじょう)
No.2 高張提灯(たかはりちょうちん)
No.3 太鼓(たいこ)
No.4 大麻(おおぬさ)
No.5 社号旗(しゃごうき) & 猿田彦(さるたひこ)
No.6 大榊(おおさかき)
第2梯団
法螺貝(ほらがい) はりま立螺之会
No.7 前駆兵(ぜんくへい)
No.8 列奉行(れつぶぎょう)騎馬
第3梯団
No.9 先駆(せんく)
No.10 錦旗(にしきばた)
No.11 武者 菊池武吉(きくちたけよし)卿 代
No.12 武者 江田高次(えだたかつぐ)命 代
No.13 武者 伊藤義和(いとうよしかず)命 代
第4梯団
No.14 武者 箕浦朝房(みのうらあさふさ)命 代
No.15 武者 岡田友治(おかだともはる)命 代
No.16 武者 矢尾政春(やおまさはる)命 代
No.17 武者 和田正隆(わだまさたか)命 代
No.18 武者 神宮司正師(じんぐうじまさもろ)命 代
ここまでの行列を動画にて紹介します。
楠公武者行列 on 2018-5-26 その1 前陣武者列第1梯団から第4梯団
第5梯団
No.19 少将 楠木正行(くすのきまさつら)公 代
サンテレビアナウンサー・元AKB48 中村麻里子 様
No.20 将前兵(しょうぜんへい)
No.21 菊水旗(きくすいばた)騎馬
No.22 大将 楠木正成(くすのきまさしげ)公 代
河内長野市市長 島田智明 様
No.23 副将 楠木正季(くすのきまさすえ)卿 代
元阪神タイガース、野球解説者 下柳剛 様
第6梯団
No.24 武者 橋本正員(はしもとまさかず)命 代
No.25 武者 冨田正武(とみたまさたけ)命 代
No.26 武者 恵美正遠(えみまさとお)命 代
No.27 武者 河原正次(かわはらまさつぐ)命 代
第7梯団
No.28 武者 宇佐美正安(うさみまさやす)命 代
No.29 武者 三石行隆(みついしゆきたか)命 代
ターザン山下 様
No.30 武者 安西正光(あんざいまさみつ)命 代
No.31 武者 南江正忠(みなみえまさただ)命 代
第8梯団
No.32 女房(にょうぼう)騎馬
No.33 兵士(へいし)
No.34 押侍(おしさむらい)
ここまでの行列を動画で紹介します。
楠公武者行列 on 2018-5-26 その2 前陣武者列 第5梯団から第8梯団
下の動画は湊川神社を出発する特別三役
大将楠木正成(くすのきまさしげ)役には河内長野市市長の島田智明様、
正成の長男で少将の楠正行(くすのきまさつら)役にはサンテレビアナウンサー・
元AKB48の中村麻里子様、さらに正成の弟で副将の楠木正季(くすのきまさすえ)役の
元阪神タイガース・野球解説者の下柳剛様が参加されました。
楠公武者行列 on 2018-5-26 その12 湊川神社を出発する特別三役
最後に当日の午後、湊川公園から出発した前陣武者列の行列で荒田町とは違った部分を
動画で紹介します。
楠公武者行列 on 2018-5-26 その5 御神幸(前陣武者列)の湊川公園出発風景
本動画では午後から湊川公園を出発した御神幸(前陣武者列)の行列で午前中とは
異なるものを集めました。行列は清め塩と猿田彦を先導として港翔楠中学校吹奏楽部を
先頭に行列が続きます。大将楠木正成(くすのきまさしげ)役には兵庫県知事の
井戸敏三様、正成の長男で少将の楠正行(くすのきまさつら)役には四条畷市長の
東修平様、さらに正成の弟で副将の楠木正季(くすのきまさすえ)役の神戸市副市長の
玉田敏郎様が参加されました。
2013年に挙行された楠公武者行列のブログ
楠公武者行列 on 2013-5-26 (その1)
楠公武者行列 on 2013-5-26 (その2)
楠公武者行列 on 2013-5-26 (その3)完 神幸列甘南備神社
上の写真は楠公武者行列の英文説明掲示
上の写真は湊川神社に掲示されている大楠公御一代記の六番「兵庫に天皇をお迎えする」
の場面です。
上の写真は湊川神社に掲示されている大楠公御一代記の八番「桜井の別れ」の場面です。
青葉茂れる櫻井の~で始まる「楠公の歌」について記載しておきます。
『楠公の歌』 落合直文 作詞、奥山朝恭 作曲
奥山朝恭(ともやす)の作曲で歌人で国文学者の落合直文が書いた詩に曲をつけた
バラードで明治24年(1891)奥山朝恭が兵庫県尋常師範(現神戸大学発達科学部)に
奉職中に作曲された。
下記の三部構成になっています。
―桜井の訣別―
1.青葉茂れる桜井の 里のわたりの夕まぐれ
木(こ)の下陰に駒とめて 世の行く末をつくづくと
忍ぶ鎧(よろい)の袖の上(え)に 散るは涙かはた露か
2.正成(まさしげ)涙を打ち払い 我が子正行(まさつら)呼び寄せて
父は兵庫に赴かん 彼方(かなた)の浦にて討ち死にせん
汝(いまし)はここまで来つれども とくとく帰れ故郷へ
3.父上いかにのたもうも 見捨てまつりてわれ一人
いかで帰らん帰られん この正行は年こそは
未だ若けれ諸(もろ)ともに 御供(おんとも)仕えん死出の旅
4.汝をここより帰さんは 我が私の為ならず
おのれ討死為さんには 世は尊氏の儘(まま)ならん
早く生い立ち大君(おおきみに) 仕えまつれよ国の為
5.この一刀(ひとふり)は住(い)にし年 君の賜いしものなるぞ
この世の別れの形見にと 汝(いまし)にこれを贈りてん
行けよ正行故郷へ 老いたる母の待ちまさん
6.共に見送り見返りて 別れを惜しむ折からに
またも降りくる五月雨の 大空に聞こゆる時鳥(ほととぎす)
誰か哀れと聞かざらん あわれ血に泣くその声を
上の写真は湊川神社に掲示されている大楠公御一代記の九番「湊川の合戦」と
十番「大楠公御殉節(ごじゅんせつ)」
―敵軍襲来―
7.遠く沖べを見渡せば 浮かべる舟のその数は
幾千万とも白波の 此方(こなた)をさして寄せて来ぬ
陸(くが)はいかにと眺むれば 味方は早くも破られて
8.須磨と明石の浦づたい 敵の旗のみ打ちなびく
吹く松風か白波か よせくる波か松風か
響き響きて聞ゆなり つづみの音に閧(とき)の声
―湊川の奮戦―
9.いかに正季(まさすえ)われわれの 命捨つべき時は来ぬ
死す時死なでながらえば 死するに勝る恥あらん
太刀の折れなんそれまでは 敵のことごと一方(かたえ)より
10.斬りすてなん屠(ほう)りてん 進めすすめと言い言いて
駆け入るさまの勇ましや 右より敵の寄せくるは
左の方(かた)へと薙(な)ぎ払い 左の方より寄せくるは
11.右の方へと薙ぎ払う 前よりよするその敵は
後ろよりするその敵も 見ては遁(のが)さじ遁さじと
奮いたたかう右ひだり とびくる矢数は雨あられ
12.君の御為(みため)と昨日今日 数多の敵に当りしが
時いたらぬをいかにせん 心ばかりははやれども
刃(やいば)は折れぬ矢はつきぬ 馬もたおれぬ兵士(つわもの)も
13.かしこの家にたどりゆき 共に腹をば切りなんと
刀を杖に立ちあがる 身には数多の痛矢串(いたやぐし)
戸をおしあけて内に入り 共に鎧の紐とけば
14.緋おどしならぬくれないの 血潮したたる小手の上
心残りはあらずやと 兄のことばに弟は
これみなかねての覚悟なり 何か嘆かん今さらに
15.さはいえ悔し願わくは 七度(ななたび)この世に生まれ来て
憎き敵をば滅ぼさん さなりさなりとうなづきて
水泡(みなわ)ときえし兄弟(はらかた)の 心も清き湊川
下記の動画で歌唱又は吹奏楽の演奏の場面があります。
楠公武者行列 on 2018-5-26 その5 御神幸(前陣武者列)の湊川公園出発風景
最後に神戸佳族 Vol.68(2018-9-10)で解説された「神さまの行列-威儀物(いぎもの)」
を添付しておきます。
楠公さんと親しまれている楠木正成が、元弘3年(1333)6月、幽閉されていた
隠岐から京に戻る途中、後醍醐天皇を神戸で迎え、都まで先導した行列
を再現したものである。
当日(2018-5-26)のイベントの内容は下記のとおり。
午前9時半 発輿(はつよ)祭 (湊川神社本殿及び本殿前庭)
午前10時 楠公武者行列(御神幸)湊川神社出発→メルカロード宇治川→11:10 湊川公園到着
午前11時半 御旅所祭 (湊川公園 斎場)
午後 1時 楠公武者行列(御神幸) 湊川公園出発→新開地商店街→14:00 ハーバーランド
→乙仲通→15:00 元町商店街→16:00 湊川神社着
午後4時頃 還御祭 (湊川神社本殿及び本殿前庭)
楠公武者行列は下記の3つのパートから成っています。
(1)前陣武者列(ぜんじんむしゃれつ)
(2)神幸列本社(じんこうれつほんしゃ)
(3)神幸列甘南備神社(じんこうれつかんなびじんじゃ)
全部で69役 総勢約700名の行列で行列の長さは約1Kmにも及びます。
このブログでは前陣武者列について主に動画で紹介していきます。
上の3枚の写真は8時半頃に撮った湊川神社拝殿前の様子です。
ここで楠公武者行列の開催歴史について簡単に触れておきます。
明治7年(1874)神輿渡御に楠木正成を大将とする騎馬武者が供奉したのが始まり。
戦前、特に昭和10年(1935)の大楠公600年祭の楠公武者行列は総勢3千人を
超える大行列となり沿道の見学者も50万人と盛んな行事であったようです。
戦後は簡略化されながらも昭和40年(1965)までは毎年開催されていました。
昭和40年(1965)から平成14年(2002)までに実施されたのは2回。
平成14年以降は5年に1回開催の方針でしたが東日本大震災を考慮して平成24年
の祭が延期され平成25年(2013)の祭(楠公武者行列)となりました。
武者行列に先立ち行われた発輿祭(はつよさい)の様子を動画で紹介します。
楠公武者行列 on 2018-5-26 その3 初與祭(はつよさい)
10時頃神輿と葱華輦(そうかれん)が出発する様子を動画で紹介します。
楠公武者行列 on 2018-5-26 その4 神輿と葱華輦(そうかれん)の出発
10時から楠公武者行列(御神幸)湊川神社を出発していくのですが
グループ毎に記念撮影されていました。(上の写真)
まず、11時頃荒田町付近を通過した御神幸の行列を紹介します。
前陣武者列
第1梯団
No.1 鉄杖(てつじょう)
No.2 高張提灯(たかはりちょうちん)
No.3 太鼓(たいこ)
No.4 大麻(おおぬさ)
No.5 社号旗(しゃごうき) & 猿田彦(さるたひこ)
No.6 大榊(おおさかき)
第2梯団
法螺貝(ほらがい) はりま立螺之会
No.7 前駆兵(ぜんくへい)
No.8 列奉行(れつぶぎょう)騎馬
第3梯団
No.9 先駆(せんく)
No.10 錦旗(にしきばた)
No.11 武者 菊池武吉(きくちたけよし)卿 代
No.12 武者 江田高次(えだたかつぐ)命 代
No.13 武者 伊藤義和(いとうよしかず)命 代
第4梯団
No.14 武者 箕浦朝房(みのうらあさふさ)命 代
No.15 武者 岡田友治(おかだともはる)命 代
No.16 武者 矢尾政春(やおまさはる)命 代
No.17 武者 和田正隆(わだまさたか)命 代
No.18 武者 神宮司正師(じんぐうじまさもろ)命 代
ここまでの行列を動画にて紹介します。
楠公武者行列 on 2018-5-26 その1 前陣武者列第1梯団から第4梯団
第5梯団
No.19 少将 楠木正行(くすのきまさつら)公 代
サンテレビアナウンサー・元AKB48 中村麻里子 様
No.20 将前兵(しょうぜんへい)
No.21 菊水旗(きくすいばた)騎馬
No.22 大将 楠木正成(くすのきまさしげ)公 代
河内長野市市長 島田智明 様
No.23 副将 楠木正季(くすのきまさすえ)卿 代
元阪神タイガース、野球解説者 下柳剛 様
第6梯団
No.24 武者 橋本正員(はしもとまさかず)命 代
No.25 武者 冨田正武(とみたまさたけ)命 代
No.26 武者 恵美正遠(えみまさとお)命 代
No.27 武者 河原正次(かわはらまさつぐ)命 代
第7梯団
No.28 武者 宇佐美正安(うさみまさやす)命 代
No.29 武者 三石行隆(みついしゆきたか)命 代
ターザン山下 様
No.30 武者 安西正光(あんざいまさみつ)命 代
No.31 武者 南江正忠(みなみえまさただ)命 代
第8梯団
No.32 女房(にょうぼう)騎馬
No.33 兵士(へいし)
No.34 押侍(おしさむらい)
ここまでの行列を動画で紹介します。
楠公武者行列 on 2018-5-26 その2 前陣武者列 第5梯団から第8梯団
下の動画は湊川神社を出発する特別三役
大将楠木正成(くすのきまさしげ)役には河内長野市市長の島田智明様、
正成の長男で少将の楠正行(くすのきまさつら)役にはサンテレビアナウンサー・
元AKB48の中村麻里子様、さらに正成の弟で副将の楠木正季(くすのきまさすえ)役の
元阪神タイガース・野球解説者の下柳剛様が参加されました。
楠公武者行列 on 2018-5-26 その12 湊川神社を出発する特別三役
最後に当日の午後、湊川公園から出発した前陣武者列の行列で荒田町とは違った部分を
動画で紹介します。
楠公武者行列 on 2018-5-26 その5 御神幸(前陣武者列)の湊川公園出発風景
本動画では午後から湊川公園を出発した御神幸(前陣武者列)の行列で午前中とは
異なるものを集めました。行列は清め塩と猿田彦を先導として港翔楠中学校吹奏楽部を
先頭に行列が続きます。大将楠木正成(くすのきまさしげ)役には兵庫県知事の
井戸敏三様、正成の長男で少将の楠正行(くすのきまさつら)役には四条畷市長の
東修平様、さらに正成の弟で副将の楠木正季(くすのきまさすえ)役の神戸市副市長の
玉田敏郎様が参加されました。
2013年に挙行された楠公武者行列のブログ
楠公武者行列 on 2013-5-26 (その1)
楠公武者行列 on 2013-5-26 (その2)
楠公武者行列 on 2013-5-26 (その3)完 神幸列甘南備神社
上の写真は楠公武者行列の英文説明掲示
上の写真は湊川神社に掲示されている大楠公御一代記の六番「兵庫に天皇をお迎えする」
の場面です。
上の写真は湊川神社に掲示されている大楠公御一代記の八番「桜井の別れ」の場面です。
青葉茂れる櫻井の~で始まる「楠公の歌」について記載しておきます。
『楠公の歌』 落合直文 作詞、奥山朝恭 作曲
奥山朝恭(ともやす)の作曲で歌人で国文学者の落合直文が書いた詩に曲をつけた
バラードで明治24年(1891)奥山朝恭が兵庫県尋常師範(現神戸大学発達科学部)に
奉職中に作曲された。
下記の三部構成になっています。
―桜井の訣別―
1.青葉茂れる桜井の 里のわたりの夕まぐれ
木(こ)の下陰に駒とめて 世の行く末をつくづくと
忍ぶ鎧(よろい)の袖の上(え)に 散るは涙かはた露か
2.正成(まさしげ)涙を打ち払い 我が子正行(まさつら)呼び寄せて
父は兵庫に赴かん 彼方(かなた)の浦にて討ち死にせん
汝(いまし)はここまで来つれども とくとく帰れ故郷へ
3.父上いかにのたもうも 見捨てまつりてわれ一人
いかで帰らん帰られん この正行は年こそは
未だ若けれ諸(もろ)ともに 御供(おんとも)仕えん死出の旅
4.汝をここより帰さんは 我が私の為ならず
おのれ討死為さんには 世は尊氏の儘(まま)ならん
早く生い立ち大君(おおきみに) 仕えまつれよ国の為
5.この一刀(ひとふり)は住(い)にし年 君の賜いしものなるぞ
この世の別れの形見にと 汝(いまし)にこれを贈りてん
行けよ正行故郷へ 老いたる母の待ちまさん
6.共に見送り見返りて 別れを惜しむ折からに
またも降りくる五月雨の 大空に聞こゆる時鳥(ほととぎす)
誰か哀れと聞かざらん あわれ血に泣くその声を
上の写真は湊川神社に掲示されている大楠公御一代記の九番「湊川の合戦」と
十番「大楠公御殉節(ごじゅんせつ)」
―敵軍襲来―
7.遠く沖べを見渡せば 浮かべる舟のその数は
幾千万とも白波の 此方(こなた)をさして寄せて来ぬ
陸(くが)はいかにと眺むれば 味方は早くも破られて
8.須磨と明石の浦づたい 敵の旗のみ打ちなびく
吹く松風か白波か よせくる波か松風か
響き響きて聞ゆなり つづみの音に閧(とき)の声
―湊川の奮戦―
9.いかに正季(まさすえ)われわれの 命捨つべき時は来ぬ
死す時死なでながらえば 死するに勝る恥あらん
太刀の折れなんそれまでは 敵のことごと一方(かたえ)より
10.斬りすてなん屠(ほう)りてん 進めすすめと言い言いて
駆け入るさまの勇ましや 右より敵の寄せくるは
左の方(かた)へと薙(な)ぎ払い 左の方より寄せくるは
11.右の方へと薙ぎ払う 前よりよするその敵は
後ろよりするその敵も 見ては遁(のが)さじ遁さじと
奮いたたかう右ひだり とびくる矢数は雨あられ
12.君の御為(みため)と昨日今日 数多の敵に当りしが
時いたらぬをいかにせん 心ばかりははやれども
刃(やいば)は折れぬ矢はつきぬ 馬もたおれぬ兵士(つわもの)も
13.かしこの家にたどりゆき 共に腹をば切りなんと
刀を杖に立ちあがる 身には数多の痛矢串(いたやぐし)
戸をおしあけて内に入り 共に鎧の紐とけば
14.緋おどしならぬくれないの 血潮したたる小手の上
心残りはあらずやと 兄のことばに弟は
これみなかねての覚悟なり 何か嘆かん今さらに
15.さはいえ悔し願わくは 七度(ななたび)この世に生まれ来て
憎き敵をば滅ぼさん さなりさなりとうなづきて
水泡(みなわ)ときえし兄弟(はらかた)の 心も清き湊川
下記の動画で歌唱又は吹奏楽の演奏の場面があります。
楠公武者行列 on 2018-5-26 その5 御神幸(前陣武者列)の湊川公園出発風景
最後に神戸佳族 Vol.68(2018-9-10)で解説された「神さまの行列-威儀物(いぎもの)」
を添付しておきます。
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